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剣闘のカタナ  作者: 某霊
二章 1.背信の剣闘士
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砕けた槍に花束を

 『大鎌』のヨナンが、闘技場内部で絶命したのと同時刻、カタナ=イサギナとカガマ=ギドウの戦いは最終局面を迎えようとしていた。


「――が、ハァ!」

 カタナの体力は既に限界を超えていた。咳き込むと同時に血反吐がせり上がって来る感覚が厭わしい。

 剣闘開始から既に三十分近く。本来ならとうに倒れているところを、リウによって二重に施された解毒・回復作用と、カタナ自身の『血』がもたらす持久力。何よりこの戦いに賭ける想いでここまで食い下がって来たのだ。


「ぐ……おぉ!」

 一方のカガマの方にも余裕は無い。

 本人も得物たる『十字槍』も、ここに至るまでの戦いで満身創痍だ。左腕は動かずだらりと下がり、右手で握った槍は両翼を失い、全体が歪んでいる。


 雨は一向に降り止む様子を見せず雷鳴も響いているが、観客は濡れ鼠になりながらもほとんど数を減らしていない。

 誰もが息を呑み、「死闘」と呼ぶに相応しい戦いに見入っている。


「っ、らぁ!」

 下段からすくい上げるカタナの斬撃が槍を潜り抜け、カガマに迫る。


「させん!」

 カガマは動かない左腕を無理やり回して防御。鎧ごと切り裂かれた肩口からおびただしい血が噴き出すが、一切構わず右腕の槍を突き下ろす。


 咄嗟にカタナは濡れた砂利に滑るように倒れ込み、顔面を貫かんとする突きを際どいところで回避する。

「つ、あぁっ」

 片手の突きで伸びが甘かったのが幸いし、カタナはそのまま転がるように距離を取る。


「……!」

 そして、片膝立ての状態で硬直した。


(足が……動かない!)


 剣闘開始から酷使され続けていた足の筋肉がここに至ってついに力尽き、カタナは己の身を立たせる力さえ失ってしまっていた。


「ぐっ!」

 無理にでも両足で地を踏もうとするが、利き足である右が全く反応しない。

 ぞっ、とカタナの全身の肌が粟立つ。身動きの取れなくなった状態では、槍の的になるだけだ。


 だがしかし。


「ぬ、うぅ……!」

 カガマもまた、槍の石突を地に突いてその場に立ち尽くしていた。

 見れば、彼の左腕は雨の中でも明らかなほど真っ赤に染まっている。二度に渡るカタナの斬撃は、カガマの肉体から相当量の血液を奪っていた。


 双方、焦燥に駆られつつも動けない。奇妙な硬直が生まれた。


「……全く。新人相手にこれでは、いくら貰っても割に合わないな」

 望まず生まれた間を埋めるように。カガマが、苦みを混ぜて痩せた顔をほころばせた。


「……あんたが気にするのは、金だけか」

「他に何がある。剣闘の価値など、それだけだ」


 そして両者は、刃の代わりに言葉を交わす。


「誰かを叩きのめせば栄光が手に入るのか? 衆人環視で野蛮な芸を披露すれば名誉なのか? ……人を殺せば英雄になれると、本気で信じているのか? お前たち剣闘士は」


 呼吸を乱しつつも、カガマはカタナに問い掛ける。それは少年の精神を動揺させる手管なのか、それとも。


「俺はもう剣闘士ではない、か。ああ本当に、そうあれたら良かったのにな。俺はもううんざりだ。何故戦わねば生きていけない。ただ静かに満たされることができないんだ」



「カガマ。あんたは……」

 カタナの声を遠く聞きつつカガマは考えを巡らせる。本当に何故、自分は剣闘士を続けているのだろうと。

 ヨナンに勧められるまま今の商会に所属し、戦っている理由は何だった?


