刃を求めて
剣闘士が剣闘を行うことで得られる報酬には、大別して四つある。
一つ目は剣闘参加手当。
闘技場で剣闘に参加した全ての剣闘士に無条件に与えられる、剣闘に敗退しても得ることのできるほぼ唯一の金銭である。
ただしこの額は労力を考えると雀の涙程度のものであるのだが。
二つ目は褒賞金。
単純に剣闘に勝利したことによって得られる賞金である。
これは剣闘参加手当と同じく、闘技場を運営する行政府が剣闘士個人に支払うもので、剣闘士が戦った闘技場、動員観客数、何戦目で戦ったかなどによって算出され、新人と歴戦の剣闘士では大きく差が出ることも多い。
三つ目は特別賞与。
これは上記の二つと異なり、剣闘士商会組合が独自に行っている報酬制度で、連勝や通算勝利数、戦歴などの記録に対して贈られるものである。
金額は文字通り記念程度のものから尋常でない大金まで幅広く、最高額は『闘技王』の称号を持つ剣闘士に勝利を収めた場合の『大殊勲記念特別賞』、金貨五十枚。逆に最低額は初の敗戦に対する『初黒星記念見舞金』、鉄貨一枚である。
最後の四つ目、これが剣闘士と剣闘士商会の主な収入源と言えるものだ。
闘技場内で組合が主催している賭けの利益、その分配金である。
●
陽も落ちた後のヒューバード剣闘士商会。
「ふうむ」
フェートンは、卓の上に並べられた銀の小山を眺めて感心したように頷いた。
「エイン=メノーティ――倍率3,8倍。分配金、銀貨二十九枚。
グイード=フーダニット――倍率4,2倍。分配金、銀貨十五枚。
オーブ=アニア――倍率2,9倍。分配金、銀貨十二枚。
リウ=シノバ――倍率6,5倍。分配金、銀貨二十枚。
そして、カタナ=イサギナ――倍率8倍。分配金、銀貨二十六枚」
「試算よりも多い賞金ですね。やはり下馬評不利が功を奏しましたか。それに賭けに参加する人数が多いほど額は上がりますから、中央で戦った三人はより高い。これで何とか今月は乗り切れます」
「いや待たんかフェートン。その前に五人全員が何とか勝ち星挙げたことを祝うべきであろうが」
グイードはそう言って、自身の額の傷を指す。今日の剣闘で付いたそれは、もう塞がりかけている。
「商会の食費がこちら。組合の会費がこちら、と」
「無視かいお主は」
「でも、みんな、大きなケガもなくて良かった」
商会長の正装から普段着に着替えたレレットが、傍らの食卓に皿を並べながら笑顔で言った。
今日の所属剣闘士たちの勝利で、随分彼女の心労も減ったようだ。一挙手一投足に伸びやかな張りがある。
「カタナくんは、結構傷だらけだけど大丈夫かい?」
「ええまあ、でもオーブさんとエインさんは無傷みたいですね」
芝居装束から洒脱な普段着に着替えたオーブには、傷らしい傷は無い。相手を圧倒したらしいエインはともかく、彼まで無傷なのはカタナには少し意外だった。
「僕の場合、今回は相性のいい相手だったからね。普段はこうはいかないさ」
軽く流す彼の後方では、リウが我関せずと佇んでいる。
完勝した剣闘の後に傷が増えている件については当然突っ込みを受けたが、彼女は「野良犬に手を出したら噛みつかれた」で押し通した。
当の野良犬であるカタナとしては何も言えないところであった。
●
祝宴を兼ねたささやかな夕食も終わり、カタナは商会の広間の片隅で剣の手入れをしていた。
血や脂は錆の元になるのですぐに拭き取っていたが、刃を長持ちさせるにはやはりしっかりと手入れが必要だ。専用の整備油を染み込ませた布でよく磨き上げる。
「ふっ」
とカタナの口元に、笑みが微かに浮かぶ。
今日一日でも散々剣に防具に打ちつけたこの片刃の剣は、刃こぼれ一つしていない。冴え冴えとした刀身の光は紛れもない名工の手による業物、技術のみならず鉄自体も相当に選び抜かれていなくてはこうはいくまい。
硬度と切れ味の両立。重量任せで叩き斬る大剣にも、取り回しを優先した短剣にもない、剣という武器のもっとも正統で純粋な姿を目指しているかのような一振りだ。
