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剣闘のカタナ  作者: 某霊
二章 1.背信の剣闘士
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因果混迷、刃槍散華

 カガマ=ギドウは、シュームザオン中央闘技場の剣闘士控え室で瞑目していた。


 右手には己の二つ名でもある、両翼を大きく伸ばした『十字槍』を握り、規則的な拍子で穂先を上下させている。


 左手にはごつい篭手。身体に纏うのは鋼鉄製の軽鎧だ。左肩から篭手に至るまでに部分には金属の補強が施されており、逆に右腕は肩まで剥き出しだ。


 槍を操作する利き腕には一切の装備をつけていない、均衡を欠いた出で立ちはカガマ自身の歪みを象徴しているかのようであったが、カガマ本人にはそんな自覚は恐らくない。


 良く晴れて陽は高く、既に剣闘は開始され窓からは剣戟と歓声がひっきりなしに飛び込んで来るが、カガマは気に留めた風もなく静けさを保っている。


「カガマさん」

 と、ずかずかと控え室に入って来たのは『大鎌』のヨナン。

 ヒューバード商会時代に初めて会ってから、何故かカガマについて回ることの多かった剣闘士で、カガマが商会を離れた時も、すぐ後を追うようにして抜け出した。今でも何かとカガマについて回ることの多い男だ。


()()の補充、持って来ましたぜ」

 何故この男が自分に付いて回るのか、正直カガマ自身にも思い当たる節はない。特に気にかけてやった覚えもないのだが、ヨナン本人はこの現状に満足らしい。

 ヒューバードに居たころは大した才も見られず、またそれほど努力をしている風もない、惰性で戦っているような凡百の剣闘士であったのに、移籍以来の数か月で見違えるように勝ち星を重ね、今では二つ名を得るまでになった。


