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剣闘のカタナ  作者: 某霊
外伝 獣の章
72/113

惑う者と導く者

 人の手の及ばぬ原初の森の最奥。

 そこを支配するものは、底なしの野性と弱肉強食の掟のみ。


 生きることは殺すこと。殺すことは喰らうこと。喰らうことは――生きること。


 例外は、子孫を守る時だけだ。己の因子を次代に伝える仔の命は、時として自身よりも重い。


 種の命を繋ぐために、それ以外の全てを削ぎ落とした三段論法は矛盾を来すことなく循環し、この森に生きる生物たちはこの共通認識のもとに殺し合って来た。


 殺し合うことは喰らい合うこと。そして、喰らい合うということは、共に生きているということでもあったのだ。


 互いに牙を突き立てあっていても、そこに悪意や隔意は存在しない。剥き出しの己――生きるという本能をぶつけ合う、単純で偽りのない原初の闘争。


 そんな世界に在る彼らだったからこそ、『その光景』は完全に理解不能だった。


「敵は一人だ、囲め!」

「舐めてかかるな。増援が要る、伝令だ!」


 そこには、生きるためでもなく喰らうためでもなく、ただ殺すために進撃する人間たちがいた。



 『闘王殺し』カーン=ハイドは、全方位に散らばる敵の群れをじろりと睨み回した。


 今見える範囲でもその数は三十以上。気配を感じるものを含めればその倍といったところだろう。そしてそれは、こうしている間にも続々と膨れ上がってゆく。


 彼の手には武骨な長剣。数年前に戦場跡で拾った無銘の剣だ。上質の鋼を丁寧に鍛え研ぎ上げた一振りだが、この暴力的なまでの数の差を思えば、その剣だけで抵抗しようなどとは愚の骨頂だ。


 ――ここにいるのが、カーン=ハイドでなければ、の話だが。


「チェアアア――!」

 問答の間もなく、敵の一人が大上段に構えてカーンへ突進。皇女捕縛への唯一残った障害などと、もはや言葉を交わす意味もないと割り切った判断は至極正しい。

 カーンも、まったく同意見だった。


「今さら、『獅子』の走狗に掛ける言葉など有りはせん」


 まだ若い兵士の、味方に先んじる一撃は不安定な森の足元をしっかと踏みしめ、猛々しい勢いそのままに老人の脳天を断ち割る。


「ふん」

 だが、刃が振り下ろされた時には既に、カーンはその兵士とすれ違っていた。



「……え?」

 ぽかん、と剣を振り下ろした体勢で自失する男。

 彼には、まるで散歩するかのような気楽さで自身とすれ違うカーンの姿がはっきりと「見えていた」。


 見えていたのに。

 身体も意識も、何故かその動きに反応することができなかったのだ。


 だがそれも当然――。


「ご、ぱ……」


 カーンが足を踏み出した時には、既に彼は死んでいたのだから。


「あの若者たち――皇女の護衛隊への弔いだ。精々死力を尽くして抗えよ」


 どう、と鈍く響く音を立てて顔から地に落ちる男の身体には、喉から脇腹まで一線に斬り開いた剣の一撃が刻まれていた。


 そしてそれが――。


 世にも稀な、一個人による殲滅戦の始まりであった。



 カーン=ハイドが森で戦闘を開始したその少し後。


「ここは――」

「廃村、ですね。どう見ても……。あ、これ、帝国領を示す標識ですね。半壊してますが」


 少年――カタナに案内された皇女ラファエラと、半ばなし崩し的に寝返ってしまった兵士アミタは、イサギナ村と呼ばれていた場所に到着していた。


 身の軽いカタナと皇女らしからぬ健脚を持つラファエラ、そして現役兵士のアミタ。足腰強く大した荷物もない彼らにとっては、見晴らしもいい堅い山肌は森の中よりもよほど楽な道のりだった。


「森を含めて結構な高さまで登って来たけど、まだ山頂は遠いくらいか。流石はヴィーエン山脈」

 頭上をふり仰ぐようにして見上げるのはアミタ、その視線の先には依然として高い天険の姿。いよいよ空気の薄くなるこれより上を踏破するのは、如何に彼らでも相当の困難を伴うだろう。


