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剣闘のカタナ  作者: 某霊
二章 1.背信の剣闘士
40/113

病夜 ヤミヨ

 沈黙の中、ぱちぱちと音を立てて火の粉の爆ぜる音が響いている。


 深更。シュームザオン繁華街の片隅にある、ありふれた安宿の一室である。


 今この部屋は、夏の盛りだと言うのに窓は閉め切られ、それどころか暖炉に火が入り、赤々と燃えていた。もはや呼吸するのも辛いほどの熱気がこの場所には篭っている。

 今もどこからか不運にも入り込んだ羽虫が一匹、力なく墜落して行った。あまりの熱に耐えられず、ほとんど蒸し焼きのようになって死んだのだ。


 そして正気を疑うことに、そんな部屋の中には最初からずっと二つの人影があった。


 一人は少年。上半身裸で床に仰向けになった身体には無駄な肉は一切ない。まるで精悍な獣のような鍛え上げられた肉体だ。

 彼の日に焼けた肌は全身から滲み出る汗に濡れて、頼りない灯の下、艶を増したように見える。

 眠っているのか、彼は薄く目を閉じ横たわったまま浅く呼吸を繰り返しているだけだ。


 剣闘士、カタナ=イサギナ。敵対する剣闘士『十字槍』のカガマの毒に倒れた彼は、今もなお全身を蝕まれている。


「……」

 カタナの傍ら、床に腰を下ろしてカタナの様子を見ているのは、一人の少女。

 剣闘士リウ=シノバ。周囲には男性と装っているが、正体はリーリウムという名の少女である。

 こちらも全身汗みずく、普段彼女が好んで着ているゆったりとした長衣は既に部屋の床に脱ぎ捨てられている。

 その下の肌着は流石にしっかり着ているが、とめどなく流れる汗に濡れて肌にぺったりと貼りついた薄布は、もはや彼女の女性としての姿を隠す用は為していなかった。


 リウは時折思い返したようにカタナの顔や首筋の汗を拭っては、その肌をじっと観察している。

 それでありながら、自分の顔に滴る汗は流れるままロクに構いもしていない。今も彼女の銀髪の毛先から、ポタリと落ちた一滴が床に染みを作った。


「カタナ、起きて。また汗が出なくなってる。水分補給」

 リウは、この暑さ――むしろ熱さ――にも消耗した様子もないしっかりした声で言って、部屋の隅に持ち込んだ小ぶりな水瓶の一つを引き寄せた。

 手に握り拳大の白い塊――岩塩を掴み、瓶の上で『針』を突き立てて細かく砕いていく。室温で大分ぬるくなっているその水は、零れ落ちる塩の結晶を落ちた傍からあっという間に溶かし崩して、見えなくしてしまう。


「あ、ああ……」

 眼を開けたカタナは、息も絶え絶えな様子で身を起こす。


「ん」

 リウにずいっと突き出される水杯を覚束ない手つきで受け取って、カタナは一気に温まったそれを嚥下する。


「――っはあ」

 飲んだ水は、あっという間に身体に染み込んで消えて行く。カタナには、ほとんど胃に届くまでに吸収されてしまったようにさえ感じられたほどだ。


「ハイ次」

「ああ」


 さらにリウが水を注ぎ、カタナは待ちかねたように呷る。

 それを数度、水瓶がほぼ空になるまで同じことを繰り返して、ようやくカタナは動きを止めた。

「ヨシ、寝ていいヨ」


 暖炉に薪が詰め込まれるようにして火が灯ってから数時間が経過している。カタナは既に三度こうして限界まで身体を絞ったのちに水分を補給するという作業を繰り返していた。


「そうだリウ、みんなはどうしたんだ?」

 ふと、カタナは思いついたことを尋ねた。二人きりになり、リウに勧められて少し眠っていたカタナが目を覚ました時にはエインたちの姿はなく、諸々の用意は万端済んでいたのだ。


