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剣闘のカタナ  作者: 某霊
序章 剣闘都市
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獅子の瞳の剣闘士

「あー、息苦しかった!」

 酒場を出た少年――カタナ=イサギナは、少し傾きかけた太陽に向かって大きく伸びをしながら深呼吸した。


 肺の中から店内の酒精交じりの空気が跡形もなく消えて、街を吹き過ぎる風の一部が満ちていく感覚を思うさま味わう。


「あの、何て言うか、あ、ありがと」

 少女――新人女給にして剣闘商会の主――が、手をつないだまま(カタナと一緒に伸びをさせられていた格好で)声をかけてきた。


「いいって。結局、仕事途中で抜けさせちゃったし」

 努めて軽く返事をしたが。

「あ……ど、どうしよう、やっと見つかった仕事、だったのに。服も……着てきちゃったし」

 意外な形で急所に当たった感がある。


「えー。まあなんだ。まだクビって言われたわけじゃないし。明日にでも店の親父さんに謝りに行って、仕事をどうするかはそれまでに考えればいいんじゃないか」

「……ん、そうしてみる」

 再び働くことができるかは儚い希望な気もするが。


(と言うか、まかり間違って働き続けたらまた騒ぎが起きそうな気がする)

 無論、少年は的確かつ失礼な考えを口には出さない。



「で、送るけど家どっち? おれシュームザオンは初めてで全然わかんないんだ」

 気を取り直した二人は、飲食店街を抜けて大通りへと出たが、すぐにカタナの足が止まった。

「あ、来たばっかり、って、言ってたね……ですね」

 コーザとのやり取りを思い出したのか、碧眼を揺らめかせて、少女も立ち止った。


「うん。敬語とか無理しなくていいから。あ、そういえば名乗ってもなかったか。おれはカタナ=イサギナ。北のヴィーエン大山脈地帯から来たんだ」


 言いながら、カタナは自分の頭を指す。緑がかった黒髪は、北の属国や近い地域の民に多く見られる特徴だ。


「あ、えっと、わたしは、レレット=ヒューバード。……です」

 少女――レレットは、ぎこちなく頭を下げる。


「あ、あの、あ、謝るの、遅れちゃったけど、頭にぶつけちゃって、ごめんなさい……」

「え? あー、大丈夫。しばらく痛かったけど、大した傷じゃないっぽいし」

 

 嘘である。


 カタナの後頭部はまだズキズキと痛みを発している。口を開けた傷口に酒が染みるのも地味に辛い。が、今言っても彼女を落ち込ませるだけだとやせ我慢を続行する。庇った相手に罪悪感を抱かせるようでは、格好をつけた意味がない。


 しかし、レレットの目がじぃー、っとこちらの表情を見てくる。


「……」

 なんとなく目を逸らしてはいけない気がして、見返す。


「……」

 レレットも、身じろぎ一つせずにカタナの顔を凝視する。

 そうして。明るい碧眼と、赤みの差した桃色の目が互いを映すことしばし。


「……ぅ」

 根競べに負けたのは桃色。カタナの方だった。


「……あっちに、水の使える広場がある」

 断固とした意志の口調でレレットは宣言した。



 酒場のある歓楽地区を抜けて辿り着いた広場は、中央に水場を兼ねた噴水、奥には大闘技場へと続く道がある巨大な公園のような場所だった。

 向かって右手に行政府、左手には高級住宅街が見える、街の主要区域に囲まれた場所だ。当然人通りも、カタナがこの都市で見た中でも最も多い。行ったことはないが、噂に名高い帝都の目抜き通りもかくやと思われる賑わいだ。

 カタナは、各所に設置された長椅子の一つに座らされながら声を挙げた。


「うわ、すごいな、離れた場所からでも闘技場の大きさがよくわかる」


 彼の視線の先にあるのは剣闘都市シュームザオンが誇る大闘技場。

 興奮した面持ちの理由は、目標とする場所であるからだけではなく、単純に人生で見た中で一番巨大な建造物だったからだ。


 円形に囲んだ石造りの外壁は、随所に人間の十倍はある大きさの彫像が飾られている。

 あるものは古代の怪物を討った半裸の英雄。あるものは金属鎧を纏った救国の大戦士――帝国に伝わる武人を象った彫像たちは、闘いで身を立てる剣闘士の偉大なる先人だ。


「ここからは見えないけど、もっと低い位置にも、小さい彫像がたくさんある。お、大きいのは、特に有名な実在の戦士、三十一人の大彫像」

 それら巨大な像が少年たちから見える範囲で十個近く。各々余裕を持って飾られていることからも規模の大きさが分かる。


「ここは、闘技場前広場って言って、街の中心辺り。噴水の水は、汚さないで、ちょっとだけなら、使っていい」

 観光案内をしつつも、レレットはカタナの後ろに回り、傷を確認する。


「ん……、ちょっと傷開いてるけど、骨までは行ってない」

 そして、意外と手慣れた様子で処置を行っていく。


 清潔な布と簡単な薬はカタナの手荷物にあったが、包帯は旅の途中で使ったせいであまり残っていなかった。

 そこでレレットは、給仕服に縫い付てられていた汚れのない白い調理衣(エプロン)を裂いて包帯の代用とした。カタナが気付いた時には既に手遅れな躊躇のなさで、ついでに酒場の仕事もこれで完全に手遅れである。


