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剣闘のカタナ  作者: 某霊
2.車輪の乙女と死者の轍
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悼む者嘲る者

「ここは……」

 ルミルは、馴染のない景色に戸惑ったように周囲を見回した。その出で立ちは、『ノックイン』で働いている時と同じエプロン姿だ。


 店でカタナに誘われたルミルは、ちょうど客の入りがひと段落したこともあり、快く休憩を許可してくれた店長(とにやにやしていたイーユ)に見送られて、大通りを通って「ここ」に来ていた。


「『英霊碑』」

 彼女の視線の先でカタナは、中央闘技場の裏手にある霊廟に足を踏み入れつつ、振り返って言った。


「闘技場で死んだ剣闘士、その墓代わりだよ」

 少年は淡く笑って、眼を細めた。

「悪いね。あんまり楽しい場所じゃなくて」


「いえ。あたしは……」

 彼の笑みがやけに儚く見えたルミルは、不明瞭な返事で、続いて『英霊碑』へと入って行く。


 初めて訪れたその霊廟では、明かり取り窓の光が差し込んで剣型の墓標を薄っすらと照らしていた。

 草原で風になびく草草のように、名を刻まれた剣たちが不動にそよぐ。


 ここは単なる墓と言うよりも、ルミルには別世界――死界そのものに見えた。

 戦いに生き、剣に潰えたものたちの死後の殿堂。

 ここは天国なのか地獄なのか。生涯武器を取らないだろうルミルには、その判断の手掛かりすら掴めない。


 ただここに佇む少年――カタナ=イサギナは、この場所に酷く適応して見えた。帯剣こそしているが、ごく一般的な普段着で特に市井の人と変わらないのに。

 例え鎧に身を包んでいなくても、彼は根本から「闘う者」なのだ。


(まるで――剣の妖精)

 それも、とびきり鋭い刃の精だ。


「こっち」

 非現実的な感慨が過ぎったルミルの戸惑いを知ってか知らずか。カタナは奥へは進まず、剣の合間を縫って脇へと踏み出した。

 まるで薄明りに溶けるようにぼやける彼の背を、ルミルはおずおずと追いかけて行く。


 傍らの闘技場に比べればさほど大きくもない建物である。しばしというほどの間もなくカタナは立ち止まり、ルミルもカタナの肩越しに彼が見ているものを覗き込む形で足を止めた。


 それは真新しい、しかし他と特に変わりのない剣の形をした墓標。


「墓標が槍型じゃないのは残念だったかな――カガマ」

 カタナが一言、そんな風に呟きを落とすのを、ただルミルは見守ることしかできなかった。



「『ここ』に居るのは、カガマ=ギドウ。つい数日前に、おれが斬った剣闘士だよ」


 カタナは背後のルミルを振り返らないまま語り始める。

 カガマと戦うことになった経緯とその因縁、そして迎えた結末まで。


 親族のいなかったカガマの遺体は、死の翌日にはシュームザオンの共同墓地に葬られたという。

 ここには遺体も愛用の武器もない。ただ画一的な剣の模型に、彼の名とあの日の日付が刻まれているだけだ。


 数日に渡る昏倒から覚めたカタナがまずしようと思ったのが、カガマの墓に行くことだ。

 最初は墓地の方に行こうかとも考えたが、手を下した本人が墓に顔を出すのは何か違う気がして思いとどまった。


 だから、『英霊碑』があったのは僥倖だった。カガマと戦った地の横に、こうして彼の戦った記憶が残っているのだから。


 だがここにルミルを伴ったのは何故か。カガマと因縁が深すぎるヒューバート商会の面々には同行を頼みにくいとしても、敢えて彼女に付き合って貰う必要はない。普段のカタナなら、一人でここを訪れていただろう。


(――独りで考え込んでいないで、周りの人の言葉を聞きなさいな――)


 ルミルに会って、夢で諌められた言葉を思い起こした時、カタナは気が付いたら彼女をここに誘っていた。


 単に一人で行くのは気が重かったから、彼女の優しさに甘えてしまったのか。それとも別の思いがあったのか。正直カタナにも判然としない。


 しかし、カタナの思いがどうあれ、これは「同じ世界に居る」と言ってくれた少女に、わざわざ「それでも自分とお前は別物だ」と突き離すような行為だ、とカタナは思っていた。


