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剣闘のカタナ  作者: 某霊
外伝 剣の章
28/113

戒めの銘

 どうしてこんなことに。


 カシワ=テンゼンは、震える身体を抱えて内心で嘆いた。

 縄で縛りあげられて身動きはできない。広間と思しき薄暗い室内には、カシワと同じ境遇の子供たちが十人以上ひしめいている。

 中には平民や貧民だけでなく、商家の御曹司らしい上等な服を着ている者もいる。


(多分みんな、俺と同じようなことを言われて騙されたんだ)

 カシワは今さらな後悔とともに、臍を噛む思いで「あの男」の話を思い返す。


 君には剣の才能がある――。マイアス商会の商会長だと名乗った中年の男は、工房を訪れ、店番をしていたカシワを見るなりそう言った。

「私は何百人もの剣闘士たちを見て来た。だから、大物になるものと芽が出ないまま終わるものの違いも良くわかる。君には今まで見たどの剣闘士よりも強くなれる才能がある! 鍛冶屋などで稀有な才能を潰すのはもったいない」


 カシワも最初は冗談だろうと笑い飛ばした。

 しかし、男は真面目な顔で、何度も繰り返しカシワに熱心に誘いをかけた。話に乗りはしなかったが、立派な身なりの大人に手放しに褒められて、少年の自尊心は大いにくすぐられた。


 翌日、また父の不在時に男がやって来た。諦めきれずにまた勧誘に来たのだという。

 この時点で、男が父との接触を避けているとカシワが思い至らなかった時点で、もう後の流れは決まったようなものだった。


 そして同様のことが十日も続くと、ついにカシワは男を信じた。正確には、信じ込んだ。

 前日に父に相談して、にべも無く「お前に剣闘士は無理だ」と否定されたことも、かえって大きな要因となった。


(親父は手を見れば剣士の実力がわかるって言っていた。じゃあ、この人に同じことができたって不思議はないじゃないか!)


 無論、そんなものは詭弁だ。アサギが見るのは、眠れる才能や将来性などという曖昧なものではなく、あくまでその人物が積んできた確かな修練や研鑽である。男の言い分とは真逆とすら言える。

