闘争と逃走
ここが死に場所。
眼下の騎影に向かって斜面を駆け下りていくカタナは、既にそう覚悟していた。
(敵はざっと十五、六――全て騎馬。こっちは徒歩一人で傷だらけ)
彼我の戦力は計算などする気にもならないほどに一方的で、そこに挑むからにはもはや決死を心せねば戦いにすらならない。
生存本能は焼き切れた。安全装置など廃棄しろ。理性も狂気も等しく雑念、ただただ目の前の敵に最高速で斬り込むだけのモノになれ。敵のすべてを討ち果たすまでは、死などという安息は許さない。
『獣』と決別した今、カタナはかつての魔速はもう発揮できない。そして人と馬の速度差では、追いつくことなど言うまでもなく不可能だった。
である以上、カタナにとって、敵を止める機会は一度きり。
故にすべての敵は一撃必討。
「……でなきゃ後ろに抜けられる!」
駆け上がる騎馬の一騎目が迫る。異様な風体の少年が突進してくる様を目の当たりにし、表情には引きつったような驚愕が宿る。それでも咄嗟に突き出される剣先は、しかし遅い。
「いっ――」
最高点に到達すると同時に放たれたカタナの横薙ぎが、騎手の頸動脈を断ち切っていた。
「次!」
頭から落ちていく敵の姿を背後に流して一顧だにせず、カタナは着地と同時に疾走を再開。
転落寸前の危うさで鵯越に駆け下りていくその速度は、駆け上がる騎馬のそれと比しても負けてはいない。
二騎目、三騎目と、カタナの剣は騎手を正確に斬り捨てつつ駆け下りる。
騎馬の強みである高低差を傾斜で潰し、次々に駆け上がる敵をさらなる上方から斬り落としていく。
皇女追撃隊の兵たちは、決して弱卒ではない。だが、揺れる騎馬の上で手綱を放して正確に武器を扱うことなど、本職の騎兵でなければまず不可能なのだ。
さらに騎馬の攻撃とは、騎槍を固定した上で全体の速度と重量を乗せて行う突撃こそが本領だ。
だが今回、軽装を旨としていた彼らに大槍の装備はない。その上敵は蹂躙されるのを待つ戦列歩兵ではなく、たった一人の少年という「小さな」標的。騎兵の的としてはいかにも不向きだった。
しかしそれでも、現状はあくまで多勢に無勢。
「小僧がああ――!」
六騎目を落とした直後、着地の瞬間を狙って大柄な騎手が激しく手綱を打ってカタナに突進をかける。
「剣などいらん。馬蹄に掛けて踏み殺してやる!」
「くっ!」
数百キロもの体重を乗せた馬の踏みつけを喰らえば、カタナの身体など一撃でひしゃげる。転がるようにして回避するカタナに、騎手はさらに馬を打って棹立たせる。
「うああぁ!」
その巨大な怪物のような騎影に、カタナはほとんど無意識のうちに駆ける。逃げるのではなく、前に。
「何を!」
間一髪で蹄を躱し、カタナの剣が馬の後ろ足を斬り払う。
脚を失った悲痛な嘶きと共に馬体が崩れる。そして当然投げ出される形となった騎手の身体に、間髪入れずカタナの矮躯が襲いかかった。
●
「殿下! 待ってください。行ってはいけません!」
カタナが騎馬隊との死闘に身を投じているまさにその時、アミタは必死にラファエラを押しとどめていた。
「離せ、アミタ=ソーン! このままあやつを見殺しにすることはできん!」
「駄目です! あいつ……カタナは殿下を守るために戦っているんです、貴女が彼のところに行っては、その決意が無駄になる!」
アミタには、ろくに事情も知らず、言葉も交わしていないカタナという少年の気持ちが、何故か良く分かった。
「カタナは、貴女に救われたんです。だからこそ、殿下に迫る危機と戦っているんです。それが、彼なりの報恩なんです」
それは、彼もまた、ラファエラという存在によって新たな道を見出したから言えることなのだろう。
カーン=ハイドに脅されたからではなく、この皇女の器と人格を目にしたからこそ、今の彼にはラファエラを捕らえて元居た部隊に舞い戻ろうという気など欠片も思い浮かばないのだ。
