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剣闘のカタナ  作者: 某霊
一章 1.ヒューバード剣闘士商会
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ヒューバードの三闘士

 

「ヤあ、みんなお帰り! 今日は勝てた?」

 カタナがフェートンと連れ立って玄関に戻ると、丁度リウの言葉が聞こえて来たところだった。


「リウ坊、儂らの顔で察してくれんかの? 三人とも負けよ」

「ああ、盛り上がらない試合をしてしまったよ。僕らの商会の連敗記録は今日で幾つになってしまったかな」

「……すまない」


 一足先に到着していたレレットとリウの出迎えを受けていたのは、三人の男。ヒューバード剣闘士商会の所属剣闘士だろう。皆いかにも腕一本で稼ぐ剣闘士らしい武骨な格好を――否、一人『変なの』がいる。カタナは唖然として口を開いた。


「何だあれ……()()()()してる」


 まず目に付くのは、右肩を覆う外套。

 金の縁取りをされた真っ赤な生地のそれは、おとぎ話の王宮の絨毯を切り取って引っぺがしてきたかのようで、無駄に存在感が強い。

 僅かに見える背中には、見たこともない紋章らしきものが描かれている。一角馬や虎、鹿に鷹など、とにかく勇猛そうな動物がごちゃごちゃひしめき合っている構図だ。


 その下も、どこの悪徳貴族の正装だ、と言いたくなるようなゴテゴテした装飾のフリルシャツ。

 そして何故か騎乗用のキュロットである。


「ええ……彼はオーブ=アニアという剣闘士でして。常にああいう出で立ちで剣闘に参加するのです」

 と、傍らで声に気付いた老紳士が、少年に顔を向けた。


「フェートンさん! 本名で呼ばないでくれ。僕の名はデミアン=アニア=マクシムス=オーヴィシュタットだ! っと。おや、見ない子がいるね」

 カタナに気付いて、帽子(極彩色の鳥の羽を何本も刺した天鵞絨(ビロード)製らしい実用性皆無の品)を外して首を傾げる。


 正面から見ると、中々の美青年であることが薄暗い中でも分かる。

 年齢は二十歳前後。栗色の髪は波を打つように肩の下まで伸ばされて、白皙に飾られた碧眼は、レレットの深い紺碧と異なり、ひたすらに明るい宝石の青だ。


「今日から、商会に入った、カタナ」

 レレットが、心なしか胸を張るような姿勢で一同に紹介する。

 少女に目を向けたカタナは、離れている間に彼女の服が変わっていることにようやく気付いた(『変なの』に気を取られ過ぎていたからでもある)。


 上等な仕立ての、襟と袖に透かしをあしらった黒い長袖に、控えめな薄紅色のフレアスカート。その上に純白のエプロンを身に着けている。

 髪型も高く一本にまとめており、相変わらずとても商会の長には見えないが、彼女自身にはよく似合っていると思った。


「ほほう! お嬢が勧誘したんかい? やるもんだの、そう言えばやけにめかし込んでおるしな!」


 三人の剣闘士の中で一番年長の、禿げ上がった頭の男が豪快に笑った。

 顔つきからはフェートンとあまり変わらない齢に見えるが、筋骨隆々とした身体にはいささかの弛みもなく、剥き出しの腕には皺もない。肌艶のなさが辛うじて彼が若さを失って久しいことを示している程度だ。


「グイード爺ちゃん!」

 彼は顔を赤くしたレレットが食って掛かるのを再び笑い声を上げて制してカタナを見る。黒い、穏やかな夜の湖のような眼差しだ。


「まあ怒るな。お嬢が久々に華やかな格好をしてくれたもんで、つい嬉しくての。少年、儂はグイード=フーダニット。お互い同じ剣闘士、グイードで構わんぞ。商会では一番の古株でな。あとこっちのがエイン=メノーティ。商会一の剣腕の持ち主よ」


 グイードが片手で示したのは、場にいる中で一番目立っていない男だった。


 年齢は二十代後半か。背は高い。まだ成長期のカタナが背伸びしても、頭頂部が彼の顎に届くかといった程度だろう。

 特に手足は常人より明らかに長い。この手足を持ってすれば、開いた距離を瞬時に詰めることも、より広い間合いを保って立ち回ることも自由自在だろう。


 そして彼の身体は、あらゆる肉を削ぎ落とした後、剣を振るうために必要な分だけの筋肉を付けたかのように一切の無駄がない。

 まさに戦うためだけにあるような肉体だ。


 観察すればするほど、秘められた実力が浮き彫りになりカタナも冷や汗を禁じ得ないほどだ。が、エインという剣闘士には、今挙げた好印象を帳消しにする要素があった。


(眼が、完全に死んでいる)


 彼の若草色の眼には覇気も意気もなく、生気すら虚ろだった。

 まるで貧民窟の路地に座り込んで空を眺め続ける浮浪者のようだ。気配も希薄で、魂がどこかに飛んでしまった抜け殻のようにさえ感じる。


 正直に言って、カタナはこのエインという男に負ける気がしなかった。

 恐らく、純粋な力でも速さでもエインの方が上だろう。しかしいくら強い肉体を持っていても、こんな空っぽな眼をしていては宝の持ち腐れだ。


 彼よりも、酒場で乱闘した三人の方がまだ手強かったとすら思える。しかしもしかすると、今の状態は仮初のもので、一度剣闘に臨めば豹変してとてつもない殺気を放ったりするのだろうか。


