影の真実、狂乱の牙を貫いて
「ぐ、あ……はは、は……」
リウ=シノバは、拳と刃が巻き起こす暴風の中心で、虚ろに笑っていた。
満身創痍。そう言っても差し支えない有様だ。
痛打を受けた右肩はろくに上がらない。たった今斬撃を受け止めた左の鉄靴は無残にひしゃげ、内部の足に破片が食い込んでもはや歩行も困難。全身を覆う黒の長衣はあちらこちらが切り裂かれている。
「愚餓アァ――!」
正面足元に刃を見舞うカタナに鎖分銅を飛ばすが、獣そのものの反射神経を持つのではないかとさえ感じられる速度で反応され、当たり前のようにカタナの剣の柄が分銅を叩き落とす。
「シィ!」
残り少なくなってきた『針』を、五本まとめて撃ち放つ。カタナは退きながらも斬り上げ。痛手を抱えた足では回避不可能、リウの太腿が浅く裂ける。
「ココまで……手も、足も出ないか……」
カタナの攻撃はリウの身体を削り取っていくのに、リウの暗器は虚しく空を切るばかり。苦し紛れでばら撒いて、食らいついてくるカタナの攻めを逸らして致命傷を逃れるのがやっとという体たらく。
手持ちの暗器で、飛び道具の『針』はあと三本。この脚では鉄靴の『茨』は使えない。手袋の型に編み上げた投網の『霞』は、既に両手とも躱された。煙幕弾の『帳』は先の剣闘で景気良く使い過ぎて残弾ナシ。
残るは鎖分銅の『縛』と――そしてあと一つ。
闘技場の認可対策で最低限剣闘に使える物だけを選んたのが仇となった形だ。
諜報員として年齢に見合わぬ修羅場を渡って来たリウが、ここまで一方的に苦戦を強いられたのには理由がある。
リウの戦いの本領は、豊富な手数と心理の虚を突く暗器の巧みさを組み合わせた『技量』で敵を圧倒することにある。
幼少期から培った心身両面の手管は、同年代の剣闘士の中では大きく抜きん出たものだ。読み合いではカタナを翻弄したジークでさえ、リウには一歩も二歩も及ばないだろう。
しかし反面、リウの膂力と速度は、鍛えてはいても年相応のそれでしかない。
「疾イィ――!」
三足獣の構えからのカタナの襲撃速度は、リウの反応速度を大きく超えていた。
地を蹴った一秒後には、既に背後に回り込まれているという常識外れの初速は、姿を視界に収めておくことすら困難だ。辛うじて目で追えても、身体はとても追いつかない。
「ぐ、ああ!」
強襲するカタナの足刀が、脇腹を抉った。小柄なリウの体躯は、宙に浮いて石の壁に叩き付けられる。
反応ができないのなら、敵の行動を先読みして隙を突けばいい。
普段のリウならそう考えるだろう。
実際、かつては自分よりも速い敵であっても、心理を読んで挑発して、時には逃亡するふりをしてでも相手を誘導。周到に張った暗器の罠へと墜として葬って来た過去がある。
しかし――。
「餌イィ!」
それも、相手が人間なればこそ。
リウの生きた世界は影の世界。諜報戦という、「人の作る影の社会」に生きたリウの経験では、カタナに、原初の森に生きた「獣の世界」に対応できない。
再び放った鎖分銅は、その一瞬前に飛び退いて間合いを取ったカタナの眼前で無様に跳ね上がる。同時にカタナは鎖を踏みつけるように前進。
蛇のように掻い潜るカタナの右手の剣が、リウの鎖、『縛』を半ばで砕き切り。
「ごふっ……!」
逆の掌が、ついにリウの華奢な喉を掴むように捉えた。
「喰ゥウ……」
人の形をした獣。カタナが捉えた獲物を床に引き倒す。あからさまな捕食の体勢にも、半ば気を失ったリウは無抵抗。なすがまま、長衣が引き裂かれる。
か弱い人間が迂闊に猛獣に手を出せば、こういう末路を辿るのだという見本のような。『これ』はそうした決着だった。
●