 『英霊碑』に連れてきたこともそうだが、こうしてカガマとの一戦を語って聞かせていることもだ。

 どうやって話しても、ルミルには、あの一戦に得た、刃を介して魂まで感じ取る感覚は理解できないだろう。良い悪いの話ではなく、カタナとルミルはただ単純に「違う」のだ。


 同じ世界ばしょに居ることはできても、同じ感覚ことばでわかりあうことはできない。それは、ある意味生きる世界が違うことよりも寂しいものなのではないか。


「――そしておれは、カガマを斬った」

 気付けば。

 カガマの墓標を見据えたまま、カタナは半ば無意識に全てを語り終えていた。


 カガマがヒューバードを捨てた経緯や、戦いに病み毒に穢れたカガマに感じた不気味さ。そしてその奥にあった、男としての芯。


 語る気のなかったことも語るべきではなかったことも。余すことなくカタナはルミルに伝えていた。

 勝手な話だが、こうして胸に溜めた言葉を吐き出しただけで、カタナはずいぶんと気持ちがすっきりとして来た。

 いくらカタナが常人離れした経験を持っていると言っても、やはりカガマを斬ったことは心の負荷になっていたのだろう。


「……」

 ルミルは、黙ってカタナの話に聞き入っていた。普段はよく話す彼女が、こうして聞き役として口を噤んでいるのも珍しいと思う。もっとも、話の内容を思えば無理もないが。


「何て言うか、ごめん。一方的にこんな話――」

「カタナさん」

 謝りかけたカタナの言葉を遮って、ルミルが口を開いた。


「ありがとうございます。話してくれて」

 その凛と響く声に、思わずカタナは背後の少女を振り返った。


「戦うことがどういうことか。人を死なせることがどれだけ重いのか。あたしにはわからないですけれど、カタナさんがそれを逃げずに受け止めているってことはわかります」


 ルミルは剣の墓標の中で、真っ直ぐにカタナの眼を見上げていた。

「だから、あたしが言えることは、ただカタナさんを応援して勇気づけることだけです。でもたぶん、そういうのがとても大切なことだと思うんです」


 どんな人にも、味方はきっと必要だから。

 そう語るルミルの言葉は、年相応の甘さとはかけ離れた深みを持って響いた。


 相手のことを全て理解しなければ、誰かを支えてはいけないなどということはないのだと、彼女は神意を告げる聖女のようにカタナに言った。

「あたしは、ずっとカタナさんの味方でいます。だから、剣闘にも、他のことにも……負けないで」

 剣闘士とは全く違う強さを秘めた少女の、胸に届く言葉に打ちのめされる中、カタナは思う。


(――人を殺せば英雄になれると、本気で信じているのか――)


 もしかしたら、カガマ=ギドウはルミル=トートスのような人にこそなりたかったのではないだろうか、と。


 強くならなくても、賢しさを持たなくても、ただ胸を張って生きたかったのではないか。

 影よりは陽の光を。停滞よりは踏み出す一歩を。失ったものに足を取られても、目の前に残った善きものをこそ見ることのできる人間に。


「ルミル」

 カタナは少女の名を呼んだ。子供相手のような呼び方ではない、はっきりとした敬意を込めて。


「おれは、君のために戦っているわけじゃない」

「はい」

 ルミルは頷く。そう、彼女は、戦いを必要とする人間ではないのだから。


「……でも。君のおかげでまた戦える」

 人を斬った咎が残っても、それでも進んで欲しいと願ってもらったのだから。


「誓うよ。絶対に、君に恥じない剣闘士であり続ける」


 剣に賭けて行われたその誓いに、ルミルの雰囲気が明るく開花する。

「はい! でも、怪我には十分気を付けてくださいね」



 そんな風にして、別の世界で生きていた『彼ら』は、この時ようやく始まったのだった。



 そして、地上に明るく花が咲く時、地の底では昏い炎が流れ出そうとしていた。

 世界とは、ただ美しいだけのものではないのだと告げるように。


 『その場所』には、闇と、炎と、血が満ちていた。


「くたばれぇ!」

「これで、おっ死ねや!」


 闇とは、陽の光の届かない地下深くに造られたこの空間にわだかまる翳り。

 炎とは、その闇を照らすべく無数に取り付けられた松明のぎらついた輝き。

 そして血とは、繰り広げられる戦いそのものだった。


 地下深く、煌々と燃やされた炎の下、二人の男が殺し合っている。

 どれほどの時間斬り合っていたのか、両者の身体は幾十もの傷が刻まれ、まき散らされる血は、混ざりあってどちらのものとも知れない有様だ。


「殺せ! 殺せ! 殺せ!」


 二人の周囲には、一見では数え切れぬほどの観衆。老いも若きも、女も男も、豪奢な貴族服を着こなしたものも粗末なボロ布を纏ったものも。皆、それぞれ仮面を付けてその素性を隠している。

