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剣闘のカタナ  作者: 某霊
二章 1.背信の剣闘士
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連勝の波紋

「じゃあ、ジークさんはもう元気になったんですね」

「ああ、毎日訓練しながら働いてるから、体はもう心配ないと思う」


 剣闘士用品店『ノックイン』。カタナはその店内で、ルミル=トートスと向かい合っていた。

 共に店を訪れたオーブは商品を物色中。グイードは店主と何やら話し込んでいる。


 剣はテンゼン工房、防具は『ノックイン』。

 剣闘を終える度、カタナは装備をそれぞれの店に持って行って研ぎ直しや調整を頼んでいる。装備の状態に気を使っているというのは勿論だが、それ以上にここ二、三戦激しい戦いが続いていて、剣も防具も酷使されているという面が大きい。


 連勝しているカタナの対戦相手は日を追うごとに強さを増し、前回はついに剣闘生活十年目という古豪の剣士との剣闘となった。

 何とか勝利したものの、足に強烈な突きを受けて、頑丈な鯱革の防具が貫かれた。もっともそのおかげで防具の下の肉体に痛手を受けずに済んだのは幸いだったが。


 ともかく補修をするべく『ノックイン』を訪れたカタナは、出迎えたルミルにジークの近況を話して聞かせていた。


「良かった。ケガのこともそうだけど、ちゃんと落ち着く先が決まってホッとしました」

 そう言って胸を撫で下ろす彼女の姿に、カタナは大した子だと改めて思う。


 ジークとルミル。先月の一戦に先立って、二人の間に何があったかを考えれば彼女がジークの心配をする理由は無い。むしろ敵意を持つのが当然だろう。

 しかし、それこそ当然のように、ルミルはジークの身を真摯に案じている。そして彼女の今の姿は、カタナの眼には理屈を超えてしっくりとくるものとして映る。


 ――それでこそ。


 などと、さして長い付き合いでもないのにしみじみと感じられるほどに。


「カタナさん? どうかしましたか?」

「ああ、いや。何でもないよ」


 まだカタナは、自身の感じているものがある種の憧憬と呼ぶべきものだということに気付いていない。

 なぜかと言えば、一つは単純に年下の少女に『そういった感情』を抱くことに思い至らないからでもあるが、そもそもカタナは、ルミルのことを良くも悪くも『同じ世界の住人』と見ていない面がある。


 これは、リーリウム=シノバがルミルを嫌うのと、方向性は違っても同じ心の動きと考えるべきだろう。

 リウは争いのない世界で安穏と生きて来た(と思える)ルミルが気に障る。逆にカタナはルミルの生活している、人殺しをしなくてもいい世界を正しい姿だと感じているがために、彼女と「そこ」に居られない自分とは別世界の人間なのだと捉えているのだ。


「あ、そうだ。カタナさん、今日もう少し時間ありますか?」

「え、ああ。特に予定はないから大丈夫だけど?」

 その意味で、カタナとルミルは笑顔で会話をしながらも、心は大きな壁に隔たれていると言わざるを得ない。


「良かった! 実はカタナさんが来たら見せたい手袋があったんです!」

 少なくとも、今はまだ。



「では、今週の会合はこれにて解散とする」


 会議の議長役を務めるイシュカシオン商会の商会長が、重々しく宣言すると、広い室内に設けられた百以上もの椅子にそれぞれ座っていた人々が一斉に立ち上がって動き出す。


 ある者は一目散に部屋を飛び出していき、ある者はそれに追いすがって慌てて続く。恐らく剣闘の組み合わせで問題があったのだろう。


 部屋の一隅に固まって何やら意味ありげに囁き交わす者たちもいる。大小さまざまな集まりの中心には、剣闘士商会の『派閥』、その中心人物たちがいる。

 彼らの動向次第でシュームザオンの剣闘情勢は大きく変わるのだから、人が群がっては情報を求め、要請を上げていくのは当然の成り行きだ。


 ヒューバード剣闘士商会の長、レレット=ヒューバードは、それらの動きを横目に見ながらも己は席に着いたまま動かないでいた。


 剣闘士商会組合、商会長会議。

 会議の場に集まるものは、ほとんどが一定以上の年齢の男性だ。その中で、一際若い――むしろ幼いとさえ言える年頃の少女は、ただ居るだけで異質なものを見る目を向けられる。さらに少しでも下手な言動をすれば、即座に男たちの視線が突き刺さるのだから、迂闊に席を立つこともはばかられる。