 金か。確かに剣闘はいい稼ぎになるが、こんな虚しさを抱えてまで金を稼ぐ意味があるのだろうか。


 あるいは最初からこうだったのか。カガマのぼやけた記憶のどこを探っても、己が剣闘士となることを決意した理由は出て来ない。


 いや、思えば以前から、自分はそんな疑問を持っていたような気がする。

 自分はどこに踏み出したいのかわからぬままに、ただ過ぎ行く時間に置いて行かれまいと戦い続けて。そして戦う度に大切な何かを浪費しているような罪悪感と喪失感。


 だからこそ、とカガマは思った。


 だからこそ、自分は心を見失っても何の恐れも感じなかったのだ。

 心がなければ、これ以上何とも知れない喪失感に襲われることもないのだと、カガマは安堵さえしていたのではないか。


 だが今、自分と対極とも言える姿勢で剣闘に挑む少年と戦っている中で、初めてカガマの裡に疑問が芽生えた。


 己は何故戦っているのか、と。

 もともと食い扶持を稼ぐための金を求めていたのか。それとも目の前のこの剣闘士のように、譲れない何かを持っていたのだろうか。


 と、カガマはふと気付いた。この剣闘士、カタナ=イサギナは――。


「なあ、『闘王殺し』の弟子よ」

 血反吐を吐いてもなお戦う、若くも荒々しい、闘争の神の系譜に連なるものよ。


「お前は何故、そんな様になっても戦うんだ?」



 それは、カタナがシュームザオンに現れてから今まで、誰にもはっきりと答えたことのない問いだった。


「……」

 カタナは無言。カガマの問いに固まったように動きを止めてしまった。


「まさかあれだけ剣闘士の矜持を語っておいて、何もないわけがないだろう?」

 カガマは、じゃり、と足を僅かに動かしつつ問いを重ねた。失血が収まり、少しずつ体力が戻っているのか。


「……どうしておれの理由を気にするんだ。あんたが」

「気になったから、ではいけないか? 俺とは真逆、剣闘に誇りと価値があると信じる男は、何を求めて闘技場に挑んだのかに興味がある」


 かつてカタナと出会った日にレレットが同じことを訪ねた時、カタナはこう答えた。

 『約束がある。強い剣闘士になって、しなければいけないことがある』と。

 それは嘘ではない。だからこそカタナは修業の日々を過ごした北の山脈を離れ、シュームザオンへと旅立ったのだ。


 カガマを見る。

 二つ名を得るほどの剣闘士でありながら剣闘を無価値と断じ、名の元である『十字槍』を不本意な間に合わせと卑下し、戦う理由は金だけだと言い切る男を。


「おれは……」

 カタナは、迷ったように不明瞭な呟きを零す。彼にしかわからない葛藤が、確かにある。


「それとも本当に、大した理由もなく剣闘士になった口か? だとすれば、随分間の抜けた話だな。お前自身が、剣闘士の存在の薄っぺらさの象徴のようだ。正面だけ整えたハリボテの見世物、ガキのチャンバラ遊びの延長だ」


 わざとらしく嘲りを込めたカガマの言葉。

 カタナの眼に、炎が灯った。



 かかった。カガマは内心で頷いた。

 上手いこと挑発できたと満足する一方、どうしてここまでカタナの答えを聞きたがるのか我ながら不思議だった。

 まるで、彼の答えを聞けば、自分自身の答えも分かると感じているかのようで。


「黙れよ。お前が剣闘士を語るなと、さっきも言っただろう」

 声とともに、カタナが立ち上がった。


 力の入らないらしい右足に重心を置かず、残った片足で身体を支えているような不恰好な姿だが、それでも立った。

「おれの目的? そんなに聞きたいなら聞かせてやるよ」


 少年の眼は、カガマにはまるで雪原の狼のように見えた。


 獲物がいるかもわからない凍った世界を、生命の限りに疾駆する一個の獣。

 どうせ何もないと、巣穴で眠るような堕落は何があっても選ばない。走り抜けた先にはいぼくを晒そうとも、走り続けねばしょうりは訪れないと知っているものの眼だ。


 そして。


「おれの目的は、闘技場の頂点――『闘技王』を獲ることだ」


 カタナ=イサギナは、暴風雷雨の只中でそう言った。


「そして、かつておれを獣の世界から救ってくれたひとに会いに行く」


 帝国に剣闘士は公称三万人以上。志望者を含めれば十万を大きく超える。

 その頂。文字通り一国の王に等しい価値を持つ称号が『闘技王』だ。

 すなわち――。


「――()()()()?」

 気が付くとカガマは、呆気に取られてその言葉を放っていた。


「獲れると思っているのか? 帝国全土の都市、それぞれの最強格である一流剣闘士が集う建国記念祭で優勝し、さらに当代『闘技王』を越えなければ得ることのできないその座を?」

 帝国剣闘、四百年以上の歴史の中で、その称号を得ることができたものは百人に届かない。対して、剣の玉座を夢見て、しかし指先を掠らせることすらできずに消えて行ったものは数百万を超えるだろう。