「それが認められんのだ、我は!」
しかし、ラファエラは、そんな男の思いに甘えることを良しとしない。
「カタナは民だ――王に仕える侍従ではなく、命を的に生きる兵でもない、我が守るべき者だ。一度救われたから何だという、あやつの過去を思えば、まだまだ救いが足らぬくらいだ!」
それは、ラファエラのあまりにも潔癖すぎる王族観だ。王とは、民を導くもの。自分は、民に甘えて臣下に守られているだけの存在であってはならないと彼女は思っている。
現実からは乖離した認識であることは分かっている。世の王族全員がラファエラのような考えの元に行動していたら、王政などという枠組自体、既に消滅していただろう。
しかしそれでも、ラファエラ=イヴはカタナ=イサギナの命を使って逃げ延びることを拒絶する。
「大体あやつ、己は両親に無理やり生かされたことを責めておきながら、今度は我の意思をまるで無視して命を捨てるなど、どういう了見か」
その小声の呟きだけは、皇女のものではない、ひどく個人的な響きで呟いて。
「それにアミタ。我は別に死ぬ気はない。カタナも含め、我々全員が生き抜くためにこそ、行かねばならん」
「え?」
唐突に雰囲気を変貌させたラファエラにアミタが虚を突かれて目を丸くする。
「いかにカタナが奮戦しても、単独では限界がある。それでは結局捕まるのが先延ばしになるだけだ。機動力ではこちらが絶対的に不利なのだからな」
「う……で、では、どうすれば……」
困惑するアミタ。それに、少女はとても奇妙なことを言った。
「こちらから攻めるのだ。敵将の首を取り、この『戦い』を終わらせる」
●
「隊長! 何なんですかアレは!」
「子供、じゃない! バケモノだ……!」
「全員、狼狽えるな。多勢で囲んで始末しろ!」
並走する部下の絶叫混じりの声に、ヌアジは吐き捨てるように答え、ぎっと前方を睨みつける。
「何なんだ、だと? そんなことは俺が聞きたいさ」
皇女発見の報に勇んで駆け上がっていたヌアジらの前に現れたのは、あまりにも異様な存在だった。
先行していた兵たちに突如襲いかかったのは、得体の知れない、汚れた風体の一人の少年。血まみれ泥まみれの有様を差し引いても、それは皇女に縁のあるものの格好では有り得ない。
だが、素性以上に問題なのが、その強さだ。山地という騎馬の不得手な戦場、そして武器や防具の軽装化という状況を考慮しても、七騎もの部下が討たれた事実は驚愕に値する。
とにかく速い。下り坂の勢いを乗せた疾走は、転落の危険など寸毫も考慮していない自爆じみた暴走だ。その速度で放たれる剣に、旗下の兵たちは全く対応できずに斬り捨てられていったのだ。
「皇女を目の前にしながら、何故今さらこんな不確定要素が湧いて出るんだ」
怒りに歯噛みしつつも、ヌアジの脳は冷徹に判断を下す。目的はあくまで皇女、こんな小汚い子供に手間取っているわけにはいかないのだ。
「何をしている、さっさと連携して囲んで殺せ! 所詮は孤立した一兵に過ぎん!」
その一喝で、狼狽えていた兵たちに統制が戻る。ヌアジの指示に迅速に反応し、敵の近くにいた三騎が速度を合わせて同時に馬を寄せていく。例え敵が一人に跳びかかっても、残りの騎兵が余裕を持って仕留められるだろう。
例え不慮の事態が起こっても即座に部隊を掌握し対応を徹底させる――。これもすべて、ヌアジの指揮官としての経験と実力あってのものだ。
(余計な手間はかかったが、これで今度こそ障害は消えたか)
既に死が確定した子供への興味を失って、先に見える廃墟らしき姿に眼を向けたヌアジは、しかしそれ故に目にすることができなかった。
「ぐはあっ」
「うわ、ああぁ!」
「や、やめ……!」
襲いかかった三騎の部下が、それぞれ一太刀で斬り伏せられた様を。
「な、なん……だと?」
