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「あ、カタナさん、お久しぶりですね!」
晴れ渡った空の下、ルミル=トートスは花の咲くような笑顔で親しい剣闘士の少年に声を掛けた。
場所は剣闘士用品店『ノックイン』。その店先である。配達から戻ったルミルは、丁度店の前に立っていたカタナと出くわしたのだった。
「あ、ああ。鎧の整備が終わった頃かと思って、見に来たんだけど……まだかかるみたいだ」
横合いから声を掛けられたカタナ=イサギナは、少し狼狽したように、自分よりも年下の少女から目を逸らして返事をする。
その仕草は、彼と同じ剣闘士商会の面々でも気付くかどうかといった些細なものだったが、ルミルはそこに年上の少年が抱える躊躇いを見て取った。
「……どうかしました? 何かお元気がないみたいですけれど」
その怪訝な言葉にカタナは、今度ははっきり気まずそうに首を傾けて視線をずらす。
「いや、わざわざ気にしてもらうようなことじゃない。こっちのことだから」
明らかに言葉を濁すその返答に、ルミルは当然納得できない。
「むー!」
上目使いに少年を迫力なく睨んで、遺憾の意を表明する。何より『こっちの話』などと他人行儀なのは彼女にとって極めて問題であった。
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カタナ=イサギナは、ルミルにとっては危ういところを助けてもらった恩人だ。
加えて彼女の初めてのお客であり、目下一番のお得意様でもある。なにせ、彼が剣闘で使用する装備は、剣以外の全てはルミルが選んだものなのだ。
最初に買って貰った海獣の革鎧を筆頭に、黒と蒼で揃えたグローブやブーツ、赤獅子の鬣に使っている錫細工の留め金に至るまで、ルミルが「これは!」と選んだものをカタナは喜んで買って行ってくれる。
剣闘士が剣闘の装備として店員の勧めたものを全面的に受け入れるということは、これはもう実質的に相棒認定を貰ったようなものではないか。
兄のコーザだって、自分の選んだものにはよく難色を示すのに、幼馴染のイーユの指示するコーディネイトには大人しく黙って従うのだ。
この間など、汗で流れない特別な絵の具が入ったからと、イーユの手で両腕に色とりどりな模様を入れられても文句一つ言わず剣闘に挑んだくらいだ。
……もしかしたら、模様の中にさりげなくイーユの名前が紛れ込ませてあったのに気付いて落とすに落とせなかったのかもしれないが。
とにかく、剣闘士にとって装備を選ぶ人というのは、決して「あっち」と「こっち」などと仕分けられるような遠い関係ではないのである。
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「……と、言うことで、分かりましたか、カタナさん!」
以上のようなことを、ルミルは店先でカタナに対してとうとうと申し述べた。身振り手振りに兄の顔真似までしての熱演だった。
「あたしとカタナさんは他人じゃありません。お友達以上……そう、親友的同志なのです! 『こっち』はカタナさんで『あっち』はあたしなんてヨソヨソしい態度には断固抗議します!」
最後の一言まできっぱりと言い切って、「やってやった感」あふれる表情で腕組みする少女。それをカタナは、心底眩しそうに眼を細めて見た。
「……きみは、なんて言うか……つくづくすごいなあ」
「え?」
カタナの中でルミルが重要な位置を占める人物だとは、あの夢を見るまで自覚さえしていなかったのに、ルミルの方ではこんなにも当然の話だったらしい。
しかも、自分が彼女に抱いていた隔意も見抜かれた上に喝破されてしまった。正直カタナは、人間の器というものではとてもこの少女に敵う気がしなかった。