 そもそも、この男が真実を言っていると誰が保証するというのか。


 しかしカシワは、「自分の才能」という甘い言葉に目が眩み、陥穽に気付かず「剣闘士宿舎」と偽られた建物を訪れ、今、有無を言わさず縄を打たれて床に転がされていた。



「馬車の手配はどうなっている?」

「もうすぐ終わります。ただ、夕刻、検閲の役人で話が通じるヤツに交代するまでは出られません」


 と、カシワたちの部屋に入って来たのは、例の商会長を名乗る男と、部下であるらしい、体格のいい若者が三人だ。


「ちっ。こんな忌々しい場所からはとっとと去ってしまいたいのだがな」

 男が、舌打ち混じりにそう言い捨てると、耐えかねたように少年の一人が声を上げる。一番上等な服を着た、小柄な少年だ。


「い、いったい、ぼくらをどうするつもりだ! お前は、父さんに融資を頼みに来た剣闘士商会の商会長じゃないのか?」

 男は、少年を濁った目つきで見下ろすと、無言で彼の顔を蹴り飛ばした。この男は、カシワたちに会話する価値も認めていないのだ。


 ぎゃっ、と叫びを上げて、蹴られた少年がもんどりうって倒れる。

 カシワは、身を竦ませて目を逸らした。


「おい、坊主ども」

 男の代わりに、傍らの若者が怯えきった少年たちに声をかける。声音には親しみや温かさは全く無い。どこまでも乾いた声だ。

「今のうちに、大人しく従順な奴隷になる覚悟を決めておけ。なるべく慈悲深い相手に買って貰えるようにな」


 ひぅ、と誰かが息を呑んだ。もしかしたらカシワ自身だったかもしれない。

 少年たちは、一様に血の気の引いた顔で固まっている。


 奴隷。

「一人で遠くに遊びに行くと、奴隷商人に捕まって、大陸の果てに売り飛ばされるよ!」

 帝国でごく普通に育って、幼い頃に両親からこう脅されなかった子供はいないだろう。

 成長するにしたがって、単なる脅し文句だと理解してからは笑い飛ばしていた言葉が、今限りない現実感とともに彼らに襲いかかっていた。


「下らんことを言うな」

 男が冷めた声で手下を咎める。若者は悪びれた様子もなく軽く肩を竦めた。

「いいじゃないですか。今さら逃げられるわけもないでしょう」


「あ、商会長、コイツを見て下さい」

 と、また一人大柄な男が現れた。

 そいつの両手に抱えられたものを見て、カシワの硬直は驚愕に取って代わられる。


(ウチの剣!)

「ガキどもの持ち込んだ荷物から金目のものを集めてたらこんなのが出ました。かなり上物です」


 見せつけられたのは、カシワが工房の倉庫から持ち出した剣だった。

 小剣が三つに長剣が二つ。いずれも父と祖父が手掛けた逸品だった。


 その中から長剣の一振りを抜いて、男が感心したように呟いた。

「ほう。確か、引っ掛けたガキの中に剣匠の家の息子がいたな。売ればそこそこの金になるか」


 呆然としていたカシワは男の言葉に衝撃を受けた。

 毎日通い詰めたはずの自分のことを男がほとんど忘れていたこと、ではなく、剣を勝手に売り払うという言葉に。そして、男の言い草に対して怒りを覚えている自分自身にだ。


「それより俺らに回して下さい。折角の業物がもったいねえ」

 さらに手下の勝手な発言を聞いた瞬間、カシワは縛られたまま立ち上がり、叫びをあげていた。


「テンゼン工房の剣は、お前らみたいな連中が持っていい剣じゃない!」


 男たちと周りの少年たちの視線がカシワに突き刺さるが、少年は気付かずさらに声を張り上げる。

「その剣は戦士のための剣だ。人攫いなんかに持つ資格は無いんだ!」


 カシワは、工房の仕事が嫌いだった。

 夏でも轟々と炎を上げる炉に向かい、一日中鉄を打つ父の姿を見て、正気の沙汰ではないと思ってもいた。さらに、そうして出来た剣を、売る相手をえり好みして、結局倉庫にしまうなど馬鹿なことだと嫌悪していた。


 しかし今、剣が犯罪者のものになろうとしているのを見て、カシワはごく自然に感じていた――許せないと。


「ガキが! てめえの立場ってもんが分かってねえのか!」

 手下の男が、激昂して縛られたカシワの胸ぐらを掴み上げる。

 ほとんど足が床から離れそうになりながらも、カシワは男をぐっと睨みつけた。


「その剣を、返せ! 剣匠の武器には、相応しい使い手がいるんだ!」

「はっ! 使い手だあ? そんなのが、どこにいるってんだ!」

 カシワを嘲る手下がそう言った、直後。


「ここにいるさ」


 部屋の扉が大きく開け放たれ、外から差し込む光とともに人影が現れた。



 どうにか間に合った、と室内を一瞥したカタナは胸を撫で下ろした。


「オヤ、思ったヨリいっぱい釣れてるね?」

 カタナの横では、リウが能天気に笑っている。とことんズレた感想だが、ものに動じない神経は頼もしい。


「何だ、てめえら! いきなり入って来やがって」

 縛られた子供が十人以上。そして監禁犯の男が五人。いきなり侵入してきたカタナたちを驚きの表情で見つめている。


「さて、中々大胆な犯行――と言っておきましょうかの?」

 背後に控えたグイードが、重々しくも蔑みを込めて口を開く。そして、腰に差していた大振りの長剣を抜き放ち、肩に担ぐように構えた。


()()()()()()()()子を攫うなど、正気の沙汰とも思えませんな、マイアス商会長どの」



「廃業した商会を隠れ蓑に使った誘拐、奴隷売買。そして自分は名前を使われた被害者と、そういう筋書きにするつもりだったのでしょうが、所属剣闘士たちが不自然にシュームザオンから姿を消していては、頭隠して何とやらですな」