「……」

 しかし問いにリウは答えず、ただ沈黙してカタナを見下ろしている。


「リウ?」

 怪訝そうなカタナにも、やはり彼女は無反応。いや、よく見ると膝を抱えているリウの手元がいらいらと『針』を弄り回している。


「おい、何かあったの……」

「さっきは」


 カタナの言葉を遮るように、リウが不機嫌な声で言った。その妙に迫力ある声音に押されて、カタナは大人しく口を閉じる。


「さっきはちャんと言えてたのに、なーんで元に戻ってるのかなー?」

 床の上で己の膝を抱きつつ。そっぽを向いて眼を逸らしながら、いじけたような口調で彼女は言った。


「え……」

 何のことだ、と言いかけて、カタナは危うく思い当たった。

 今ここには、カタナ=イサギナとリーリウム=シノバしかいないのだ。


「あー……。リーリ、さん?」


 恐る恐るそう声を掛けると、リーリウムは、ゆっくりと顔をカタナに向け直す。


「『さん』はいらないヨ、カタナ」

 少女の笑みを含んだ声音を耳にして、助かった、とカタナが思わず内心呟いたのも無理はないだろう。今彼女を怒らせては、朝までに己がどうなってしまうのか想像もできない。


 いざという土壇場にはめっぽう強いという、カタナの真骨頂が実にどうでもいい形で発揮された一幕であった。



「で、みんなのこと? もう商会に帰って貰ったヨ。帰りが遅くても、ジークがいるから心配はないだろうけど、逆に向こうがこっちを心配するだろうからって」

 リウは言いながら自分も水を口に含む。同じ部屋にいる以上、彼女もこまめに水分を摂ていく必要がある。

「あと、ボクらが帰らないことは適当にごまかしてって頼んでおいたから。毒の件も、特にレレットにだけは絶対知られないでってね。……それで良かったでしョ?」


「ああ。流石、分かってくれてるな」

「とーぜん。むしろ、カタナ本人より分かってるヨ」

「?」


 首を傾げるカタナを軽い笑みで受け流して、リウは思う。

(カタナは単にレレットに心配かけたくないってだけなんだろうけど、あのコを甘く見過ぎだね)


 あるいは第三者から見たからこそわかることなのかもしれないが。

 とにかくカタナとレレットの間にあるのは、単なる信頼関係とは別のものだとリウは思っている。


 カタナとレレットは、互いが互いを無条件に助け、救い上げようとしている節がある。

 共依存、と言うよりは共奉仕と言った方が正確か。

 「助け合う」ではなく、「互いが互いを助ける」。つまりは両者、相手への奉仕自体で満たされて、他の見返りを求めていないのだ。


 何故なら、カタナの目的は誇りある剣闘士として戦えること、レレットの目的は商会を守ること。

 二人が出会った時点で、互いの至上命題は達せられているのだ。


 あとは己が勝てばいい。

 自分がカタナを助けて行ければいい。


 そう思っているからこそカタナはひたすら訓練に励んでいるし、レレットは商会運営に誠心誠意尽くしているのだ。


 とは言えカタナの方は、まだ過去の事情やコーザなどの強敵、リウも知らない剣闘士を目指す理由など、抱えているものが多い分まだレレットに傾倒し過ぎているわけではないようだ。


 だがレレットの方は、ある意味もう手遅れだろうとリウは見ていた。


 レレットに今回の件を知られれば、カタナの身を案じて棄権するよう言うはずだと、リウには想像はついた。カタナを失うことは、彼女にとってはほとんど世界の破滅に等しい。


 レレットは、カタナの実力を強く信頼している――リウから見ればもはや『過信』と言えるものだ――が、反面、体調や環境などの面ではかなり心配性、もっとはっきり言えば過保護なきらいがある。

 そして商会長であるレレットにはカタナを止める権限がある。


 リウとしてはレレットの不安定さは、あのルミル=トートスなどとは逆に人間らしくて好ましいと思えるのだが、今回については関わることでカタナの戦いの邪魔になりかねないと見ていた。



