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太陽系興亡史  作者: 双頭龍
第4章 策動するシャムシ達と近付く戦乱
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第2話

 前話から章を変え、書き方も変えて、書いている作者です。この書き方も慣れるまで、違和感だらけなんですが、まあ頑張ります。

 出来る限り多角的に書きたいと思っていますが限界があります。以前も書きましたが書かれている内容について色々な意見、見解、考え方があると思いますし、それらを否定するつもりは一切ありません。


 それにしても話が進まないんですが、どうなんでしょう。脱線しすぎでしょうか? さっさと話を進めろよって思ってますよね? これで毎日更新とかできるならまだしも、あまり更新できないなら読んでいてどうなのと思ってしまいます。出来る限り時間を作り書いていくつもりですので、どうぞよろしくお願いします。

 

 シャムシは王宮を出た後、バビロンのコウジ達と色々な作業をしていた小屋に向かっている。


 すでにコウジとイシュナはその小屋に到着し、いちゃつきながらくつろいでいる。


 この小屋には色々とコウジの知識を活用した各種家具が配置してある。例えばリクライニングソファーベットや、そのソファーの背に置いてあるクッション、そのソファの下に引いてあるカーペット、テーブルとリクライニングチェアー等々である。

 元々は、ただの背もたれや腰掛に、出来るだけ木綿の糸で精密にメッシュを施し、そのメッシュの緩急を利用して従来の長椅子より、心持ち少し座りやすくしただけの長椅子だった。これでもこの時代の人からは絶大な支持を誇ってはいたのだが、エルザが来た事によってコウジの思い通りのリクライニングソファーベットと変化した物である。元となった長椅子はジュナの商店で売れ筋商品として富裕層に人気がある製品だったりする。

 その他の家具も元はそれほど大層な作りではなかったのだが、エルザのおかげで豪勢、かつ快適な元の時代に持っていったら高級家具なこと間違いなしな一品となっている。

 ついでに言うとこの小屋はシャムシがバビロンの王宮の外で活動する間の癒しの場となっているのだが、そんな場所でいちゃいちゃしている妹夫婦であった。まあ、もともとコウジ達が作ったものでは有るのだが。


 「遅いですわね。シャムシ兄様」

 イシュナはコウジの胸に自分の体をもたれかからせながらコウジの顔を甘えながら見て言った。

 女の子からこの1年で少しは理想とする夫を支えれる女性に近づけた、と自負している彼女ではあるが、その近付くための知識はコウジが自分の趣味をふんだんに叩き込んだ、少し間違った知識である。例えば可愛いからと言って猫のポーズを取らせて見たり、ほっぺを膨らませて可愛く拗ねさせてみたり、袖をつまんで甘えさせてみたりと、可愛さの破壊力を引き上げることを主眼に置いているのである。一応コウジの名誉のために元の時代の一般的な料理や裁縫、洗濯等といった知識も教えてはいる。それにもちろん彼女自身の母親や叔母であるジュナさんからも夫に尽くす為の知識を仕入れてきてはいるが、片や第三王妃、片や商人と彼女達の知識もこの時代の常識から見たらかけ離れているのは事実である。まあ当人達が幸せであるのなら、と見ている他人は思っていたりするのだが、もとの時代ならこういわれるだろう、リア充死すべし、と。

 彼らを見てシャムシや、たまに来るニムロデが羨望とも取れる視線を彼らに向けることもある。そういう時はコウジはシャムシやニムロデに猫のポーズをさせたりして十分に交流をさせている、まあ、正確には甘えさせている。本人達は否定するが。

 シャムシはどちらかと言うとイシュナに対しての感情を持っているのだと思う。おそらくイシュナを通してジュナさんを見ているのだろう、じゃ無ければただのシスコンである。

 一方のニムロデは少々特殊である。彼はコウジやシャムシに対しての感情が強いように思える。おそらく歳の近い兄弟がおらず、一切甘えるることの出来る対象がいなかった、また甘えが許される時勢でも、情勢、バビロンは同盟を結んでいるイラ・カブカブ王以外の勢力とは敵対しているし、近年の戦いは全て負けている、でもなかったことに起因している、とコウジは思っている。まあだからといってまだ母親以外の異性に対して甘えることが出来る年齢でもないのである。

 子供は男子、女子ともに甘えるのが当然だ、とコウジは理解しているし、そういった体験を下に、授業を受けたわけではないが、色々と学んできた、たくさんの親戚の中で。

 幼少期に、つまり甘えたかった時代に、甘えれず傷つき、拒絶された分、人は大人になると感情の表現が下手になるような気がする。


 とくに周囲の状況を理解できるような賢い子供はその影響をもろに受ける。


 甘えちゃいけない、我慢しなきゃいけない。わがままだから気を付けなきゃいけない、そんなこと期待してはいけない、と自分の中で甘えたいと言う欲求を全力で押しとどめる。


 そんな感情を子供が持つべきであろうか? 

