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剣闘のカタナ  作者: 某霊
一章 1.ヒューバード剣闘士商会
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住処は上々、家計は炎上

「ここが、ヒューバード剣闘士商会。……わたしの、家」


 中央広場を出た二人が『そこ』に着いた時には、もう太陽は暮れかかっていた。道すがら、レレットの案内で都市の中を見て回りながらだったので、思いの外時間がかかった。


「へえ、随分大きいんだな。レレットもここに住んでるのか」

 カタナは、お世辞抜きで感心した声で仰ぎ見る。


 都市部の外れ、やや閑散として建物も少し間隔が開いてきた辺りにある建物は、一般的な住居の十倍はあろうかという規模だった。


「昔は、剣闘士もいっぱい居たから。……今はガラガラ。空いた部屋を物置にしてる人もいる。わたしが昔住んでた屋敷は別にあったけど、もう売っちゃった」

 なんとも侘しい事情を披露しつつ、正門脇の通用口を開けるレレット。カタナは閉じられたままの正門を見る。


 立派な錠前で閉ざされた門は、錆びついていたり土埃に汚れていたりするわけではない。しかし、門前の砂利の清められたままの姿は、長い間開閉されていないのが察せられる。

 かつては正門を開け放つくらい人の出入りが活発だったのだろうが、今は人が二人並ぶのもやっとの通用口で事足りる。


(この門にも、早く仕事させてやんないとな)

 そんな風に、カタナは小さく決意を新たにした。



 二人が並んで前庭を抜けて建物の中に入ると、薄暗い玄関に丁度誰かが顔を出したところだった。


「物音がするのでまさかと思えば。お嬢様、いかがなさいましたか、そのお召し物は?」

 出迎えたのは、白髪混じりの黒髪を丹念に撫で付けた初老の男性。着ている服はありふれた市民の普段着だが、ぴん、と伸びた背筋や低く落ち着いた声音は、執事や家令を思わせる。


「ただいま、フェートン。服なんかより、ほら、新しい剣闘士が来てくれたの」

 レレットは、自分の格好――前掛けの破れた女給姿――を気にする様子もなく、カタナを示す。


 彼女の様子を見た初老の男性――フェートンは口を閉じ、珍しく僅かに浮かれて見える主人(レレット)と、その後ろの馬の骨(カタナ)を見た。

「……おや、おめでたいことですな。しかしお嬢様、またいかがな次第で? 今日は中央通りの喫茶店で夜までお仕事がおありと伺っておりましたが」


「あ。……い、いや、えっと……クビ? ……っぽい、かな」

 明らかに顔色を変えて目を泳がせるレレットを見て、しかしカタナは納得した。

 あんな治安の良くない酒場に、痩せても枯れても子供でも、一つの商会の長が働きに出られるものかと疑問だったが、身内にも内緒の独断で働こうとしていたらしい。


「どうも、お世話になります。おれはカタナ=イサギナ。偶然街で知り合った『ヒューバード商会長』にお願いして、こちらの剣闘士商会に所属させて貰うことになりました」


 せめて誤魔化す時間稼ぎくらいは援護しようと、レレットの前に出る。対して、フェートンは表情一筋動かさない。老いた濃い灰色の眼に、カタナはまるで書類の文章を読み込むように見られたと感じた。


「……ええ、こちらこそ。私、数年前までヒューバード家の屋敷に仕えさせていただいておりました、フェートン=ジステンスと申します、イサギナ様」


 内心はどう思ったのか。ともあれ老紳士は、深く慇懃に礼をした。

「現在は、ヒューバード剣闘士商会の事務・財務・法務・施設管理などをお手伝いさせていただいております」


(ほとんど全部……?)

 内心突っ込むカタナ。仕える老人が商会の業務を一手に引き受けている間、若すぎる商会長は外に出稼ぎである。確かにこの商会は何かおかしかったらしいと納得する。


「えっと、フェートンがいなかったら、とっくに商会潰れてる。今ぜんぜんお金払えてないのに、助けてくれてる人なの」

 レレットの方も、逸れた話題に乗るように説明してくる。やはり思うところはあるのか、丸っこい眉が下がっていかにも申し訳なさそうな表情である。


「亡き先代、先々代より賜った御恩へのせめてものお返しでございますから。息子も独り立ちしておりますので、私のことなどお気になさらず。お嬢様こそ、無理に働きになど出なくてもよろしいのです、と何度も申し上げておりますのに」