「ここが……お主の故郷か、カタナ」

「……」

「こんな高所にも、民は居たのだな。我は、そんなことも知らなかった」


 ラファエラは、自分に背を向けて立ち尽くすカタナに、静かに声を掛ける。

「なあ、教えてくれないだろうか。お主の身に起きたことを」

「……」


 一陣、風が吹き抜ける。乾いた、荒涼の山地に相応しい無色透明な風。


「……湿った悪風が、死を運んできた」

 その風を、傷の塞がりつつある全身に浴びたカタナは少年らしからぬざらついた声で呟いた。


「いつの間にか――この村は、聞いたこともない病に蝕まれていた」


 それから逃れられる者は一人もいなかった。

 老人や赤子、弱い者から血を吐いて苦しみ抜いて死んでいく。


「弟が死んだ。父さんも、母さんも。みんなだ、みんな死んで。アイツも死んだ」


 そして、この小さな世界は滅亡したのだ。残っているのは、村の死骸と、カタナだけ。


 そう。カタナだけが、生き残ってしまった。


「おれも、死ぬはずだった。死ねる……はずだった、のに……」


 父が、弟の墓を暴き。母がその亡骸を切り分けて。


「おれは……化け物になってまで生き延びたくなんてなかったのに!」


 冥府へ落ちる道から突き飛ばされて転げ落ちたのは、狂気渦巻く畜生道。

 生きながら異界に突き落とされた少年は、ようやく還って来た故郷の残骸を前に咽び泣くように吼えた。


「もう嫌だ! けだもの・・・・になって生きるのも、こんな思いを抱えていくのも!」


 生きるというただそれだけのことが、どうしようもなく辛くて苦しくてたまらない。


 父よ、母よ。


「あんたたちが、憎くて憎くてたまらない!」


 それは、三年越しにようやく放つ、己の父母への恨み言。


 カタナのために、カタナを生かすために。彼らが考えていたことはただそれだけ。その願いがかなうなら、どんな罪でも犯して見せる。


 その想いが分かっていたからこそ、カタナは己のしたことを誰のせいにもせず、ただ一人で抱えていたのだ。


 苦しんで、血を吐く思いで、大罪の獣という別人格を産み出すほどに、己を追い詰め続けてきた。


 だが、今ならわかる。


 カタナは、両親のしたことが、命じたことが。家族や恋しい人を喰らってでも生き残って欲しいという切なる思いが――。


「どうして、おれをあのまま死なせてくれなかったんだ!」


 心の底から、迷惑だったのだ。



 剣が飛び交う森の中、そこは血風逆巻く修羅道だった。


「ぐあっ!」

「お。俺の脚がアァァ――!」

「増援は、増援はまだか!」


 眼を血走らせて、『獅子』の軍勢は森を駆ける。手に手に剣を携えて標的を正確に追う迅速さと連携は、流石に皇家直属部隊と言えるだけの物を持っている。


 しかし。


「――三十五」

「落ち着――、がはっ」


 この老人、『闘王殺し』カーン=ハイドを前にしては、そんな実力も蟷螂の斧でしかなかった。


「な、なんなんだこいつはぁ!」

 カーンを眼前に捉えた兵の一人が混乱と狂乱を同居させた叫びと共に剣を振り下ろすが、その一閃は躱すまでもなく地面を叩く空振りだ。そして一瞬後には、彼の首は宙へと斬り飛ばされている。


「三十六」

 カーンは、沸騰する剣戟の中において、ただ一人だけ平静だった。

 声を荒げず、刃を振り回さず、走ってさえいない。


 ただ、手近な敵の元へとゆっくり前進し、剣の射程に収めてから斬る。


 彼がしているのはただそれだけ。にもかかわらず、彼を囲む数多の兵の誰一人として、彼を斬ることも、振るわれる剣から逃れることもできない。


「なぜ、なぜ当たらん!」

 がむしゃらに振り回される鋼鉄の刃は、当たりさえすれば老人の肉体など容易く抉るはずなのに、今は虚しく空を斬るばかり。それどころか、ついには樹の幹に刃が食い込む始末。