(……リウ……)
声が。聞こえる。
自分を呼ぶ声だ、と『それ』はぼんやりと考えた。
(お前ほどのものでも、まだ完成していない。生まれ持った能力が不十分なのだ)
嫌な言い草だ、と『それ』は思う。自分は自分。それを、他人が勝手にその価値を決めるなど。どこの世界でもそうした側面はあるのだろうが、上から目線で投げつけられるその言葉は、無神経と呼ぶのも生温い傲慢さが滲む。
しかも言い放つのが、ただ長く生きただけの、自分より劣った能力の持ち主どもだというのはどういう冗談か。
(だから、お前が産み出すのだ。完成したモノを)
人を勝手に値踏みして、しかも踏み台にしようという老いぼれどもの醜い眼は、『それ』の逆鱗を盛大に刺激した。端的に、何様だ。という反感が湧き上がる。
(お前と……なら、『世界を聴きとどけるモノ』を産み出せる)
終いに突きつけられたのがこの言葉。本気でこんなセリフに心動かされる乙女が居ると思っているのだから、単なる仲人としても最下級。
だから、『それ』は奴らの逆鱗に、触れる程度の軽い反抗では済まさなかった。
(お前が、『世界を聴きとどけるモノ』を産め。リーリウム!)
「嫌なこった!」
そう。そう叫んで、禁忌とされた反逆と脱走を迷わず決行。
しわがれた爺と婆の逆鱗を――『砕』いてやったのだ。
●
カタナという名の獣は、今まさに食らいつこうとした獲物が寸前で意識を取り戻し、かっ、と目を見開いたのを無感情に見た。
「――ッハ!」
全身傷だらけの様相でありながら琥珀色の眼は爛々と光を放ち、不屈の意志を示している。しかし獣は構わず、食事の顔を掴んで床に叩き付ける。
野生の獣は動じない。捕食対象が泣こうが喚こうが何をしようが、ただ喰らうのみ。
「噛オォゥウ……!」
『食事』の邪魔になる剣を捨てて、右手で顔、左手で胸を押さえ付け、いざ牙を晒して喉元に喰らいつく。
獣は、生きた獲物をどうすれば効率的に食い尽くすことが出来るかを良く弁えていた。本能に裏打ちされた習性は、数年食事にありつけなかったからと言って消えはしない。
だが獲物はそれに構わず、手探りで獣の胸元に震える右手をあてがった。
「ふ、ふふ……」
そして革鎧の継ぎ目に、曲げた指をかけて固定した。
獣には意味が解らない。がむしゃらに足掻くでもなく叫びを上げるでもなく、ただ手を相手の胸に押し付けるだけという反応は、彼の常識では有り得ない。
しかも、自分の手の下で、獲物が確かに笑っているのが分かった。
不可解極まる態度に、不審を覚えた獣の動きが一瞬止まる。単純な欲求で動く獣らしからぬ、躊躇いの様。
そして。その間を待っていたかのように、獲物は血を吐きつつ声を漏らす。
「ヨウ、ヤク。捕まえた」
その瞬間、ケモノの目に見えたのは、引き裂かれた黒の長衣の腕から覗く、見慣れぬ機械。
「――『逆鱗砕き』――!」
その瞬間、カタナに連想されたのは、『無刃』のアダムが闘技場で見せた正体不明の一撃。
リウの右腕に仕込まれた最後の暗器――発条式杭打ち機構――『砕』が直撃。カタナの身体を吹き飛ばしていた。
●
そして。
「……う、あぁ」
眼を覚ましたカタナは、無意識に呻きつつ堅い石造りの床から身体を起こした。
しばらく気を失っていたような気もするし、ほんの一瞬気が飛んでいただけのようにも感じられる。
「ぐ、ごほっ!」
呼吸するだけで胸の中央に痛みが走る。
見ると、頑丈な革鎧の胸部分がべっこりと凹んでいる。
壊れたというほどではないが、調整が必要だ。ジークの斬撃を受けてもほとんど傷付かなかった逸品をこんな状態にするとは、一体何が起きたのか。
「な、何がどうして……」