「ああ」

 カガマとしては、居て邪魔になっているわけではないので好きにさせていると言うだけで、実のところヨナンには大した注意も払っていない。


 自分は勝手にやるので他人も勝手にやればいい。

 要はそれだけのことである。


 槍を置いたカガマは、無造作に受け取った香水の小瓶を開けると、適当に髪や顔、胸元にふりかける。大した量の入っていない小瓶は、常の如くあっという間に空になった。

 因みにこの時代、香水は今で言うエッセンスのような薫りを凝縮したものはほとんど流布しておらず、質を量で補う使い方が主流であり消耗の度は激しい。


 辺りに広がる菊花の香り。カガマは()()()()()()()()頷いて、静かに立ち上がる。


 昔から香水は良く使っていたが、これに変えたのはヒューバードを出てからだ。


「それが今になってヒューバードとまた因縁を持つことになるとは……面倒だな」

「しかし、今日は向こうが逃げずに来ますかねえ?」


 カガマの独白を聞きとがめたヨナンが、投げ返された空の香水瓶をしまいつつ軽口を叩く。

「あの様じゃあ、闘技場に来れるかも怪しいもんだ」


「多分来るんじゃないか。どうでもいいがな」

 カガマは、昨夜の酒場で去り際に感じた、少年の凶暴な気配を思い出しつつ答えた。

 あの手負いの野獣じみた戦意は、なるほど新人離れしていたが。


「いかにも、体調不良を押して無理やり戦いそうな小僧だったからな」

 そういうやつほど早死にするのだと、カガマには分かっていた。


「へっ。どっちにしろ、勝ちは貰ったようなもんってことですね」

「勝たねば金が入らんだろう」


 カガマは槍を携えて立ち上がる。剣闘を前に、軽く闘技場の中を一回りして身体をほぐしておくのがカガマの習慣だ。


「そういえば、ヨナン」

 と、部屋を出て行きかけたカガマがヨナンを振り返った。

「今日はお前、剣闘はないだろう。何をしに来たんだ?」


「いえ、折角なんでカガマさんがヒューバードの剣闘士を叩きのめすところを見物させていただきたいと思いましてねえ」

 そう言ってヨナンは、控え室の窓を指さしてにやりと笑みを浮かべた。

「派手な勝ちを期待してますよ」


「ふん」

 呆れた気配だけを返答として、カガマは今度こそ部屋を出て行った。


 誰も彼も、ただの戦いでしかないものに意味を求めている。

 もううんざりだ、とカガマは思う。


「こんなものに――栄光も名誉も、何の価値もない」


 厭わしげに一人呟き、『十字槍』は歩いていく。

 どこからか、嘲るような笑い声が微かに響いていた。



 カガマのいる部屋とは、剣闘場を挟んで反対側の控え室。カタナは、毛羽立った毛布に突っ伏すようにして横になっていた。


「カタナ、調子はどうだ?」

 傍らでは、エインが控えている。表情は常の如く恬淡としているが、彼の眼は多少せわしなく動いていて、内心の不安を窺わせる。


「へ、へーきですよ。ここまでだって、ちゃんと自分で歩いて来たでしょう?」

 毛布からぎくしゃくとした動きで顔を上げたカタナは、精一杯不敵な笑みを作るが、エインはかえって気まずそうに口を閉じた。


「ほ、本当に、問題なんて、何にも、ないです」

「カタナ……口調が、レレットのお嬢みたいになってるぞ」

 エインは、今からでも戦うのを取り止めさせた方がいいのではないかと迷っているような気配でいたが、カタナはあえて気付かないふりをした。


「それより、すいません。防具を運んできてもらって」

「あ、ああ。大したことはない。他の連中は仕事や剣闘で手が空いていなかったからな」

 話題を変えたカタナに、エインは助かったと言いたげに乗ってくる。やはり彼としても、カガマに一矢報いたいという気持ちは抗いがたいものがあるようだ。


 カタナの身体は心配だが、カガマにみすみす勝ちを譲るのも抵抗がある。

 これはエインに限らず、オーブとグイードも同じ葛藤を抱いていたはずだ。

 それだけ、カガマの裏切りは彼らから多くのものを奪っていたのだと、当時を直に知らないカタナにも分かるほどに。

 そしてあと一人。


「レレットには、気取られてないですか?」

「……そうだな。今まで外泊などしていなかったお前が剣闘前日に帰らないから、随分心配はしていたが、事情は知られていない。カガマたちに会ったこともな」


 最大の懸念を確かめたカタナは、ほっと息をつく。せっかく前向きになって日々を過ごしている彼女に、過去の記憶を必要以上に思い出させたくはない。


「ただ、今日の剣闘は見に来ている筈だ」

「――あ」

 カタナは、エインの言葉に虚を突かれたように、身体を思わず硬直させた。

 確かに、あのレレットが剣闘前夜に帰って来なかった剣闘士の様子を気にしないわけがないと、カタナにも想像はついた。しかも相手に因縁があるとなればなおさらだ。


「となると、いよいよ情けないところは見せられないな」

 元々負けられない戦いだったのだから、どうなろうが覚悟を決めて臨むだけだ。

 そう改めて決めて、カタナは手元に握っていた小瓶に眼を落とす。


 それは、一晩を過ごした宿を出る時にリウから受け取ったものだ。



「いい? 剣闘が始まる前に、コイツを飲んで」

 両手で眼をこすりつつ、リウは言った。丸々一晩カタナの看病をし通しで、彼女も体力的に限界が近いようだった。


