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剣闘のカタナ  作者: 某霊
二章 1.背信の剣闘士
39/113

見えぬ毒槍

「カタナの様子は?」

 その部屋へ、滑るように駆けて来たエインは努めて冷静を装いながらグイードに尋ねた。エインの両手には、調達した清潔な麻布が何枚も畳まれている。


「……」

 扉の脇に立っているグイードは、無言で扉の開いた室内を示す。

 中には、『十字槍』カガマの毒を受けて昏倒し、床に敷いた毛布の上に横たえられたカタナと、傍らで介抱するリウの姿がある。


「――最悪の事態は心配しなくていいみたい」

 リウが、カタナの脈を計りながら、振り返らずに言った。

「呼吸も安定してるし、そのうち目が覚めるでしョ。それでも当分動かさない方がいいけどね……あ、エインさん、布はこっちに頂戴」


 ここは、ヒューバード剣闘士商会――ではなく、カガマたちと対峙した酒場からほど近い位置にある安宿の一室だ。

 カガマたちが消えた後、一度は自分で立ち上がったカタナだが、直後に完全に気絶した。無理に身体を動かしたことで、毒がより巡ったものらしい。


 とにかく下手に移動させずに解毒処置をしなければならないとリウが主張したため、急遽手配したのがこの部屋だった。

 埃と汗の匂いが染みついた、三人も入ればいっぱいになる粗末な一室だ。

 鎧戸を外して全開にした窓からは、月明かりとともに生温い風が頼りなく吹き込んで来る。ひどい部屋だが、最低限カタナを寝かせる場所があれば事足りる。


「まったく、ぶっ倒れるくらいなら最初から無理に立とうとなんかするなっての、うりうり」

 床に腰を下ろしたリウが、眼を閉じているカタナのこめかみに人差し指をぐりぐりと突きつける。

 倒れた仲間に対するものとしてはちょっとあんまりな態度だが、エインもグイードも何も言わない。カタナが倒れてから小一時間、他ならぬリウが片時も手を休めずに処置を続けていたのを見ていたからだ。


「リウくん、主人に頼んで熱いお湯を出して貰って来たよ」

 と、今度は湯気を立てる大きな桶を抱えたオーブが、ゆっくりと歩いて来た。この暑い時期にそんなものを抱えていてはさぞ蒸し暑いことだろうが、本人は滴る汗を気にした風もない。


「ウン、そこ置いといて……カタナが眼を覚ましたら使うから」

「やあれ。一時はどうなるかと思ったが、どうにか人心地つけたわ」

 グイードが、ようやく普段の調子を少し取り戻して息を吐いた。


「……しかし、カガマが毒を使うほどに腐っているとは。こんなことなら、カタナくんを連れ出すんじゃなかったね」

 桶を置いたオーブは、事態の責任を感じているように肩を落とす。


「オーブ、済んだことを気に病むな。それより今後のことだ……リウ、カタナは明日の剣闘までに動けるようになるのか?」

 オーブの肩に手を置いて宥めたエインがリウに尋ねるが、彼女は呆れたように肩を竦める。


「ムリに決まってるじャない。毒喰らったんだヨ、ど、く! 全身に回ったのが抜けるのに最低でも三日。まあ明日は一日動けヤしないね」


「そんな! では、カガマとの戦いは……」

 血相を変えるオーブに、しかしリウは冷めた態度で視線を返した。

「医者に見せて戦闘不可能って診断貰えばいいでしョ。それなら逃げたことにはならない……代役が必要ならボクが出るし」


「おいリウ坊……」

「みんなの言う通り、会ってみて分かったよ。あのカガマってヤツは……救いようがない」


 あの時、カガマはヒューバードの剣闘士たちに対して、まったく平静に対応していた。

 嫌味を言われても受け流し、嫌悪の眼で見られても苦笑して済ませた。

 落ち着いた大人の態度とさえ言えるものであったが、それこそがおかしいとリウは思わずにはいられなかった。


「後ろ足で砂引っかけるみたいにして出て行った古巣の人間の前で、あの平然とした顔……アレは、ヒューバードを捨てたことを一切何も感じていない」


 カタナに毒を仕掛けた時も同じだ。卑怯な手を使ったことの後ろめたさも、逆にまんまと標的を陥れた時の嗜虐的な喜びも無い。まるでカタナが一人で勝手に倒れたのだと言いたげな……。