胸以外にもあちこち痛む身体に呻きつつ、記憶を手繰るカタナに。
「オハヨー、……カタナ」
傍らから、ここ数日で大分聞きなれた声が聞こえた。
カタナがほとんど反射的に振り向くと――。
「――は?」
その時、カタナを呆然とさせたものは何だったのか。
服も破れ、全身に斬り傷と打撲痕をこしらえた、壁に寄りかかって座るリウの満身創痍の姿か。
「イヤー、激しかったね。ケダモノみたいだったよ、カタナ」
あるいは、そんな有様でも気楽に言う、リウの妙なセリフか。
それとも。破れた長衣。その胸元に覗く、明らかに男性のものでは有り得ない豊かな膨らみの存在か。
「あー、服の下のサラシも解けちャったのは痛いなー……」
カタナは、困った風に苦笑する『彼女』を、ただただ愕然と見つめている他なかった。
●
双方、そのまましばし沈黙していたが。
「で、カタナ? いつまで乙女の柔肌を眺めてんのさ」
と言うリウにジトッとした眼で軽く睨まれ、はっ、と我に返るカタナ。
「あ、いや……ええ? リウ、お前、いや……」
混乱してまともに言葉も発せない少年に、少女はぷっと噴き出して手を振った。
「あー、冗談冗談。悪いのは仕掛けたコッチの方だから、気にしてないヨ。とにかく、服直したいから後ろ向いてくれる?」
がくがくと頷いて半回転するカタナ。刺激的な姿が視界からなくなり、やっと頭がまともに回転を始める。
「そうだ、おれはリウと戦って、頭に鎖分銅を食らって、それから……」
そこで、言葉が途切れる。記憶が無い。
「あの構え、とんでもなかったね。何で手を着いてるのにあんなに速いのさ?」
リウの言葉に、全身に緊張が走る。『それ』は、もうカタナの中から消えたはずのもの。
「――そうか。おれは、また『成った』のか……!」
師匠との修業。
実戦さながら、死と隣り合わせのそれをカタナが受け入れた理由の一つは、自分の中の『獣』を消すためだった。
修業の最中、極度の疲労と痛みで目覚めた『獣』が何度挑んでも、カーンは即座に叩きのめして狂騒するカタナに敗北を知らしめた。それこそ、悪夢に見るほど激しく、微塵の容赦も無く。
幼少期の悪夢の経験から生まれた『獣』を、それを超える痛みと恐怖と敗北感で上書きするという、乱暴極まる手段。一歩間違えれば廃人確実というその荒療治は、二年ほど続いた。
結果として、カタナの精神は『獣』となることを拒み、どんなに追い詰められてもヒトのままでいられるようになった。
だが。
「それが師匠から離れれば、このザマか!」
カタナは自分に向かって吐き捨てる。実際の剣闘では全く出て来る気配が無かったために油断していたらコレだ。安堵していた分、失望も大きい。
「多分、ボクが散々言葉で刺激したせいもあると思うな。普通に戦ってる分には問題無いと思うけど……ヨシ。いいヨ、カタナ」
リウの言葉に、カタナは色々と複雑な思いで振り向いた。
彼女は、長衣の大きく破れた個所を、器用に『針』で縫いとめるように繋いで、一応着られるように修繕していた。胸元も、サラシを直したのか、ゆったりとした服の効果もあって女性とは分からない。
裸足の左足には止血の布が当てられており、足元には残骸となった鉄靴が打ち捨てられている。
「……しかし、よく無事に済んだな」
気を取り直すように、カタナが口を開く。自分の『獣』がいかに獰猛かは、カタナ自身十分理解している。正直、リウは腕の一本や二本は喰い千切られていても不思議ではない。
「これのおかげ」
対してリウは、ひらりと右腕を差し出した。袖を捲った下には、一際突き出た黒木の杭と、それに繋がる見たことも無い筒のような機械部品。
