暗器使い
受けきれない。瞬時に判断して、カタナは身を屈めて『それ』をやり過ごす。
しゃらん、と、涼やかにさえ聞こえる音が頭上で奏でられた。
「イサギナ様!」
フェートンの叫び。だが構ってはいられない。今の『風』は――。
(上!)
頭上から急降下――正確には『引き戻し』――してくるのを体捌きで回避。そして躱しざまに『風』の尻尾を掴み取る。ぎりっ、と金属が軋む音。
「ひュう!」
同時、背後の廊下から場違いに明るい感嘆の声。
即座に振り向きつつ、手の中の『それ』の正体を確認すると。
「鎖分胴――!」
長い鎖と先端に装着された握り拳ほどの鉄塊。遠心力とともに投げつけられる『それ』は、人間の骨など一撃で砕く。しかし、単純に投げつけるだけでなく、今のように狭い屋内で生物のように縦横に操るなど、常人技ではない。
「まだ終わらないヨ?」
またしても、カタナの背後から声がする。
武器に気を取られた一瞬に背後に回られたと悟る。さっきも、先制の一撃をカタナが回避した間に部屋から廊下へと回り込んだのだろう。
しかし、自分がこうまでいいように背中を取られ続けるなど、屈辱を通り越して冗談事だ。
鎖を引きつつ、カタナは声の発生源に大きく円を描くような軌道で蹴りを放つ。
当てるよりも避けさせることを狙った、牽制の意味が強い蹴撃だ。
「ヨっ、と!」
力比べを避けたのだろう、鎖を手放す手応えが伝わる。直後、カタナの足を潜るように回り込む影が目の端に映った。性懲りもなく背後を取る心算だろう。
無論、カタナは三度目など許すつもりはない。
「返すぞ」
言い捨てて、手元に残った鎖を背中に回して投げつける。相手からすれば、潜り込んだ先にいきなり障害が飛び込む形だ。
「!」
息を呑む気配。じゃらん、と鎖が激しく擦過音を立てる。
「ふっ!」
カタナは気合一閃。身体の捻りを乗せた右拳を音に向かって振り下ろす。
捉えた。
「ク、ハ――!」
間一髪、腕で防ぐ影。拳に伝わる確かな感触。
しかし同時に。
パキン、と何かが割れる音がして。
カタナの周囲、廊下一帯が黒い煙に覆い尽くされた。
●
(な、んだと?)
あまりのことに一瞬動きを止めるカタナ。反射的に息も止まった。
煙幕。
言葉が浮かぶのとどちらが早いか、我に返り飛び下がったカタナ目掛けて、黒煙を引き裂いて拳が襲来、頬を掠めた。
「ゲホ、ゴホッ! 何ですか、これは?」
皮膚に走る鋭い痛みと、煙幕に巻き込まれたらしいフェートンの声に急き立てられるように、カタナは咄嗟に行動を再開。煙幕の届かない場所を目指して廊下を一気に駆け出した。
驚くべきことに、未だカタナは相手の動きを一度も『見て』すらいない。
情報の欠片もなくては相手の打ってくる次の手の見当もつかない。とにかく一度距離を取り、仕切り直すべきだ。
(しかし、一体何だっていうんだ?)
今さらな思考がカタナの心中に浮かぶ。奇襲を受けてから、ほとんど反射で対処していたがなぜ自分が襲われているのか全くわからない。
(――「……何と言いますか。非常に、毛色が違うと申しますか、個性が飛び抜け過ぎて収拾が付かなくなっておられる方ですな。ある意味では剣闘士らしいとも言えますが」――)
脳裏に再生するフェートンの言葉。
(剣闘士、らしい? まさか――)
カタナは何とも嫌な推論を思い浮かべるが、しかし。
「ハハッ、逃がさない!」
「ぐっ!」
駆ける背をいくつもの衝撃が襲い、意識が現実に呼び戻される。
(石飛礫か?)