 コウジはそうは思わないのだ。

 甘えとは子供にとって自らの存在価値の確認や、親の他者の愛情の確認でもある。そういった意味において親も親の育った環境に翻弄されているのは事実としてあるだろう。王とはいったいいかなるものか、と言われるとコウジも強く、こうだ、と主張出来ないし、自分の意見こそが絶対正しいと言い切る自信もなければ、覚悟もない。でもせめて、せめて、自分のそばにいるときだけでも、子供である彼らからの甘えに対して自分の手の届く範囲の中で十分に答えてあげようと思うのだ。もちろん『甘えさせる』と『甘やかす』は完全に異なるものであると理解した上で、の話である。


 「そうだね。会議大変なんだろうね」

 コウジはイシュナの髪の毛を触りながら答える。夫婦では有るが、何処をどう、何回見ても、仲のいい歳の離れた兄妹が、特に妹が兄にじゃれているようにしか見えない。これでコウジがもう少し年上であったのなら、親子に見えるのではあるが、もしコウジがそれを聞いたら落ち込むと思うので、思っていたとしても誰も言わない。もちろん彼らは夫婦であり、今このときもコウジのもう一方の手はイシュナの手を握ったりしていたりする、二人が包まっているのひざ掛けの中で。

 

 「おじゃまします」

 扉が叩かれた後ニムロデが小屋に入ってきた。

 

 「おお、到着したか、そんなところでそんな目をしながら立ってるなよ。こっちに来てすわれ。まだシャムシはきてないから」

 ニムロデは一瞬躊躇をしたものの、体に付いた外の埃を払い、ソファーのコウジのイシュナとの逆に座った。ニムロデとしては夫婦団欒の時間と空間を侵犯するのに気が乗らなかった、というか気後れしただけであるが、コウジは彼の心理を見抜いてかそれともかは分からないが、ひざ掛けでニムロデを包み、イシュナの手を握っていた手をニムロデの肩に回し顔をなでる。

 ニムロデもこの一年で男の子から少年の顔になりつつある。もちろん子供は一年でいきなり大人になるわけではない。ま、特に男性は大人になってもどこか子供的な側面を持っているものではあるが。

 

 ニムロデも抵抗するでもなく甘えている。それを見ているイシュナも私もしてよ、とばかりにアピールしてくる。夫として妻の要望にこたえるのは夫婦円満の秘訣でもある。


 そんなこんなをしているとシャムシが小屋に到着し、怪訝な顔をしている。

 

 「何をしているんだい? さむいのかい?」


 「いや、別に。二人に囲まれているから十分に暖かいけど」


 「そ、そうかい。じゃあ本題に入ろうか。どうせ時間もそれほどあるわけではないし」


 「うん。で、会議はどうだった」


 「色々と面白かったよ。これまでの予定通り行動は収穫が終わってから、我々はアッシュールに、主力はエシュヌンナに」


 「編成は?」


 「エシュヌンナ攻略の主力はうちから父が1万4千、兄が8千、バビロン側がシン・ムバリド王が率いる合計4万、エラム側が王を中心に5万。一方のアッシュール牽制軍は僕が5千以上、バビロン側からが1万、エラム側が第一王子率いる2万だね」


 「うん? 5千以上? はっきりとしないがどうしたんだ」

 

 「はっきりとしているのは普通に徴募出来ている兵は3千しかいないと言う事と、残りは難民から根こそぎ徴募してでも可能な限り最大限の兵力を率いなければいけないということだけだよ」


 「難民? ラアリにも最近流れ初めてきている連中のことか」


 「たぶんね。マリ側のアバリ攻略のために町を破壊されたサクウィが一番多くて一族郎党全て、次に進撃路に当たるハバニ周辺部、その他でも抑圧が強まってきているマラハム、ネイバ周辺からも難民は出始めている。その中からどれくらい徴募できるのやら」


 サクウィはマリからアバリに向かう陸路の通り道にあるアバリに近い都市である。一方のハバニはマリ方面にある町だ。マラハム、ネイバはマリに占領された支配地域の中でも特に過酷に統治された地域である。それも過酷すぎて簡単には逃亡できないほどに。


