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剣闘のカタナ  作者: 某霊
三章 1.二つの刃
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晴れの日、泉にて

「――ふぅ」


 湖のほとり、ちょうど木陰になっているあたりにごろりと横になって、カタナは眼を閉じて息を吐いた。


 木を挟んで反対側には相変わらずむっつりと黙り込んでいるコーザ。こちらは真夏の陽射しも知らぬとばかりに胡坐をかいている。


 暫くの間、コーザと顔を突き合わせるようにして過ごしていたカタナだったが、今はこの男の前だからとかしこまるつもりもなくなった。

 要するに、気を使うのに飽きたのだ。


 周囲のことを忘れてこうして横になると、この街に来てから負った傷の数々が強く弱く痛みを響かせる。


 その中でも特に深く残っているのは三つ。

 『十字槍』カガマに鎧ごと刺し貫かれた脇腹と、『車輪剣』ロロナに抉られた腹。


 そして、『無刃』のアダムの奥義を喰らった胸部、心臓の真上の傷痕である。


 特に最後の傷は、未だ薄皮一枚の下でカタナの身体にじくじくとした痛みを伝えていた。イサギナの『血』をもってしても、完調には程遠い。


(実際、食らった直後は心臓が止まりかかっていたらしいしな……)

 『闘技王』にして兄弟子でもあるアダムの放った最後の一撃に、カタナは敢えて守りではなく攻めに出た。


 「三連斬鉄剣」。

 師カーンの十八番でもあった技で、未だカタナには使いこなせない大技だったが、あの時、カタナには他に選択肢はなかった。

 アダムの全力を前にして下手に受けに回っていれば今頃カタナは墓の下だ。それが無意識にでも分かっていたからこそ、彼は自分にできるかさえわからない技を使用した。


 正直なところ、あの時のことはカタナ自身もあまり記憶にない。

 アダムの『無刃』に晒された身体は既に全身ズタボロで、しかも『獣』が枷を噛み千切って暴走しかかっていたという極限状態であったのだから無理もない。

 しかしこうして生きているということは、カタナの戦士としての本能が正しく生を掴み取ったということなのだろう。


 あの闘いから一夜明けて、カタナは朝早くに目覚めた。正確に言うなら、あまりの激痛に気を失っていることすらできなくなったのだ。


 そして、起きたはいいが指一本動かせない自分に気付き、カタナはそれからしばらく、再び気を失うこともできないまま呻き声を上げることしかできなかった。


 それから、自分の足で立ち上がることができるまでに要した時間は丸三日。

 その間レレットはどうしても外せない商会長としての仕事以外はほとんど付きっきりでカタナの介抱を続けてくれた。


 それ以外でも、使える限りの手練手管を用いて方々に作らなくても良かったはずの借りを作ってまでカタナに持ちかけられた剣闘の予定を伸ばして回復の時間を作ってくれたレレットに対して、カタナはいよいよ頭が上がらない。


