泡沫の故郷
丸二日吹き荒れた嵐が通り過ぎた翌朝のシュームザオン。ロロナ=アンゼナッハは、自身の所属するエイデン商会の手狭な訓練場で一人、己の愛剣である『車輪剣』を振るっていた。
「……ハァ!」
赤銅の眼を細めて、武器を振り抜く姿は真剣そのものである。
『車輪剣』は、巨大な剣だ。刃渡りだけで二メートル。当然重量もかなりのものになり、優に大剣三本分の重さがある。
これを自在に振り回せる者は、おそらく人類には一人もいない。単に同等の重量物を持ち上げるだけでも大の男二人は必要だろう。
当然、使用者であるロロナも例外ではない。彼女の腕力は、確かに女性としては鍛えられている方ではあるが、それだけだ。人外の膂力を持っているわけではない。
では、今彼女はどのようにしてこの巨大な武器を振るっているのか。その答えの一つが、この剣の銘にもある「車輪」だ。
片刃の刀身の切っ先部分に杭を打ち付けるように貫いた短い車軸。その両端に鉄製の車輪が峰側に取り付けられており、移動時にはこの車輪で運搬することが可能となる。
ロロナが柄を握った状態のまま『車輪剣』を引くと、切っ先の車輪が土を蹴立てて回転し彼女の動きに追随するのだ。
動かそうにも持ち上げられないほど重いのなら、持ち上げなくとも動かせるようにすればいいという、実に強引かつ合理的な設計である。
「ふっ!」
車輪の勢いのまま、ロロナは『車輪剣』の峰を肩に担ぐように持ち上げ、一気に振り下ろす。
数瞬だけ重力の束縛から逃れた『車輪剣』は、踏み固められていたはずの訓練場の土に、地響きを立てて亀裂を刻む。
落下、と言うよりほとんど墜落と表現すべき衝撃は、大地が悲鳴を上げたかのようだ。
これこそが『車輪剣』の斬撃。ロロナは自らの肩を梃子の支点として、本来持ち上げるのも困難な重量を跳ね上げたのだ。
「――ふぅ」
自身より巨大な武器を苦もなく振るった少女は、一つ大きく息をつくと『車輪剣』の峰を返して天を向いた車輪を地に戻す。
「ロロナ! アダムがお呼びだよ」
と、さらに素振りを続けようとした彼女の背に、若い男の声が届いた。
「ミスマさん」
聞き慣れた声にロロナが振り向くと、エイデン剣闘士商会の主、ミスマ=ベイフが立っていた。寝起きなのか、その服装は少し乱れており、癖っ毛が普段以上に荒ぶっている。
「……いつも思う。なぜ雇い主の会長が雇われてるアダムさんに使われて?」
ロロナの呆れた視線にも、彼は呑気に手をひらりと振って笑みを返す。
「だって、アイツがいないとウチの商会って即潰れるしー? そもそも運営資金の八割はアイツに剣闘の賞金貰ってなんとか回してる状態だしー? おれは形式上雇ってる側だけど、ぜんぜん頭が上がんないのさー」
雇われ商会長って感じだよねー。と自虐的なことをあっけらかんと言うミスマに、ロロナは反応に困って目を逸らした。
「じゃ、私は行くので」
「はいはい。そこの穴は商会長さんが埋めとくよー。だって雑用してくれる職員いないからねー」
あんまりと言えばあんまりな言葉を背に去って行くロロナは、自分を見送るミスマの眼にある、気遣わしげな意思には気付かなかった。
●
カタナ=イサギナは、夢を見ていた。
(……カタナ)
『そこ』でカタナを呼ぶ声は誰のものでもなく、同時に『彼ら』全員のものだった。
(イサギナの生き残り、カタナ)
カガマ=ギドウとの剣闘の後気を失ったカタナは、気付いた時には(気が付いていないからこそ夢なのだが)『この場所』にいた。
(おかえりなさい。『わたしたち』の子)
『ここ』にあるのは、故郷であるイサギナの村の風景。カタナは村外れの斜面から、思い出のままのふるさとを眺めていた。
背の低い家々の狭間に、僅かな耕作地とあぜ道が通る。まとまって家が建てられる平坦な場所は高山には限られるため、人口の割にその密度は高かった。
(人を殺したのだな、カタナ)
風に吹かれるその言葉は父のように。その響きは母のように。そしてその無邪気な声音は弟のように。
(よかった。よく生き残ってくれたね。カタナ)
親切な薬師のおじさん。偏屈な狩人のじいさん。隣の家のおばさん。かつてカタナが生まれ育ったイサギナの村に生きていた人々の声が、縒り合さって一つの言葉になっていく。
(他人を殺して、カタナは生きる。それでいいんだよ)
現実では有り得ない光景と言葉が、今が非現実だと告げていた。『彼ら』はもういないし、イサギナの村は朽ち果てて消えているはずだ。
