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剣闘のカタナ  作者: 某霊
2.カタナ、初陣
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剣闘士と傭兵と 前編

 黒の衣装を纏ったリウ=シノバが、闘技場に踊る。


「ハ、ハハハハ!」

 笑い声を響かせながら鎖を舞わせ、放たれる『針』が光のように散らばった。

 対戦相手は蒼白な顔色で剣を盾のように構えたまま、立ち竦んでリウに一歩も近づくことが出来ない。


「さあ、さあ。さあ! 遠慮はいらない、こっちへおいで!」

 誘いの声と同時に、リウの方から突撃。煙幕弾をばら撒いて、巻き上がる煙に正面から突っ込んで一気に強襲。唐突且つ脈絡がない攻勢に、相手の剣闘士が慌てて下がる。


「アハハハハ! ほら、ボクなんて一撃で片づけるって言ってたじャないか! 早く終わらせてヨ! ねえねえねえ!」

 リウは退避を許さず、両手にそれぞれ持った鎖分銅を、避ける相手の足元に交互に打ち込みながら追い詰めていく。

 腰の引けた敵を嬉々として追い回す姿は、何かの妖怪のようですらあった。


「ほらほらほら、『前回無様に負けたド素人』に負けそうで、どうするのさ! さっきは『家に逃げ帰って母親の乳でも飲んでいろ』なんて言って自信満々だったのにさあ!」


 開始直前に投げつけられた言葉を叩き返しつつ、リウが一層激しく舞い踊る。鉄と刃に飾られた、黒の踊り手。リウはもはや頭で考えて発言をしていない、ただ高揚のままに好き勝手な言葉を口走っている。


 この剣闘を序盤の消化試合的なものと見ていた観衆の眼は、今やこの派手な一人舞台に釘付けだ。半分は単純に喜んで盛り上がっているが、残りの半分はただただドン引きしている。


「うわあぁ!」

 猫にいたぶられる鼠の形相だった剣闘士が、破れかぶれに突進を仕掛けた。腰溜めに構えた剣ごと突っ込んで行く。


「窮鼠は猫に返り討ちだヨ?」

 それをリウは動きを止めて待ち構える。右手のグローブを口元にやって、歯で一本の糸を噛み千切る。その顔に浮かぶ笑みはまさに、狩りと遊びを混同した家猫のそれだ。


 リウが右手を鋭く振るのと同時。手に装着していたグローブが、相手の剣闘士に向かって()()()()()()()()


「うあ! こ、これは?」

 狼狽えるその男は、頭から腰までを蜘蛛の巣のように細く強靭な『網』に拘束されていた。網目は粗いが片手を武器に塞がれている状態では、そう簡単には外せない。


()網恢恢、疎にして漏らさず。ダメだなぁ、網なんて昔から剣闘士(グラディエイター)の代表的な武器じャない?」


 薄く目の粗い網を、自分の手に直接編み上げ、ごつい手袋に偽装する――こんな暗器を初見で見抜いて対応しろと言うのは無茶に近い。しかしリウはもがく対戦相手に無慈悲に告げる。


「さあて、これで終わりじャないだろ? 次はどうする? ボクは意外と飽きっぽいんだ。退屈させるなら、千切って壊して捨てちャうからね!」



「やりたい放題だな」

 カタナは、リウの戦いぶりに思わず溜息をついた。


 ここはシュームザオン中央闘技場の剣闘士控え室。備え付けられた小さな窓は、剣闘場の内壁に面しており、そこから剣闘場の様子を見ることが出来た。客席の最前列よりもさらに前、かぶりつきで剣闘が見れるのは、剣闘参加者の特権の一つだろう。


「あいつも、鬱憤が溜まっていたようだからな」


「エインさん」

 横で、今まで黙っていたエインがぼそりと言った。


 今日の剣闘では、今戦っているリウが第二戦。続くカタナが五戦目、そしてエインは最終戦の二つ前という重要な順番で戦うことになっていた。因みにグイードとオーブは、今日は東区の闘技場に割り振られている。


「リウは、前回の剣闘で負けている」

「はい、それは聞きました。何か手続きの問題があったって……」

 軽く頷いて肯定するエイン。


「暗器を、未認可で持ち込もうとして没収された」


「は?」

 闘技場で剣闘士が使用する武器は、開始の前に使用者立会いの下、簡単な検査を受けることになっている。

 基本的に、剣闘で使用する得物に制限はない。しかし毒薬などの別の意味での危険物や、機構弓(ボウガン)などの武器自体に攻撃の機構を備えたものは使用を禁止、ないしは制限されているのだ。


 たとえば、剣に痺れ薬でも塗っておけば、相手に掠らせるだけでも勝利がほぼ決まる。だがそこまで何でもありの戦いにしてしまえば、それはもはや剣闘ではなくただの戦闘になってしまう。だから、あくまでも自分の力量で扱う武器だけを使用しているかの確認を求められる。