「そう、カガマにとって、やつに傷つけられる全ては他人事だ」


 リウの分析を肯定するように、エインが断言した。



「カガマがシュームザオンに戻って剣闘士に復帰した時、おれはすぐやつに会いに行った。なぜ逃げ出したのか、やつの真意を質すつもりだったが……」

 エインは、唇を噛んでカガマの言葉を思い返す。


「どうしても何もない、早晩潰れる商会のために、なぜ俺が命がけで戦う義理がある?」

 急に訪ねて来たエインを迎えたカガマは、いっそ無邪気と言いたいほどの態度で、訝しげに問い返したのだ。


「何を言っている! あんたは剣闘士だろう。戦うのが嫌なら、なぜ闘技場に挑んで、なぜここに戻って来た?」

 エインは当然そう詰め寄ったが、カガマは呆れた顔で首を横に振るばかりだった。

 どうしてこんな簡単なことが分からないのだ、と。


「戦うのは構わないさ。別に『闘技王』を恐れた訳でもない。しかし、最低限の仕事もできない商会ではお断りだ、というだけのことだ」

 そして続く言葉に、エインは、自分がずっとカガマという男を見誤っていたということを、嫌でも理解させられた。


「剣闘士が戦うのは、別に慈善でも義理でもない。生活が保障されていて、しかもいい稼ぎになるからだ」


 普段は淡々としていて、周囲に積極的に馴染むことこそなかったが、剣闘においても冷静で、無謀な戦い方は決してしない、思慮深く強い精神の持ち主だと思っていた。

 しかし違った。彼はただ――。


「そうでなけりゃ、剣闘なんざ、誰もしやしないだろう?」


 剣闘に関わる全てを、心底どうでもいいと思っているのだ。



「たかが剣闘。やつはそう言っていたよ」

 所詮は戦いを見世物にする商売なのだ。そこにいちいち誇りやら商会の名誉やらを持ち込んで、自分の利益を損なわれることは御免こうむる。

 役に立たない商会に、もう用は無い――。


「カガマにとって剣闘とは、ただ割のいい仕事でしかない」

 エインは苦く吐き捨てて、疲れたように眼を閉じた。



「そして今では毒で対戦相手を楽に仕留めるようにもなりおったか……順調に腐っていっておる」

 グイードもまた不快げに眉を歪める。剣闘に一生を捧げて来たこの老剣士には、カガマの言葉は聞くに耐えないものがあるのだろう。


「しかしよく考えると、あんな手を使っていて今まで発覚しないのは妙ですね。いくら巧妙に隠しても、対戦相手が何人も毒で倒れていてはもっと騒ぎになるのでは?」

 オーブが、ふと気づいたように指摘した。それからすぐ自分で慌てて。

「いや、別にカガマらが何もしていないと言いたいわけじゃないですよ」

 と訂正した。


 しかし、リウはそんな微妙な感情は無視してオーブに言葉を返す。

「多分、この毒を喰らっても、ほとんどの人は原因なんて分からないんじャないかな」

「え、どうしてだい」


「だってコトイの毒って、遅効性だもの」

 リウはさらりと、そんなことを言った。


「え?」

「だから、毒を飲んでも効果が表れるのは吸収した毒が内臓に回る数時間後からなんだヨ。それに出る症状も、肺から多少吸っただけじャ、めまいや身体が重く感じるくらいで、風邪か何かと間違われるのかもね」


 リウの言葉に、グイードが慌てて口を挟む。

「待てリウ坊。カタナはカガマと会ってすぐに倒れておったであろう! しかも、見ての通り尋常ではない有様。一体どういうことじゃ!」

「まさか、別の毒か? ……そもそも、カガマが毒を使ったのは確かなのか?」


「まあ待ってエインさん。グー爺も落ち着きなって。今言ったのは、普通の人に使ったら、ってこと」

 リウは、驚愕を隠せない面々を涼しい顔で抑えて、眠るカタナを見下ろした。


「これはつまり、カタナの『血』の副作用ってトコかな」



 北方山脈の民であるカタナ=イサギナ。彼の身体を流れる血は、平地の民のそれよりも格段に優秀な働きを持っている。


 限られた酸素と栄養をより速く、より効率よく全身に行き渡らせる血は、体の主に常人を大きく上回る体力や回復力を与える利点があるが、同時に、欠点もある。


 己にとって有害な物質であっても、体内に取り込まれたものを彼の血は瞬く間に全身に運んでしまうのだ。


「まあ、血それ自体の抵抗力も高いらしいから、普通に暮らしている分には問題ないんだろうけど、取り込むモノによってはこんな風に逆に効き過ぎることもあるってこと……今のカタナは、コトイの毒を大量に吸った場合と同じ症状だ」