 そして突き刺さった剣は、持ち主に引き抜かれることなく、そのまま取り残された。何故なら――。


「三十七」

 剣が止まり停滞した直後にはもう、その剣の持ち主は絶命していたからだ。


「――ばけもの……!」


 そう引き攣った声を上げたのは、どの兵士であったのか。その場の全員の思いを代弁したその言葉は森の剣戟を縫って響き渡り、それぞれの胸へと刻み込まれる。


 ――この老人は人ではない。剣を振るいて人を斬り、されど剣では殺せぬ不条理の具現だ。


「四十八」

 首を刈ろうと打ち込んだ剣が躱されたわけでもないのに狙いを外し、逆に目の前で薙ぎ払われるカーンの一閃が吸い込まれるように首を落とす。


 まるでそれは、剣という存在の支配者。


 この場にある全ての剣が、持ち主を無視してカーン=ハイドの意のままになっているかのような――。

 そんな有り得ない想像が脳裏を過ぎる程に、『闘王殺し』の戦いは隔絶していた。


 無論、カーン=ハイドは超常の存在などではない。


 ただ単純に、彼の動きには無駄がないのだ。

 足の一歩、腕の一振り、呼吸のリズムや心臓の鼓動に至るまで、戦いにおける最効率を突き詰めた動きなのだ。


 彼にしてみれば、眼前の兵士たちの動きには無駄が多すぎる。滑った地面に踏みとどまる硬直に大きく振り上げすぎた腕、冷静さを失い荒げられた呼吸。


 全てが、度し難いほどの『遠回り』。


「遅すぎるな……五十五」

 いかに足を素早く動かそうとも、迷路を闇雲に攻略するような無駄な動きでは、最短距離を歩く者に追いつける筈もない。


 カーンは、動きが「速い」のではなく、ただその全てが「早い」のだ。だから、目の前で動いているのに追いつけない、避けられない。同じ場所に居ながらにして、別の時間軸に生きているかのように。


 それこそが、『闘王殺し』カーンが完成させた剣の真髄、超常ならぬ剣の頂上。

 これに対抗するには、彼と同等の剣の研鑽を積むか。それとも先刻のカタナのように、非効率な迷走でも追いつけるほどの超速を身に付けるしか道は無い。


 そしてそれはどちらも、この場の兵士たちにはどう足掻いても不可能なことであった。


「――百」

 戦闘開始から約三十分。

 被害はついに三桁の大台に。その中に討ち漏らしは一つも無く、全員が一撃で絶命している。今もなお続々と集結しつつある兵たちだが、それは客観的には、もはや哀れで不可解な集団自殺レミングスでしかない。


 次から次へと首が落ち、臓物が飛び散り、四肢がばらりと撒き散らされる。

 今や兵士たちの眼にあるのは、ただ正気を失ったような戦意のみ。底の見えぬ断崖に跳び込むような気安さで突撃し、命が砕けて消えていく。


 『闘王殺し』カーン=ハイド。

 その二つ名は、「強き者を討ち果たす」という彼のいろである。


 それは逆説的には、強者でなければ戦いを成立させることすら能わぬという事実を示している。

 凡百の雑兵が何千集まり特攻しようと、剣の結界には傷一つ付けられないのだ。


 彼を打倒し得るのは、純然たる一。

 かつての『闘王』サーザンのような暴虐の双剣か、後の『無刃』のアダムのような理外の双拳か。そんな『闘技王』級の戦士でなければ、カーン=ハイドは殺せない。


「ぬるいな。未だこの身に傷一つ付けられんとは、男の矜持は持ち合わせぬか?」

 狂気に落ちた子供一人にすら劣る、そんな無様を晒すなと、つるぎひじりは冷厳と告げる。


「さあ、来るがいい『獅子』の犬ども。野望があるなら吼えて見せろ。牙を剥いて爪を立てよ。……できぬのならば、尻尾を巻いて消え失せよ――!」



 太陽は、中天を過ぎ傾き始めている。冬の山地だ、これから少し経てば釣瓶落としに暗くなるだろう。


「……落ち着いたか?」

 ラファエラは、自分よりも少しだけ背の低い少年の背中にそうっと声を掛けた。


「……」

 無言。だが、しゃくりあげるように跳ねていた肩の動きは、幾分緩やかになっている。


 大声を上げて、死んだ両親を責める言葉を泣くように叫んでいた少年は、先刻までの異質さを全く感じさせない、普通の人間のそれだった。


「親、か」

 ラファエラには、母親の記憶が無い。彼女を産んだその日に、産褥で身罷ったと聞いている。記憶力には自信はあったが、流石に産まれた日のことは覚えていない。


 父のアムゼカンドは、皇族、皇太子として申し分ない、冷静で思慮深い人物だ。尊敬できる人なのは間違いないが、実の娘であっても親しく話した記憶は絶無だ。たまに交わす会話は、先達としての助言や、指導者としての命令ばかりで、肉親という意味ではあまりにも印象が薄い。