 実際カタナも、ついさっき自分の武器を認可してもらったところだ。


「リウはその辺りを分かっていなくてな。当たり前のように暗器を隠し持ったまま剣闘場に向かって、それを見つかって失格しかけた」

 そして身ぐるみ剥がされそうになり、仕方なく全ての暗器を外して丸腰になったとか。


「居合わせたグイードさんが間に合わせで長剣を持たせたらしいが……結果はさっき言った通りだ」

 カタナは、確かにリウが『長剣は素人同然』などと言われていたことを思い返した。


「おれにちょくちょく手を出すように、リウはあれで負けん気の強いところがある。あいつなりに気にしていたんだろう」

 エインはそのように言うが、カタナは彼の見解には同意しきれず、考え込んだ顔を剣闘中のリウに向けた。


「……負けん気、ね」

 窓の外では、剣闘開始前に散々挑発して来た相手の剣闘士を、心行くまでキリキリ舞いさせたリウが勝負を決めて、勝ち名乗りを上げていた。



「さて、盛り上がって来たところで、第四戦、注目の一戦がやって来た!」


 コーザは控え室を出て、会場へと続く通路で間近に迫った自分の出番を待っていた。煉瓦造りの隧道のような通路に立つ彼の眼の先には、陽光を浴びて白く輝く決戦場への出口――否、入口がある。


 手には野良試合に明け暮れていた頃からの愛剣。身に纏うのは、先日イーユとルミルがコーザ用に選んだ装備だ。

 真っ白な麻の上着に、網目の細かい鎖帷子。さらに心臓を守る位置に、鉄鋲を打った革帯を斜めに巻いている。


 髪に整髪油を塗って逆立つようにまとめたのはイーユが手掛けた。朝会った時に「ついでだから」と言って無理やり手を加えたのだ。


 全体的に古代の剣闘士といった風情になっているが、コーザの硬質な佇まいにはしっくりと馴染んでいた。


「参戦以来無傷の五連勝! 実戦で鍛えられた剣の腕に偽り無し! あのキアン兄弟の兄、シグ=キアンの登場だ!」


 進行係の大音声が響き渡る。それに倍する客席からの歓声。コーザの視線の先、今日の対戦相手である傭兵上がりの剣闘士が、使い込まれた鉄の胸当てを着けた格好で剣闘の場に現れた。


「勢いに乗るシグ=キアンを止めることが出来るのか? シュームザオンのあらゆる野良試合を荒らし回った、知る人ぞ知る『在野の剣豪』コーザ=トートスが、名門サザード商会からの刺客となって闘技場に初お目見えだ!」


 コーザは黙って歩きだす。大仰な口上にも、無責任に野次を浴びせる観衆にも興味は無い。


 剣闘だ。


 戦い、勝ち取れ。栄光を、強さを、そして、己が求める自分自身を!


 コーザの理由はつまりそれだ。金に興味は無い、欲しいものは誉れだ。自らの強さの証明、確認のために戦うことを選んだ。

 コーザ=トートスは強いのだと示したい。今はいない父に、心配をかけた母に。そして、兄を信じる妹に。


 イーユには馬鹿だと怒られたが、元々器用なことが出来る性分ではない。愚直に、純粋に強くなり、己の存在を満天下に知らしめる。そう決めた。

 だから勝つ。こんな一歩目で躓くわけにはいかない。


 そして、もう一つ。今日だけは、他にも滾る理由がある。


「……ジーク=キアンに見せてやろう」

 貴様のしたことが、どれだけ底抜けに愚かな行為であったかを。



 闘技場の中央に立つシグは、向かい合った瞬間コーザの実力を察した。


(本当に、強いな)


 幅広の長剣を構える姿からは立ち昇る闘気が見えるよう。今まで対戦した相手は、真剣であってもどこか気の抜けた気配があったのに、この男からは戦場でも滅多にお目にかかれない戦意がビシビシと来る。


 それでこそ、凄腕と聞いて期待した甲斐があった。

 傭兵を返上して剣闘士になったはいいが、消化不良な戦いばかりで剣闘はこんなものなのかと落胆しかけていたところだったのだ。観衆の前で剣技を見せて喝采を浴びるのは新鮮な思いだったが、実戦の感覚が鈍るのはごめんだ。


「始め!」

 合図と共に、弾かれるようにシグが前へ。先手必勝、彼が戦場で得た教訓の一つだ。


「そらっ!」

 上段からの打ち下ろし。コーザは剣を使わず体捌きで躱す。


 剣戟が空を切った瞬間、シグはすかさず刃を返し、遅滞なく横薙ぎに移行した。身体に染み付いた剣の技は、年に見合わぬ練達を彼に与えている。


「!」

 今度は剣で受けるコーザ。鍔迫り合いで両者の距離が一気に縮まり、互いの眼を睨み合う形となる。


 シグは戦いの興奮に浮かされているように。コーザは戦闘の最中とは思えない静かな眼でシグを観察するように。二人の剣士は剣を挟んで相対する。


「ふっ」

 と、コーザが力を抜いて誘うように半歩退く。


「っらあぁ!」

 この機に乗って、一気に追い詰めにかかるシグ。同時に無防備に残されたコーザの右足を踏み抜いて――。


「っと!」

 直前で、思い直して地面の砂利を踏みしめる。


(危ない危ない。つい戦場のクセが出るとこだった)

