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剣闘のカタナ  作者: 某霊
二章 1.背信の剣闘士
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旅人の酒場、逃亡者の爪痕

 夏の煌々たる太陽もようやく落ちて、街に夜が訪れる。

 そして、入れ替わるようにしてシュームザオンの盛り場に灯った人工の光に誘われる虫の如く、仕事を終えた人々が酒と憩いと悪徳を求めて三々五々と集っていく。


 その中、一際大きい大衆酒場の一角にて。


「それじャとりあえず。カタナの明日の剣闘、戦勝祈願ってことで、カンパーイ!」

「おう、今夜は好きなだけ呑むぞ。カタナの奢りだしのう!」

「お、今日は『雪の火竜』が入ってるの? 僕あれが好みでね。お姉さーん、一瓶お願いできるかな。いやー悪いねカタナくん!」

「……カタナ、おかわり」


 それぞれ威勢のいい声を響かせるヒューバード剣闘士商会の剣闘士たちの姿があった。


「ちょっと! 奢りとか聞いてな……って言うか何でこんなことになってんですか!」

 ただ一人、カタナだけは憤懣やるかたない表情で、卓に両手を打ちつけた。


 カタナは、初めてとなる二つ名付きとの剣闘を翌日に控え、どういうわけかヒューバードの剣闘士たちとともにシュームザオンの繁華街へと繰り出していた。


「おれはただ今度戦う『十字槍』って剣闘士について聞いただけなのに、なんでこんな酒場に引っ張り出されるハメに……って奢りませんよ、エインさんいきなり呑み過ぎ!」


 カタナの抗議をエインはどこ吹く風と受け流して杯を重ね、こちらも早速一杯目を飲み干したグイードが、やかましそうに手を振った。

「落ち着かんかカタナ。出る時に言ったであろう、『釣り』とな」

 そして彼は目線をカタナから酒瓶に移し、透明な冷酒をなみなみと酒杯に注ぎながら続ける。


「カガマについては、口で言うより会った方が手っ取り早い。こうして待っておれば向こうから顔を出す……と言うわけで、お主も呑めい!」


「え――むが!」

 グイードに、無駄に強い腕力で確保され、酒を無理やり呑まされていくカタナ。リウが大喜びでそれを煽る。

「あはははは、呑め呑めカタナー!」


 騒ぐ同輩たちを尻目に、エインとオーブは酒を呑みながらも周囲に目線を走らせる。


 百人以上の客が入っている店内、さっきから声高に会話して見せているお陰で、エインたちが剣闘士であると気付いているものを多いようだ。しかも彼らの足元には、剣闘や整備の時以外は持ち歩かない、それぞれの得物がわざとらしく置いてあった。


「さて、上手く出て来ますかね」

「……この辺りはヨナンのやつの庭みたいなものだ。あのカガマの腰巾着におれたち――そしてカタナがいることが知られれば、勝手にカガマに話が行く」


「で、カガマの性格上、儂らにちょっかいを掛けずにはいられんはず、という話じゃ。わかったかカタナ?」

「――っぷは! 知りませにょ……ま、せ、ん、よ! おれはその人について何の情報もないんだから。性格ったって……」

 酒がもう回りつつあるのか、やや怪しい呂律で抗議するカタナ。それにエインたち三人はそれぞれ眼を見交わした。


「カガマがどんな男か、か。……エインさん、一言」

 オーブに促されて、エインは嫌そうに眼を背けて、しかし断固として言った。


「クズ」


 あまりと言えばあまりな言葉に、カタナと、そしてリウは唖然として声も無い。だがエインと、横のグイードとオーブは至極当然といった表情で頷いている。


「え、エインさん? なんてユーか、身も蓋も無さ過ぎ! もーちョっと具体的な話してヨ。情報がそれですんだら諜報員なんて要らないっての!」

「なんでそこで諜報? ……でもまあ、そうだね。今の内にちょっと話しておこうか」

 食って掛かるリウを宥めるように、オーブが酒杯を空にしてから居住まいを正す。


「カガマ=ギドウは、先代の死の後すぐ、商会で最初にヒューバードを出て行った剣闘士だ。……もちろんそれだけなら、僕らも別に責めはしない。剣闘士と商会の立場は対等だ。見限った商会を離れるのも、剣闘士の権利だ」