部下の絶叫に振り返り、呆然と馬脚を止めたヌアジの眼を正面から見据えて、少年――カタナの剣が、血を一振り撒き払った。
●
身体が、熱い。
カタナは、己の全身が熱を持って鼓動を強く打っているのを感じて一つ血振する。
騎馬兵三人の同時攻撃。普通ならば絶命必至の状況であったが、カタナにとっては、歩調を合わせるためにわざわざ騎馬の速度を落として向かって来る敵など楽な相手だ。
カタナはいつだって、自分よりも速く、自分よりも大きい相手と戦って生き抜いて来たのだ。今は眼下にぼやけて見えるあの森で。
『獣』であった頃の人格は失われても、そこで鍛え上げられた肉体、磨き抜かれた眼は変わらずここにある。
「まだ、まだぁ!」
馬蹄に掠めた左肩にはヒビが入り、剣に抉られかけた胸の中心からは絶えず血が流れている。
それでも、カタナは足を止めない。生命力そのものを燃やしているかのように激しく戦いに挑む。力は足らず、技巧は未熟。しかし、飽くなき戦意と気迫がその不足を埋めていた。
「あああぁ!」
子供の姿をした理外の脅威を目の当たりにして恐慌をきたし、ほとんど狂乱の域に及んだ叫びを上げて二騎が同時に迫る。
冷静さを失った突進は、その不安手さがもたらす勢いが逆に危険度を跳ね上げる。互いの馬体がこすれてぶつかり合うような強引な騎行は、しかし騎兵突撃の真骨頂だ。すり抜ける隙間など全くない。
「――ええい!」
しかし、この窮地でカタナの取った行動こそ、騎兵たちの狂気すら超えた無謀であった。
彼は、敵騎馬の正面――左右の脚の間に突っ込んだのだ。
カタナが見出した活路は、攻撃してくる馬体の真下。
確かに、どんな名騎士であろうとも、乗騎の陰に隠れたその位置に攻撃することなど絶対に不可能だ。
だが、馬の両脚の間は、小柄な少年であるカタナにとってさえあまりに狭い空間だ。ましてや突進中の馬のそれに飛び込むなど、考えるまでもなく自殺行為以外の何物でもない。
「ふはっ」
だが、今のカタナには恐怖を感じる機能は存在しない。ただ敵を倒すことだけを考える死闘戦士と化した彼には、死ぬかもしれないなどという躊躇いは生まれないのだ。
「ば、馬鹿な!」
そして結果的に、この生命を度外視した挑戦は功を奏す。侵入時に蹄で額を割られたカタナは、それでも無理やり捻り込むような体勢で敵の真下に駆け込んだのだ。
そして賭けとは、負ける確率が高いほど、賭けに勝った見返りも膨れ上がるものである。
すなわち、歩兵側が騎馬に一方的に致命傷を与えるという――通常の戦闘では有り得ない、あまりにも大きな見返りを。
「ツアアっ!」
這うように駆ける背中越しに剣を突き上げる。その剣先が刺すのは、完全に無防備な騎馬の腹。
「――!」
疾走中に突如刻まれた致死の激痛にうねる馬体。そこから零れ落ちる血飛沫を振り払うように、カタナは半ば転がった状態で騎馬の下を脱出する。
「ぐ、うわあ!」
直後、泡を吹いて倒れ込む騎馬に巻き込まれて、密着していたもう一騎も転倒する。騎乗していた兵は二人とも馬体の下敷きになって絶叫を挙げ、そのまま気を失った。
「この、バケモノがっ!」
奇策を用いて二騎を一度に仕留めたカタナだが、しかし体勢を立て直す暇もなく、さらに一騎が攻撃を仕掛ける。細身の槍を構えたその敵兵は、他の者たち以上の鋭さで武器を突き出した。
「くあっ」
間一髪、脇腹を浅く貫く痛みにカタナは歯噛みした。この敵は、ただ騎乗していただけの他とはわけが違う。手綱さばきも馬上からの攻撃も実に手慣れている。間違いなく正式な騎馬戦闘の訓練を積んだ騎士だった。
「貴様のような餓鬼に、大手柄を邪魔されてたまるか!」
罵る声と共に連続して突き出される穂先を確実にしのぎつつも、しかしカタナは痛恨の思いを表情に浮かべざるを得ない。
(――足が、止まった!)
