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剣闘のカタナ  作者: 某霊
三章 1.二つの刃
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帝国水着事情

作品タイトルを変更しました。

これからもよろしくお願いします。

 剣闘都市シュームザオンの郊外。徒歩で一時間程度西に進むと、そこには草木の繁茂する小高い丘があり、その脇には北から流れて来た河川の水が流れ込む泉がある。


 都市内へと常用水を通す水道も引かれているこの泉は、漁が行えるほどではないが魚も生息しており、釣りを趣味とする都市の住民にとっては馴染み深い場所であった。


 ただ、一年のある時期には、この泉を訪れる人の数は急増する。

 それは、まさにこの夏の盛り。泉は、暑さに耐えかねた市民たちが集う避暑地となるのである。



「きゃ、っとと!」


 ばしゃん、と水しぶきを上げて、小柄な少女が尻餅をついた。足首までしか浸からない程度の浅い場所だったが、それでも少女の全身はいっぺんに濡れ鼠になってしまう。


「あ、大丈夫? ルミルちゃん」

「は、はい。うぅ、面目ないです……レレットさん」


 水中の石に足を取られて転んだ少女、ルミル=トートスは、差し伸べられたレレット=ヒューバードの手を取って立ち上がりながら、羞恥に顔をうっすら紅潮させた。


「足ひねったりとか、してないよね? うわ、びしょびしょ、ちょっと上がってる?」

「いえ、ぜんぜん大丈夫です、ほんとに。それにほら、水着ですからこれ」


 そう言って両腕を広げてみせるルミルの身体は、胸の部分は生の麻布が二重になって巻かれて、腰の辺りには短めのスカート状に明るい茶の革が覆っていた。


「まあ、それもそっか」

 そう頷くレレットにしても、大体似たような格好だ。こちらは、落ち着いた菫色の布を胸に巻きつけている。そして腿の上で布地が切り落とされた、少年のような型の同色の下穿きという格好だ。


 この時代の紡績技術では、まだ水を吸わない布の技術というものは発達していない。

 正確には膠などを用いればできなくはないのだが、匂いも強く布自体が硬く裂けやすくなってしまうため、服、特に運動用には全く適さないのである。

 そのため、人が海水浴やこうした泉に入ろうと思ったら選択肢は二つしかない。


 即ち、水を吸うのを承知で着たまま入るか、いっそ全裸で入るかである。


 とは言え、辺境ならいざ知らずシュームザオンほどに文明化された地において後者を選ぶものなど男であってもまずいない(まったく、とは言えないのがこの時代の恐ろしいところである)。


 そういうわけで結局は服を着たまま入ることになるのであるが、水を吸った服というものは、基本的にやたらと重い。体力のない者では冗談抜きに溺れてしまいかねない。

 だから必然的に、こうした時の服装は薄着にならざるを得ないのであるが、そこでまた問題が発生する。


 濡れた薄布とは、びっくりするほど透けるのである。しかも、肌にぴったり張り付いて。


 さて。そんなところで、また二択。


 一つが「最低限は隠したんだからそこまで知るか面倒くさい」、と割り切ってさっさと水に飛び込むもの。

 半分程度の男と幾ばくかの女性がこれに当たる。


 そして、そこまで恥じらいを捨てきれなかったり見栄えを気にしていたりするものたちが取るのがもう一つの方法で――つまり、「工夫してなんとかしよう」である。


 ルミルのように布を二重にしたり上から革製品で隠してしまったりするのは割とポピュラーな工夫の一例である。

 レレットの場合はやや大胆に、厚手の色の濃い布を使用することで問題を回避している。


 より安価な方法としては、貝殻や海藻類を加工してしまう方法もあったりするのだが、いかんせんあまり・・・恵まれていない・・・・・・・体型の女性が挑戦すると「事故」が起こりやすいという別の問題があった、のだが、まあそれは本筋とは関係ないということにしておくべき事柄であろう。