「残った毒を中和するアカネツタと一緒に、いくつかの薬を混ぜて活力剤になるようにしてあるから、カタナの吸収力なら十分身体が動くヨウにはなる思う」


 リウの言うところによると、アカネツタ自体、ある種の強壮剤や、強力な興奮剤などの原料として使われることが多かった植物であるという。

「でも、昨夜言ったように効果に比例して毒性も強いから最近では滅多に使われないヨ。ボクも手持ちは今回ので使い切ったし」


 そこでリウは、眠たげな表情を改めてカタナを真っ直ぐに見た。

「カタナ。今のキミは一晩中水分を出し切っては補充しての繰り返しで、毒と一緒に体力も絞り出した状態だ。三日分絶食してたようなものだと思っていい」


 だから最大で五分。と彼女は言った。

「ボクの見立てでは、いくら『血』の恩恵のあるキミでも、五分以上戦えばもう動くこともできないと思う」


 理想を言えば、最初の一撃で決めるべき。失敗した場合は、降参も考えるようにとリウは告げる。

「残った体力が尽きる前に、引き際だけは見誤らないヨウにね」



「悪いけど、今回は退けないんだよ、リーリ」

 カタナは、今さらのように彼女に詫びた。面と向かっていては、どんな小さな声でも口に出すことはできなかった。


「カタナ?」

 エインが怪訝そうにこちらを見るが、カタナは首を振って誤魔化す。


「何でも。ただリウは今頃寝てるんだろうな、って言っただけで」

「……そうだな、あいつも消耗していたようだったからな、あの宿で休ませたのは正解だろう」


「これで負けたら、アイツに何て言われるか分からないし、勝って来ますよ」

 窓の外で、丁度行われていた剣闘の決着が付いた。出番もいよいよ近い。


『真の戦士にとって、絶対に勝たなければならない戦い』


 師、カーン=ハイドの言葉が脳裏に甦る。

 この戦いは、戦士の戦いではないだろう。誰かのために身を捨ててでも勝つという、勝手な意地と誓いのための戦いだ。


「戦士だからじゃない。カタナ=イサギナだからこそ、勝つ」


 そしてカタナは、リウに託された薬を一気に飲み干した。



 剣闘場へと続く一本道の中ほどで、カガマはふとその人物に眼を留めた。


 鍛え上げられた長身、青い髪に薄紫の瞳の男。彼は静けさに満ちた気配で、そこに居た。

 暗がりでじっと、カガマを見ているのはこの街では、否、帝国中で知らぬ者のない男。


「……『闘技王』。こんなところで何をしている」


 カガマは、わずかな警戒とともに『無刃』のアダムに声を掛けた。槍の握りを確認した手に、じっとりと汗が滲むのが自覚される。

 彼は見たところ丸腰だが、だからと言って安心できるものではない。


 万人が知る通り、素手のアダムこそが帝国の全剣闘士中最強の存在であるのだから。


「ただの確認だ。もう済んだ」

 訊ねられたアダム=サーヴァは、ただ一言呟いて歩き出す。言葉通りもうカガマには興味を失ったように、眼をやることなくすれ違う。


「待てよ。あんたとは流れた勝負がお預けになっていたな」

 しかしカガマは、アダムの背に声をかける。声音は、静謐を保つ『闘技王』から何かの反応を引き出そうとするかのように挑発的だ。


「今日、鬱陶しい新人を片づけたら、次はあんたに相手をしてもらいたいね。何せ勝てば金貨の掴み取りだ」


 カガマの嘲りに対して、アダムは足を止めはしたものの、振り向くことはしなかった。

「私が、今の貴様と戦うことはない」

 そしてそのまま、やはり一言だけで答えた。


「何、どういう意味……」

 訝しげなカガマの反応に、しかしアダムは答えない。そのまま歩を進め、カガマを置き去りに去って行く。

 そして。


「哀れだな。『十字槍』」


「何だと?」

 去り際に残された言葉も、やはりカガマには意味の分からないものだった。

「何が哀れだと言いたいんだ、『無刃』!」


「貴様には言っていない」

 これが、一度は戦いを約したものの、剣を交えることなく終わった二人の剣闘士の最後の会話だった。


 すれ違ったものたちに相応しく、どこまでも互いに通じ合うことはなく。



「参戦以来、完全無敗の七連勝! 闘技場を破竹の勢いで勝ち上がる驚異の新人カタナ=イサギナ! 彼の快進撃を食い止めるべく、早くも二つ名持ちの闘士が名乗りを上げた! 歴戦の槍使い、『十字槍』のカガマ=ギドウ――推参!」


 剣闘場に、満座の観客の声が轟く。声量は、カタナの短い剣闘歴では間違いなく最大のものだ。

 それだけ、闘技場においては二つ名持ちへの挑戦というものは大きな意味を持っているのだ。


 しかし今のカタナには、観客席を気にしている余裕はない。

 なにしろ眼前には、カガマが槍を構えて待っているのだ。今にも駆け出そうとする足を、抑えているのも一苦労だ。


 右手に構えた姫斬丸。身体に纏った蒼黒の革鎧。七つの剣闘を共に潜り抜けて来た相棒たちは、毒で弱った今も変わらない手応えだ。


 リウの薬は既にカタナの全身に行き渡っている。肚の底から熱を帯びた力が湧いて、昨夜からずっと付きまとっていた倦怠感はほとんど消えていた。


 最大で五分。それだけあれば何の問題もないと、高揚に浮かされるように己に言い聞かせる。


「さあそれでは、大いなる挑戦となる一戦を開始します」


 挑戦?