(ああ、『わたしたち』のカタナ。大事なカタナ。どうかいつまでも無事でいておくれ)
カタナは何も言わず、彼を言祝ぐ姿なき声を聴いている。
(だって、カタナが死んでしまったら、『わたしたち』はどこにもいなくなってしまうんだから)
『彼ら』は、そうして各々カタナの周りを取り囲む。姿も見えず、熱も感じない。しかしその意思は、四方八方にわだかまって離れない。
(『ここ』で、カタナの中で。『わたしたち』はまだ生きているんだ)
何故なら、カタナは『彼ら』全員を――。
「もういいだろ。早く出て来てくれ」
カタナは、輪唱する生地の声を遮った。
「この状況で、お前がいないわけないだろ――××」
この名前を、カタナは覚えていない。しかしなぜか、今だけは口にすることができた。
そしてその呼び声に答えるように――。
「あは、バレた?」
カタナの背後から、明るく弾む『声』が響いた。
「久しぶりだったから、出て来るのが照れくさくって。あわよくば『みんな』に全部お願いしようと思ってたのにな」
『彼ら』のものとは比べ物にならないほど鮮明にカタナの耳――否、心に届く少女の声。
「何年ぶりだろう。村が滅んで以来だから、十年くらい?」
その声は、名前さえ記憶の彼方に消えてしまった幼馴染のものだと、何故かカタナは確信していた。
「元気だった? カタナ」
死者は、そんな風に再会の挨拶を告げた。
●
「一応言っておくけど、これは別に『あたしたち』のタマシイとかがカタナの中に宿ってる、ってわけじゃあないのよ」
××は、カタナと背中合わせになるように立ったまま、そう言った。
「『あたしたち』は、カタナの心の、いっとう深いところにある意識。カタナ自身も普段は気付いていない、頭の中にある井戸の底のコダマがこんな形で現れているだけ」
だから、と息をつく。にへら、と口元を緩めたのが、見なくともカタナには分かった。
何故なら、彼女ならここではそうするだろうと『カタナ自身が』思ったのだから。
「『みんな』の声は、人を殺したカタナ自身の罪悪感と葛藤のあらわれよ。剣闘でカガマ=ギドウを斬ったことは、帝国の法では罪にならないとしても、カタナの中に傷として残った。だから『みんな』はカタナを責めもしないし本当の意味で慰めもしない、あんなちぐはぐな言葉しか言ってくれないの」
深層心理、という言葉をカタナは知らないが、感覚としては理解していた。何せ普段意識してはいなくとも自分の心のことだ。
そもそも誰にとっても、夢とは自己の内面と向き合う性質を強く持っている。である以上、夢を見ている時はそうした領域を受け入れられなければ話にならない。
つまり『彼ら』の言葉にある気味の悪さは、まだカガマの一件がカタナの中で整理がついていないという証しだ。
「あたしの言葉も同じ。『あたしならこう言うだろう』ってカタナが思っている言葉を話しているの。や、正確には、『こんなことを言いそうなのは誰だ』って検索の結果、あたしが出て来たってことなんだけど」
「だから、××の姿がおれには見えない?」
「そ。カタナは今、あたしがどんな姿か想像できないし、見たくないのよ。あたしは十年前に死んだきり、成長できてないもの。それをそのまま持って来ると『幼馴染』って認識から外れちゃう」
少しだけ間を置いて。
「おまけに最後に見たのがアレじゃあね。ま、アレで出て来るのはあたしだってカンベンして欲しいからいいんだけどさ?」
「……」
カタナは沈黙。最後に抱いた彼女の躯のことは、今でもまだ心の底に沈んだままだ。忘れもせず、思い出しもせずに、ただそこにある。
「どうしても顔を合わせて話したいってことなら、誰か別の人の姿を借りてもいいけどね。誰がいい? レレットちゃん? リーリちゃん? それともルミルちゃんかな? あ、今この娘たちを思い浮かべたのも、もちろんカタナ自身の無意識だからね。てい!」
なぜか。いきなり彼女にぼけらっ、と殴られた。
不条理だ、とカタナは思う。そして彼女らを思い浮かべたのも自分なら、それに対して殴るのも結局は自分。
「あーもう、わかったよ。とりあえずお前は××ってことにしとく。で、結局のところ何を言いに来たんだよ?」
もはや収拾がつかなくなりそうだったので無理やり割り切ったカタナが尋ねるが、帰って来たのは、どこか間の抜けた、きょとんとした声。
