夢見るボブは罪深い
妹が――――正確にいうと義理の妹が、今まで伸ばしていた長い髪をバッサリと切って帰ってきた。いわゆるショートボブというやつだ。前までは床屋しか行ったことがない妹が、最近色気づいてきて、美容室に行くようになった結果がこれだ。
しかし……これは、ダメだ。
これは、やばい。
妹は、バカだ。いつもへらへらして、間の抜けた発言をする。
妹は、鈍感だ。普通の人が気がつくものを気が付かない。
妹は、変人だ。なぜか女子が好きそうなキャラクターには興味を示さない。かわりに、亀が大好きだ。亀が好きな女子高生なんか見たことがない。
しかし、妹はかわいい。「お兄ちゃん」と頼ってくるがかわいい。泣き虫なのもかわいい。色素の薄いふわふわとした髪も、たれ目の瞳もかわいい。バカで鈍感で変人なのを抜きにしたら、ふつうにかわいい。
妹は、俺のことを普通に本当の兄だと思っている。そのせいで、俺のベッドにもぐりこんでくることがある。今までは、少し寝不足になるくらいだから、黙認をしていた。
だが、これは、ダメだ。俺は、妹の白いうなじと鎖骨から目が離せないでいた。
妹は、俺の部屋に来て、座って漫画を読んでいた。少しうつむき加減で、読んでいる。そのせいで、髪がさらりと妹の顔にかかり、白いうなじが露わになっている。
今までずっとロングヘアーだった妹のどことなく寂しくなった首が、異様に色っぽい。子どもだと思っていたのだが、いつの間にか女になっているのに、動揺を隠せない。
「ねぇ、お兄ちゃん」
妹が顔を上げて、こちらのほうに振り返るので、慌てて目をそらして、手元にある本を読んでいるふりをしつつ答える。
「な、なんだ?」
「今日ね、男の人に声かけられたの」
ふぅっとため息をつく妹は、また白いうなじをこちらに見せる。
「なんて声かけられたんだよ」
「え?なんか怒ってる?」
「怒ってない。それで?」
「迷子になったんで、あちらの世界に一緒に行きませんかって」
「……」
そうだ。忘れていたが、妹を語るにはひとつ重要なことがあった。
妹は、霊感が強い。俺やお袋、親父も霊感はあるが、それを上回るほどの感度が強い。俺たちが目をこらさないと見えない、微弱なものでも、普通に見える。普通に見えすぎて、そこらへんに蔓延るやつらを普通に存在するものだと思っている。
いつも気になるが、この妹の瞳にうつる世界はいったいどんなものなのだろう。
綺麗なのか、汚いのか。静かなのか、騒々しいのか。楽しいのか、怖いのか。本人の能天気さと、小さい頃から変わらない笑顔を見れば、きっと悪い世界ではないのだろうとは思うが。
「断ったけど…。ねえ、お兄ちゃん。ナンパだったのかなぁ。どうかなぁ」
そう言いながら、嬉しそうに笑う妹。
「さあ。また、声かけられても、絶対についていくなよ」
「わかってるよー」
いつも必ず言う俺の言葉に、飽き飽きとした表情で、妹は答えた。
そして、また白いうなじをこちらに見せながら、漫画を読み始めた。
「なんで、髪切ったんだ?」
「ん―――、夢を見たの」
「夢?どんな?」
「昨日見た夢なんだけど、顔はよく見えなかったけど、男の人と一緒にいて―――、たぶん旦那さんかな?私とその人は薬指に同じ指輪をしてたから。それでね、私が『式が終わったら、髪切ろうかな』ってその人に言うと、その人が、『あの時の髪型がよく似合ってた』って言うの。『どんな髪型?』って聞くと『高校生の時にしてたショートボブ』ってその人が答えて……」
そこまで言うと灯は口をつぐみ、なぜか顔を赤らめた。
その後に一体なにが起こったんだ……。
純粋培養してきたはずの妹が気が付いたら、こんな大人な夢を見るようになっていたのか?
そのことに何故か、じりじりと胸が焦げるような感覚に陥った。
「ま、まぁ、それで髪切ったんだ。ほら、将来の旦那さんが似合うって言ってくれたから」
そう言って、照れ笑いする妹はかわいかった。
「だけど、夢だろ?」
俺がそういうと、妹は口をすぼめた。
「正夢かもしれないよ。どう、似合ってる?」
そう言って、俺の目を見てくる妹から、そっと目をそらした。
「……似合わない。また、伸ばせ」
「ええ―――、黒川さんがすっごい似合うって褒めてくれたのに」
「……黒川さんってだれだ?」
「担当の男の美容師さん。その黒川さんって、初めて会ったときに、初めて会ったような感じがしないんだよねぇ……。なんでだろ?」
「知らん。けど、その男に絶対そのことを言うなよ?」
「なんで?」
首をかしげる妹の白い首筋と、鎖骨がまぶしい。
「……なにがなんでも。絶対に言うなよ。わかったか?」
「ええ―――、はい、はい」
そう言って妹は、漫画を持って、部屋から出て行こうとした。
それにひそかに安心する俺に、気づいたかのように妹が「そうそう」と言って、部屋のドアの前に立ち止まった。
ドアを開けながら、妹は振り返ってこう言った。
「その夢のときでね、私、その旦那さんみたいな人に『当時、髪切った後に、あなたに似合わないって言ってたの覚えてるよ』ってふてくされながら言ったの。その人は『似合いすぎてて、困ったから、そう言ったんだ』って恥ずかしそうに答えたんだよ。なにが困ったのかはよくわからないけど」
そこまで言うと、妹はふふっと笑った。
「だからね、私の将来の旦那さんは今の私に『似合わない』って言うってことだよね」
そう言い残して、部屋から出て行った。
なんなんだ!あいつは、一体なにが言いたい!
俺は、妹の言った言葉を頭の中で反芻しながら、ベッドに勢いよく寝転がる。
つまり、似合わないって言った俺が、将来の旦那さんだって言いたかったのか?
あの鈍感で、バカな妹がそんな意味を含ませて、言えるのか。
いや、きっとあいつのことだから、他意はなかったはずだ。
それに、あいつは俺が血の繋がってない兄だということを知らない。
知らないはずだ。いや、絶対知らない!
知らないはずなんだ。
と自分に言い聞かせつつも、ベッドの上で悶える。
今夜は……寝れそうにない。
__________________________夢見るボブは罪深い。