 その補佐をしていた老執事フェートンが言うところによると、「お嬢様も目的のために必要な手段を選びとれるようになってまいりましたな」ということらしい。

 つまりこの有能な老人が合格点を付けるほどに、レレットは奮闘してくれたのだ。


「……ん」


 そんな風に目を閉じてつれづれと思いを巡らしている内に、カタナはふと眠りに落ちた。

 本人としては、熟睡というほどのものではない、うつらうつらとした微睡みだ。

 若く体力のある少年の身体は傷を癒すための休息を求めており、それが泉から吹く涼しげな微風を相まって、カタナはほのかな睡魔の誘いに落ちた。


 そうして、普段から微かに張り詰めていた緊張を解いて午睡する姿は、どこから見ても、まだ幼さの欠片を抱いた少年以外の何物にも見えないのだった。



「おほっ、快調快調!」


 ざばん、と一際大きな水音と共に宙に釣り上げられた魚を認めて、グイードは機嫌よく快哉を上げた。


「うむうむ、まだまだこちらの腕も鈍ってはおらんな」

 石を積んで造った即席の生け簀に何匹目かの釣果を放り入れ、そう自画自賛する。

 その周囲には彼と同じく釣り糸を垂らす老若男女が幾人か、着かず離れずまとまっている。


 この場所は泉の中でも奥まった場所にあり、泳ぎに来たものが釣り針に引っかかったり糸に絡まって溺れたりしないように、自然と釣り人が集まる場所になっていた。


 暇を楽しむ釣り人を目当てに酒や食い物を売り歩いている商人などもいて、暑さしのぎに泳ぎに来た者たちがいるところとはまた違った賑わいの場所である。


「グイードさん」

「おうエイン、もう戻って来たか」

 と、背後からかかった仲間の声に、グイードはにかりと歯を見せて笑んだ。


「どうだった、くだんの娘さんは」

「……ええ、もう結婚していました。秋には子供も産まれるそうで」


 どこか影を感じさせるエインの声に、しかしグイードは笑みを陰らせることなく声を上げる。

「ほうほう、それはめでたいではないか!」


「……いい、ことなんですか?」

 エインは、自分でも割り切れていないと自覚しているような声で、そう呟く。


「なにを言うか。ならばお主は、そのお嬢さんがシーザ・・・のことを想ってずうっと泣き暮らしておれば満足だったか?」

「そんなことは……!」

「お主が言っておるのはそういうことであろうが」


 静かに、笑みさえ含んでいながらも、グイードの声はエインをその場に打ちつけた。


 シーザ。

 それは、数年前に闘技場で死んだ、エインの親友の名だ。

 死して尚勝利を掴み取った最も新しい『英雄』として、シュームザオンの『英霊碑』にその名が刻まれている剣闘士。


 そのシーザと恋仲だった女性の家がこの辺りに居を構えていたことを覚えていたエインはこの機会に様子を窺いに足を延ばしていたのだった。


「エイン、そこに座れ」

「……」

 湖面に向き直って腰を下ろして釣竿を垂らす。そして横にエインを座らせて、グイードは囁くように問いかける。


「お主は、まだシーザを過去にできておらんのだなぁ。それはお主の優しさかもしれんが、他のものにとっては刃と同じと思わんか?」


 グイードは、この歳までに何人もの友と死に別れて来た。


 自分を拾い上げた、三代前の商会長ノーフォーク=ヒューバード。

 何年も苦楽を共にした同期の剣闘士や、闘技場で鎬を削った強敵たち。

 それに、燃えるような恋をした、数十年前の恋人。


 先頃カタナに討たれたカガマも、今となっては去った戦友と思える。

 誰もが、グイードにとっては記憶に鮮やかに残る者たちだった。

 無論、今語っているシーザとてそれは同じ。


 だがそれらは、もう、どうしようもなく過去なのだ。

 失った直後は心を切り裂かれたように痛む心も、いつかはただの傷痕となって記憶に残るのみ。

 それは、残酷ながらも慈悲深い、『時』という加護だ。


「だからこそ、死したものを死したままに思い続けることは、『時』という枷から刃を抜き放つことと同じなのだ」


「……おれが、あいつを忘れないことは、他の者にとっては迷惑だと?」

「傷つける覚悟があるのならば、それでも構わんさ。それならそれで見上げた男と呼べもしよう」

 それだけ言って、グイードは口を閉じる。


「……っ」

 視線を向けずとも、エインが唇を噛んでいるのが分かる。


 しばしの沈黙を置いて。


「『見たか、爺さん。おれは勝ったぜ』」


 グイードは、突然そんな言葉を呟いた。

「え?」

 呆気に取られた顔を上げたエインに、グイードはにやりと笑って言う。


「シーザの最期の言葉がこれよ。まったくあやつらしいと思わんか?」


「なっ――初耳ですよ! 何故黙っていたんで……」

「阿呆。あの時のお主には何を言っても際限なく落ち込むだけであったろうが」

「うっ……」

 勢い込んで前のめりになるエインの額をカウンターではたきつつ、きっぱりと黙らせる。


「儂はあの日シーザと同じ闘技場に居たからのう。大体、エインもあやつを看取ったと知っておったろうが?」

「……」

 ぐうの音も出ないエインにふんぞりかえって見せるグイード。

 ちなみに、その日のグイードの対戦相手は、若かりし日の『無刃』のアダムその人だったりしたのだが、それはまた別の機会に語ることとする。


「シーザは、ただ誇っておったよ。己の勝利を、そして戦い抜いた己自身を」

 目の前に死の影を覆われながらも、それでも一片の悔いもなく笑って見せた男の姿は、まさに『英雄』の名に相応しい。グイードは、今でもそう思い返すことができる。


「あやつの栄光を、ただの悲劇の『死』にしてやるな」

 あの日のシーザという男の『生き様』こそ、英雄譚そのものであったのだから。


 老いた剣闘士の言葉に、若き二つ名持ちは黙ったまま、しかしほんのわずかに顎を引いて頷いた。


「よし」

 若者の葛藤を笑い飛ばすように声を張ったグイードは、空気を変えるように空を見上げた。

 蒼穹は白い雲をはらみつつも、あくまで明るくそこにあった。


「だが、グイードさん。おれよりも、むしろオーブのことは……」

 しかしあくまでも心配性のエインはそこまで簡単に切り替えられないようで、そんなことを呟いた。


「おいエイン。お主もうちょっと場の空気ってもんを読まんか!」

 一転して嫌な顔をしたグイードは、頭を抱えたいかのように顔をしかめた。


 実のところ、グイードがこの場所でエインにシーザの話をしたのは、彼の恋人のこともさることながら、ここならば商会の他の者に聞かれる気遣いがないからでもあった。


 「事情」を知っているフェートンはともかく、来たばかりで何も知らないカタナやリウにジーク、そして当時まだ幼かったレレット。彼らから話が伝わってしまうことを恐れたのだ。