「ん? なーんにも」
「は?」
「いやだから、あたしが今さら改まって言うことなんかないのよ。それがあたしの言いたかった言葉」
カタナにはその意味が理解できない。我ながらと言うべきか、支離滅裂だ。わざわざ夢に出て来てまで用などないと言いに来るとは。
カタナの無理解が伝わったのか、××は、はあ、とため息交じりに言葉を継ぐ。
「生命を奪うことの意味なんて大きいことを一人で考えるな、って言ってるのよ、あたしは」
そうして、カタナの頭を後ろから撫でて。
「いい? 今のあなたは山で独り、獣のまま走っているわけじゃないのでしょう? カーン師匠に叩きのめされて正気に戻り、『あの人』に救われて、剣闘士を目指したのでしょう? ……今は、仲間がいるのでしょう?」
彼女は限りなく優しい声で、カタナを促す。
「……ああ。おれは、あの頃とはもう違う」
「だったら、頭の中で独りで考え込んでいないで、周りの人の言葉を聞きなさいな」
やわらかな両手がそっと、カタナの顔を包む。
「疲れたら、また話し相手にはなってあげるから。今は起きて、進みなさい……剣闘士さん」
その言葉が契機に。靄が晴れた様に意識が急速に引き上げられていく。目が覚めるのだと、本能的に理解する。
「ありがとな。……××」
己の影だと分かっていても。カタナは、こんな風に自分を励ましてくれた懐かしい幼馴染に、子供の頃のように素直な言葉を残して現実へと還って行く。
「……じゃあね。がんばれカタナ」
薄れていく夢の領域で、そんな言葉が最後に聞こえた。
これはカタナ以外誰も知らない。静かでささやかな、夢の一幕。
カタナ=イサギナはこうして現実に――剣闘都市に帰還した。
●
「死んだ? カガマとヨナンが?」
青年は、意外そうにその文面の内容を口に出した。
三十歳のいくつか手前、ひょろりとした体躯の男だ。仕立てのいい紳士服をさりげなく着崩している姿はいかにも飄々とした風情を持っている。
彼は最高級の椅子にかけ、広い黒檀のテーブルいっぱいに書類や本、何が入っているかも分からない小瓶などを広げていた。
青年は、首を傾げたまま器用に上をふり仰ぐ。その視線の先には、空ではなく武骨な石造りの天井があるばかり。窓もなく、一つきりのドア以外はどこにも繋がっていないその部屋は、広さの割に圧迫感が甚だしいが、青年は気にした風もない。
「んー、どちらか一人だけならともかく、二人ともか。こいつはちょっとばかり予想外かなー」
数秒の間を置き、気を取り直した青年はさらに文面を読み進めて行くが、眼が先へ流れるにつれ、その表情が訝しげなものになって行く。
「……ヨナンを殺した奴は不明。まあ死体の状態から考えて『闘技王』配下の首斬り姫だろ、しつこい娘さんだこと。こっちはまあ予想の範囲内」
呆れたような声とともに、紙の一枚を放り捨てる。
「……で、問題はこっちか。カタナ=イサギナ」
じっ、と文字列を追う眼光に鋭さが宿る。
「年齢は十七。出身地、ヴィーエン辺境伯領イサギナ村……どこだこれ? これまでの成績は八勝無敗、剣闘中の殺害は今回のカガマが初」
ぶつぶつと呟きながら文面に記された情報を追って行く青年が、ある一点で、げっと呻きを上げて動きを止めた。
「……『闘王殺し』の弟子。またとんでもない厄ネタですこと。こういう情報はもっと早く下ろしてくれっての。こっちは『地下』からほとんど動けないんだから」
青年はそのまま、宙に目線を据えて思考に沈む。
「正直、あの二人が死んでもそう大きな痛手じゃない。ヨナンに重要な情報は与えていなかったし、物証も『くれてやった毒薬』以外はないから、やつらからコッチの核心に辿られる心配はない」
ヨナンのぶっちぎれ方は嫌いじゃなかったけど、と小さく声を響かせて。
「むしろカガマの穴埋めが面倒だなー。あいつくらいの腕の剣闘士なんてそうそう転がってるもんじゃないし。今できるのは警戒と追跡調査くらいだけど、それだけってのも芸がない……」
がしがしと、襟首辺りまで半端に伸びた髪をかき回していた青年は、やおら立ち上がって声を上げた。
「つまらん仕事はまとめて済ますに限る! 調査と人員補充、一緒にやっちまおう。大体カガマ殺ったのはそいつなんだし、穴埋めして貰わなきゃなー」
そして青年は誰にともなく、芝居がかった言葉を告げた。
「カタナ=イサギナ。地下闘技場――『人斬り剣獄』にご招待ってね」