 それほどの断絶。それほどの高み。一時代を象徴する存在が『闘技王』だ。


 しかし、途方もない困難事に挑む理由を、カタナはどうと言うことも無いように言ってのけた。

 一点の曇りもない、本気の眼で。


「約束したんだよ。『誰よりも強い剣闘士になる』ってな。それを成し遂げるなら、『闘技王』になるしかないだろう?」

「……は」

 その、あまりに子供っぽく単純な言葉に、カガマは我知らず、笑みを浮かべていた。


「く、くくくく……あっはっははは!」

 だからカガマは、堪えることなく笑った。

 心底おかしそうに、嵐さえも打ち払うように軽やかに。


「は、は。そんなに、『夢のような夢』を聞いたのは、いつ以来……だろうな。くっ」

「そうかい良かったな」

 発作のように笑いつつ語りかけるカガマに、ぶっきらぼうに応じるカタナ。


「別に、馬鹿にしているわけじゃないさ。そうか、約束があるのか。では仕方がないな。お前は剣闘をせねばならない理由があると納得したよ」


 つくづく、自分は何をしていたのだろうとカガマは思う。

 どうやら本当に、自分は剣闘士ではなかったらしい。あるいは、人間ですらなかったのか。


 カガマが持つ、ただ安楽に生きていれば、誰が傷付いても、己が蝕まれても構わないという思考は、もはや獣ですらない虫の了見だった。

 一度そう気付いてしまえば、いかに自分が過ち続けて来たかは瞭然だ。


 人は、生きている限り何かを求めずにはいられない生き物なのだ。それは時に欲望や妄執と言えるものにもなるが、目の前の少年のように、決して折れることのない決意ともなる。


 何かを成すと決めた人は、こうも強く、美しい。


「最初からなかったのか、それとも失ったのか。いずれにせよ、もう俺にそんな想いはないんだな」

 カガマに残っているのは、蝕まれ傷付いたこの身と、同じく傷だらけの槍一本。


 こんな自分にできることは何だろう。彼はふとそんなことを考える。

 今の自分にも、今からでも決意を持って行えることがあるのだろうか。


 だが、すぐに気付いた。

 その答えは一つだけ、()()()()()()()のだと。


「――っはは」

 結局、カガマにできることなど、目の前の相手と全力で戦うこと。ただそれだけなのだった。どんなに剣闘を疎んじていても、やはりカガマにはそれしかない。


「なあ、カタナ=イサギナ」

 そして。

 そう言えば、この少年は自分の後輩にも当たるのだなと、カガマは今さらに気付いた。



「『闘技王』を、余り甘く見るなよ――新人が」


 カタナは、カガマの気配が明らかな変貌を見せたことに瞠目した。

「な……」

 今までの、冷徹なほどに落ち着き払ったものではない。牙を剥く蛇竜のような、剥き出しの戦意。


「今の貴様では、当代『闘技王』であるアダム=サーヴァに触れることすら叶わないだろう。大人と子供どころか、竜と鼠ほどにも格が違う」

 片手で構える槍が、嵐の中でぴたりとカタナの眉間を指す。不可視の圧力に、カタナはほとんど痛みすら感じた。


 二つ名持ちの剣闘士、『十字槍』のカガマが。全霊を露わにしていた。


「それでも頂点へ挑むと言うなら、なあ――」

 言葉は途切れたが。続く意思はあまりにも明白だ。

 カガマの眼が、構えが、槍が。彼の全てが言っている。


 ――この一撃を越えて見せろ。己はこの『十字槍』より強いのだと示して見せろ。

 さもなくばここで散れ。今敗れるような器なら、どの道『闘技王』には決して届かぬと知れ。


「……カガマ」

 カタナは、今初めてこの男と向き合えたような気がした。彼から伝わってくる戦意と、ある種の親愛の情。


 これが本当のカガマ=ギドウ。彼が毒に穢れる以前の姿の――片鱗だ。


 カタナは、『姫斬丸』を両手で握り、肩に担ぐように構える。どう足掻いても、今の体力では小細工も駆け引きも不可能。ただ一撃に残りの力を注ぎこむしか道はない。


「おれは、『闘技王』になる男だ。今からあんたにも、認めさせてみせる」

「やれるものなら――な」


 そして両者は、その言葉を最後に口を閉じた。

 続く激突でこの戦いは終幕すると。カタナには、そして恐らくカガマにもわかっていた。



 先に動いたのはカガマ。裂帛の気合とともに、槍を突き出す。

「威、嗚呼ぁ――!」

 伸びる穂先に降る雨粒が、当たる前から弾かれ飛沫へ散って行く。それほどの速さ。それほどの一撃だった。人体など、この突きの前には薄紙も同然だ。


 対するカタナは、動かぬ足を身体ごと倒れ込ませるようにして前に踏み出した。

 カガマの槍を、頭から突っ込むような体勢で迎撃する。


 奇しくもそれは、二人の最初の激突を繰り返したかのようだった。


(豪胆! だが、今度は凌げるか――?)