「とにかく、安心してカタナは毒抜きに専念するんだね。とにかく汗かいて水飲んで」

 不得要領なカタナにリウは軽く言って、ぽんと横になった彼の額を叩いた。


 リウが行っている治療は、過剰な発汗と水分補給によって、普通なら三日かかる身体の代謝を無理やり早めることで一晩に縮めてしまおうというものだ。


「要は、水を飲みまくって身体の毒を薄めて、さらに排出を促すことを繰り返すってわけ」


 これは、中毒症状の治療に古来から用いられている方法であったが、リウのやり方は通常よりもかなり過激に行っている。


「ま、丼勘定でも六倍速なんて、もとから不可能だからね。ある程度抜ければ御の字かな。だからその後でコレの出番っと」

 言いながらリウは、商会の自室からエインに取って来るように指示していた荷物を開き、一つの小瓶を取り出した。


「それは?」

「お待ちかね、コトイキク用の解毒剤だヨ――正確には解毒効果のある植物を煎じただけだけど」


 リウの持つ小瓶に入っているのは、アカネツタという、草花に巻きついて養分を吸い取るという性質の、ほのかに赤い色素をもつ蔦を原料としている。

 大陸南方に広く分布する植物であり、かつて南方で活動していた経験のあるリウには馴染みが深い。


「コトイキクはそもそも、他の動物に食べられないようにするために毒を持つようになったっていう話で、そしてこのアカネツタはコトイの毒を無効化して寄生してするために適応を遂げた唯一の種だね」


 つまりアカネツタには、コトイキクの毒に対する成分が含まれているのだ。

「そんなわけで、コイツを飲めばコトイは中和できる……んだけど」


「何かあるのか?」

 説明を聞いていたカタナがリウを見上げる。彼の目線に、彼女はバツが悪そうに目を逸らす。


「……実は、アカネのツタにも毒があるんだヨねー」


 その瞬間の空気を何と言えばいいのだろうか。

 灼熱と言ってもいい温度の室内に、寒々しい何かが、確かに吹き抜けていった。


「……リウ」

 一周回って真顔になったカタナ。毒を消すためにまた新たな毒を飲んでは本末転倒、自転車操業にもなりはしない。

 カタナは彼にしてはなかなか珍しいジト眼でリウを見て、当のリウは慌てて弁解する。


「イヤ! 毒って言ってもそこまでのものじャないし! 用法容量を御注意しないと頭の中がお花畑になるくらいだし!」

「十二分にヤバい毒じゃねえか!」


 言い訳を瞬時に返されて、うっと詰まったリウだったが、視線を戻すと開き直ったようにして声を上げる。

「だ、だってカタナが言ったんじャないか! 『どんな方法でもいい』って!」


「な、確かに言ったが、それとこれとは……」

 と、今度はカタナが言葉に詰まる。さしもの彼もこれから一生脳内お花畑で蝶と戯れて生きろと言われれば腰が引ける。第一それでは明日の闘技場で戦うこともできない。


 言うべき言葉を失い黙ったカタナに、しかしリウは呆れたように言った。

「あのね、カタナ。何のためにボクがこんなあっつい思いしてまで毒薄めてると思うのさ? なるべくコレ使う量を減らすためだヨ。ただでさえキミは薬の効き方がおかしいんだから」


 その言葉を聞いて、ようやくカタナもリウの考えに思い至る。

 全身を侵されたカタナを解毒するには、同じく危険な毒性を持つ植物が必要となる。しかし使うのはあまりに危険。ならば、カタナを蝕む毒を可能な限り取り除いてから、残る少量の毒に処置をすれば良い。


「なるほど。ただ解毒剤入れるだけならこんな処置はいらないか」

「……と言うかマジでボクがキミを廃人にするかもって思ってたわけ?」


 納得して頷くカタナに今度はリウが冷ややかな視線を送るが、カタナは必死に聞こえないふりをしてやり過ごす。さすがに気まずい空気が流れる。


「ま、いいか。あと、カガマが毒と一緒に解毒剤を使ってないと思った理由もこれが原因。いくら薄くでも、長時間浴びているコトイの麻痺毒を中和できるくらいアカネツタを服用すれば、最低でも精神に何らかの異常を及ぼす」