 槍使いの青年は一つ息をつき。


「しかし、ヒューバード商会を捨てる時に彼がしたことは……紛れもない裏切りだった」



 カタナたちが着いている卓からやや離れたところに位置している小さな円卓。

 そこに、三人組の客が居た。酒は尽き、食事もあらかた終わり、空になった皿をなんとなく眺めていた最も若い一人が、ふと酒場の一角に眼を留めた。


「ね、あれあれ、多分剣闘士だよね?」

 陽気な声を挙げて連れに何かを示しているのは、浅黒い肌にボサボサに乱れた収まりの悪い茶髪の少年。麻の白い風防衣を全身覆うように纏っている。彼の顔も肌も服装も、帝国中央部ではまず見ることのない異邦の出で立ちだ。


 子供のように無邪気に光る髪と同じ茶色の瞳が、若々しくも落ち着きのない好奇心に満ちている。その全身から発せられる人懐っこさが、少年の装いの珍しさを帳消しにして、周囲に違和感なく溶け込ませている。


「ほら、こんな酒場に武器持ち込んでるし、間違いないって」

 彼が示す先に居るのは、深刻な顔で会話している五人組――カタナたちヒューバード商会の面々だ。


「いらんちょっかいは出すなよ、セイ」

 と、異相の少年をたしなめたのは、向かいに座った男。


 少年と同じく浅黒い肌に茶色の髪と眼をしているが、こちらは髪を撫で付け帝国風の衣装を隙なく着こなした、堂々たる紳士の装いである。彫りの深い容貌の、人目を引く美丈夫だ。


「商会はまだ剣闘士として仁義を通してないんだ。商会長に面倒をかけるような真似は……」

「わかってるって、ハンザ叔父さん。でも多分あいつらだよ、フェイ姐さんの古巣のヒューバード商会って」

「なに?」

 少年の言葉に、ハンザと呼ばれた男が意外そうに眉を跳ね上げる。


「……あの緑混じりの黒髪は北方山脈の特徴……あれがカタナ=イサギナね。そして隣の銀髪は、南方の異民族地帯でよく見られる髪。恐らく暗器使いのリウ=シノバ。確かにフェイに聞いた、最近有名なヒューバードの新人二人みたいね」