「そうだな。確かに、失礼なことをしてたみたいだ。すまない」
「あ、いえ、いいんですよ。あたしに話してもお役に立てることとは限らないですし。ただ、何て言うか……元気づけることくらいはできるかなって」
事実。観念して頭を下げるカタナに柔らかい表情になって笑うルミルは、齢の幼さとは裏腹に、大きな包容力を感じさせた。
それに心を解されたのか、カタナは気が付くと口を開いて――。
「きみに、話したいことがあるんだ。この後ちょっと付き合ってくれないか」
そんなことを言って、ルミルの目を丸くさせた。
●
「『車輪剣』?」
カタナ=イサギナが『ノックイン』を訪れたのと同時刻、リウ=シノバはヒューバード商会の食堂で、グイード=フーダニットと向かい合っていた。
いかに彼女の常人離れした聴力でも、今カタナが何を言っているかまでは聞き取れないのは、彼女自身を含めた多くの人間にとって幸運であった。
「うむ。お主が言うのは、エイデン剣闘士商会の剣闘士『車輪剣』ロロナ=アイゼナッハに相違あるまい。本人の背格好もさることながら、その武器はシュームザオンに二つとない物でな」
グイードは、禿頭を軽く振ってリウに説明する。
「『異装十二剣』と言っての。かつてある武器職人の傑作として知られた十二本の奇剣があった。その一本、『螺旋剣』は先代『闘技王』の愛剣になったほどの名品であった」
「あ、その二つ名は聞いたことある。何かすごい強かったらしいね?」
「うむ、『螺旋剣』は『闘王』サーザンの連勝記録を越え、二百以上の連勝を遂げた名『闘技王』であったからの。それも現『闘技王』アダムに倒されて途切れてしまったが」
それはともかく、と咳払いして。
「そんな事情もあり持て囃された『異装十二剣』も、『異装』・『奇剣』と呼ばれるだけあって使い手を非常に選ぶ欠点があった。合わぬ剣闘士には宝の持ち腐れよ。さらに作者もすでに亡く、今ではほとんどが散逸してしまったが、『車輪剣』は所在のはっきりしている数少ない一つ。しかしまさか、闘技場でヨナンを斬るのに用いられるとはの」
「何か、『アダムの命令だ』みたいなこと言ってたけど。あと『剣闘を汚した報いだ』なんてことも」
「ふぅむ」
一つ頷いたグイードは席を立つと、奥の卓に置いてあった一冊の冊子を手に戻って来た。
かなり分厚く、ちょっとした辞典のような雰囲気だ。
「それは? 何かいつも隅っこに置いてあったヤツだね」
「これは、シュームザオンに居る全ての剣闘士の情報をまとめた名鑑でな。組合が毎年出しているもので、これは去年の版、一番新しいやつだの」
そう言って、グイードは眼を細めてページを繰り始める。
「え、そんなのあったんだ。知らなかった」
「お主も今年の分が出たら載ることになるぞ。まあこれを持っておるのは組合関係者か、せいぜい物好きな剣闘愛好家が用品店などで買うくらいではあるが……お、あったあった」
グイードが開いて見せたのは、エイデン剣闘士商会所属の剣闘士たちの載っている項目。一番目を引くのは、言わずもがな、『闘技王』アダム=サーヴァだ。
「うわ、一人で丸々三枚も使ってる。他の無名剣闘士は五人まとめて一枚とかなのに」
「その後ろを見よ。エイデン商会に剣闘士は三人。『無刃』のアダム。『旗使い』のディム。そして、『車輪剣』のロロナ。いずれも他に類を見ない特異な剣闘士よ」
説明を聞きつつリウは、ぺらぺらと紙をめくり、程なく目当ての人物を見つけた。
「さて、こいつか。えっと、去年時点で十九ってことは今二十歳になるかどうか……って、なにこれ!」
「見ての通り。『それ』がロロナ=アンゼナッハという剣闘士の成績だの」
リウは驚きに声を上げ、グイードは目を伏せる。
「デビューから丸三年で……通算成績、27戦、26勝――剣闘殺害数、26」
異常。
一言で言って、そうとしか評することのできない数字がそこにあった。