 否、これは挑むべき戦いではない。私戦であり、決闘だ。


 カタナの目的から見れば、寄り道にしかならない無駄な戦い。

 しかし、だから避けることはカタナにはどうしてもできず、多くの助けを借りて意地を通してここに立っているのだ。


「始め!」


 合図と同時、カタナは弾かれたように飛び出した。



「――っは!」


 初手から全力で迫るカタナに、カガマは狙い澄ました突きで迎撃する。

 いかに速く動こうとも、二つ名持ちのカガマを単純な速度で出し抜ける訳がない。


 まして、カガマの得物は『十字槍』。その両翼を広げた刃は、通常の槍を大きく上回る殺傷圏を誇る。


「シイィ――!」

 一直線に突っ込むカタナの正面に、カガマの槍が向かい合う軌道で突き出された。


 衝撃。

 カタナの小柄な体躯が宙を舞い、カガマの手に重い手応えが伝わった。


「ふん」

 カガマは、勝利を確信して槍を引き戻した。


 槍に突撃戦法を取るなど、カガマに言わせれば愚の一文字だ。

 所詮は新人の勢い任せかと、生死を確認するべく吹き飛んだカタナを見遣ったカガマの眼に。


「――」


 宙高く斬り飛ばされた、『十字槍』の翼が映った。


「な……」

 半ば反射的に手元の槍に眼を落とすと、そこには血は一滴も付いてはいない。代わりにあるのは、鋭利な断面で断たれ片翼を失った『十字槍』の姿。


「――()()()――?」


 呆然と、カガマの口からその言葉が落ちた。


 力任せに裂くのでもなく、折るのでもない、鋼による鋼の切断という矛盾の実現。

 それは言うまでもなく、剣術の最奥の一つ。

 『達人』にのみ許された領域の業である。


「カガマ=ギドウ」

 衝撃で弾かれつつも、同時に槍の翼を斬り落とし、今無傷で立ち上がった少年は、湧き上がる戦意とともに『敵』を睥睨した。


「覚悟しろ? 貴様の『十字槍』――ただの棒っきれにしてやるからな」


 更なる歓声が、カタナの頭上に降り注いだ。



 同時刻、闘技場の片隅に、『闘技王』アダムの姿があった。

 彼は、遠く聞こえる歓声にしばし耳を傾けているかのように眼を閉じて立っていたが。


「ロロナ」

 と、独り言のような声を落とした。


「――はい」

 応えて、彼の背後に一つの影が現れた。

 気配もなく参じた影に、アダムは温度のない言葉を継ぐ。


「手筈通りに。……『()()()』を許可する」


「承知しました」


 『それ』は、一人の少女だった。

 年齢は二十歳前後か。背は長身のアダムよりも、さらに高い。190を超える身の丈の持ち主である。

 しかし立ち姿には、巨躯の者が持つ威圧感は微塵も感じられない。


 くすんだ深緑の外套を羽織った下には、白の戦闘着。

 腰まで伸びた黒い髪。それもカタナのように緑がかっているのではなく、完全な漆黒だ。

 瞳の色は硬質な赤銅色。薄暗い闘技場内で、彼女の眼はどこか非現実的に揺らめいて見える。


 それはまるで夜に見る一本の糸杉。

 あるいは砂塵に向かって続く巡礼者の列。


 そんな、孤高の気配を感じさせる少女だった。


「準備に移ります」

 彼女は振り返らないアダムに、軽く一礼。

 伸びてゆく過程で同時に無駄を削ぎ落としたかのような肢体は、音もなく踵を返して去って行く。


「……」

 アダムは、そこでようやく振り返り、去って行く少女を見送り、そっと眼を伏せた。


 彼女の名は、ロロナ=アンゼナッハ。

 『闘技王』アダムと同じエイデン剣闘士商会に所属する、たった三人だけの剣闘士の一人。


 その二つ名は『車輪剣』のロロナ。

 陰では『死者の刃車(はぐるま)』『断頭の夜叉姫』とも呼ばれている――剣闘殺害数、シュームザオン最多記録保持者である。

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