 だから、こんなにも両親への葛藤を吐き出す少年の姿は、ラファエラにとっては奇異に映った。


 そもそも、ラファエラ=イヴに親しい人間などいない。平民は遠く、貴族はおもねり、皇族同士では腹の探り合い。先頃崩御した祖父である前皇帝は気まぐれに孫を可愛がってくれたが、それも今思えばどこか予定調和の芝居じみたものだった。


(我がそう感じるのは、多分このカタナという者と逢ったからなのだろうな)


 殺されかけて怒鳴りつけて、泣かせて宥めて命を助けられて逆に助け返して。

 言葉もろくに話さなかった者に、何と色々と関わりを持ったものだろうか。


 そして、言葉を話すようになったと思えば、今度はそっちの方が不可解になっているのだから不思議なものだ。


 それとも、親しくなるというのは、そうした不合理を含むものなのか、ラファエラにはまだ分からない。


「なあお主、カタナ。何というか、そうご両親を責めるなよ」

 だから、彼女はとりあえずこの少年との距離を詰めてみることにした。何となく、そうしたいと、そうすれば見えて来るものがあると思ったから。


「……」

 カタナは無言。ただ、その後ろ姿が強張ったのが分かる。


「事情はそれなりに聞いた上で言うが、彼らには他に選択肢など見えなかったのだろう。良い悪いではなく、ただそうするしかなかったのだ」

「そんなの、言い訳だ……あいつらが、悪い」


 強情に、自分に言い聞かせるような声。ラファエラは面白そうに唇を緩める。


「いや、それは違うな。もっと悪いものは別にいる」

「?」


 ちらりと、その言葉に引き込まれるようにカタナが振り向く。ラファエラは笑みを深めて。


「一番悪いのは――そう、皇帝だ」


 そう、はっきりと宣言した。



「この村は、帝国の領土だったのだろう? しかし、帝国は、この地に疫病が訪れたのに放置した――いや、知りもしなかった」


 これは帝国、皇帝の許されざる怠慢だ。とその少女――ラファエラが語るのを、カタナはぽかんと見詰めた。


 いきなり何言ってるんだろう、この人。内心を端的に表すならそんなところだ。胸にわだかまっていた悲壮な想いもつかの間忘れて彼女を見る。


 ラファエラ=イヴ。

 獣に囚われていた自分がこうして表に出て来るきっかけとなった人。

 彼女が何者でどうしてここに居るのか、カタナはほとんど知らない。名前と、誰かに追いかけられているということだけ。


「こうてい?」

「む、知らんのか? 皇帝」

「……えらい人」


 分かってるではないか、と、うんうん頷く少女。月の色の髪が満足気に左右に揺れる。


「高い地位にいるものは、下々のものを守る義務がある。その義務を果たせないものは、その座から引きずり降ろされる。己を守ってくれるからこそ、民は王に従うのだ」

 だから、帝国皇帝にはこの村を守る義務があったのだ、と少女は言った。


「だが、皇帝はそれを果たせなかった。故にお主には、不義の皇帝に刃を向ける権利がある」

 権利、またよく分からない言葉が出たぞ、とカタナはうろん気な顔をするが、ラファエラは気にした風もない。


「じゃあ、父さんたちに怒る代わりに、その、皇帝さんに怒れって言うのか?」

「いかにも、気が済まんなら殴っても蹴ってもいいぞ」

「でも、どこにいるかなんて知らないし」


 そう言うと、ラファエラは深刻そうに眉をしかめる。

「うむ、実はその者、こないだ死んでしまったのだ」

「え」

「もういい歳であったからな。しょーがないと言えばしょーがない」


 しょーがないしょーがないと、とぼけた口調で繰り返す。今までの話は何だったんだと、カタナは軽くむくれる。

「死体を蹴っても、それこそしょーがないじゃないか」


「まあ待て。実はな、都合がいいことに、その皇帝の孫が近くにいるのだ。身代わりにはうってつけだ」


 と、少女は笑みを保持したままそんなことを告げる。そして。


「まあ、我のことなんだがな」

「え、え?」


 意味が分からず狼狽えるカタナに、帝国皇女ラファエラ=イヴは宣言した。


「お主の故郷をむざむざ滅ぼした者の子孫が、この我だと言っているのだよ、カタナ」

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