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剣闘のカタナ  作者: 某霊
2.カタナ、初陣
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開戦の朝

 カタナの剣闘当日。ヒューバード剣闘士商会の朝食は、非常に豪勢なものだった。


「うわ、朝からこの量は……」

 寝起きのリウが、物に動じないこの人物には珍しく、明らかに顔を引きつらせたくらいに。


 食卓中央には色とりどりの野菜が煮込まれたスープで満たされた大鍋がデン、と鎮座し、その脇には今にも篭から零れ落ちそうなほど積み上げられたパンの山――と言うか塔。そしてそれらを囲む大皿料理の群れ。


「うぬ、年寄りには少しキツい量かのう」

 冷や汗を流すグイード。彼の目線の先にある大皿は、その面積の全てが目玉焼きに占拠されている。分厚いベーコンの絨毯の上にたむろしてこちらを見ている黄色い目玉は、人間換算でざっと二十人近い大所帯である。


「こんなに作って、ウチの食糧庫、空になりませんか?」

 オーブが、自分の席の前に並ぶ水差しの行列に頭を抱える。片手では持てない位の大きさのそれらに、それぞれ水、山羊の乳、茶、柑橘の果汁、その他諸々がなみなみと注がれている。


「当然、なりましたよ。残っていた全ての食糧と資金をつぎ込みました。この食卓が、正真正銘我が商会の全財産です」

 食器を並べていたフェートンが無表情を装った諦観の顔で剣闘士たちを見る。


「何だってそんなことに……! あと二、三日分はあるって話だったのに!」

 カタナは頭痛を堪えるように右手で額を押さえる。なまじ想像がつくだけに、彼にとって事態は深刻である。


「……お嬢が、少し張り切り過ぎたか」

 エインが比較的冷静そうに呟き、蜂蜜が満たされた器と握り拳大のバターの塊を、自分からは見えない大鍋の陰にさりげなく移動させた。


「……ふう」

 一安心、という顔で着席。冷静そうなのは見た目だけ、とも言う。


「お嬢様は、背水の陣、と仰っておりました。どの道今日勝てねば商会に先はないのだから、と」

「いや、むしろこれ全部食ったら、丸一日身動き取れないでしょう」


 カタナは、この数日間の言動の端々から感じていたレレットという少女の特徴を今確信した。


(やることが、極端すぎる……!)


「そこはそれ、皆さん肉体第一の剣闘士。ご自慢の気合と根性と無神経で何とかしていただく、ということで」

 さらりと職業差別したフェートンは、げんなりとした顔のカタナたちをぎろりと睨み回して。

「勿論、商会長直々の大盤振る舞いを残すような不届きものは居られませんな?」


 その極めて忠実な執事の『真摯な説得』に。


「ああ、僕が太ったら女性人気が無くなってしまう……」

「フェートンよ。お主も道連れじゃからな」

「まあ、ご馳走には違いない」

「ボク、もうフトドキモノでいーのになー」

「……はい……ありがたく頂きます……」


 このようにそれぞれ悲壮な(?)覚悟を固めていた彼らだったが。



「あ、みんなおはよう! ()()()()あるから、ドンドン食べてね!」



 厨房から出て来たレレット(野牛のステーキ山盛りを乗せた大皿付き)の元気な一言で全員撃沈した。


 その後は、敢えて深く語るまい。

 ただ言えるのは、その朝のレレットは、終始ご機嫌だったということ。そして、後にカタナが語った一言だけである。


「死ぬほど美味い、という言葉の意味を初めて知った」


 あとデザート付きだった。



 コーザは、シュームザオン中央闘技場の入口脇で人を待っていた。

 待ち合わせた時刻は入場開始の半刻前。時間まではまだしばらくあるが、コーザは長い付き合いから、そろそろ来るだろうと目星をつけていた。


「コーザ君。早いね」

 想像通りの頃合いで現れたのはイーユ=ミトン。

 物心ついた頃からの幼馴染は、今日は勤めている用品店の制服ではなく普段着を着て、明るい茶色の髪を自然に流した姿で歩み寄って来る。コーザにとってはごく見慣れたものだ。