 刹那の間に、カガマは思う。この突きは先刻までとは冴えが違う。我ながら最高最速の一突きだ。これ以上の槍は、今のシュームザオンには存在しまい。


 もしもこれで死ぬのなら、それまでだ。だがしかし、実力でこの一撃を越えて行けたなら――。

 嵐を切り裂く剣と槍が激突する瞬間、カガマは無意識に呟いていた。


 ――本当に、『闘技王』になれるかもしれないな。



「おおぉぉぉ!」

 一閃ととも訪れた忘我の中、カタナは見た。


 宙を舞う。


 鉄の刃が宙を舞う。

 カガマの槍が、真っ二つに切り裂かれ、その穂先が――。


()()()!」


「!」

 声に、最後の一振りに限界まで力を注ぎこんでいたカタナが反応できたのは何故だったのか。

 カタナにもはや余力はなかった。しかしそれでも少年が動けたのは――。


「――ふっ」

 きっと彼の声が、まるで先輩剣闘士が後輩を叱咤するような厳しさと優しさに満ちていたからだ。



「『闘技王』を目指す剣闘士なら……。勝利するまで、気を抜くんじゃない。馬鹿が……」

 カガマ=ギドウは、仏頂面で言った。その胸に、鎧ごと貫いた『姫斬丸』を突き立てられたまま。


「なんで、声なんか掛けた」

 カタナが奥歯を砕こうかと言うほどに歯を噛み締めながら呻く。

 彼の手には、カガマの心臓を貫いた感覚がはっきり伝わっていた。脈動ごとに血が溢れ、それはカガマの生命が流れ出していくのが明らかなほどに紅かった。


 問われたカガマは、振り上げたままの槍の残骸を、名残りを惜しむように取り落した。


「俺の勝手だ」

 そしてカガマの身体が力を失い、崩れ落ちる。


「カガマ!」

 カタナが敵の身を抱いて、彼の名を呼ぶ。

 生気の失せた顔で、カガマは嵐の空を見上げ、微かに笑った。宙に、彷徨う誰かを見つけたかのように。


「何だ、まったく……そんな、ころ……仕方の、ないやつ。ほら、ヨナ……。いく、ぞ……」


 苦笑するように、誰かを宥めて促すように囁いて。


 嵐の涙に(いだ)かれて。

 後輩である剣闘士の腕の中で。


 『十字槍』のカガマ=ギドウは、最期に取り戻した己の心と共に、静けさに満ちた安息へと去って行った。



 そして。


 世界から死者は去り、生者は残され、否応なく現実と向き合うことになる。

 剣闘に「勝利」したカタナは、一人剣闘場を出て、壁内へと戻って来た。


 身体の疲労は極限で、正直歩くのも億劫だが、心は止まることを望まなかった。

 どこへともなく歩きつつ、カタナは己の裡に向き合っていた。


 今日の剣闘は、カタナとカガマの決着を最後に中断した。

 嵐がいよいよ勢いを増し、流石に続行不能とされたのだ。剣闘の打ち切られた闘技場からはもう人の気配が薄れつつある。


 静けさの中。カガマのことを思う。

 毒に蝕まれ、空虚に苛まれた彼は、いつから間違えていたのだろうか。どこまで変わってしまっていたのだろうか。昨夜彼に出会い、今日永遠に別れた自分には分からない。


 最初に抱いたのは怒り、次に敵意。その後はただただ不気味な存在で、最期にはもうカタナ自身、彼をどう捉えていたのかすら分からない。


 恐らく自分は、一生彼のことを忘れることはできない。これほど複雑な感情を抱かされた相手は初めてだった。


「……あ」

 カタナの視線の先に、人影がある。濡れそぼった商会長の正装に、水の滴る赤い髪。


「カタナ」

 ずっと観客席から見ていたのだろう。彼女の顔は、今にも泣き出しそうに震えていて、それを必死に押し止めていた。


「――レレット」

 カタナは、ほとんど無意識に彼女のすぐ傍まで歩いて行く。

 離れていたのは精々一日くらいだが、こうして近づくと彼女がやけに懐かしく感じられて、カタナの気がふっと緩んだ。


 そしてそのまま、ほとんど覆いかぶさるようにして、カタナはレレットに向かって倒れ込んだ。


「え、ええ?」

 いきなりのことに声が裏返ったレレットが、あたふたと危なっかしく身体を支えてくれるのを、急速に薄れて行く意識で感じつつ、カタナはなんとか言葉を絞り出す。


「ごめん。……レレットには、いろいろ言わなきゃだけど。今だけ、頼む」

 ただ最後に、これだけは言わなければと、カタナはレレットの耳に囁く。


「……カガマは。強い、剣闘士だったよ」


 そしてついに、カタナは気を失って眠りに落ちる。

 その間際。


「……うん、知ってたよ。でも、教えてくれてありがと、カタナ……」


 穏やかな声のレレットが、そんな風に返事をくれた気がした。


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