結果として特異とも言える片刃になっているのは皮肉と言えば皮肉だが、不思議とカタナの手にはよく馴染む。
刀身に刻まれた見たこともない文字。恐らくはこの剣の銘であろうが、カタナには読むことができなかった。
「いい剣だね、それ。片刃なんて、珍しいけど」
ふと顔を上げると、レレットが横に座ったところだった。
「ああ、おれが今まで持った中でも間違いなく一番だ」
「この前街で買ったやつでしょ? お金足りたの?」
レレットの言葉に、カタナはまだこの剣を手に入れた経緯を彼女に話していなかったことを思い出した。
「あ、いや、これは買った剣じゃなくて、貰い物なんだ。剣を買いに職人街に行ったら、ちょっとした騒ぎに巻き込まれて……」
そんな風にしてカタナは、目を瞬かせるレレットに数日前の一幕を語り始めた。
●
「これも……もうちょっとしっかりした重みが欲しいかな」
首をひねりつつ、カタナは手にした剣を鞘に戻す。両刃のそれはやや細身で、打ち合いには不安が残った。
「うむ、この店もダメか。こればっかりは数を当たるしかないかの」
グイードが、並べられた剣を見下ろしながら首を振る。いずれもカタナの眼鏡には適わなかった剣だ。
「お金があればもっと上等なものも手に入るんですけどね。防具で大分出世払いが溜まっているし、やはり地道に掘り出し物を探すしかないですか」
「……生命を預ける武器だ。妥協はできない」
「んー、コレもボクには重過ぎ。こんなの持ってたら暗器が使えないヤ」
オーブとエイン、リウも各々武器を見繕っているが、今一つ良い物に当たらない。
●
シュームザオン職人街。中でも鍛冶職人が特に工房や店を開く一角に、ヒューバード剣闘士商会の面々は訪れていた。
用品店『ノックイン』で、カタナの防具を始めとする品々を購入した後のことである。
「すいません、みんなの用事は済んだのに付きあわせて」
カタナは同行する先輩剣闘士たちに頭を下げる。最初から付いて来ただけのリウ以外の三人は、既にそれぞれの得物の整備、調整は終えていた。
「構わないさ。武器を多く見て眼を養うのも大事なことだ」
エインが静かな眼で後輩を宥める。
職人街で武器を手に入れる場合、方法は大きく分けて二つだ。
一つは工房に武器を注文するやり方。
己の要望に合わせて職人が作る物なので、腕に間違いさえなければ希望通りの武器が得られる。
ただし、当然注文して数日で仕上がるものではない。故に剣闘を間近に控えるカタナはこの方法を採れない。さらに。
「工房依頼はとにかく金がかかるからのう」
という、切実な問題もある。特注品が割高なのはどこの世界でも同じだ。
二つ目が、既に完成した武器を工房から直接、あるいは武器を卸して貰っている店で購入すること。
注文するよりは安くつくが、数多ある武器の中から望み通りの品を見つけることができるかは目利きの実力と運、そしてやはり予算次第である。
●
「さて、いよいよ行くところも少ないですね」
オーブが髪をかき上げて嘆息する。
一行は現在、職人街の大衆食堂で昼食を取っていた。周囲には街の外から訪れた商人や、カタナたちと同じく武器を求めに来たらしい剣闘士の姿も多い。
めいめい、注文した焼き麺や卵で閉じた麦粥などに手を伸ばす。
かれこれ二時間、職人街の主だった店や工房は回ったが、カタナの手に馴染む剣は中々見つからない。
稀にいいものがあっても値段が高かったり、先約が入っていたり。
いい加減煮詰まったあたりで、とりあえず作戦会議も兼ねた休憩となった。
「大きい店には客も多いから、品質のいいヤツから取られちャうね」
「うむ。どこか小さい工房を地道に当たっていくかの」
食事を進めつつリウとグイードが話していると、エインがふと思い出したように言った。
「そう言えば、職人街の外れのテンゼン工房には行かないのか?」