 ラアリの住人も元々は難民だったこともあり彼らを親身に受け入れているが、受け入れるにも限界がある。

 食料的にも、そして住居的にも、これが一番重要、仕事的にも。

 たしかに食料の増産はまだ可能であるし、住居も建設可能地区は余ってはいる。しかし仕事、となると条件は難しい。

 別に雇用が無いわけではない。

 彼らには彼らなりの事情がある。彼らにも家族がいれば子供もいるのだ、共に働いたとしても純収入は微々たる物であろう。それに彼らには生活のための基盤である家がない。そうなると生活のために必要な金銭は跳ね上がる。大体、難民が資産を持っているのならまだいいだろうが、大半の難民はそんな資産など持っているわけがない。そうなると人間は追い詰められていく。最終的には犯罪をしてでも、となることもあるだろう。

 そこで雇用として、統治機関が何かしらの職業を与えることになるのだが、そうすると元から住んでいた住人との確執が広がることにもなりかねない。


 何故、我々のためのはずの、我々が納めた税金を、我々のためではなく、よそ者である難民に使うのか、と。


 この戦時難民の問題を考える時、現代で言えば人道主義に基づく難民受け入れ派や、労働人口としての難民受け入れ推進派、といった人間達の考え方は一般市民にとって理解しやすく、また簡単に共感や同意を出来ることだろう、実際に自分のコミュニティーの近くで受け入れるまでは。基本的に、だれしも他人に親切にしたいだろうし、不幸があるとそれを何とかしてあげたいと思うのだ。それがいかに危険なことであったとしても。


 難民問題の具体例としては、挙げるまでもないと思うが、シリアの欧州における難民問題を挙げることが出来ると思う。

 このことについても以前から何度もコウジが言っていたことと同じであるが、賛成にしろ反対にしろ世の中の物事はそんなに単純なことではない。

 何故シリアの混乱、いや内戦がここまで泥沼に陥ったのかという根本的議論もさることながら、EU域内でもいまだに移民の受け入れの問題を提起することは容易であるのに、ここに域外からの難民を受け入れることは、いったいどれほどの障壁となる問題を解決せねばならないものか。そしてこの難民政策は、してほしくは無いのだが、失敗した場合、難民達が、そしてその子孫が、どうなるのかは想像に難くない。

 例えばテロに代表されるような犯罪、雇用の奪い合い、その地域固有の文化の喪失等々。犯罪だってテロのような重大なものから、スリなどの些細なものまで、最悪その子供達が犯罪を犯しはじめることもある。

 何処、とは言わないが、何処かの地下鉄で、東欧から来た移民の小学生ぐらいから中学生までの子供達が集団でスリをしていた事件や、同じくまた何処だとは言わないが子供達が性的に稼いでいたりする。

 つまり移民が、来たはいいが、家族が仕事にありつけない時、子供たちは何をさせられるか、想像できるだろうか? そう、良くて物乞い、やや悪ければスリ、最悪の場合は売春宿行きである、女の子だけではない、男の子も、である。


 まあ、何にせよ、どんな問題についても声をあげることは悪いことではないとは思う。そしてまさに抑圧されている者に手を差し伸べることは決して間違いではない。


 たとえばこんな有名な格言というか、詩がある。発言者はナチスに迫害されたとあるドイツ人である。(ただし、これは幾多もの人間の手によって少々改変されているらしいのでオリジナルとは異なります)


 ナチスが共産主義者を攻撃したとき、私は声をあげなかった。

 私は共産主義者ではなかったから。


 社会民主主義者が牢獄に入れられたとき、私は声をあげなかった。

 私は社会民主主義ではなかったから。

 

 それから学校が、新聞が、ユダヤ人が、障害者が、とに次々と彼らの攻撃の手が加わり、

 そのたびに自分の不安は増したが、なおも何事も行わなかった。


 さてそれからナチスは教会を攻撃した。そうして自分はまさに教会の人間であつた。

 私のために声をあげる者は、誰一人残っていなかった。


 そこで自分は行動を始めた。しかしそのときにはすでに手遅れであった。


 この言葉は政治への無関心層へ向けた呼びかけとして、世界各国で広く引用されているが、まさしくその通りであろう。

 しかしそのことで自分の身に危険が及ぶとしたなら、といったジレンマはあるだろう。それはそれ、これはこれと割り切ることができるだろうか? まさしく現代社会を生きる人間にとって難しい問題である。


 

 この古代においても基本は同じではある。しかしこの場合は運よく彼らに職業を与えることができそうだ。そう、兵士という職業を。

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