「バネって知ってる? 大体百年前、南方のある鍛冶師一派が造った特殊な金属加工品でね。この『砕』は、バネの反発する力を利用して杭を一気に打ち出す暗器」
言いつつ、杭を壁に押し付けるようにして筒に戻す。ガチン、と音がして杭が筒に収まる。
それからしばらく、片手で器用に何やら筒を弄る少女。カタナは所在なく裸の指の動きを眺める。
「で、こう」
ゴギッ! と、空気を突き破る音とともに、再び杭が射出され、石造りの壁に突き刺さる。杭を受けた部分は完全に陥没し、周囲にもヒビが走った。
「ま、破城鎚の携帯版ってとこかな。ただバネで飛ばしただけじャ威力が出ないから、梃子とか圧力とか、他にも細工はしてあるけど。どっちにしても動く的には当て辛いし、射程は短い。おまけに一回打ったら再装填に手間がかかるしで、実戦ではイマイチ使い難いけどね」
「で、威力が『これ』か」
カタナはげんなりと自分の胸元を見下ろす。この鎧でなければ、胸骨がまとめて砕けていたらしいと思い至ったのだ。たとえ金属鎧であっても、あれを受ければ半端な品では砕け散る。
「まあ、勝ち負け云々で言えばボクの負けだヨ。わざわざとどめを刺しに来なきャ、とても当てられなかったし」
「そんなことはいい。『あれ』で勝っても負けても、おれには何も意味は無い」
リウの言葉にカタナは心底不機嫌に返す。
今度はリウも、何も言わなかった。詳しい事情は分からずとも、カタナの触れるべきではない部分に触れ、開けてはいけない扉を開けた実感はあったのだろう。
「……ボクはさ、見ての通り、女ってことを隠してた」
リウはぽつりと話し始める。彼女はカタナの闇を暴くことは覚悟していた。だから謝ることはしない。
「これは剣闘士になる時からでもなく、ずっと昔、物心ついた時からそうだった――身を守るためにね」
そんな自分ができる償いの形として、己の過去を少しだけ晒すのだ、とその言葉の外で示していた。
「それ自体はもう納得してるけど。平和な場所で素直に女の子しているコを見ると、時々、嫉妬みたいな、ヤな気持ちになることがある――あのルミルって子とか、まさにそう。明るくて可愛らしくて」
ふう、と重たげな溜息を一つ。そして顔を上げてカタナの眼をじっと見上げる。
「でも、だからって無意味に見捨てることなんかはしないヨ。声の反響を辿ってあの場に着いたのは、カタナのすぐ後だった」
それは、先刻カタナの投げた問いの答え。
カタナは図らずも、リウに求められた通りに隠した本性を見せ、リウはカタナの問いに、包み隠さず正面から答える形となった。
その、無茶苦茶に争った果てに妙にすっぽり収まった決着がなんだかおかしくて、カタナは我知らず苦笑を浮かべる。さっきまでの陰惨な気分も不思議と薄れていて、この諍いを後には引きずりたくないと思う。
「……そうか。ま、お互い無神経な詮索をしたってことで、水に流さないか?」
「ハ?」
リウは、カタナの言葉に、意味がわからずきょとんと口を半開きにして呆けた。実際、カタナの『獣』とリウの性別の事情では、全く釣り合わないと多くのものは思うだろう。
だが、やがてカタナの気持ちと言葉の意図を己なりに察したのか、首を振って笑う。
「これでお互い様って。人が良過ぎだね、カタナは」
そして、やや上気した顔で、改めてカタナに向き直り。
「それじャあんまりにも不公平だから、おまけでボクの本当の名前、教えてあげる」
「え?」
薄っすらと血に塗れた、朱い唇をそっと開いて。
「ボクは、シノバの里のリーリウム。二人だけの時は、リーリって呼んでいいからね?」
淡く色を帯びた少女は囁くように。少年に己の名を告げた。