 少女たちが水と戯れている水辺から少し離れたところで、二人の人物が草地に腰を下ろしていた。


「……」

「……」


 楽しげな周囲の空気とは裏腹に、彼らの間でだけは非常に居心地の悪い空間が横たわっていた。


「あのさ……」

 その気まずさに耐えかねたか、その内の片方が、遠慮がちに声を掛ける。


「何だ」

 対する返事は、どうにも無愛想な声音で短く届く。


「……いや、なんでも」

「……」


 そして、また無言。

 あまりの空気の重さに、行き交う人も彼らの周囲を避けて歩いているように見える。


 そんな、行楽地の雰囲気から浮きまくっている二人――カタナ=イサギナとコーザ=トートスは、互いに悟られぬように小さく息を吐いた。



「折角の夏なんですから、皆でどこか遊びに行きませんか?」


 そもそもの起こりは数日前の朝食時、ヒューバード商会の全員が揃っている前でのオーブ=アニアのこんな提案だった。


「そろそろ夏至の休養期間でしょう? 剣闘もしばらくないわけだし、新入りのみんなと改めて親睦を深める意味でも、是非」


 シュームザオンでは、夏の盛りである夏至の前後十日ほどをいわゆる夏休みとして、多くの仕事が休みになる。

 人々は、家族や恋人とともに家で過ごしたりどこかへ出かけたりして、一年で最も熱いこの時期をゆったりと過ごすのが習慣である。


 それは過酷な肉体労働である剣闘士も例外ではない。というか、無駄に頑丈な剣闘士はともかく、熱気あふれる闘技場に詰めかけた観客の方が耐えられないのだ。


 毎年この時期に観戦中に熱中症で倒れるというような事故はそう珍しいことでもないし、時には死者も出る。

 そんな状態であるから、特に暑いこの夏至の休養期間には、いつしか剣闘は開かれなくなったのである。


「うーん、商会のみんなでお出かけか。そういうのって、いままでやってなかったよね?」

「はい。先代の頃はいささか大所帯でしたから」

 レレットの誰に向けるでもない疑問に、フェートンが穏やかに返答する。


「行くのは別に構わないが、どこに行くか、当てはあるのか?」

「もちろん、この街の夏の定番と言えば、西の『泉』でしょう」

 エインが、食事を終えた食器を片しながら提案者のオーブに水を向けると、槍使いの青年は大きく頷いてそう言った。



「ふむ、そう言えば最近は釣りにも行っておらんかったな。さて釣竿はどこに仕舞ってあったかの」

 グイードは、のんびりと食後のお茶を飲み干してそんな風に賛意を示し。


「泉? そんなのあったっけ」

「あ、カタナは北から来たんだっけ。ボクはこの街に来た時寄ったけど、結構広かったヨ」

「そう言えば、俺も見たな」


 そして、カタナとリウ、そしてジークという新入り組は、互いに顔を見合わせていた。各々程度の差はあれど、仲間や友人とどこかへ遊びに行くなどという経験は既に遠い過去の思い出となっている若者たちである。


「そうだね、せっかく皆手が空いてるなら、たまにはこういうのもいいかもね」

最終的には会長レレットのこの一言で、ヒューバード商会の休暇の過ごし方は決定されたのであった。



「ヤっほー。楽しんでる? 二人とも」


 さて、色々な意味で重苦しい男二人とは一転、水際でレレットとルミルが華やかな姿を見せているところに、リウ=シノバがひょっこりと顔を出した。


 ところで、ヒューバード商会の者たちで訪れたこの泉に何故ルミルとコーザの兄妹が同行したかというと、それは数日前、カタナがルミルを誘ったのが発端だった。


 ヒューバード商会は、『表向きは』レレット以外男ばかりということになっており、それではレレットも肩身が狭いだろうということで、ジークの一件で知り合いになっていたルミルを招待したのだった。


 ルミル自身は、カタナにレレット、ジークにリウと知った顔が多くいることもあって二つ返事で了承したのだが、『カタナがルミルを都市の外に遊びに誘った』ということを、コーザが幼馴染のイーユから聞きつけた。


 妹に対してはぶっきらぼうながらも過保護なこの男は、自身も剣闘が休止中で暇なことをいいことに保護者役(という名の監視役)として付いて来たのである。

 彼としては、ルミルが都市外に出るというだけでも心配なのに、同行者はあの・・カタナ=イサギナである。黙って送り出すという選択肢は有り得なかった。


 仲の良い男の子からのお誘いがあったと思えば、それに兄同伴で行かなければならなくなったルミルの心中は察するに余りあるが、コーザもコーザで幼馴染のイーユのからかいと呆れた視線、そして「あたしも今度どこかに連れていけ」という命令を受け入れることに耐えてまで押し通したのであった。


 そんな次第で、ヒューバード商会およびトートス兄妹ご一行総勢十名は大型の幌馬車を一台借り出した。そして馬の扱いに長けたオーブが御者を務めてこの泉へとやって来たのであった。