「ほれエイン、いつまでも落ち込んでおるでない。折角増えた新人に先輩として何か言ってやらんか」

 己を見てあれこれと考えているカタナに、グイードに促されたエインが歩み寄る。


「……エインだ。よろしく頼む」

 零れ落ちる声も、何の感情もない空虚なものだ。

 はっきり言って聞いている方の気が滅入ってくる。


「はい、よろしくお願いします」

 カタナはなんとか愛想を見せつつも、内心は(これは、本格的にヤバい人じゃないか?)結構な危惧を抱いていた。


「ね、カタナ。僕も同じだったから、今キミがどんな風に考えてるか大体分かるけど、この人ちョっとした天才だヨ?」

 と、リウが相変わらずの笑顔でカタナに声をかける。そして――。


「シッ!」

 突如、エインの背に向かって、リウが何かを投げつけた。カタナの眼が捉えたのは、先刻自分も食らった『針』の一本。しかも今度は本気で刺す投げ方だ。

「! 何を――」

 飛来する刃に、慌ててエインを『針』の軌道から突き飛ばそうと手を伸ばすカタナ。


「……危ないぞ」


 瞬間、カタナの耳にぼそりとしたエインの声が聞こえた。

 発せられた言葉は、背後から奇襲したリウに対しての注意か。それとも――。


 そして、一瞬後のカタナは床に転ばされた自分に気付き、右手にカタナの腕を、左手に飛来した『針』を掴み止めているエインの姿を呆然と見上げた。

「……な、に?」


 何をされたかわからなかった。


 カタナは現状に僅かの間自失する。

 攻撃するつもりではなかったとは言え、突き飛ばすために咄嗟に出した腕を掴まれて、為す術もなく転ばされた。それは確かなのに、エインが目の前でどう動き、自分の身体がどのように床に這わされたのかが理解できないのはどういうことだ?


 偶然、なわけはない。自分がエインの実力を読み違えたのだ。

 負ける気がしないなどとんでもない。人一人いなしつつ、反対から飛んで来る凶器を片手で捌くなど今のカタナにはまず不可能。エインの技量が、明らかに自分と隔絶していることを思い知らされた。


 カタナは知る由もないが、今の状態は、昼間の酒場でレレットの目から見たカタナとコーザの立ち合いと本質的には同じ事であった。

 彼我の実力に、あまりにも差があり過ぎて目の前で起きていながら把握することが出来ないのだ。


 つまり、エインとカタナの実力差は、カタナとレレットのそれと同等かそれに近い状態だということを示していた。


「ね? ボクも商会来てから何度も不意撃ち仕掛けてるのに、まだ一回も攻撃が当てられないんだ。『針』も鎖分銅も、他のも全部、って痛い!」

 呆けたままのカタナに、しゃがみこんで話しかけるリウ。そして、その頭にグイードが拳骨を落とす。


「だからリウ坊。中庭以外での武器の使用はご法度、と何べん言わすか」

 ぐりぐりと頭頂部を抉るままグイードはカタナに目をやる。


「ご覧の通り、防御面についてのみならエインはシュームザオンの全剣闘士の中でも指折りの腕っこきよ。今は調子を崩しておるが、お主らヒヨっ子が一朝一夕で抜けるもんではないぞ?」

「だから痛い、痛いからグー爺!」


 悲鳴を上げるリウをよそに、歩み寄ってきた派手な男、オーブがカタナに爽やかに話しかける。

「まあ、とんでもない実力があっても最近はどうにも勝てないんだけどね。攻めなきゃ勝てないのに、エインさんってば闘技場でも全く手を出せないんだから」


「……すまん」

 たった今の技の冴えもどこへやら。塞ぎ込んだエインの暗い謝罪に、オーブは明るく、ただし口元を自嘲するように歪めて返す。


「僕に謝ることじゃないですよ。こっちも結局勝ててないんですから、レレットさんに顔向けできないのは一緒ですし」

「うむ、大の男が三人揃ってロクな稼ぎもなし。実際問題、偉そうに講釈出来る立場ではないな。いい加減勝ち星を挙げなければ、早晩儂らはお払い箱になりかねん」

 深刻に肯定するグイード。三人の剣闘士の間に暗い雰囲気が漂いかけた時。



「そんなことない!」


 レレットが細い声を張り上げ、屋敷中に響く大声を放った。

 少女の、凛と響く声に三人は無意識に顔を上げ、カタナやリウ、フェートンもはっと彼女に目を向けた。


「みんなの強さはわたしが知ってる! 勝てなかったのは、わたしがみんなの足を引っ張っていたから」

 レレットは、六対の視線を受けても敢然と言葉を続ける。そして。


「でも、もう負けない。ぜったい、わたしが、みんなが思いっきり戦えるようにしてみせる!」


 胸を張って、両足をしっかり地に着けて。長としての決意を全員に宣言した。


 オーブがぽかんと口を開く。美形が台無しだが、誰もそれを気にもしない。

 グイードは驚愕の眼差し。こんな声を出すのを見たのは初めてなのだろう。

 エインも息を呑んでレレットを見る。虚ろな眼に僅かな感情が揺れていた。

 フェートンは静かに瞑目。数秒後眼を開いた彼は何かを覚悟した面持ちだ。

 リウは無邪気に微笑む。まだ付き合いの浅い彼女の意外な一面を見れたと。


「さあ、みんな、ご飯にしよう。いっぱい食べて、本番で力を出せるようにしよう」

 そして彼らの小さな商会長は、一人一人に明るく笑いかけた。

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