 表情は隠れていても、彼らの考えていることは明らかだ。迸る歓声が、僅かに覗く瞳と口元が、そしてこの場に居ること自体が、彼らの欲望をいっそえげつないほどに剥き出しにしていた。


「切り刻め!」

「もっと血を見せてくれ!」

「どっちでもいいからさっさとくたばれ!」


 殺し合う二人とそれを見るものの距離は近く、「地上」の闘技場のように上から見下ろす形でもない。武骨な柱と棘だらけの鎖で仕切られた舞台のすぐ傍に席が設えられている。

 特に最前列ともなると、剣が打ち弾く火花が目に焼き付き、飛び散る血潮の熱までも感じ取れるほどで、少し手を伸ばせば鎖を掴むことすらできる。


 この距離の近さは、「ここ」が地下でありスペースが限られるから、というだけの理由では無論ない。

 少しでも近くで、この『ショー』を『顧客』が見ることのできるように。そんな、偏執的なまでの悪趣味の発露だった。


 『ここ』は、シュームザオンに存在する、非合法の剣闘を見世物にしている地下の闘技場。


「死んじまえ、この雑魚があ!」

「ぎ、あ、ああぁ――!」


 どちらかの死をもってのみ勝敗を決する、何の目的も無い蠱毒の壷。

 地上と切り離された闘技場を満たすほどに、死を堪能する観衆の絶叫が溢れかえる。


「闘争? なんと生温い言葉だ。死を、殺意を、殺し合いを。それを求めるものたちが集い、満たされる。それが――」


 そんな空間の上部に特別に設置された特等席で、一人の老人が呟いた。その眼は、たった今敗れ、絶命した闘士の死体を捕らえて離さない。


――『人斬り剣獄リッパーズ・ナイト』――。


 それが、この空間に付けられた名前だ。



「おや、支配人。こちらでしたか」

 慇懃な声と共に、席に着く老人の背後に立ったのは、仕立てのいい紳士服を着崩した青年――閉塞した部屋でカガマとヨナンの死の報告を受けていた男――だった。


「ザインか、下らん些事は後にしろ。次は儂のシジウスの出番だ」

「これは失礼を。『剣獄』の王のご出陣とは間の悪い。しかし、殺されたカガマ=ギドウの代役についての話なのですが」


 恐縮したようで、しかし笑いを含んだその言葉に老人は僅かに振り向き、落ち窪み白く濁った眼でザインと呼んだ青年を睨め上げる。


「手短に済ませろ」

「ええそれはもう。……では結論から申しますと、『剣獄』で第三位を務めていたカガマを『上』で討ち果たした少年、ヒューバード商会のカタナ=イサギナで、その穴を埋めさせたいと考えております」


 しばしの間があった。老人は底冷えするような目線で自身の三分の一も生きていないだろう青年を見る。そしてザインは薄い笑みを崩さずにその圧力を受け止めた。

「……確か、まだ十代だったな。『上』でいくら強かろうと、『剣獄』で使えんのでは意味がないぞ」


「ご心配には及びません。私の所見では、むしろ『上』よりこちらの方が彼には向いていると思われますので。カタナ=イサギナは、必ずや良き『剣獄』の闘士となれるでしょう」


 眼下、観衆のざわめきが大きくなる。

 それは、今日のメインイベント。


「来たぞぉ、シジウスだ! 『獣爪剣』だ!」

「今日も生きた肉を切り刻むところを見せてくれ!」


 この地下闘技場の『王』の登場だった。


 現れたのは、二十半ばの中肉中背の男だ。濃い茶色の髪を逆立てて、身体には血の映える純白のローブ。一見して、闘士というよりも古代の神官じみた姿だ。


 しかし、彼が神官だったとしても、仕える神は邪神以外では有り得まい。

 その右手に握りこまれているのは、肉食獣の爪を異常に肥大化させたかのような剣。

 一つの柄の両端から二本ずつ。計四本の歪曲した刃が前方に突き出している様は、まさに禍々しさという言葉の具現だ。

 剣と評するよりは、いっそ爪手甲バグナグの突然変異と言った方が正確と思われる武器である。


 しかし、この四本の爪は、全てが紛れもなく名剣の切れ味を持った超一級の業物だ。人体など、その一掻きで容易に五つに裁断できることを、この場に集う観衆のほぼ全員が経験として知っていた。