「あ、リウくん。あれ、着替えてないの?」

 どこからともなくふらりと現れたリウの格好を見て、レレットはかるく眼を瞬かせた。


 水辺には彼女たち以外にも何人か人がいるが、リウのように普段着のままの者はあまりいない。水に入るのには適していない長衣のままで、リウは自然に口角を吊り上げる。

「まあ、一身上の都合があってねー。脱ぐとバレるし」


「え、バレる? 何が?」

「だから色々。レレットこそ、その水着カタナに見せに行かなくていいの? せっかくダイタンなのにしたのに」


 さらりと話題を流して、リウはレレットの体躯を軽いからかい交じりに見た。すると案の定、赤毛の商会長は顔を赤らめて目を逸らした。

「う。……やっぱり、やりすぎた、かな? おへそ出しちゃってるし」


「だ、大丈夫ですレレットさん! 綺麗です、すごく!」

「うぅ、でも、ちょっと背伸びしすぎた、かも?」

 ルミルが慌ててフォローを入れるが、レレットは肩を抱くようにして身を縮める。だが、その結果、やや控えめながらに存在する胸元の膨らみが強調されたのには気付かない。


「イヤイヤ、多分カタナなら気に入るんじャないかな。うん、多分」

「そ、そうですよ。レレットさんて、やっぱりこう、大人っぽいですし!」


 と、ルミルが思わずといった感じで口走った言葉に。


「え?」

 とレレットは眼をぱちくりと開いて。

「ふぅん?」

 リウは、そんな風に面白がる表情を見せた。


「え、あの、わたし何か変なこと言いました……?」

 そしてそんな二人の反応に、言ったルミルの方が戸惑っていた。


「あ、えーと。わたし、そんな風に言われたの、初めてだったから。その、大人っぽいとか」

「ええ? だってレレットさん、商会の会長で色々経営とかしてるじゃないですか。あたしから見たらウチの店の店長と一緒の立場ですよ!」


 レレットは、先程までの動揺も一時忘れて、むずがゆさをこらえるような顔で言った。

「いや、でも、商会同士の会合とか、ほんとに子供扱いされてばっかりだし」


 よくよく考えてみれば、カタナとリウが商会に来るまでレレットの周りには年上の人間しかいなかったのだ。そもそも剣闘士商会は基本的には男社会で、大人の世界だ。

 そんな環境で育ったレレットにとっては、ルミルのような年下の少女の目線は想像したこともないものだった。


 そしてルミルからすれば、そうした世界で立派に立ち回っているらしいレレットという少女は非常に「大人っぽい」女性のように見えるらしい。


「うぅ、レレットさんが子供って言ったら、あたしなんか立つ瀬がないですよ。背も小っちゃいし」

 そんな風に自分と引き比べて、小動物のように眉を下げて消沈の意思を見せる。


「ええ? でも、わたしもそんなに高い方じゃないよ。ルミルちゃんだって、その水着とっても似合ってるじゃない」

「でもですよ、やっぱり出るところが出てるって言うか、スタイルからしてあたしとは全然違いますもん!」


 確かに、レレットとルミルの身体を見比べてみると、赤毛の少女の肢体は控えめながらも少女らしいめりはりがついていて、ようやく子供の域を出たばかりといった年下のルミルとは一線を画している。


「いいなあ、あたしももっと早くレレットさんみたいになりたいです」

「あ、あはは……」


 憧れと羨みを半々に混ぜたようなルミルの嘆息に、レレットとしては困ったように苦笑するしかない。少女同士の交流というものの経験値に案外乏しい彼女は、どうにもあけすけな言葉を受け流すのに精いっぱいとなっていた。


「まあまあレレットもルミルも、お互い似合ってるって保証付きなんだから、さっさとカタナに見せてくればいいじャない。あっちもなんだか間がもたなくなってるみたいだし」

 二人のやり取りを笑みを抑えて観賞していたリウが、靴を脱ぎ捨てて水際に歩きながら振り返ってそう言った。


「う、うん……、そうだね、せっかく、だし」

 同年の友人でもあるリウの言葉に、レレットは気を取り直したように頷いた。一方ルミルは、初めてこの異邦の剣闘士に名前で呼ばれたことにちょっと驚きつつも、その内容の方に気を取られていた。


「え! お兄ちゃんってば、わざわざ保護者役で着いて来たと思ったらいきなりカタナさん連れて行っちゃったのに、ご迷惑までかけるなんて!」


 ルミルの憤然とした態度に、リウはあっさりと肩を竦めて首を正面に戻す。

「ま、コーザの目的は遊ぶことじャなくてカタナの監視だもんね」

「むぅー、レレットさん! 行きましょう、お兄ちゃんなんか気にしないでいいですから!」

「わ、ちょっとルミルちゃん!」


 濡れた肢体に陽射しを浴びて輝かせ。手を引き引かれつしながらレレットとルミルはその場を離れていく。


「――はぁ、いい天気」

 少女たちと同じく夏の陽射しを受けた湖面は、白く光を返して琥珀の瞳を細めさせる。


「さて、人目もなくなったことだし、ボクもひと泳ぎと行きますか」

 そして、リウはばさりと丈の長い上着を脱ぎ捨てた。


 薄手の肌着と豊かな胸を隠すサラシの姿になった褐色の少女の姿は、言葉通り誰の目にも留まらない。彼女の耳は、周囲の人間の挙動を読み取って死角を見つけることも容易く可能にする。


 そしてその気安さで水際を歩くことしばし。水深の深くなっている辺りに飛び込むと、あっという間にその姿を消してしまった。


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