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剣闘のカタナ  作者: 某霊
二章 1.背信の剣闘士
38/113

闘技場に背を向けて

 ヒューバード商会の面々が着いている卓は、気まずい沈黙が落ちている。


 半年前に『十字槍』のカガマが商会を捨てた事情を一通り語り終えたエイン、グイード、オーブの三人は、固まったままのカタナとリウをよそに手酌で酒を呑み続けている。呑まねばやっていられない、ということだろう。

 今ならカタナにも彼らの気持ちが分かった。これだけ虚仮にされた相手に好感情など抱けるわけもない。


「……で、でもさ。そこまでした剣闘士が何でのうのうと別の商会に移ってるのさ! 一番悪いのは投げ出した本人でしョ?」

 居心地の悪そうなリウが疑問を投げかけるが、杯を止めたエインがゆるりと首を振った。


「剣闘士商会組合の規則で言えば『剣闘士を闘技場で戦える状態に保つ』ことは『剣闘士の衣食住の保障』と同じく商会の業務に当たる。故にこの場合、『剣闘士を参戦させなかった商会』の監督不行届きとなる……ふざけた話だが」


 グイードも忌々しげに頷く。

「無論、これは詭弁よ。組合には剣闘士の守るべき規則もある。しかし組合の連中は、一人の愚か者を処分するより、一つの商会を食い物にする方が得だと判断して、それを押し通した。カガマは一月ほどシュームザオンから雲隠れしておったが、今では何食わぬ顔でマーナン商会の有力剣闘士に収まっておる」


 酷な話だが。商会を衰退させた直接の原因はこの事件だったとしても、レレットという商会長が率いる商会でなければ同じ事態に陥りはしなかった、というのも事実だろう。

 経験と実力を兼ね備えたものが率いる商会ならば、万一同じ状況が起こっても断固として逃げた剣闘士の非を鳴らしたはずだ。


「しかしお嬢は、昔から見知っていたカガマを責めることができなかった。何か事情があるのではないかと、そう思って、っ――!」


 いきなり、声を途切れさせたエインが跳ね上がるように椅子を蹴り、背後に向き直った。その手は既に、立てかけてあった愛剣にかかっている。


「――エインさん?」

 カタナは、声を掛けようとして、直後気付いた。

 肌を刺すのは、手練れの戦士の発する、特有の鋭い存在感。


「事情なら、あったさ」


 エインの貫くような視線の先に、男が二人、立っている。

 一人はやや小柄で、筋骨たくましい二十代の男。口元を歪めてこちらを見ている表情には嘲りの色がある。眼に宿る酷薄な光は、見るものの神経を逆撫でするようにあからさまだ。