 他にも()()()()()など、もともと抵抗力の無いものにはかえってカタナの民族は弱いのかもしれない。もっとも、何か()()()()()()()()()を摂れば、回復もまた早いのだろうが。

 と、リウは心の内だけで呟いた。



「むう、詳しいことは良くわからんが。つまり、カタナが倒れたのはもっと後になってから効くはずの毒の効果が、あまりに急激に出た結果……ということか?」

「ではカタナくんが倒れたのは、あちらにとっても計算外のことだったと?」

「確かに、あんな風に目の前で不自然に倒れられては、自分が怪しまれるだけだろうからな……」


 それぞれ考え込んでいる彼らに背を向けて、リウはまだ目を覚まさないカタナの顔を、焦れたように指で弾いた。

「カタナだって、自分がこういう毒に弱いのは知ってたはずなのに、あんな無茶して動こうとするなんて、本当にバカだヨ。バカタナ!」

「まあ落ち着けリウ坊。しかし結局、カガマはどうやってカタナに毒を盛ったのか……。儂はまるで気付けんかったが」


「……カタナの身体にコトイキクの匂いがかすかに付いてた。だから、香水みたいにしてそれを吸わせたんだと思う。だけど……」

 リウの疑問に、エインが頷く。

「ああ、カガマも言っていたことだな。あの距離では自分にも毒の被害が及ぶ、だから自分は何もしていない、か」


「そんなの、何とでもできるでしょう? あまり強い物でないのならその毒に慣れておくとか、あとは解毒剤でも一緒に仕込んでおくとか」

「オーブさん。毒の耐性なんて、一年二年で付くものじャないヨ。子供のころから専用に慣らしていかないと」


 首を振るリウ。彼女にも、どうすればカタナだけに毒を与えることができるかという問題の答えは分からなかった。


「コトイの毒を中和する作用のある植物はあるけれど、事前に飲んでも意味は無い。同時に使えば確かに毒は効かなくなるけど、そんな様子もなかったし」

「……いっそ、ヨナンでも締め上げて吐かせますか?」

「やめんかオーブ。それでは下手をするとこっちが悪者にされかねん。何か確証を掴んでからでなければ……」


 そして同時に、分かる必要もないと思っていた。


「別に毒の仕掛けなんてどーでもいいじャない」


「リウ?」

 エインが戸惑った声を上げるが、リウにはなぜ彼らが『そこ』に拘るのかということの方が分からない。


 疑わしきは――即ち悪だ。


「今回のことでカガマが対戦相手に毒を使うって『噂』でも立てば、同じ手は二度と使えない。どのみちこの手品は終わりだヨ。あとはもう金輪際関わらなければそれで……」


「違うな」

 と突然、場の四人のうち、誰のものでもない声が上がった。


「カタナ!」

 リウが、唖然とした表情で振り向く。


 毒に侵された少年が、眼を開いてゆっくりと上体を起こそうとしていた。



「カタナ、まだ動くでない!」

 グイードが慌てて押し戻そうとするのに逆らって、カタナは擦れた声を上げる。


「……おれは、カガマと戦う」


「……カタナ」

 リウの顔が、微かに歪んだ。そこに過ぎるのはある種の痛ましさか。

「ムリだよ、きみの身体は動かない」


 しかしカタナは、突き放す言葉を受けても怯まない。どころか。

「なら頼む。リウ、この手足が動くように……明日剣闘ができるようにしてくれ」

 逆に、そんなことをリウに要求した。


「は? 何言ってんのさ! そんなのできるわけ……」

「やってくれ。()()()()()()()()()()()でいいから」


「な……」

 ぱくぱくと、リウは完全に二の句が継げなくなっている。


「え、何か方法があるのかい、リウくん?」

 オーブの疑問には、カタナが答える。

「……さっきから、みんなの話は聞こえていました。リウは『コトイの毒を中和する作用のある植物はある』って言っていたしその使い方も知っていた」


 大きく、カタナは息をつく。長く話すのもまだ負担なのだろう。それでもじっとリウを見上げて。

「少なくとも、『それ』のアテはあるはずだ」


「……」

 無言のリウ、エインたちも、固唾を飲んで彼女を見ている。