 頭の熱が引くまで濡らした布で冷やして貰いつつ、手持ち無沙汰なカタナはレレットとぽつぽつと語り合う。眼を合わさないのに近い距離が、互いの口を妙に軽くした。


「どうして、この街に来て剣闘士をやろうと思ったの?」

「路銀が尽きる前に行けそうなとこで、一番剣闘が有名な街がここだったからな。師匠の勧めもあったし。どうしても、剣闘士として身を立てたい理由があるから」


「理由?」

「まあ……わざわざ詳しくは言わないけど。約束があるんだ。強い剣闘士になって、しなくちゃならないことがある」


 少し会話が途切れる。レレットは、カタナの髪を酒精が消えるまで丁寧に拭い、薬を薄く塗り延ばして、即席包帯を巻いていく。


「レレットは、なんでよりによってあんな店で働いてたんだ」

「えっと、最初は、もっと、大通りの方で、仕事探し、してたけど。いつも、家の仕事のこととか、で断られたり、あまり、長く仕事させてもらえなかったり……。何でも構わないって言ってくれたのが、あの、店だったから」


 少し躊躇う間を開けて、レレットが言葉を継ぐ。

「あの……あんな数の人と喧嘩して、怖くなかった?」

「んー、あのコーザ以外は本格的な訓練とかしたことないのがわかってたからな。コーザも、あれでレレットに言いすぎたの気にしてるみたいだったし、見逃してくれるかもとは思ってた」


 というか、今にして思えばコーザのあからさまに煽る言い方はレレットではなく自分を挑発していたのかもしれない。とカタナは呟く様に続ける。

 レレットは何とも返答できずに、吹き抜ける風が沈黙を少しの間埋めていく。


「なあ、酒場で連中が言ってたレレットの商会の事情って、本当なのか」

 空白に耐えかねたか待つのに飽いたか、カタナが思い切ったように口を開く。レレットの方も、予期していたものはあったのか淀みなく頷いた。


「だいたいは。わたしが商会長になってから、うちの経営が悪いのも、組合で馬鹿にされてるのも、剣闘士の人の数が減ったのも、本当」

「そうか……大変だな。部外者のおれにも、なんとなくは分かる」


 く、と。レレットが包帯を締めて結び留める。


「カタナ、さん。あなた、あの店で、みんなを馬鹿にした人を見返す『いい方法』がある、って言った。

「だから『さん』とかはいいって。……ああ、言ったな。でも、素人のおれの考えだからな。本当に『いい方法』なのかはわからないな」


「教えてください」

 包帯を結んだレレットの手がそのままカタナの腕へ伸び、ぎゅっ、と掴む。

 渾身の力が篭っているのはわかるが、少女の握力はカタナにとっては、痛くも痒くもない程度のものでしかない。


「わ、わたしの方が、ずっと素人。ただ、小さい頃から闘技場で、お、お父さんが仕事してるのを、うわの空で見ていた、だけで。どうすればみんなを守れるかも、わからない」


 少女の額が、少年の背に触れる。


「わたしは、弱い。力、じゃなくて、全部が弱いから。何でもいいから、商会の、みんなのためになにかしようと思っても、何もできない。お金を稼ぐことも、下手」


 熱い。頭の傷より遥かに強い熱の宿った肌が触れている。


「だから、教えてください。今の私にとっては、少しでもやれることがあるなら、なんだって『いい方法』だから」


 熱いのは、レレットの心魂(なかみ)だ。無力と言う枷の中で、行き先を求めている情熱が猛っているのが、肌と声を通して伝わってくる。

「わたしは、頼りなくても、商会長なんだから。どうしても、みんなを守りたい」


 見たいな、と思った。

 この熱が殻を破り、レレットの全身から光を放つように解放されるところを見てみたい。


 (いだ)いたのは、空を往く鳥が止まり木を見つけた時のような欲求だった。

 らしくないが、抗う術はない。


「しょーがない。なら一つ、売り込みでもさせてもらおうかな」



 要するに商会が弱っていく原因は、酒場で男たちが言っていたように悪循環に飲み込まれているからだ。


 商会は、組合内での発言権がなく、お抱えの剣闘士に無理な日程や組み合わせで戦いを強いてしまう。

 剣闘士は、不利な勝負の結果、順当に負けて商会の経営や勢力を悪化させてしまう。


「解決するための方法は二つ。商会が組合の中で強い力をつけるか、または剣闘士が不利な状況でも勝てるようになるかだ」


 商会に勢力があれば、剣闘士に有利な剣闘を斡旋できる。剣闘士の環境を改善することも出来る。

 剣闘士が勝てれば、商会に金が入り、経営も好転する。強い剣闘士を擁する商会の立場も強くなるだろう。


「悪循環を止め、逆転させて、商会を立て直す。単純な話だけど、これしかない」


 大人しく話を聞いていたレレットは、黙したまま少し表情を曇らせた。

 カタナの考えは確かに間違ってはいないが、自分で言っているように素人の考えだ。

 力をつけて、勝利を重ねる。ただそれだけのことを実現するためにあらゆる手を使って鎬を削っているのが剣闘士たちであり、剣闘士商会なのだ。無策で挑んで達成できるはずもない。