 現在はサザード商会という有力な剣闘士商会を後ろ盾に得、所属剣闘士も好調を維持している分だけ以前より遥かにマシな状況だが、ここがレレットにとって過酷な場であることには変わりない。


「……やられた」

 今回もそう。会議の内容を思い返したレレットは、小ぶりな唇をきつく噛み締めた。


「あら! ダメよそんなことしちゃ」

 と、じっと固まっているレレットの背に、場にそぐわない高い声が届き、少女は思わずびくりと背筋を伸ばした。


「え。あ……」

「乙女の唇は最終兵器も同然なんだから、丁寧に扱わなきゃいい男が落とせないわよ?」


 そう言ってレレットに嫣然たる笑みを見せるのは、落ち着いた青の乗馬服を見事に着こなした妙齢の女性。

 砂色の髪を緩く編み、隙なく化粧を施された白貌にはしどけない泣き黒子。口紅の控えめな桃色がかえって官能的でさえある美しさを備えた女性だ。


「フェイ姉!」

 女性の顔を見たレレットは、喜色を露わに慌てて立ち上がり、彼女に抱き着かんばかりに詰め寄った。

「お久しぶりねレレットちゃん。かれこれ二年ぶりかしら? いろいろ大変だったみたいね」


 フィターニア剣闘士商会の商会長、フェイ=フィターニア。

 年齢不詳のこの女性は、己が率いる剣闘士商会を丸ごと移動し国中を「巡業」させるという、他とは異なる方法で運営している剣闘士商人である。


「びっくりした。いつ、ここに着いたの?」

「シュームザオンには今朝入ったところよ。今日の会合には間に合わなかったけど、次回に向けて剣闘士を売り込みにね」



 巡業商会と言われる彼女のような商人は、都市に定住している剣闘士商会とは大きく異なる形で剣闘士を売り出している。


 まず、主な商売として帝国各地を不定期に移動し、闘技場のない街や村で剣闘を執り行うというものがある。

 これは誘い合わせた複数の商会で対抗戦にすることもあるし、一つの商会内で戦ったり、現地の腕自慢を募ったりすることもある。


 つまりは剣闘の行商だ。やり方としては旅芸人の一座に近いもので、娯楽に餓えた人々が多くいてしかも商売敵の少ない土地での剣闘興業は、濡れ手で粟の美味しい仕事となる。


 さらに彼らは、既に闘技場を抱えている都市を訪れると、そこでの剣闘に参入することもできる。

 通常、闘技議場を抱える都市は、それぞれ領主あるいは剣闘士商会の組合が剣闘を仕切って秩序を形作っている。剣闘の組み合わせしかり、賭けの運営しかり、剣闘に携わるもの同士の連携で闘技場は成り立っているのだ。

 それは安定した興業を行っていくには有効だが、同時に体制の固定化を招くのも事実だ。


 変化を失いマンネリ化した娯楽は、あっという間に人々の興味が失われていくものだ。シュームザオンや帝都ほどの剣闘士人口があればいざ知らず、そこまで多くの剣闘士を持たない地方都市では死活問題ともなる。


 そこで都市に呼び込まれるようになったのが、巡業商会である。


 その都市では馴染みの無い、しかし経験と実力を備えた本格派の剣闘士を抱える巡業商会を招くことで新鮮な戦いを大衆に披露することが眼目だ。そして巡業側は、人目を惹く剣闘相手を優先的に割り振って貰えるという利点を得て、両者の共棲関係が生まれた。

 そして現在、巡業型商会は帝国剣闘文化に根付き、どの都市でも多かれ少なかれ「巡業」というヨソ者にしてマレビトを受け入れている。


 商売を行っていく上ではかなりの好条件を持つ巡業型の剣闘士商会であるが、しかし数自体は決して多くない。

 と言うのも、今の帝国においては、都市間の移動というものは未だ危険に満ちた行為であるからだ。


 帝国は大陸の七割という広大な版図を手中に収めている巨大国家だが、中央――皇帝府がすべてを正確に把握し統治しているかと言えば甚だ怪しい。


 カタナの故郷の村の例の通り、以前から辺境地帯は半ば放置されている状態にあり、さらに地方もここ百年ほどは大都市を治める皇族や諸侯に任せきりで、徴税権や軍権をはじめとするほとんどの実権を手放している。