 しかし、この男からはさほどの実力も、威圧感も感じない。

 もう一人の方が、カタナが反応した気配の主だ。


「……あれが」

 エインと同じくらい高い背丈。顔の肉は病的に落ち、体躯は痩せており明らかに不健康な佇まい。

 丁寧に撫で付けた濃紺の髪の下には、内心を悟らせない細められた眼が仄暗い光を宿している。


「暮らしていた船の底に、いつの間にか大穴が開いていたという、極めて切実な事情が、な」


 その男、『十字槍』のカガマ=ギドウは、柔和な声でそう言った。



「やはり現れよったか、カガマ。それに、ヨナン」

 低く唸るような声音で、グイードがやって来た二人の男の名を呼んだ。


「はっ! 馴れ馴れしい口は止してくださいよ爺さん。俺はもう二つ名持ちの剣闘士、『大鎌』のヨナン様ですぜ!」

 背の低い、しかし全身筋肉で覆ったような身体の、一見不恰好にも見える姿の男が、嘲笑の響きを隠そうともせずそう

 エインが、男――ヨナンに冷たい一瞥をくれる。今にも剣を振り抜こうかという体勢だ。

「知らんな、そんな呼び名……お前にはせいぜい『小判鮫』がお似合いだ」


「おお怖。……おういオーブ。同期のよしみで庇ってくれてもいいだろう?」

「同期? 気色の悪い戯言だ」

 肝が据わっているのか舐め切っているのか、平然とした態度のヨナンの言葉に、オーブが秀麗な顔を歪める。


「逃亡事件で商会が混乱している時に、備品をくすねて真っ先に逃げ出すようなドブネズミと肩を並べた覚えはない」


「はあ、なんだいそりゃあ! 俺にはまったく覚えがねえなあ」

「貴様!」

 怒気を込めた叫びを上げたオーブが、槍を掴んで立ち上がる。目撃した周囲の客の間に悲鳴交じりのざわめきが広がりかけた、その瞬間。


「もういい、下がれヨナン……オーブもそこまでだ、ここは闘技場ではないぞ」

 カガマが、険悪を通り越して一気に緊迫しつつある空気を遮るように、苦笑気味に静かな声で両者を制した。


「へぇい」

「……」

 ヨナンは、嫌味ったらしく肩を竦めるが、それでも従順にカガマの背後に控えた。オーブも、不満の色を隠そうとはしないながらも槍を置く。カガマはそれを確認して軽く頷いた。


「わざわざこちらの行きつけの場所で待ち構えていたのだから、何か用件があったのだろう……グイードさん」

 ふん、とかつての同胞に呼ばれた老剣士は椅子に腰を落とす。

「お主が来た時点でもう用は済んだわ。『ウチの新人』がお主の陰気な顔を見物したいと言うもんでな……察しておったろうが?」


 グイードのぶっきらぼうな言葉に、カガマの苦笑が一段深いものとなる。

「それはそれは。では折角だから自己紹介でもしておこうか」


 そして『十字槍』の闘士は迷うことなく、座ったままのカタナの前に滑るように回り込んで、ぐっと顔を近づけてきた。香水でも付けているのか、花の薫りが僅かにカタナの鼻孔に届く。


「……カタナ=イサギナ。私がきみの次の相手、カガマ=ギドウだ。よい剣闘となることを期待している」


 至近距離でも、カガマの糸のような眼は内心を覆い隠している。丁寧に見える態度に、しかしカタナは不穏の気配を感じずにはいられない。

 カタナの不審を察しているのかいないのか。カガマはあくまでも好意的な態度を崩さずに話を続ける。


「きみの評判は聞いている。お世辞抜きで大したものだ、潰れかかった商会に望んで入り、ものの一月で立て直そうとするなど、なかなかできるものではないからな」


「……どうも」

 カタナは、掴みどころのない違和感に戸惑いつつも、目の前の男を観察し続ける。


 強いのは確かだ。ただ相対しているだけで、背筋に緊張の糸が張られたようなこわばりを感じてしまう。

 しかし、それとは別次元で、どこか異様な男でもあった。


「かつて『闘技王』を殺した男に教えを受けたという触れ込みは本当か? いや、疑ってはいないさ。その若さでその強さ、相応の理由が無ければこっちがいい面の皮だからな」


 言動におかしなところは見当たらないのに、どこか妙に芝居がかっている。

 例えるなら、真面目な話を装って、その実婉曲な言い回しでからかわれている時のような、端々に表裏の齟齬が微かに透けて見えてしまう感覚がある。


「もういいでしょう、ウチの後輩にいつまで絡んでいる」

 黙ったままのカタナを見かねて、オーブが苛立ったように声を上げる。彼の眼は、カガマ自身よりも、すぐ背後にくっついているヨナンに向けられているが、当のヨナンはたじろぐ様子もなくオーブをにやにやと見返すばかりだ。


「ったく、誘いをかけておいてつれないな。まあそちらの用件が済んだのなら、失礼するさ。どいつも和やかに酒を酌み交わそうって空気じゃあないからな」

 苦虫を噛み潰した顔のヒューバードの剣闘士たちにそう言って、さっさと踵を返そうとするカガマ。しかしカタナの違和感はなくならない。どころか強くなる一方だ。


 この場でカタナだけがわかることだ。

 他の者は気付いていない。その『何か』を自身に向けられていないからだ。


 カガマは、今この場で、カタナだけに『何か』を仕掛けている。

 正体のわからない焦燥に駆られ、カタナは五感を研ぎ澄ませてその正体を探る。


(何だ、何がおかしい? 視覚、聴覚、触覚、嗅覚――)

「――っぐ!」


 気付いた瞬間、カタナは椅子ごと倒れこむように飛び下がった。呼吸を止め、口と鼻を覆う。

(この『匂い』は――!)