「『車輪剣』と戦ったものは、一人の例外を除き、全て剣闘場で生命を落としておる。この数は、今年に入ってさらに四つ増えておるがな」
剣闘場にて、三十からなる屍の山を築いたのが、若干二十歳のしかも女性だとは、リウにも流石に信じがたい。
裏稼業でも、たった三年でそれだけの人間を殺せる者がどれだけいるか。しかも無抵抗のものを一方的に殺すのならいざ知らず、正面からの戦いで、だ。
と、そこでリウは、この成績にもう一つ気になる点を見つけた。
「って、三年でこれだけ? イヤ、殺った数じャなくって、戦った数。少なすぎない?」
剣闘士になってから一月と半分ほどのカタナやリウがすでに十戦近くこなしているのだ。三年以上活動していた剣闘士が三十戦程度というのはいかにもおかしい。
「もしかして。あんまり殺し過ぎるから、誰も当たりたがらないってこと?」
リウが口元を歪めて推測を口に出す。出した剣闘士が次から次へと殺されては、彼女と当たりたがる商会など出て来ないだろう。
しかしグイードは、それに対して首を横に振った。
「いや。そう言った面も確かにあるがの。それ以上に、実は儂ら剣闘士の間では、ロロナ=アイゼナッハは『剣闘士』と言うよりも『処刑人』に近い立場にあるのではと言われておる」
「処刑人?」
「うむ。何かの犯罪行為や不正に関わった剣闘士を、表沙汰にせず剣闘という舞台で合法的に始末するための殺し役。それが『死者の刃車』――奇剣『車輪剣』を持つ夜叉姫の正体なのではないか、とな。実際、彼女に殺されたものは、多かれ少なかれ黒い噂を囁かれていたのは事実」
ある者は対戦相手に金品を渡して勝ちを買おうとしていた。またある者は剣の腕を悪用して市民に非道を働いていた。
そうした噂のある者は皆、ある日剣闘場で、『車輪剣』の軋む音と共に、『死』の訪れを知ることになった。
「狼藉者がそう頻繁に出ることではないが故に、自然、粛清者の出番も限られている、というのが、大方の推測ではある」
戦う者を皆殺しにしているのではなく、殺すべき者と戦うことを役目とする剣闘士。確かにそれならば、未だに彼女が剣闘士として活動を続けていられる理由も納得がいく。
何のことはない、リウがかつていた影の世界と同じだ。誰かを殺すことで得をするものがいるのなら、殺す役を受け持つものもいるだろうというだけの話。
そして、その『処刑人』を使う者が、剣闘士の頂点である『闘技王』――。
「しかし、解せんな」
グイードが、ぼそりと呟いた。考えに耽っていたリウは琥珀の瞳を瞬かせて老剣闘士を見た。
「グー爺、何か?」
「今言ったような事情ならば。何故、今回は剣闘で殺さなかったのかの? ヨナンが悪事を為していたとしても、『剣闘中の事故』という形式が無くてはただの殺人犯ではないか」
「あ」
盲点だった。リウは諜報員時代の感覚を引き摺っていてうっかりしていたが、これはれっきとした殺人事件だ。と言うか――。
「そもそもボク、通報してないし」
「なぬ! おいリウ坊……だからお主に聞くまでヨナンの死を聞いた覚えがなかったわけか!」
孫を叱りつけるようなグイードの剣幕に、リウは首を大きく振って抗弁する。
「イヤ、だってあまりにも自然にぶった斬って行くんだもん! 斬るだけ斬ったら死体も置きっぱなしで帰ってったしアイツ!」
その一言に。
「は?」
「え? ――あ」
グイードと、言った本人のリウも一瞬遅れて気付く。実行犯は死体を置き去りにして消えた。そして、殺人事件の話が出ていない以上、少なくとも公にはヨナンの死体は発見されていない。ということは――。
「誰かが、死体を持ち去った?」
「……そうとしか、考えられん」
リウの言葉に、グイードも眉をひそめて首肯する。
「『車輪剣』に指示を出したもの――『闘技王』配下の誰かが隠蔽したか」