「リウ」

 カタナが重ねて促す。

「頼む。おれは絶対に、カガマを倒したい」


 リウは、そんなカタナを感情の窺えない無表情で見返していたが。

「何の――ために……?」


 ぼそりと、暗器使いの少女は呟いた。言葉は不明瞭で、カタナたちには聞き取れない。

「リウ?」

 カタナが聞き返した瞬間。


「あーもう分かったヨ! ヤればいいんでしョ?」

 リウは、やけっぱちな態度で叫んだ。



「エインさん! ひとっ走り商会まで戻って、ボクの部屋から黒い風呂敷とバツ印の付いた木箱を持って来て」

「……何?」

「いーから早く! 揺らさず、急いで、可能な限り!」


 蹴り出すようにエインに指示を出し、リウはきっ、とグイードとオーブを睨む。それだけで歴戦の剣闘士二人は、ぎくりと背筋を伸ばす。


 今のリウは、男が逆らうことのできない女性独特の有無を言わさぬ空気を発していたのだが、カタナを含む剣闘馬鹿たちにはそんな機微は分からない。

 カタナ以外はリウの性別を誤解しているのでまだ同情の余地はあるが、それも今はどうでもいい。


「グー爺、オーブさん。二人は綺麗な水と薪を用意して。手持ちのお金が無くなるまで、ありったけ」

「え?」

 オーブがぎょっとした顔で眼を剥いた。もちろんリウは構わない。


「そこにぼろっちいけど暖炉がある。それを使って、火を起こす」

「ちょ、待たんか! 火じゃと?」

 今度はグイードが裏返った声を上げた。

 言うまでもないが今の季節は夏である。今もこの部屋は相当に蒸し暑い状況だというのに、さらに火を起こすとどうなるか。

 はっきり言って正気の沙汰ではない。


「とにかく急いで! これから、カタナの毒抜きに取り掛かる!」

 委細構わず。リウはそう宣言して、三人を部屋から追い出すように再度促した。



「ヤレヤレ、無茶を頼まれたもんだヨね、まったく」

 カタナと二人だけになった部屋で、リウは長衣を脱ぎ、身体に仕込んだ暗器を外し始めた。それで、始まる『治療』の内容がより一層明らかになる。


「……すまん」

「ふん、覚悟しといた方がいいかもね。……死ぬほど暑いヨ?」


 カタナは、深く息をつくが、やめてくれとは決して言わない。

「まあ、明日戦うためだ。耐えてみせるさ」

「ハイハイ、我らが商会長サマのためだもんね」


 そう言って口を少し尖らせるリウに、カタナは苦笑して言葉を継ぐ。

「ああ。それと、さっき理由がもう一つ増えたしな」

「ン?」


 首を傾げる彼女に、分からないか、とカタナは間を開けて。


「お前に人殺しをさせたくないからだよ、『リーリ』」


 リウ――リーリウムは、琥珀の瞳を大きく見開いて驚愕を露わにした。


「どうして……」

「分かったかって? お前と会ってからもう一月以上だ。毎日訓練して話もして、性格はお互いよく分かってくる頃だ……何を考えてるか、も」


 カガマたちに関わるな――。彼女がそう言っていたのは、自分がカガマを暗殺した時にヒューバード商会に疑いの目が向けられまいとするためだったのだろうとカタナは思う。

 確かに主犯格であろうカガマの首が転がれば、裏切りの清算も毒の不正も、ある意味では解決するのだろうが、カタナには二つの意味で受け入れられるものではない。


「これはおれのわがままだ。レレットを傷付けたカガマはおれが倒す。リーリにも、人を殺して欲しくない……どっちの目的も、おれが勝てば果たせることだ」


 カタナは眼を閉じて、床に身を横たえた。

「そう思えば、多少のことは何でもないだろ?」


「……カタナのバァカ」

 リーリウムは、拗ねたように言った。とカタナには聞こえたが、あるいは気のせいだったかも知れない。

 何故なら。


「言うに事欠いて、『ボクのため』? 毒が回ってるのにカッコつけちャってさ」

 そう言う彼女の声が、わずかに笑みを含んでいるように感じたからだ。


 いよいよ月は天高く、剣闘前夜は深まっていった。

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