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剣闘のカタナ  作者: 某霊
2.カタナ、初陣
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剣闘士と傭兵と 後編

 いよいよだ――。商会長の正装に身を包んだレレットは、貴賓席に独り座ってじっと『その時』を待っていた。

 第五戦。カタナの出番だ。フェートンは、ここには居ない。グイードとオーブの戦う東闘技場に回っている。


 レレットは、最前列で特別にせり出している貴賓席は周囲の注目を浴びやすいのであまり好きではない。しかし今日だけは、カタナの戦いを少しでも近くで目に焼き付けておきたかった。


 会場の空気は悪くない。コーザの鮮烈な勝利は、観客の意識をキアン兄弟の連勝記録更新から、それを阻む新人の登場へと転換させた。カタナにとっては追い風だ。


「さて、続きまして第五戦。惜しくも敗れた兄の雪辱なるか? こちらも初戦以来負けなし、ミノス商会の超新星、ジーク=キアンの入場だ!」


 先に進行係に呼ばわれて、ジークが現れる。彼の姿は、遠目ではさっき敗退したシグと変わりない。使い込まれた胸甲と、実戦的で武骨な長剣。一つにまとめた緑の髪も、兄とそっくりだ。


「でも、違う……!」

 しかしレレットは瞬時に、明らかに異なる気配を感じた。


 殺気、あるいは狂気。

 周囲を見れば、同じく剣闘に対して鋭敏な感覚を持つ海千山千の剣闘士商人たちも、息を呑みジークを見つめている。


 以前レレットは彼の戦いを一度だけ見たことがある。

 兄と同じく、基本に忠実な剣技を矢継ぎ早に繰り出して敵を追い詰める戦いぶりは、確かに新人としては圧倒的な強さだったが、今のような禍々しさは断じてなかった。


「兄を討たれて逆鱗に触れたか?」

 少し離れた場所で、サザード商会の主、ダゴンが冷や汗をかいている。さっきまで、コーザの圧倒的な実力に上機嫌で笑っていたのが嘘のようだ。それだけ、今のジークは危険だった。強いのではなく、ただただ危うい。


 幼い頃から剣闘という文化に親しんで来たレレットは、経験的に知っていた。

 ある時は、剣闘士が対戦相手を嬲り痛めつけ続け、闘技場が処刑場へ変貌し、またある時は、壁を乗り越え客席に乱入した剣闘士が観客を虐殺する。

 そういう『まとも』ではない事件が、闘技場では時折起こる。そしてそれはいつも、今のジークのような、血の気配を持つものが引き起こすのだと。


 かつて父の語った言葉が脳裏に甦る。

(鬼気を纏うモノが闘技場で戦う時には、必ず凶事が起こる)


「カタナ……!」

 全身を襲う寒気に、自らを抱きしめるようにして耐えながら、レレットは心を預けた剣闘士を恋うように呼んだ。



 ジークの内面の変貌。しかし事前に気付けたのは、剣闘あるいは闘争そのものに理解の深い一部のものだけだった。


「あいつね、ルミルちゃんを脅した男って……」

 その「一部」に入らないイーユは、傍らのルミルにだけ聞こえる声で囁いた。コーザとルミルの母には、事情は教えていないのを配慮してのことだ。息子も娘も、敬愛する母に余計な心配をかけることをひどく嫌う。

 そのルミルもまた、イーユに小声で返す。

「はい。あの陰険な顔、昨日も夢に出ましたよ……」


「あらら。でも、王子様も一緒に出て来たんじゃない?」

 思わせぶりな口調のイーユに、ルミルは口を尖らせて抗議する。

「なんですかそれ! あたしは別に……」


 これからジークと戦う剣闘士の少年カタナ――奇遇なことに、数日前に店に訪れた新人――に助けられた顛末は、イーユはルミルから改めて詳しく聞き出している。それ以降、彼女はカタナを「王子様」などと呼んでルミルをからかっている。


「えー、出て来なかったの? 強くてカッコいい王子様」

 今もそう言って、下の会場を指さす。

「あんな感じの」



「対するは、謎の新人剣闘士! その正体は、かつて帝都で伝説と謳われた『闘王殺し』カーン=ハイドの一番弟子! 五十年の時を経て、『闘技王』を討ち取った秘剣の継承者がシュームザオンに現れた! ヒューバード商会所属、カタナ=イサギナ!」


 進行役のその言葉を聞いた客席の反応は、実際のところそう大したものではなかった。


 新人があれこれとハッタリを利かせるのはいつものことであるし、五十年前の『闘王殺し』の名を知っていてかつ今なお記憶しているものなど、いかに剣闘都市の住人と言えどそうはいない。