 男――マイアス商会の商会長であった中年の男は、無言でじりっと後ろに下がる。

 背後には裏口へと続く廊下への扉があった。監禁の現場を見られた以上、口を封じるしかないが、それが叶わない時は逃げるしか手は無い。


「あなた本人は色々偽装してたみたいですが、部下に気を回せなかったのは失策ですね」

 しかし、逃走経路だったはずの扉が外から開かれて、立っているのは槍を構えたオーブ。

「それにしても、目撃証言と所属剣闘士の情報を辿ってあなたの犯行だと気付いた時には呆れましたね。落ちぶれるにもほどがある」


「くそっ、見張りの連中は何してたんだ! 六人もいて気付かねえのかよ!」

 手下の男が剣を構えて悪態をつくが、リウが笑って答える。

「あー、あの人たちなら、エインさんにまとめて折り畳まれてるよ」


 リウの言葉を待っていたように。

「……もう終わった」

 オーブの背後から、エインがゆっくりと歩いて顔を見せた。右手に下げた剣には、血の一滴も付いていない。


「は、『隼落とし』のエイン……?」

 元剣闘士の男たちが、二つ名持ちの剣闘士の登場に動揺を露わにして、雇い主を見る。


「商会長! 聞いてねえぞこんなの!」

「これじゃ最後に一稼ぎして街を抜け出すって話がパアだ!」


「やかましいぞ! どいつもこいつも私の事業の邪魔ばかり! 組合の連中も、剣闘士どもも!」

 元商会長の男は歯噛みしつつ、配下に命ずる。


「……もう奴隷には構うな! ここを突破して、街から抜け出すぞ!」

 そして、部下の後に自らも続いてカタナたちへ襲いかかった。


「お、来た来た!」

「剣闘士の風上にも置けん連中よ! 仕置きをくれてやるわ!」

 リウとグイードが、それぞれ武器を掲げて迎え撃ち、素手のカタナも目の前の敵を返り討ちにして剣を奪い取る。


「さて、挟撃と行きましょうか」

「ああ」

 槍を腰に構えたオーブが、男たちの背後に迫り、エインは少年たちを庇う位置から後詰めに続く。


 彼らにとっては、これはすでに結末の見えた戦いだった。



「……なんだよ、これ」

 カシワの隣で縛られていた少年が、呆然と呟く。


 無理もない。彼らの目の前で、武器を持った奴隷商人たちが次々と討ち取られていくのだ。素人目にもわかる圧倒的な実力差で。


 カシワも名を知る『隼落とし』のエインが、眼にも止まらぬ剣閃で敵をあっと言う間に昏倒させる。


 槍を持った若者が、剣を弾きざま石突を相手の喉に突き込み、男はもんどりうって悶絶した。


 大振りの長剣を振るう老剣士が、若い巨漢が振りかざした長剣ごと、一撃でその身体を吹き飛ばす。


 元は剣闘士のはずの男たちが、為す術もなく打ち倒されていく有様は、少年たちの理解を越えていた。

 端的に言って次元が違う。とても自分に同じことができるとは思えない。そう思えるほどに彼らは強かった。


 そして、何よりカシワの眼を引きつけたのは素手の少年。

 彼は素早く敵の懐に潜り込み、関節を取って武器を手放させると地に落ちる前に掬い取り、即座に柄で顎を打ち抜いた。

 一瞬の早業で、相手の男は声も上げずに地に倒れる。


 四人の手下はろくに粘ることもできずに蹴散らされ、残るは商会長ただ一人。


「お、おお、おのれええぇ!」

 前後の見境をなくした男が遮二無二突進する。自分たちにとってはあれほど恐ろしかった相手が、彼らの前ではどうしようもなく矮小に見えた。


「ほいっと」

 小麦色の肌をした小柄な剣闘士が、素早く足を払って男を転ばせ、どこからともなく取り出した鎖を首に掛ける。