 しかし、そこでカタナは自身を指す。

「確かに組合で力をつけるってのは、おれじゃあ具体的なやり方はわからない。だけど、不利な勝負をひっくり返す剣闘士にはなってやれる」

 レレットの方に向き直り、目線を合わせる。


「剣闘士を一人、雇ってくれないか、ヒューバードの商会長さん。実績の無い新人だけど、どんな敵が相手でも、初戦を派手な勝利で飾ってやれる自信はある」


「え……!」

 碧眼を見開くレレットに、カタナは静かに語りかける。


「いきなり現れた新人が、確実に負けると思われた一戦を大逆転で勝利する。少なくとも、今まで馬鹿にされてた商会を見直してもらうきっかけにはなるんじゃないか?」



「あ、あの……」

 レレットは混乱していた。

 酒場で助けてもらってからずっと気が動転していたが、冷静に思い返すと、どうして彼が親身になってくれるのかもわからない。自分はカタナに迷惑しかかけていないのに、甘えて事情を話してばかりだったのに。

 そしてついには、ヒューバード商会に入りたいとまで言ってくれた。


 正直なところ、内心思ってはいたのだ。こんなに強い人が来てくれたら、と。


 しかし、そんな期待はするだけ無駄だと思ってもいた。

 街のあちこちで行われている剣闘士志願者の野良試合に何度足を運んでも、ヒューバード商会の名前を聞いた途端に誰もが冷たい仕草で断ってくる。

 酷い時には商会長だと信じてすらもらえず、くだらない冗談と思われたり、頭のおかしい人間扱いされたりもした。


「ヒューバード商会はもう終わり」

 いつしか自分の心からも諦めの声が聞こえてくる気がして、でも諦めきれずに、闇雲に足掻いていた。


 毎日、心が擦り切れるようだった。

 しかし今日、突然現れた少年が自分に言うのだ。


「剣闘士を一人、雇ってくれないか、ヒューバードの商会長さん」


(どうして? 本気で言ってるの?)

 そう聞きたかった。聞こうと思った。だけど。


「実績の無い新人だけど、どんな敵が相手でも、初戦を派手な勝利で飾ってやれる自信はある」


 真っ直ぐ語る彼の眼に――赤みの差した桃色が、傾きかけた陽の光を受けて真っ赤に映る瞳に――今まで誰の中にも感じたことがないほどの真摯な光が見えたから、聞くことは出来なかった。


 彼の眼は、百獣の王、獅子のように強くて穏やかだった。

 満腹の獅子がちっぽけなネズミを助けた童話が脳裏に浮かぶ。食べ物を分け与えられ、獅子のたてがみの中で眠ったネズミは、きっとこんな安堵を感じていたのだと思う。

 裏切(たべ)られてしまうかも、なんて疑う気持ちは全く湧かない。


 彼は、カタナはきっと、彼自身の理由を持ってこの提案をしてくれたのだと分かったから。


「うちは……本当にお金、なくて。不便なこといっぱい、ですけど。それでもいい……ですか?」


 だから、それだけ聞いた。情けないことだが、ヒューバード商会は本当に崖っぷちなのだ。


 対して、我が意を得たりと笑ったカタナは立ち上がり、大仰な仕草で右手を差し出してくれる。

「貧乏暮らしは慣れてるし、屋根の下で暮らせて剣闘士をやれるなら文句なんてないさ。よろしく。レレット商会長」


 レレットも慌てて立ち上がる。そしてかつて父がやっていた剣闘士を迎える挨拶を、慣れない口調で真似て、握手に応えた。

「え、えっと、ひゅ、ヒューバード剣闘士商会はあなたを歓迎します。あ、あなたの栄光を求める戦いの一助となれることを誇りに思います。名も無き戦神の祝福を。ようこそ、剣闘士カタナ=イサギナ」


 今日一日で何度も繋いだ手だが、何だか急に恥ずかしくなってきてすぐに手を放す。ただ、なんとなくそれも寂しかったので。


「あ、ありがとう。わたしが、いつかあなたの助けになります」


 レレットは精一杯下手な笑顔を作って、この優しくて格好つけな剣闘士に小さく誓うことにした。


 獅子とネズミの童話は、狩人の罠にかかった獅子を、ネズミが小さな体を活かして罠を壊し、獅子を救い出して恩返しをする。そして二匹は仲良く平和に暮らす、という結末だった。


 だから、自分も戦い、勝とう。剣は持っていなくとも、この心と身体一つで、自分にしかできない戦いを。


 この日少女は、少しだけ大人に向かって歩き始めた。

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