 カガマが纏っている、香水だと感じた薫り。

 呼び覚まされるのは、かつて暮らした原初の森で、幾度か嗅いだことのある、危険な匂い。


 それは、ある白い花の花粉だ。

 その花が、強力な神経麻痺の効果を持つ植物であることを、カタナは経験的に知っていた。


 しかし、大陸各地に点在して群生している「コトイキク」という花の名と、その花が麻酔薬や、麻痺毒の原料として帝国に出回っていることまでは、彼は今日まで知る由もなかった。


 違和感の正体は、カガマ本人ではなく、陰で密やかに滴る毒に蝕まれていく己の変調だった。


「……ぐ、ぁ」

 そしてカタナが気付いた時には既に、毒は少年の全身に回り始めていた。



「カタナ!」

 異常の発生にいち早く反応したリウが思わず叫び、倒れたカタナの下へと駆け寄る。エインたちも、数瞬遅れて彼女に続く。


「……だ、めだ」

 舌の動きも覚束ないカタナは、極力呼吸を抑えて微かに囁く。


「ど……く」


 リウはカタナの擦れた言葉を聞き取ると、さっと顔色を変えて、しかし躊躇うことなくカタナの口元にぐっと顔を近づけた。


「この、匂いは、コトイの麻痺毒! ……キサマッ!」

 犬歯を剥き出しに吠えたリウの身体が跳ね上がる。『縛』と『針』を両の手に、カガマと、背後に隠れるヨナンを視線で射抜く。


「どういうつもりだ、なんて聞かないヨ。ここで叩き潰してヤる!」

 臨戦態勢でほぼ全開の殺気を放つリウに、しかしカガマは、平然とした様子を崩さない。ただ倒れたカタナを、つまらない見世物でも見るように見下している。

「何を言っている? おれが一体何をした」


 ぐっ、とリウの口角が凶悪につり上がる。笑みと威嚇、殺意と嗜虐が配合された表情は、断じて剣闘士などという()()()()()のものが見せる顔ではない。

「対戦相手に毒を盛ってシラを切る気? イヤ、いい。言い逃れなんて聞きたくもない」


 兇相のリウを前にしてもカガマはたじろぐ素振りも見せず、彼女の射殺さんばかりの視線を弾き返す。


「言い逃れだと? 待てよ小僧。あの距離でおれが毒など使えば、当然自分にも回る。どうやってそいつにだけ毒を盛ると言うんだ?」

 カガマの言葉に、激昂していたリウが微かな動揺を見せた。


 確かに、リウが見ていた限りカガマは毒をカタナにだけ与えるような怪しい動きはしていなかった。だからこそ、リウはカタナの異変を察知するのが遅れたのだ。


(もし何かの仕掛けがあったなら、ボクが間違いなく『聴き破る』はず。なら……)