 灰色の眼に苦慮をにじませて語るが、レレットは決意を込めた碧眼で見返した。


「うん、心配かけてごめん。これからは、えっと、商会長の仕事、もっと頑張る。組合にも負けないように。迷惑かけるけど、もう少し、手伝って」



 主人たる少女の顔を瞳に映したフェートンは、一瞬目を見開いた。今朝まさにこの場所で見送った、自信を失い疲れ果てていたレレットとは明らかに違う。

 眩いばかりの若い生気に満ち溢れた彼女の姿は、嵐に折れた花が陽光の下で見事に息を吹き返したかのようだ。


 思い出すのは、何年も前に見たあどけない頃の姿。

 不安など知らない、安らぎに満ちていた笑顔が重なって見える気さえする。


 その姿はまるで、()()()()()()()()()()()()感じられて。


「お嬢様、見違えるようにお元気になられましたね。昨日までとは別人のようです。どうやら、良きお方とお会いになったようですな。いや、昔を思い出しました」

 しかし、彼は己の違和感をはっきり指摘することはせず、柔らかな笑みで幼い主に応えた。


 そのまま、主人の傍らの少年に向き直り、改まって深々と頭を下げる。

「改めまして、歓迎とともに厚く御礼を申し上げさせていただきます、イサギナ様。どうやらお嬢様が大変なお世話になったようで、誠にありがたく存じます」

 フェートンの言葉に嘘はない。だが、老いてなお鈍っていない彼の脳裏にはいくつもの推論と予測が凄まじい速さで飛び交っていた。



「あ、いや。畏まられても困ります。これからお世話になるのはおれの方なんですから。頭上げてください」

 祖父と孫と言ってもいいほど年の離れた大人に丁重な扱いを受けるような経験のないカタナは、反応に困ってレレットを見て無言で助けを求める。


 しかしレレットは、彼の視線をどう解釈したか。

「フェートン、カタナに中を案内してあげて。わたしはみんなが戻るまでに夕飯の用意する」

 などと、また妙なことを言い出した。


「え、レレットが作るのか?」

 思わず突っ込みが口をついて出たが、仕方がない。どこの世界に従業員の食事を手ずから作る経営者がいるのか。


「うん。……今日は仲間が増えた日だからいっぱい作る」

 控えめに張り切っているレレット。


「お金ないのに?」

「……できる範囲で」

 無表情でそっと目を逸らすレレット。


 とにかく、いたたまれない場の空気が変わったことだけは確かなので、助かったと言えば助かったのだろうか。



「では、こちらの部屋がすぐ使えますので差し当たってイサギナ様の私室としてお使いになって下さい。何か問題があれば対応いたしますので」

 玄関でレレットと別れたカタナは、フェートンの案内で邸内を見て回っていた。


「ありがとうございます。でもこんな広い部屋を一人で使うのはもったいない気もしますね」

 堅苦しく見えたフェートンだが、主人の眼の届かない場所では意外と気さくに話してくれた。気を抜いているというよりも、カタナの性分に合わせてくれているのだろうと思われた。


「おや、どなたか連れ込む算段でも立てておいでですか? いけませんな。実は私、お嬢様を悲しませるような方には、思わず食事に下剤を混ぜる癖があるのです」

 そうして共用の水場や訓練場所を兼ねた中庭など、すぐに覚える必要がある場所を見せてもらったが、どこも弱小剣闘士商会の評判にそぐわない、広く、しっかりした物だった。


「まさか。下っ端の雑魚寝部屋も覚悟してたってことですよ。冗談きついな、ジステンスさん」

 尋ねてみれば、レレットが商会を継ぐ前、つまり彼女の父が商会長だった半年前までは常に三十人近い剣闘士と、十人前後の商会職員が過ごしていたという。


 全盛期に比して、現在の住人は合計して十人にも満たないというのだから、ヒューバード商会の没落っぷりは相当なものだ。


「……」

 カタナに割り当てられた部屋は、単純な面積でも大人が三人手足を広げて寝てもまだ余裕があるほどに広い。元は上級の剣闘士に割り当てられていたが、今までは空き部屋として放置されていたらしい。


「じょ、冗談……ですよね?」



 カタナが一通り閑散とした邸内を見終えると、薄暗い廊下(燃料費節約のため、廊下は無灯火らしい)でフェートンは謹直な表情に戻り、少年を静かに見た。


「さてイサギナ様。せっかくですので一人先に紹介しておきたい方がいるのですが、よろしいでしょうか」

「紹介?」


「はい。つい先日ヒューバード商会に所属することに相成りました剣闘士の方です。本日は剣闘の入っていない日でしたので在室しているかと思います。他の者が戻るまでまだ時間はあるでしょうから、先に顔合わせだけでもいかがでしょうか」


 話を聞いて、カタナは少し意外の念を抱いた。まさか今の状態のヒューバード商会に入ろうというものが自分以外にいるとは、正直思っていなかったのだ。


「へえ。どんなヤツなんですか?」

 ちょっとした好奇心で尋ねるが、フェートンの、なんとも渋い表情を見てカタナの顔も引きつった。


「……何と言いますか。非常に、毛色が違うと申しますか、個性が飛び抜け過ぎて収拾が付かなくなっておられる方ですな。ある意味では剣闘士らしいとも言えますが」

 妙に持って回った言葉に、カタナは何とも言えず黙り込む。礼儀正しい老人にこうまで言わしめるとは一体どんな輩なのか。


「毎日、食事の時以外は部屋で何やら作業をなさっていることがほとんどです。偏屈というわけでもないのですが……」

 と、フェートンは繰り言めいた言葉を軽い咳払いで打ち切った。

「まあ、あの方は、まずお会いになるのが一番手っ取り早いでしょう。さすれば私の申し上げたいことは全てご理解いただけるかと」


 言葉を区切り、フェートンは先導するように歩き出し……すぐに足を止めた。

「こちらがその方――リウ=シノバさまのお部屋です」


 示されたのは、たった今案内されたカタナの部屋の扉から十歩も歩いていない地点にある扉だった。カタナの部屋の扉の間にはただ壁があるだけで、他に扉はない。つまり――。

「お隣さん、かよ」


 いや、文句は言うまい。とカタナは自分を戒める。

 せっかく厚意でいい部屋を回してくれたのに、隣人の評判が微妙だからヤダ。などというワガママはあまりに無礼だ。


「では、お呼びします――シノバ様! フェートンでございます、少しよろしいでしょうか!」

 付いて来たカタナを振り返って念を押したフェートンが、件の部屋の扉に呼びかける。するとすぐに。


「はーい! いいヨー、入って入って!」


 発音が少しおかしいが、高くよく響く声で返事が来た。随分明るい声だな、というのがカタナの最初の印象だ。

「では失礼しま――」

 そして、フェートンが扉に手をかけた瞬間。


「あ、ヤっぱり待って」

「は?」


「こっちから行くから!」

 声と同時に、扉がゆっくりと内側から開かれて――。


「く、なっ!?」


 部屋から飛び出した黒い疾風が、カタナの首に襲いかかった。

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