委細構わず、後方に向き直る。距離は十分稼いだ。今度こそ『敵』の姿を眼に捉え――。
「ヤ!」
「!」
見えたのは、棘だらけの鉄靴の裏。
スパイク、などという次元ではない。文字通り、鉄の棘を生やした茨のような鉄線が靴に巻きついたものだ。それが、跳び蹴りでカタナの顔面に迫っていた。
金属の重量と刃の殺傷能力を上乗せされた蹴りは、もはやただの打撃ではない。凶暴極まりない武器、ないしは残虐極まりない拷問具と化している。
「ち、いぃ!」
鉄の茨に顔を蹴り上げられる直前に転がるように回避。追い打ちをかける相手を迎撃しようと、カタナは両手を床に着いて体勢を立て直す。同時に、床に転がっていた『それ』を掴み取り――瞬時の判断で持ち手を換えて、迫る脚に突き出した。
●
「お見事。ボクの負けかな」
そして、『そいつ』――ヒューバード商会のもう一人の新人、リウ=シノバは、人を食ったような笑顔で敗北を認めたのだった。
●
「よく言うぜ、『これ』を逆に投げなかったら、おれは今頃背中を滅多刺しにされて倒れてたところだ」
カタナは右手に持った『それ』を弄びつつ、傍目にも機嫌悪く答えた。言葉通り、彼は本来なら自分が負けていたと思っていた。
「分銅はハリボテ、靴の棘は色を塗って鉄に見せかけた麻糸。おまけに投げたこの『錐』も、柄が当たるように投げるとは徹底してるな。お気遣い痛み入るってところか」
「ま、お仲間になる相手だし、ね。でも謙遜は良くないね。飛び道具を予測してたからこそ、敢えて背を向けて走ったんでしョ? あれじャあ、たとえ普通に撃ってもキミの退きが威力を殺して大して深く刺さらなかったはずだし」
軽やかに答えるのは、カタナと同年代、と思われる不思議な出で立ちをした人物だった。
真っ黒な生地に、赤青緑に金銀白など色とりどりの糸で幾何学模様の刺繍が施された上着は、ゆったりと足元まで伸びている。
動きを阻害しないためか、切れ込みや切り取りがいくつか入っているのが特徴的だ。釦ではなく、編み込んだ紐で襟を留める形など、全体的に異国のものらしい装いになっている。
「その上、ボクの今の蹴りを拾った『針』で受け止める時、わざわざ柄を突き出す形に構え直してたよね。普通に刺してれば今頃ボクの足は串刺しだ。完全にヤられたヨ」
背はカタナよりも多少低いが、服のせいで身体つきは今一つ分からない。肩の上で乱雑に切った銀色の髪には青が混ざり、小麦色の肌の顔には琥珀のように深く見通せない色彩の瞳が覗いている。
今まで見たことのない種類の人間。それが、カタナがリウ=シノバに抱いた第一印象だった。
「単に掴み損なっただけだ」
カタナは目を逸らし、手に持ったままだった錐――リウ曰く『針』――を投げ返す。
「またまた!」
ぶっきらぼうな返事に、リウが空中の針を指で摘み取り、心底おかしそうにコロコロと笑った。
●
「シノバ様! 突然何をなさいますか?」
いきなり始まり、また唐突に終わった騒ぎに呆然としていたらしいフェートンが、ようやく我に返ってカタナたちに駆け寄ってきた。
黒煙の煽りを受けて、服が黒く煤けている。よく見ると自分も同じ有様だ。
なぜか張本人のリウだけが大した汚れもついていない。
元々服が黒いので目立たないのもあるだろうが、自分の仕掛けに巻き込まれない段取りは取ってあったというのが実際だろう。
「あ、フェト爺。いヤあ、実はレレットと帰って来た時から様子を階段の陰から見ててさ。なんか変わった感じのヒトだったから、つい」
黒衣の新人剣闘士は全く悪びれた様子もない。
「つい、ではありません! 初対面の相手にいきなり奇襲をかけるなど、常識以前の問題です! どうなさるのですか、煤まみれの廊下の有様は」
「コレくっつかない煙幕だから割と簡単に落ちるヨ。あとほら、強そうな相手とはどうしても手合せしたくなるって言うか、珍しいものにはつい目が吸い寄せられるって言うか」
リウの言葉に、フェートンが口の中で何やら呟く。カタナには『これだから剣闘士という生き物は……』とか聞こえたのだが、一緒にしないで欲しいと内心抗議する。コーザとの戦いも我慢したのだし。
(しかし、やっぱりソレ系の理由で仕掛けてきたのか)
カタナとしては、途中から想像がついてしまっていた自分がちょっと複雑である。
「だから。血が騒ぐですとかはせめて闘技場の中でやって――」
堂々巡りな感じの両者に、横からカタナが声をかける。
「いや、フェートンさん、もういいよ。まあ無事に済んだことだし」
そんなカタナにフェートンが反駁する前に。
「ははっ、アリガトね。えっと、イサギナ……? ちョっと言い辛いね」
ずいっと進み出たリウがカタナの手を取ってぶんぶんと振ってくる。
手の違和感にカタナが改めて確かめると、両手には黒い革のような硬い手袋。カタナは、これにも暗器が仕込んであるのだろうと当たりをつける。
「ああ、カタナ=イサギナだ。カタナでいい」
「うん。それじャあカタナ、ボクのこともただのリウでいいから。シノバはいらない」
手を放し、右手を胸元に添える見慣れない挨拶をしながら名乗るリウ。
少し引っかかる言い回しだったが。
「ん? ああ、わかった、リウ」
早くもリウの異郷的な言動に慣れさせられたカタナは特に気にせず受け入れておくことにした。
フェートンも怒る気力が失せたようで、軽くこめかみを揉んでいる。
「いきなり仕掛けたのは悪かったけど、どうしても気になってさ。キミの匂いが」
「匂い? 別にそんなに汚れてるつもりはなかったんだが。もしかして傷薬の臭いか?」
「いヤ、そういうことと言うか……」
二人が、イマイチ要領を得ない会話をしていると。
「みんな! お帰りなさい!」
元気良く弾むレレットの声が、階下から響いて来た。
「お! みんな戻って来たみたい。ゴハンの時間だヨ」
言葉を止めたリウが、一人さっさと駆け出した。
「おい、今のは……」
呼び止めるカタナに顔だけ振り向いて。
「とにかく、キミとは仲良くできるかも、ってことさ!」
気楽そうに緩んだ表情で一言だけ言って、今度こそリウの姿は廊下の角に消えていった。
そして取り残されたのがカタナとフェートン。
「あれがお隣さんかよ……」
「イサギナ様……。シノバ、いえリウ様が、どのような方かはご理解いただけましたでしょうか?」
「ええ。これは、話で聞くだけじゃわかんなかったでしょうね……何て言うか、とんでもない変人だ」
彼らは煤まみれの廊下で、しみじみと言葉を交わすのだった。