 実質、帝国中央政府の威光が十全に届いているのは帝都を中心とした一帯と、シュームザオンなどの一部の直轄領周辺くらいなのである。


 「平和な帝国」という輝かしい姿の足元には、膨張しすぎた身体を持て余し、たとえ繁栄を乱すものがあっても容易に身動きが取れないのが現状なのだ。


 必然、各地荒野には野盗や魔物の跳梁する無法地帯も数多く存在しており、それらを避け、あるいは突破するのには大きな労力や危険を伴う。

 ただでさえ、旅暮らしは強靭な体力を持っていなければやっていけない生活である。その上で十人以上からなる部下を率いて食わせていく巡業剣闘士商会の長は、激務という言葉では片づけられない過酷な生業と言えた。


 そして今レレットの目の前にいるフェイは、かつてヒューバード商会の一職員の身から独立し、以来十年近く剣闘士商会の巡業を指揮しているという女傑であった。


 当時は女っ気の少ないヒューバード剣闘士商会で、良く仕事場に紛れ込んできた幼いレレットの世話をしてくれていたのが彼女だった。レレットにとっては、フェイは血の繋がらない姉のような存在だった。



 フェイは、労わるようにレレットの赤い髪に触れる。砂塵に晒されてなお肌理の細かさを失わない指がそっと頬へと伸びた。


「都市に着いて、会長が亡くなられたことを知った時も驚いたけれど、あなたがこうして後を継いでいたことが一番驚きよ。少し痩せたかしら。ちゃんとご飯食べられてる?」

「うん……食べてるよ」

 今は、とレレットは口の中だけで答える。つい先月までは文字通りほとんど食事が喉を通らない状態だったことを言って心配させたくはなかった。


「そう。顔色は悪くないし、余計な心配だったかしら? 元気があって何よりね。有望な新人見つけ出したくらいだし?」

 フェイの愁いを帯びてひそめられていた表情が晴れ、一転して艶やかな微笑がレレットに向けられる。レレットは、うっ、と警戒して一歩下がった。この顔をした彼女に何度もからかわれた幼少期の記憶が甦る。


「最近ヒューバードに入ったっていうカタナ=イサギナにリウ=シノバ。どっちも相当な出来物だってウワサじゃない? 特にカタナって方は初戦以来負けなしの七連勝!」

 あっけらかんとした響きの声に、まだ残っていた周囲の商会長たちの視線が彼女たちへと突き刺さる。レレットは無意識に首を竦めてしまうが、フェイは彼らの白眼視などどこ吹く風と受け流している。この辺りは流石に格が違う。


「……好調なのはいいんだけど……」

 褒められてなぜか口篭るレレットに、あら、と怪訝な眼をしたフェイは、しかしすぐ得心して頷く。

「……そう、周りのオジサマたちが潰しにかかって来ているってことね。相変わらず出る杭は遠慮なく打たれるわね、都市の中は」


 五連勝していたジークを「喰った」形で剣闘界に打って出たカタナは、以降一度も星を落とすことなく六つの剣闘に勝利した。

 それはカタナの実力、ヒューバード商会の復活を大きく喧伝する効果を生んだが、一方で逆の潮流も生まれていた。


 それが即ち、出る杭は打たれる、ということである。


 キアン兄弟が五連勝していた時でさえ、大商会の主が直々に対策を講じていた前例を考えると、七連勝中の今のカタナは、あちこちの商会から二つ名持ちが差し向けられてもおかしくない立場だ。

 実際にそうなっていないのは、カタナの緒戦に先立って協定を交わしたサザード商会が防波堤となっていたからだ。サザード商会長ダゴンは、現在までのところ、ヒューバードの後ろ盾の役目を過不足なく果たしている。


 組合内では「餓狼」と陰口が囁かれている彼のこと。本音ではヒューバードなどさっさと切り捨てたいところだろうが、商売上の約束を反故にするには名目だけだとしても理由がいるし、それ以上に「問題」があった。