 そう、この場に居ないもう一人のヒューバード商会の剣闘士、オーブ=アニアに。


 シーザ・・・アニア・・・という男の話題は、親友だったエインよりも、彼にとってこそ最も触れてはならない禁句だったのだ。




「あ、いたいた! カタナさん……って、あれ?」

「ルミル、何だ一体」


 水辺での戯れを切り上げてカタナの元にやって来たルミルとレレットは、そこで些か奇妙な光景を目にした。


「……くぁ……」

 猫のように丸まって日向に半分乗り出したように眠るカタナと。


「……ちっ」

 座ったままそこから嫌そうに腰を引いているコーザ。


「……何やってるの?」

「眠り込んだこいつがずるずるとこっちに出て来ただけだ」

 きょとんとした顔でレレットがコーザに尋ね、コーザはもともとしかめていた顔をさらに引き結んで顔を背けて吐き捨てた。

「まったく、油断しすぎだろうこいつは」


「んー、カタナって、いつも寝てる時も気を張ってた感じだったんだけど、やっぱり疲れてたのかな」

 ここしばらく、激戦の後倒れたカタナを世話することも度々あったレレットが考え込むように独り言を漏らす。


「いつも寝て……? 疲れて……!」

 と、何を勘違いしたのか、その言葉を聞いたルミルが顔を真っ赤にして愕然とカタナの寝顔とレレットを見比べた。


「え? あ! ち、違うからねルミルちゃん、カタナとはまだ別に……!」

「あ、あうあうあう……」

 きゃいきゃいと騒ぎ立てる娘たちの声に、コーザはうんざりとため息を吐く。これだけ騒いでもカタナは変わらず眠っていて起きる気配もない。


 いっそ殺気でも叩き付けてやろうかと物騒なことを考えるが、どうせコーザがその気を持った瞬間跳ね起きるだろうと思い返す。今安穏と眠りこけているのは、要するにこの場に危険が無いと分かっているからだろう。


 カタナ=イサギナという剣闘士には、そんな野生の獣を思わせる気配が常にある。

 野生とは絶えず警戒している一方で、確実に安全な巣の中ではまったくの無防備であったりするものだ。


 と、そんなことを考えて距離を取り直したコーザだったが、ふと妙な感覚を覚えて目線を泉の方へと飛ばす。


「ん――」

 同時に、カタナも今までの緩んだ寝顔が嘘のようにぱちりと目を開いて片膝立ちに起き上がる。その手は樹に立てかけていた剣の柄に掛かっていた。


「カタナさん? お兄ちゃんも……」

 こちらの様子に気付いたルミルが不審そうに眉をひそめる。彼らの見る方角には、幾つかこちらに近づく人影がある。だが、少女には特に異変は感じられない。


「気のせいか、いや」

「……剣闘士? いや、微妙に――」


 互いに、微かな警戒を持って近づいて来る集団を見守る。そこには、人も剣闘士も多い都市の中ならば見逃しただろう、微かな違和感を持つ戦士の気配がある。


「あれ、あそこにいるのって……」

 そしてレレットが、その中にふと見覚えのある人物を認めたの同時。


「さて、このあたりでいいかしらね」

「よし。では準備に掛かろう!」


足を止めた集団が、一斉にばらばらと広がった。そして見る見るうちに敷物を広げ てロープを張り、その場にあれこれと動き回っていった。


「これって、大道芸の舞台?」

 ルミルが、眼を瞬かせて呟く間にも、そこには簡素ながらも観客席と舞台を備えた――剣闘場が出来上がっていく。


「さあさあ皆様、寄ってらっしゃい見てらっしゃい!」

 そして、集団の中で一際若い、小柄な少年が高らかに声を上げて周囲の耳目を集める。


「これより、フィターニア剣闘士商会の巡業剣闘が始まるよー! さあ、皆様どうぞ寄ってらっしゃい見てらっしゃい!」


「やっぱり、フェイさんの商会だったんだ」

 赤毛の少女がかつて自分の商会に居た女性を見ながら感心したように呟いた。

「巡業式か、そう言えば見たことなかったな」


「眼が肥えた剣闘都市の皆様も度肝を抜かれること請け合い、フィターニア剣闘士商会をどうぞよろしくー!」

 少年の口上はさらに続き、ぐるりと回りを見渡して。


「もちろん、飛び入り参加も大歓迎!」

 カタナとコーザへと視線を向けて、屈託なくそう笑って見せたのだった。

そのころのオーブ。

「ひゃっほう!」

乗って来た馬に、泉で声をかけた女の子を乗せてデート中。


そのころのリウ。

「ひャっほう!」

水中で泉の主(資産家の家から逃げ出して野生化したワニ)と激闘中。

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