 冷静な声で言ったのは、最後の一人、艶やかな亜麻色の髪を背中まで伸ばして揃えている若い女性だ。彼女だけは、他の二人とは雰囲気が違い、明らかな帝国人の顔立ちだ。

 そして声音とは裏腹に、切れ長の深緑の目には戦意の影が揺らめいている。


「やっぱりサーシャもそう思う? 歳もおれと同じくらいだって言うし、絶対そうだと思ったんだ!」

 相好を崩してはしゃぐセイに、ハンザは落ち着けと手を振りながらカタナたちに顔を向ける。


「ふむ、言われてみれば確かに。では横の男が、名高い二つ名持ちの『隼落とし』エインか」

「残りのも中々やるみたい。特に若い方、かなり鍛えてるわね」

 頷きあって確認する二人に対し、セイはそわそわと腰を浮かせる。


「ねえねえ、フェイ姐さんが組合っていうのに話を通したら、あの二人と剣闘してもいいんだよね?」

「組み合わせで決まれば、だ。この都市には二千人以上の剣闘士がいる、そうそう狙った相手とはぶつかれんさ」

「えー、何でさ! せっかく楽しみにしてたのに!」


 弟分の不満に、サーシャは好戦的な笑みとともに答える。

「街には街の流儀があるのよ。心配しなくても、わたしたちが楽しめる舞台はフェイが用意してくれるからいい子にして待っていなさい」

「ちぇ。ようやくイナカの村巡りから解放されて、強い剣闘士と戦えると思ったのにお預けなんてさー」


 意気込んでいる後輩剣闘士二人を、最年長のハンザが笑って宥めつつ、席を立つ。

「焦らずともすぐだ。剣闘都市の精鋭たちの腕前、存分に楽しませてもらうさ。そら、もう出るぞ。点呼の時間だ」


 異相の少年剣闘士セイ=シャンティア。その叔父ハンザ=シャンティア。そして女剣闘士サーシャ=キュアー。

 元ヒューバード商会職員、フェイ=フィターニア率いる巡業剣闘士商会の剣闘士たちは、そうして酒場から去って行った。


 彼らとヒューバード商会の剣闘士たちが相対するのは、もう少し先のことである。



 半年前までは、ヒューバード剣闘士商会内において『十字槍』のカガマは所属する二つ名持ちの中でも上位の実力者として知られていた。


 年齢は三十一。彼は剣闘士として脂の乗り切った全盛期にあり、実力は上だがムラのあるエインとは異なり、安定した勝率で商会に貢献していた。


 だがそんな日々は、ヒューバード屋敷の全焼。そして商会長の死という奇禍で全てが狂った。


 親を失い、ただ一人残された娘のレレットの嘆きは非常に痛ましいものであったが、災禍は所属剣闘士と商会職員たちにも大きな衝撃と動揺をもたらした。


「商会はこれからどうなる?」

「自分たちはどうすればいい?」

「このままでは路頭に迷ってしまうかもしれない」


 彼らは、哀しみと不安に苛まれ、商会長の弔いをしつつも右往左往して惑っていた。

 そんな中、涙も乾かぬレレットが立ち上がり、己が商会を引き継ぐと宣言したのだった。


「わたしが、父さんの、この商会を、継ぎます!」


 周囲は無論驚いたが、実はこの時、商会内ではレレットの決断に対しての不満や危惧より、むしろ安堵と歓迎の声の方が大きかったのだ。


「幼いことは確かだが、経験豊富な職員もいるし、何とかなるだろう」

「剣闘士がしっかり戦えていれば商会は大丈夫だ」

「このまま潰れたり、誰とも知らない輩に売り渡されたりするよりずっといい」


 そんな風に、むしろ「自分たちでお嬢を盛り立てよう」というものたちが大勢を占めていたのが、半年前のヒューバード剣闘士商会だった。彼らは傷付いた商会を立て直すべく、一丸となって再出発しようとしていた。


 しかし、その矢先、彼らを一挙に地の底に叩き落とす事件が起きる。


 それが、カガマ=ギドウの『敵前逃亡』である。



「逃亡?」

 カタナは、はっと表情を強張らせてオーブを見た。信じられない、そんな言葉が聞こえて来るような顔だった。


 オーブは、不快の感情を隠そうともせずに吐き捨てる。

「そう、剣闘の朝、彼は逃げたんだ。ただ一言『商会を抜ける』とだけ書置きしてね。……前代未聞の不祥事だよ」

「商会にはカガマの代役を務められる剣闘士は、エインを始め全員剣闘が入っており空きもなく、背に腹は代えられぬということで、組合に代わりを手配してもらうという醜態を晒す羽目となったわけよ」


 そんなグイードの言を受けて、酒を呑み乾したエインが、陰気な声で決定的な言葉を告げた。


「……そして最大の問題は、カガマが放り出した剣闘の相手が……『無刃』のアダムだったことだ」


「――ハ?」

 リウが、ぽかんと口を開けた。何を言っているのか分からないといった様子だ。カタナも同様。『闘技王』との剣闘を放り出すなど、あらゆる意味で有り得ない。

 それは、剣闘士として『闘技王』に挑む機会をみすみす逃すことなど考えられない――というだけの話ではない。


 帝国最強を謳われる剣闘士、『闘技王』の戦いが、どれだけ市民の注目を集めるものであるのかは言うまでもない。

 数千もの人間がただ『闘技王』の戦いを目撃しようと闘技場へ押し寄せるのだ。そこに生まれる人と物と金の動きたるや、シュームザオン屈指の演目コンテンツと言って間違いない。

 そしてそれがもし当日にご破算になってしまえばどうなるか、想像するだに恐ろしい。


 二の句が継げない二人に、グイードが酒杯を叩き付けるように置いて言った。

「この一件で、商会の信用は木端微塵。また、剣闘の契約違反と言うことで罰則金が課せられ、さらに賭けの返還金負担と合わせて、商会資産のおよそ八割が吹っ飛びおった」


「……」

「……」

 カタナもリウも、もはや無反応。語られた話のあまりに酷い内容に、完全に理解が追いついていない。


「そしてヒューバード商会の資金は瞬く間に消えて、給金の当てのなくなった職員は全員消えた。連日不利な剣闘を押し付けられて、剣闘士も大量に消えた……というわけだ」


 つまりそれが、カタナがシュームザオンを訪れ、レレットと出会うまで続く、ヒューバード商会暗黒期の始まりであったのだ。

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