「それは、世に名高い『異装十二剣』の一つ、『獣爪剣』の使い手であるシジウスよりも優れた素質だと――そう言っているのか、ザイン?」

 戦う前から血と死の匂いを滾らせる闘士を見下ろし、老人が口を歪める。


「さて。少なくとも、武器の格では負けていないと思いますが」

 しかしザインは、軽く肩を竦めただけで老人の問いを受け流す。


「なにせ、カタナ=イサギナの剣は――」



「さて、店まで送るよ」

「い、いえ! 大丈夫ですよお気になさらず!」


 カタナとルミル。『英霊碑』を出た二人は、強い日差しに眼を細めつつゆっくりと歩き出した。

 先程のやり取りが急に気恥ずかしくなったのか、ルミルはさっきから妙に顔を紅潮させている。開き直ったのかそもそも意識していないのか、けろりとしているカタナとは対照的だ。


「いや、前みたいなことが早々起こるとは思わないけど、念のためさ」

「うぅ……そういう実際的な意味じゃなくてですねえ……」

 やはりまだイマイチ噛み合わない二人ではあるが、これはこれで傍から見れば微笑ましい光景であろう。


 と、その時。

「わわ!」

「おっと」


 闘技場の影からすっと出て来た人に、ルミルが驚いてたたらを踏んだ。人気の無いところで、油断して会話しながら歩いていたために、前方の通行人に気が付かなかったのだ。

 体勢を崩したルミルを軽く支えるカタナ。


「あ、すいません。あたし、前見てなくて」

 慌ててカタナと通行人に頭を下げるルミル。その頭上に。


「いい」

 ぶっきらぼうな、若い女性の声が降って来た。


 ルミルが顔を上げると、そこには大抵の男性よりも高い背丈の女性が立っていた。

「……ケガは無い?」

 長い黒髪と赤銅の瞳、そして見上げるほどの長身。何より、引き摺っているのは、車輪の付いた巨大剣。


 処刑の剣闘士ロロナ=アンゼナッハ。

 しかし彼女のその名は、ルミルには、そしてカタナにも未知のものだった。


 カタナとロロナは同じ日にこの闘技場で剣を振るい命を刈り取ったが、互いのことは認識していない。

 ロロナの戦いを目撃したリウもこの場には居らず、またカタナにヨナンの死の詳細を伝えてもいなかった。


 故にこの二人は、互いに結ばれたいくつかの縁のことごとくを知らぬままここに邂逅したのだった。


「あ、はい、ありがとうございます」

「そう」

 ロロナの上背に少し眼を開きつつも元気に礼を言うルミル。それをロロナは鷹揚に受け流す。

 控えたカタナは黙って軽く目礼し、二人と一人が何事もなくすれ違う――その寸前。


「――『姫斬丸』?」

「え?」

 ロロナが、微かな驚きをもって呟いた。カタナも、突然愛剣の名を呼ばれて声を上げる。


「どうしてここに……」

 聞き間違いではない証拠に、カタナが見上げたロロナの視線は、確かに少年の腰の剣に釘付けになっている。


「何でコイツの銘を? これはつい最近まで世に出てなかったものなのに」

 警戒し自然とルミルを庇う位置に進み出たカタナに、逆にロロナは敵意は無いと示すように『車輪剣』から手を離す。その所作に動揺はあっても害意はない。


「だって、『その子』の作者はカンバ=テンゼンでしょう」

 そしてロロナは、瑞々しい唇の端をほんの少し引き上げて言った

「カンバ=テンゼンは……私の、おじいちゃんだもの」



「なにせ、カタナ=イサギナの剣は――『異装十二剣』を産んだ剣匠ヤサカ=テンゼンの父親、カンバ=テンゼンの最高傑作ですからね」


 そしてここに。

 新たな戦いの予兆が唸りを上げて動き出した。

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