出された名前を聞いても、シュームザオンでの生活の短いカタナとリウは心当たりはなかった。
しかしグイードとオーブは、なんとも渋い表情になって顔を見合わせた。
「あそこか。確かに掘り出し物はあるかもしれんが……」
「あの頑固な親方が売ってくれますかね」
「何、そのテンゼン工房って」
「曰くのあるところなんですか?」
リウとカタナが一同を見渡すと、横の二人に無言で促されたエインが口を開く。言いだしっぺが説明しろ、ということらしい。
「……テンゼン工房は、何十年も前、この街に現れた男が興した工房だ」
カンバ=テンゼンと名乗るその男は、ある日突然シュームザオンを訪れ、放置されていた廃屋に住み着いて勝手に内装を鍛冶場に改造し、鍛冶屋を始めたという。
最初はロクに人も寄り付かなかったが、彼が安く、質のいい仕事をすると評判が立つと、少しずつ客が彼の元を訪れるようになった。
しかし当然、そのような勝手を許してはおけぬと職人連中が彼の元へと押しかけ――というか殴り込んだ。
剣や槍を打つなら武器職人、鎧を仕立てるなら鎧職人、釘を作るなら釘職人と、鉄鍛冶だけでも細かく厳しく縄張りが決められているのが職人の世界である。そこで取り決めを無視されては彼らの秩序に関わる大問題だった。
「しかし、彼は剣一本ふるって数十人からなる男たちを叩きのめし、追い返したという」
仕事で鍛えた腕力を頼みに押しかけた職人たちは、カンバの剣腕と、振るう剣の見事さを見せつけられた。職人たちの振りかざす棍棒はことごとく輪切りにされて、全員這う這うの体で逃げ帰る羽目になったのだ
メンツを潰された鍛冶工匠組合は彼を恨んだが、同時においそれと手出しもできなくなった。
その後、しばらくは緊張状態が続いたが、ある時、テンゼン工房は武器工房として正式に鍛冶工匠組合に所属することになった。
「組合長の娘と恋仲になったからだとか腕を惜しんだ組合が口説き落としたとか、あれこれ噂が立ったものよ」
当時を知るらしいグイードが補足するように言った。
そうして鍛冶師としての公認を受けたカンバは幾人かの弟子を取り、長じて彼らはいずれも名工と呼ばれる腕前の職人となった。
「とはいえ、本人の偏屈が治ったわけでもなくての」
気が向けば武器以外のものも造るのは相変わらずであったし、気に入らない客は容赦なく追い返した。
腕は抜群に良いが扱いに困る。周囲の職人たちにとっては、彼の存在は長らく悩みの種であったらしい。
「じゃあ、今もそのカンバって人が工房を?」
話を聞き終えたカタナが尋ねるが、三人の剣闘士は一様に首を振る。
「今は息子が二代目になって工房を仕切っているんだけど……」
「ま、蛙の子は蛙でな」
「自信のある品は、気に入った客でなければまず売って貰えない」
「でも腕はいいんでしョ?」
横目で聞きつつ料理を平らげ、己の皿を空にしたリウの指摘に、彼らはそれぞれ微妙な表情ながらも頷いた。
●
そんな次第で。
ヒューバード商会の剣闘士たちはそれぞれ期待の度合いは異なりながらも職人街の外れ、テンゼン工房へと向かった。建物の合間から煙を上げる煙突は数を減らし、人通りもだんだんとまばらになっていく。
「本当に、あまり期待はしないほうがいいよ。僕も一回行ったことがあるけど、けんもほろろな扱いだったし」
「お主は格好が怪し過ぎたせいもあると思うが……っと、あそこか」
グイードが示したところには、確かに一軒の工房。こじんまりとしてはいるが、改装か建て替えでもしたのか、元廃屋にしてはしっかりした造りだ。
「さて、どうなることヤらっと」
目的地の音を聞き咎めたリウがそう言った瞬間。
「ふざけんなこの耄碌親父!」
「いつまでも甘えてんじゃねえ、馬鹿息子が!」
カタナたちにも届く大声での罵り合いが聞こえたかと思うと、工房の扉から勢いよく飛び出した影が、一直線に剣闘士たちに向かって走って来た。