 剣闘士は、正面から剣で勝負を決めてこそだ。そう自戒して、再び前に出て剣を縦横に振るう。


 その手慣れた剣捌きから繰り出される斬撃は、まるで剣術の教科書のように真っ直ぐな軌跡でコーザに迫る。


「そうだ……俺はもう、血まみれの傭兵じゃない……!」

 無意識にそう口にしていたことを自覚しないまま、シグは目の前の剣闘に没頭していった。



 こいつは違う、とコーザは確認していた。


 シグの実力は本物だ。五連勝もまぐれではあるまい。十年間、生きるか死ぬかの世界で生き抜いた経験値はコーザを遥かに凌駕している。


 しかし、あまりに動きがぎこちない。


 コーザは、迫る薙ぎを受け流し、次に来ると読んだ切り上げに切っ先を合わせて前進し、シグの身体を押し返す。

「ちっ!」

 筋力では僅かにコーザに分がある。舌打ちと共に下がるシグが、空いた左手を不穏に閃かせるが、その動きは直前で止まった。コーザが止めたのではない、シグが勝手に躊躇ったのだ。


 シグの戦いは、率直に言って窮屈なのだ。野生の狼が、鉄の檻に閉じ込められているようにさえ感じる。

 短い剣闘の間に、何度も攻撃を躊躇って仕切り直す場面がある。それはわざと残した退き足や、剣をかいくぐって地に着いた手などの隙を突こうという瞬間に現れる。


 そうでなくとも、彼の剣は正攻法過ぎる。本人の技量で補っているものの、基本にこだわり過ぎているシグの剣は、コーザには至極読み易いものでしかなかった。受け、返し、機先を制し。一手一手丁寧に潰して、ついにシグの勢いが止まる。


「なんっ、だと!」

 シグの紅い双眸が驚愕に見開かれるのに、コーザは剣闘が始まってから初めて口を開く。


「工夫が足らんぞ、傭兵上がり」


 そして、コーザ本気の斬撃が解き放たれる。



 それは例えるなら鉄の暴風。


 コーザがその全身を引絞り、一気に剣を打ち下ろす。シグはたまらず跳び下がって逃れるが、この一撃では終わらない。


「がっ!」

 剣を振り下ろしたコーザは、その体勢からさらに溜め、今度は天を裂くような切り上げを放つ。シグは辛うじて剣で受けるが、大きく弾き飛ばされる。


 そしてもう一撃、今度は横からの薙ぎ払いだ。


「なんだとっ?」

 全身の力を使った大振りの一撃。通常ならば躱してしまえば大きな隙を晒すものだが、コーザのそれは完璧に制御されており、シグが体勢を立て直す隙が生まれない。『渾身の連撃』という矛盾した攻勢が実現しているのだ。


 特筆すべきはコーザの体幹の強さだ。鉄の塊を全力で振り回し続けてなお彼は姿勢を崩さずシグを追い詰めている。


 そして、ついに。

「がはっ! ……ぐぁ」

 上段から落ちたコーザの剣が、シグの剣を打ち砕き、そのままの勢いで彼の胸に叩き込まれた。


「勝負あり!」


 カタナ=イサギナ――後に『闘王殺しの弟子』と一部で呼ばれることになる彼と並び称されるコーザ=トートスには、こんな呼び名が付いたという。


 『闘王』サーザンの後を継ぐ男、『再来の闘王』と。



「コーザ! コーザ!」

 歓声を挙げる観客の中に覚えのある声を聞いたコーザは、ふと顔を上げた。


 目線の先にいたのは、顔を真っ赤にした連れの三人だ。懲りずに昼間から酒を呑んだとは思えないし、単に興奮しているのだろう。

 そして横には、彼らに頼んだ母と、妹のルミル。そしてイーユの姿がある。


「……」

 らしくないか、と思ったが、気が向くままに彼らに剣を掲げて勝利を報告する。客席が一層盛り上がるが、一番騒いでいるのはやはりあの三人だ。


 母は闘技場の空気に当てられたか、ずっと座り込んでいるが、顔には安堵したような笑みがある。ルミルも隣で無邪気に笑っている。

 イーユは、何だか怒ったような顔をして、そっと唇が動いた。


「……バカ」


 そう言ったように見えたが、流石に声は届かなかった。


 視線を下げると、気を失ったシグが運び出されて行くところだった。戦いぶりからルミルの件に関わってはいないと見たので、最後の一撃はわざと胸甲に当てた。胸骨の一本くらいは折れているだろうが、そのくらいは剣闘ではよくある範囲の怪我だ。


「後はお前だ、カタナ」

 事も無げに呟いて、コーザは初勝利を飾った舞台を悠然と去って行った。

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