「それはない。知られて困るなら部外者のボクの目の前でヤったりしない。つまりアイツには、誰に知られても構わないって考えがあったはず」
両者は顔を見合わせて頷きを交わす。
「となると、残る可能性は一つか」
「うん、殺した側に隠す気がないなら、残るのは殺された側」
ヨナンは殺された。それが公になれば、当然捜査の対象となり、被害者の身辺も探られることになるだろう。
「ヨナンの周囲を調べられたら不味い立場のものがおる、ということか」
「しかも、相当の情報網と、権力か財力を持ってなきャこんなことは不可能だね」
最初からヨナンの周辺に監視を付けていたのか。それとも発見者に官憲より早く接触し、その口をどういう手段によってか封じたのか。究極的には捜査する都市警に圧力をかけたのか。いずれにせよ、個人や生半な組織でできることではない。
「……リウ坊。この件、迂闊に踏み込むべきことではないかもしれんな。単なる悪党剣闘士の粛清とは、いささか趣が違っておる」
グイードが、重々しい口調で告げる。彼はその長い剣闘士としての経験から、事態の根深さを直感しているようにリウには見えた。
「ま、ね。他人事と言えばその通りだし。ボクらが首を突っ込むことじャないかな」
そしてそれはリウも同感だった。帝国最強の『闘技王』や処刑人とされる『車輪剣』が、一体『何』と争っているのか、気になると言えば気になるが。
「知らない方がいいことってのは、あるもんだしね」
それは、諜報員として多くに秘密に触れ、また知ってしまったものを『処分』した経験もあるリウの、偽ることなき本心だ。
「あー、何だか話し通しで疲れたな。速くカタナと訓練でもして身体解したい。ここ何日か、カタナは動けなかったし」
「お主は随分カタナに懐いたものよ。カタナがウチに来るまではロクに顔も出さず部屋に篭ってばかりであったのが嘘のようだの」
「いーでしョ別に。ボクだってらしくないと思ってるヨ」
「はっは。同期と言うやつは良くも悪くも他人ではいられんよ。競い合い、比べ合い、長い剣闘士生活を共にしていくものよ。若いのう」
そう言ってグイードがむくれるリウの銀の髪を乱暴にかき回し、リウが反撃でグイードの禿頭をぺちぺちと叩き返したのをきっかけに。
「こらっ、待たんかリウ坊! 人の頭をはたきおって!」
「先に手出したのはグー爺でしョー!」
祖父と孫ほどに歳の離れた二人は、先程までの深刻な空気も忘れて食堂内で小競り合いを始めたのだった。
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「喰いついたか」
『闘技王』アダム=サーヴァは、顔を出したミスマに声を掛けた。
「ああ。ばっちりだ。ヨナンの死体を回収した手下を尾行したディムが巣の入口を突き止めた。上手いこと誤魔化しているが、相当数の人の出入りがあるから間違いない」
エイデン商会会長ミスマ=ベイフは、普段の軽薄な様子はそのままに、どこか鋭さを感じさせる眼でアダムに言葉を返す。
「しかし、突き止めたはいいがこれからどうする? お前は常に監視付きで、気取られず突っ込むこともできないし、ディムは動かせない。もたもたしてると引き払われる」
「ロロナがいる」
アダムは、ミスマの問いに当然のように答える。右腕が塞がったなら、左腕を使えばいい。
「アダム! 前から言おうと思っていたが、お前はロロナに血を流させ過ぎだ。俺たちの中で一番若くて、しかも女だぞ? 『処刑人』の役といい、いつまでやらせるつもりだ。今回だって、一歩間違えれば牢獄に叩き込まれかねない危険な橋だった」
ミスマの責める言葉にも、無表情の『闘技王』は微かに首を振るばかりだ。
「全て本人が納得していることだ。それに……今回ばかりは止めても無駄だ」
なぜなら、と彼は小さく呟いた。
「地下闘技場には、『車輪剣』の兄弟剣があるからな」