「カガマ。お主、ここまで落ちたか!」

 黙ったリウに代わり、グイードが肩を怒らせて詰め寄るが、『十字槍』は動じないまま睨み返す。

「言いがかりだ、と言っている。俺のことをどう思おうと勝手だが、無実の罪を着せられる筋合いはない。俺が毒を使ったというなら、それを証明してみせろ」


 冷厳そのものの言葉にグイードが激昂するより速く、剣闘士たちが睨み合う一帯を、荒ぶる剣気が吹き荒れた。


「!」

 闘技場でさえ滅多に感じられない鋭い気配に、倒れたカタナ以外の全員が反射的に身構える。同時に彼らの視線は、否応なく「発生源」へと向けられる。

 そしてそこには。


「……あまり舐めてくれるなよ。その腐った口、斬り落としてやろうか」


 エインが、氷塊を削るような軋んだ呻きを発しつつ、その手に刃を構えていた。

 眼には怒りと、紛れもない闘志がある。もはや場所も時節も考慮の外、ここで因縁を終わらせる心算か。


 活気に満ちていたはずの酒場に、剣闘士たちが放つ怒気と殺気が幾重にも広がって、身動きもできない周囲の客たちが固唾をのんで遠巻きに彼らを見ている。

 その中でただカガマは、ヒューバードの剣闘士たちの怒りなどまるで無視して背を向けた。


 解き放たれる寸前で、エインの剣先が止まる。いかに怒りに我を忘れていても、彼は戦意のない丸腰の相手を背中から斬ることができる人物ではない。


「どうやら、証拠などないようだな。多分体調管理に失敗しただけだろう、いや、案外酒に弱いだけだったのかもな? 何にせよ。それを言い訳にして、明日の剣闘から、()()()()()?」

 言い捨てて、『十字槍』のカガマは、もはや用は無いと言わんばかりにそのまま歩き出した。


「く、待てカガマ!」

 オーブが髪を振り乱して怒声を上げても、もはや彼らを一顧だにしない


「ああそうだ、レレットのお嬢に伝えときな! 待遇次第では戻ってやってもいいぜ、ってな!」

 残っていたヨナンも、笑い混じりの捨てゼリフを最後に慌てて駆け去って行く。


 後には、怒りの矛先を見失い立ち尽くす、ヒューバードの剣闘士たちだけが残された。



 身体が重い。まるで全身に鉛の服がまとわりついているかのようだ。指一本動かすのに、まるで大岩を持ち上げるような疲労がつきまとう。

 しかしカタナは、少しずつ、蠢くように腕を這わせて、さらに強引に床に掌をついて顔を上げ、渾身の力を込めて上体を起こす。


(『逃げるな』? 『戻って、やっても』……だと?)

 鼓膜に反響する、最後の言葉。絶えず沸騰する脳が、カタナの鈍い神経に強烈な活力を滾らせる。


「……ふざけ、るな」

 肺に残った毒を吐き出すように、カタナは呻いた。


「カタナくん、平気かい?」

「待てオーブ、迂闊に動かすな!」


 介抱しようとする仲間の手を制して、自分の足で立ち上がろうと試みるカタナ。足がふらつき、真っ直ぐ首を据えることもおぼつかない。


「カタ……そ、毒は……!」

 少年は、傍らに転がっていた『姫斬丸』を掴み、切っ先を杖のように床に突いて無理やりに地に足を固定した。頭が揺れて酷く気持ちが悪い。傍らでリウが何か呼びかけているが、よく聞こえない。


 それでもただ、カガマたちの去って行った方向を睨み据えて声を絞り出す。そこには既に影さえ残っておらず、開け放たれた扉と、闇に沈んだ街の影だけがあった。

 しかしカタナは、視線の先に居るはずの敵に向かって、途切れ途切れの声を上げる。


「……絶対に、勝つ」


 絞りだされる言葉は、剣闘士としてのものではない。カタナ=イサギナという、一個の存在としての宣言だ。


 二つ名持ちの剣闘士?

 関係ない。どれだけ強かろうとも見逃しはしない。


 毒の影響?

 それがどうした。両の手足が動かなくとも、喉笛に喰らいついてでもあいつを倒す。


 卑怯だとか、戦士の誇りだとか、そんなお題目で戦うつもりは毛頭ない。

 明日の戦いだけは、行われるのが闘技場であってももはや剣闘ではない。剣闘士ではなく、ただ一人の男として挑む、純然たる私闘になるとカタナは理解する。


 何故なら――。


「あいつは、レレットの敵だ」


 ならばそれを討つのはカタナの役目だ。他人にも、『剣闘士である自分』にも、この世の誰にも譲れない。

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