イサギナ村のあった高地から一気に駆け下りて来た勢いが完全に止められた。これで、カタナにはもう敵騎馬の速度に伍することはできない。
それは即ち、敵の手がラファエラに掛かるということと同義であり――。
「まだだ!」
不吉な予感に萎えそうになる脚を叱咤して、カタナは跳躍。止まった状態からでは先刻までの騎手の首を刈るような高さは得られなかったが、構わず振り抜く。
「ぐ――おぉ!」
槍を頬に掠めつつのカウンターが胴鎧の中央に入るが、幼い腕力では貫通するには至らない。だが、身体ごと叩き込んだその一撃で敵の足が鐙から離れて宙に浮く。
カタナはそのまま、鞍に足をかけて一気に押し込む。バランスを崩した騎士は抗い切れずに落馬、カタナもろとも斜面に叩き付けられた。
「おのれぇ!」
「うあぁぁ!」
それからは、互いに組み合い武器を身体に突き立てるための超接近戦。
腕をねじ上げ、喉を締め上げ、敵の体勢を崩して抑え込み合う。
膂力でねじ伏せる騎兵に対し、カタナは勘に任せて敵の手からすり抜けて隙を突く。指の折れた左手さえ遮二無二振るって敵の眼を狙って怯ませる。
単純な体格ではカタナに勝ち目はなかった。が、ただ一点、敵の得物が槍であったことが彼らの明暗を分けた。
「ぐ、ぐあ……!」
振り抜かれようとした長柄が地面にかかって動きを止めた一瞬の隙を逃さず、カタナの剣が敵兵の胸に突き立てられたのだ。
「はあっ、はあっ!」
九死に一生を得たカタナは絶命した敵に身体を押し退け、しかし息をつく間もなく顔を上げた。その視線の先には、馬首を翻して離れる敵の姿。向かう先は当然、ラファエラがいるはずのイサギナ村跡。
「逃が、すかぁ!」
ほとんど無意識、思考すら惜しむ反応でカタナは剣を手放し、たった今まで争っていた敵の亡骸から槍をもぎ取った。そして迷うことなく、背を向けて駆ける騎影に投擲。
狙い過たず僅かな弧を描いて飛んだ槍の穂先は、敵兵の延髄に突き刺さった。
そして、操り糸の切れた絡繰人形のように騎手だけが落ちて、馬はそのまま走り去って行った。
「――がはっ! げほ、ぐぅ……」
駆け通し、戦い通しで酷使し続けてきた身体が今になって悲鳴を上げ、空の胃の腑から吐き気が込み上げる。
だがそれも無理はない。カーン=ハイドに半殺しにされた後、しばらくの間眠っていた以外は完全に不眠不休で走り抜けて来たのだ。まだ幼い少年の身体はもちろん、さしものイサギナの『血』も限界寸前だった。
「……」
立ち尽くすカタナの前に、影が差す。夕暮れていく逆光に立つのは、最後に残った敵に他ならない。
「……やってくれたな、小僧。騎馬が一人でここまでやられるなど、前代未聞だ」
それは、敵将らしき男と、その側近二名。いずれも下馬し、剣を構えてカタナに殺気を向けている。
「禍根はここで確実に絶つ。無論皇女も逃がしはしない、必ず追い詰め捕らえてやろう」
敵将――ヌアジの冷徹な目がカタナを貫く。その視線を浴びても、しかしカタナは怖気づくことなどしない。
絶体絶命、そう表現して何ら間違いではない死地でも、端から命を捨ててかかっているカタナには何ほどのこともない。
(こいつらだけは、何があってもここで倒す! そうすれば、あいつは無事にここを離れられるはず――)
それができるかできないかなど考慮の外、やるしかないのだ。
最後の気力を振り絞って、カタナは剣に斬気を宿す。重い腕にだらりと下げられた状態にもかかわらず、血塗られた剣に冴え冴えとした気配が満ちていく。
「――やれ」
あくまでも指揮官としての立場を崩さず、部下に命を下すヌアジ。その意を受けた兵たちが、左右から少年を挟撃する。
敵の攻勢に劣らぬ反応で、カタナもまた剣を奔らせる。
――それと同時に。
「ううぅらあぁあ――!」
その場を覆う喊声を響かせて――騎馬に跨ったアミタ=ソーンが、先刻まで味方であった兵たちを急襲した。