「悪人は縛り首――と言いたいけど、それは後のお楽しみにしといてあげるヨ?」

「うぐお!」

 軽く首を絞められただけで男は呆気なく意識を失い、崩れ落ちた。


「これで全員か?」

「ええ、目を覚まさない内にさっさと縛り上げておきましょう」

「全く軟弱な。これでも元剣闘士か?」

「ま、だから商会が潰れたんでしョ?」

「さてと、あの子たちの縄を解かないと」


 息も乱さず語り合う彼らの姿は、カシワの心に深く刻まれた。

 強さに対する憧憬と、自分では「そこ」に辿り着けないのだという、どこかすっきりとした諦念とともに。



 そして二日後の夜。ヒューバード剣闘士商会にて。


 カタナが誘拐犯の退治までの事情を語り終えると、黙って聞き入っていたレレットが口を開く。

「それで? それからどうなったの?」


「都市警が来て、あれこれ質問攻めだよ。一、二時間は付き合わされた。終わってから、カシワって子とアサギさんのところに行った」

「ふうん、どんな感じだった?」

「そうだな、カシワはしこたま殴られて、頭にコブ作ってたけど……」


 そこでカタナは、親子の様子を思い出して苦笑する。

「でも、どっちも笑ってたからいいんじゃないか?」

 とんだ災難ではあったが、彼らにとっては理解し合ういいきっかけになったのではないだろうか。


「マイアスの商会長と手下やってた剣闘士は、全員まだ捕まってるな。どういう罪になるかは分からないけど、グイードさんは奴隷密売者は公的奴隷にされる罰が一般的だって言ってたけど」

 人を売り買いして利益を貪ろうと画策した連中には似合いの報いとも言える。


「で、アサギさんから今回の礼にってもらったのがこの剣」

 金は(後で)払うと何度も言ったのだが、職人気質な剣匠は、恩人から金を取るようなことはできないと頑として譲らなかった。

 結局、定期的に剣の整備を有料で頼むことでなんとか納得してもらった頃には、日もとっぷりと暮れていた。


「でも、そんなことがあったなら言ってくれればよかったのに」

 軽く頬を膨らませるレレット。やはり彼女は、気を張っていた昨日までより随分と明るくなった。


「レレットも組合に行って疲れてたからな、みんな負担を掛けたくなかったんだよ」

 穏やかに宥めるカタナに、またレレットが何かを言いかけたが、玄関の重々しい音を立てて来客を告げた。


「あ、来たね。カタナ、ちょっと待ってて」

 心当たりがあったらしいレレットが立ち上がり、玄関に向かって小走りに去って行くのを見送ってから、カタナは手の中の剣に視線を落とす。


 反りの無い、片刃の剣。根本にはカタナには読めない文字が刻んである。

 製作者であるカンバの故郷の文字だというそれは、息子のアサギによるとこう彫られているらしい。


 『姫斬丸(ヒメキリマル)』。


 刃とは、時に斬るべきではないものにまで傷を刻む。故に、剣を振るうものは非業の結末をも覚悟した上で戦わねばならない。

 護るべき姫君を斬る怖れを忘れ、ただ敵を見て剣を振るものは、戦士の誇りも忘れるだろうという戒めの銘だという。


「おれは、忘れないさ。自分がどれだけ血まみれかってことを」

 カタナは、今日より愛剣となった『姫斬丸』に、そう囁いた。


「だからこそ。お前に、おれの大事な人たちの血は流させない」


 こうして、剣闘士カタナ=イサギナの最初の一日は更けて行ったのだった。

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