 しかし、彼が現れた時、観衆は一瞬どよめきを漏らし、そして潮が引くように沈黙した。

 彼は――カタナの姿は、人々が思い描く若く勇猛な剣闘士像をそのまま持って来たかのようで、一目で観衆の注目を奪い取った。


 少年が着ている蒼黒の鎧は、陽の光を受けてなお深く、僅かな光沢を放つ。襟から背中にかけて広がる赤い(たてがみ)が微風に揺れている。

 右手に持つのは、反りの無い片刃の長剣。飾り気の無いその剣には、刀身に誰にも読めない言語で銘が彫り込まれているだけだ。


 黙った人々の視線を一身に受け、敵に向き合う様から感じる威風は、ついさっきまでの彼にはなかったものだ。

 ジークが兄を倒されてその本性を剥き出しにしたように、カタナもまた闘技場に立つこの土壇場で、眠っていた資質を開花させていた。


「ああ、やっぱりカタナが一番だ……」

 レレットが陶然と囁く。今まで感じていた悪寒は跡形もなく消え去って、彼女はただ『自分の剣闘士』に魅入られていた。


「……カタナさんって、あんなにカッコいい人だったかな?」

 ルミルは、驚いたように目を瞬かせる。視線は自分の選んだ衣装を纏った剣闘士に釘付けになって離れない。


「うわぁ、ヤッパリ面白いなあ、カタナは!」

 リウは、控え室の窓から笑ってカタナを見ていた。底知れない琥珀の眼にカタナがどう映っているのか、余人には計り知れない。


「これも、剣闘士の才能だな……」

 エインが呟く。闘技場の空気に呑まれるのを耐えるのではなく、逆に闘技場を自分の空気で染め上げる存在感。それは一流の剣闘士に中にも滅多に持つものの居ない稀有な資質だった。


「早く来い。おれと戦え、カタナ――!」

 コーザは、犬歯を剥き出しにして笑った。たった今勝負を終えたばかりなのに、闘争心が溢れて止まらない。

 カタナの気配に呼応して、今にも剣闘場に乱入しようとする本能を理性で抑えつける。まだだ、もう少し。もう少しで最高の勝負が訪れる。今は耐えろと、コーザは自らに言い聞かせ続けた。



 闘技場全体がカタナの空気に染め上げられた中。ただ一人、ジーク=キアンだけは何も感じず、また全く動揺もしていなかった。


(所詮ハ剣闘(アソビ)ダ)


 戦場では、周囲全てが敵など、実にありふれた状況でしかない。それに比べれば、どんなに追い風が吹こうとも相手は結局たった一人だ。

 ジークは、そしてシグも、全方位から圧殺するような刃の群れに囲まれても生き抜いて来たのだ。それを今さら、存在感(こんなもの)などに何の危険を感じろと言うのだ?

 土台、傭兵と剣闘士ではモノが違うのだ。


(ソレヲ!)


 ぎり、と奥歯を噛み締める。鉄面皮の下で、ジークは既に狂乱していた。


(剣闘士風情ガ! ヨクモ(シグ)ヲ汚シタナアァ!)


 コーザもカタナも、まとめて切り捨ててやる。剣闘士ごときが、歴戦の傭兵キアン兄弟に挑み、傷つけるなど許せる訳がない。

 だから、よりにもよって傭兵(じぶん)の前で戦士の見本のような顔で立っているこの剣闘士(ガキ)から、今すぐ切り刻もうと剣が震える。


 開始の声を待たず駆け出そうと身を屈めた瞬間、偶然その声が響き渡った。


「始め!」


 しかしジークはそれを認識すらせずに飛び出していた。故にそれは期せずして、開始の合図を待ったカタナの機先を制する形となる。


「剣闘士イィ――!」

 凶悪な狂気が表面に噴出し、ジークはその無表情をかなぐり捨てて、悪鬼の形相でカタナに斬りかかる。


「貴様ハ! (シグ)ノ邪魔ヲスルナアァ――!」

 呪詛に塗れたその声は、どこか捨てられた子供の慟哭に似ていた。



 片刃の剣は、カタナの右手にしっくり馴染む。


「ジーク!」

 狂気に髪を振り乱し罵声を叫びながら迫る敵の名を呼び、斬撃を受け止める。

「オオ、ガァ――!」

 鋼と鋼が噛み合って、残響とともに一瞬の火花が散る。


(いい剣だ)