 しかしリウは、つまらなそうに手元の毒を眺めつつ、カタナに慈悲をくれて話題を変える。

「……アイツの様子はおかしいって言えば確かにおかしかったけど、そもそも好き好んでイカレるのが分かってる小細工なんか使わないでしョ?」


 カタナは横になったまま考える。が、カガマがコトイの香水を付けていたことは確かだとわかっても、近くのカタナが毒を受けても当のカガマだけが無事に済んだカラクリは想像もつかない。


「それじゃあ、カガマがおれに毒を吸わせるのは不可能ってことなのか?」

「イヤ、コトイの香を吸ってカタナが倒れた以上、毒が使われたのは間違いない。ただ、どうヤったかがボクらにはわからないってだけの話だヨ」


 リウはカタナとは異なり、あまりカガマの手の内を気にしてはいない様子だ。つまり彼女の中では、カガマがやったとわかっていれば、どうやったかは考える必要も証明する義務も無い、ということだろう。

 裏の世界で生きて来た彼女らしいと言えばらしい、非常に割り切った態度だ。


「そうは言ってもな……」

 しかしカタナはリウほどに達観はできない。対戦相手にこうした不気味さがあることは剣闘に当たって不安様子にしかならない。

 しかし、ここで考えても答えが出ない以上、いくら考えても無為だというのも確かであった。


 答えは出ないまま、カタナは熱に浮かされるように再びの眠りへと落ちて行った。



 眠るカタナの傍らで、シノバの里のリーリウムは手に持った毒の小瓶をぼんやりと見つめていた。


「……あ、ハ」

 暑さで荒くなる呼吸音に混ぜるように、笑い声を零す。ここに座っているリウはずっと、ある想像をしていた。


(もし、カタナに『誤って』大量のアカネの毒を飲ませたら……どうなるかな)


 くすくすと、堪えきれない声が出てしまう。カタナを起こさぬよう、静かに笑い声を抑える。


「イヤ、しないさ、しないとも」

 リウはただ、『想像』しているだけだ。そうなった未来を。


 当然、カタナは精神に異常を来し、廃人同然になってしまうだろう。あれほど情熱を燃やしていた剣闘士としての生き方も『おしまい』だ。


 カタナが助けようとしたレレットはどうなるだろう。同じく壊れてしまうか、もっと悪い事態になるかもしれない。ヒューバード商会は廃業だろうか。


 そしてそれらの責任はリウに課せられる。一人の人生を壊してしまったというとても大きな責任が。

 リウは一生かけて、抜け殻になったカタナに償わなくてはならないだろう。


「あァ……!」

 しかし。


 つまりそれは。


 カタナの人生、その全てが手に入るということにはならないか?


 剣も、夢も。友も、敵も。己自身さえ失ったカタナを、リウは手の内に入れることができる。リウだけが見て、触れられる人形のようになったカタナを。


 静養のためと言ってカタナをどこか遠くに連れて行くのはどうだろう。誰もカタナとリウを知らない、人の少ない辺境へと姿を消すのだ。


 いっそ大陸を離れて無人島にでも隠れてしまえばいいかもしれない。

 そこで魚や獣を狩って暮らすのだ。そうすれば空いた時間、ずっとカタナの相手をしていられる。


「……でもなぁ」

 それは、とても甘美な未来ではあるけれど。恐らく自分は決して実行しないことをリウは分かっている。


「それじャ、カタナと訓練できないし」

 今夜のようにリーリと呼んでもらうこともできない。


 カタナにはまだたったの三回しか呼んで貰っていないのだ。

 それではあまりにもったいないと、リウは短絡的な自分を戒める。


 慎重に、必要な分だけ解毒剤を調整して、カタナには無事に回復して貰わなければならない。


「……どうにか上手いこと、動いて話せるままでカタナが壊れてくれたらいいのにねえ」


 リウ自身の耳でも聞こえないその言葉は、暖炉で薪の弾ける音に掻き消され、どこに届くこともなく消えて行った。

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