「今市民の間だと、負けなしの新人カタナとコーザに最初に土を付けるのは誰かって話で盛り上がっているらしいわね」

 フェイの言うそれがつまり、ダゴンがカタナおよびヒューバードを切れない「問題」だ。カタナと同じく、サザード商会の新人であるコーザもまた登場以来全勝を続け、現在では日程の都合でカタナより多い八連勝を達成している。


 カタナとコーザ。今やこの二人はキアン兄弟に代わる新たな台風の目として注目を浴びている。仮にもしこの状況で、カタナだけを過酷な組み合わせに放り込むと世間はそれをどう見るか。


 ――サザード商会が、商売敵になる剣闘士を罠に嵌めた。


 組合内だけでなくシュームザオン全体から「卑怯な商会」という悪評を受けかねない手をダゴンは採ることはできなかった。結果今までヒューバード商会はサザード商会の庇護の元、他の商会と対等に渡り合えて来たのだった。


 しかし。

「でも。今回は、押し切られた……」

 ついにと言うべきか、早くもと言うべきか。今日の組合でコーザ、そしてカタナの次回の剣闘相手は、二つ名持ちと決定した。

 それを推し進めた商会長たち曰く。


「市民の注目が集まっている今、新鋭と二つ名持ちとの戦いで一挙に観客を呼び込むべし」

 そう建前を整えた彼らは、中立のものたちをも引き込み、レレットはもちろんダゴンにも抗しえない数の力で会議を決したのだった。


「落ち込むことはないわよ、レレットちゃん」

 一通りの話を聞いたフェイは、宥めるように少女の肩を軽く抱いて言った。

「考えようによってはいい機会よ。二つ名持ちとの実戦はいい経験になるもの。それはもちろん勝算は薄いでしょうけど……」


「違うの」

 しかしレレットは、首を振ってフェイの言葉を遮る。

「カタナは、二つ名持ちが相手だからって、怖気づくような人じゃない。ただ、今回のカタナの相手は……『十字槍』のカガマ=ギドウ」


「カガマ……って、まさか!」

 レレットの発した名を聞いたフェイは、驚きに眼を見開いた。

 『十字槍』のカガマ。

 彼女はその剣闘士を知っていた。面識もある。なぜなら――。


「うん。元ヒューバート所属の剣闘士。半年前の事故の後、商会を出て行った人たちの中の、最初の一人」


 剣闘士カタナ=イサギナ、彼の初めての二つ名持ちとの剣闘は、こうして因縁とともに幕を開けることとなったのだった。



 同日夕刻、ある小さな剣闘士商会の一室にて。


「おい、本気で言ってるのか?」

 驚愕を隠す様子もない声を上げたのは、この商会の長だ。地位にしてはまだ若く、三十路前と見える。


「勿論だ。……できるか?」

 慌てたように癖っ毛を掻いている商会長に静かな声音で語りかけるのは、この商会の所属剣闘士だ。彼の口調は、雇い主というよりは友人に向けているかのように直截だ。問われた方は、呆れたように片手をひらりと振って笑う。


「できるも何も! ウチはお前がいるからお情けで組合に生かされてるような弱小商会だ。政治力なんてほとんどないんだよ。……だが、お前の指名なら勝手に組合のほとんどは従ってくるだろうな。いっつも毎回、お前を出してくれ、ってせっつかれるんだから。相手が誰でも出てくれるんなら是非もナシだろ」


 商会長の男は無責任に返し、好奇心剥き出しの顔を剣闘士に近づける。

「で、どんな風の吹き回しだ? いつもは相手のえり好みしまくりのお前が()()をご指名なんて」


「……まあ」

 無愛想な返答に商会長の男は嘆息したが、同時に慣れているとばかりに首を振る。

「とにかく、このカタナって新人があと二回勝って九連勝するようなら、十戦目はお前が相手をするってことでいいんだな? ――()()()


 念を押す言葉に対して、『闘技王』アダム=サーヴァは感情を窺わせない表情のまま頷く。

 己の雇っている最強の剣闘士の姿を見やって、エイデン剣闘士商会の長、ミスマ=ベイフは朗らかに手を打合わせた。


「じゃあ決まりだ。しっかし、『闘王殺し』の弟子、ね。……こんな早い内にアダムに眼を付けられるとは可哀想に」


 事態は静かに進行し。カタナは己に試練の時が迫っていることに未だ気付いてはいなかった。

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