 内心で頷いて、ジークの剣を押し返す。即座に斬り返しの横薙ぎが迫るのを、肩、肘、手首の捻りで剣を回して弾き飛ばす。


 結局ぶっつけ本番で初使用になった剣には多少の不安があったが、堅いだけでなく粘りのある、上質の鋼鉄特有の頼もしい手応えに笑みが零れる。


 先日、ちょっとした騒ぎの末に手に入れたこの剣は、期待以上の業物だ。

 ルミルの選んだ防具も、カタナの動作を全く妨げず、躍動する肉体についてきてくれている。

 これなら、全力で戦える。少年は、得も言われぬ解放感の中で名乗りを上げる。


「ヒューバード剣闘士商会、カタナ=イサギナ!」


 そしてカタナは切っ先を鬼相の敵手に向けて、師から受け継いだ言葉を放つ。


「元傭兵ジーク=キアン! おれがお前に、『真の戦士』の戦いを見せてやる!」



「ホザケッ!」


 怒れるジークはカタナの宣言に激昂し、さらに殺気を迸らせる。真の戦士? そんな名乗り、下らなすぎて反吐が出る。

 戦いとは即ち殺し合いだ。それを、御託を並べて誤魔化してただの見世物に堕とした剣闘士が、何たる妄言。


「俺ハ! 戦場ノ! 傭兵ダァ!」

 再度カタナに牙を剥いて襲いかかるジーク。


 その心は狂気。技は狂乱。体は狂奔。


 狂に呑まれたジークには、もはや一片の理性も残っていない。十年間の死戦で学び育った殺人思考は、カタナを斬殺するまで止まらない。否、たとえカタナを斬っても、もう戻ることは出来ないのかもしれない。


 過酷な戦場から生還した兵士は、戻った後の平穏な日常生活との落差に精神を病むことがある。


 夜寝ている時、微かな物音に反応して飛び起きて、隣で眠る家族を居もしない敵兵と誤認して武器を突きつける。

 雑踏を歩いている時、背後から奇襲をかけられるのではないかという妄想に囚われ、外出を恐れて家に閉じ篭る。

 人を殺した罪悪感に耐えかねて、酒に逃げ、女に溺れ、麻薬による偽りの幸福感に身をゆだねて破滅へと向かう。


 PTSD(心的外傷後ストレス障害)――そんな言葉はこの世界に存在しないが、同じく人間が居て、戦場が在る以上、同じ事象は起こり得る。


 ジークは、人生の半分を戦場で育った男だ。

 それは彼の強さを意味するものではない。むしろ彼が、戦場という病に致命的に蝕まれている事実を示していた。


 死と殺しに隣り合わせで少年期を過ごした彼は、平穏が分からない。

 安息がいらないのではなく、そもそも理解することが出来ないのだ。



「死ネ死ネ死ネ死ネ、カタナ=イサギナァ! サア死ネ、スグ死ネ、コレデ死ネ! 死ネエェ――!」


 戦場を引きずって、闘技場までやって来た男が剣を振る。両足を遮二無二動かしてカタナを追い詰め、その眼を、指を、背後を執拗に狙う。


「ぐ――!」

 カタナは防戦。大きな傷は剣と防具が防いでいるが、剥き出しの顔や腕には細かい裂傷が幾つも生まれている。


 ジークの攻撃が速い。単純な速度ならば互角か、カタナが上だろう。しかし、技術が違う。

 前に出るかと思えば止まり、突きに来るかと思うと回り込む。

 剣の駆け引き。ジークのそれはカタナを圧倒していた。いかに厳しい訓練を積もうとも、こればかりは刃を交わした人数、踏んだ場数がモノを言う。


 ジークの殺人思考は、力でも速さでも、技術でもない、この『読み』を制したものが主導権を得る戦い方を選択していた。

 虚実に翻弄され、一歩出遅れるカタナの剣はジークに届かない。逆にジークの剣は、少しずつカタナを削り取っていく。


「おおっ!」

 カタナもいつまでも無策で耐えてはいない。何とか捉えたジークの剣先に刃を重ね、滑るように距離を詰める。

 突出する勢いのまま、至近距離で突きを放つ。距離を保った読み合いで勝てないのなら、至近距離での乱撃戦で一気に押し切る。


「ギッ!」

 切っ先が、右肩を抉る。流石に呻きを漏らし、剣を大きく振ってカタナを振り払うジーク。

 カタナは怯まず、動きの止まったジークに再度斬りかかる、が。


「シャアッァ!」

 甲高い叫びと同時、ジークが剣をカタナに投げつけた。近距離からの刃の投擲。

 意識の間隙、またしても間合いの外から襲い来る奇手にカタナの全身に悪寒が走った。

「う、おおっ!」


 これをカタナが反射的に剣で弾けたのは、半分は偶然。もう半分は、リウの『針』を間近で何度も見た経験があったからだ。

 飛んだジークの剣は二人の近くの砂利に突き立つ。


(今だ!)

 僥倖に助けられた形だが、相手はこれで無手。好機にカタナは剣を拾う隙を与えず、一気にジークに迫る。


「オァアッ!」

 しかし素手のジークも構わず前進。あろうことか、カタナの剣を、横合いから握った右拳で殴りつける。一歩間違えば指がまとめて千切れ飛ぶ行為を、全く躊躇せずに実行していた。


「なっ!」

 衝撃で体勢を崩すカタナに、刃に叩きつけた拳から血が噴き出すのを認識すらせず、ジークは再び右腕を振りかぶる。

 気圧されたカタナは転がるように距離を取る。すぐに立ち直り、剣を振るうが、その時既に、ジークの手には血刃が戻っていた。

 カタナの斬撃は、当たり前のように止められた。


「ギャハ」

 戦場(ジーク)の、狂おしい笑いが闘技場(カタナ)を見下していた。

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