 コーザの方の恰好も、まだ武装していない、粗末な普段着だ。

 物々しい出で立ちで会う気にはならなかったから、剣も装備も荷物にして持って来ている。


「面倒かけたな」

「いいわ。久々にコーザ君の家に泊まって、懐かしかったし。それとあの男の人たち、意外と気さくで面白かった」

 イーユはそう屈託のない顔で笑う。


「母さんは、どうだ」

「張り切ってたわよ。『コーザがお友達を家に呼んだのなんて、十年ぶり!』って」


 お友達……。

 流石にその表現は違和感がありすぎてコーザは頭を抱えたくなった。世の母の常である、そういうある種の子供扱いは、単純に年頃の息子として受け入れがたいものだ。


「ルミルちゃんも、意外と落ち着いてた。夜もちゃんと寝られたし。何か、助けてくれた剣闘士さんがどうとか、楽しそうだったわよ」


「……そうか」

 安心なような、その十倍不安なような。複雑極まる表情のコーザに、イーユはまた笑った。

「心配いらないって。カッコいい男の子にドキドキ出来るなら、女の子は元気な証拠! それより……」

 そうして、笑いながらコーザをからかった後。


「コーザ君は、大丈夫なの?」

 眉を下げてそんなことを言う。


 不安そう、と言うよりは純粋に心配そうな表情だ。昔から彼女がたまに見せる顔。

 コーザが多数相手の喧嘩に向かう時や、父が死んだ時。剣闘士になると決めて家を出た時にも見せられた。


 茶色の混ざった黒い瞳が上目づかいでこちらを見上げ、軽く結んだ口元は普段の緩さよりも真剣味が強い。事情は昨夜簡単に話してあったが、不安にさせたかと後悔が過ぎる。


 コーザはこういう時の彼女の顔が苦手だった。あまり表情の動かない自分の感情を、たやすく見抜くのはこの顔だから。

 そして、それがさして嫌でもないというのが、自分らしくなくて二重に苦手なのだ。他人に分かって欲しい、などと考えてはいないはずなのに。


「問題無い」

 言い切る口調が自分でも意地を張っているように聞こえて、コーザは閉じた口をもう一度開く。

「今日中にケリを着ける……らしいからな」


「え、誰が?」

 イーユの疑問にはあえて答えない。

「もし上手くいかなかったら、おれがやるさ」


 任せるのは、ジーク=キアンが『あいつ』の相手だからだ。剣闘士として、他人の獲物に手は出さない。だから昨夜は、キアン兄弟の居るミノス商会に乗り込まなかったのだ。


 ただし、今日の剣闘が終わったなら、もう待つ理由はない。

 まずは今日の剣闘で兄のシグを。次があればジークだ。奴らの全身をすり潰してもルミルの傷の埋め合わせにはならないが、それが兄の役目だ。自分が原因の一端を握っているというのならなおさらだろう。


「あは、珍しいな」

 イーユが、いきなりそんなことを言って笑った。

 コーザがどういう意味か、と眼だけで尋ねると、余計に楽しそうに目を細めた。


「コーザ君が、そうやって自分の問題を誰かに任せるの。あと、自分の出番は無いだろうって、その誰かを信じてるみたいな顔なのも」

「……」


 見当外れなことを言う、とコーザは思った。別に『あいつ』が信用に足りるから先を譲っているわけではない。単なる巡り合わせで、先約が向こうだというだけのことだ。

 だというのに、イーユはこちらの無言から意図を読み取ったのか、意地の悪そうなしたり顔でこんなことを言うのだ。


「じゃあさ。その人が失敗して、コーザ君の出番が回ってくると思う? 回って来て欲しいと思う?」


「――さあな」

 無言を通すとさらに笑われるような気がして、無理やりに言葉を返す。しかし。

「あらら、ホントに珍しい。こんなコーザ君初めてかも!」


 結局、より一層面白がらせるだけになってしまうのが、彼とイーユの関係らしい。コーザは、彼女から目を逸らして、顔を見られないようにする。


 今だけは、心を読まれるのは勘弁して欲しい。



「ジーク! もう出るってさ」


 聞き慣れた兄の声が聞こえて、ジークは眼を開けた。

 ここはミノス剣闘士商会の食堂だ。軽い朝食を終えたジークは、座っている姿勢のまま眼を閉じていた。


「全く、お前はどこでもすぐ寝ちまうな」

 いつものように声をかけてくる兄、シグに、ジークは茫洋と答える。

「……ああ」


 寝ていたふりだった、とは言わない。

 言えば、何故そんなことをしていたか聞かれるからだ。

 それに対して、兄に声をかけてもらうのを待っていたからだ、とは言えないし、嘘の理由を言いたくもなかった。


「シグ兄。今日の相手は……」

「ああ、コーザ=トートスか。野良試合で名を売ってたらしいが、随分強いって聞いたよ。ま、剣闘士らしく、正面からぶつかるだけさ」


 シグは、この街に来てからよくそんな言葉を口にする。剣闘士だから、剣闘士らしく、と。ジークはそれに何も言わない。傭兵だった過去を忘れたがっている兄にだけは、剣闘などくだらない茶番だと思っている本心は言いたくなかった。


 自分と兄は、外見は良く似ているがその内面は大きく隔たっている。昔から薄々感じてはいたが、齟齬が強くなったのは、傭兵をやめてこの街に流れ、剣闘士になってからだ。


 基本的に明るく楽観的な兄のシグと、陰気で厭世的なのが弟のジーク。

 兄にとっては、剣闘は陽の光の下で力を振るえる晴れ舞台。しかし自分は、剣闘を単なるお遊びとしか思えない。


 シグが十一歳、ジークが十歳の冬、両親が死に親類をたらい回しにされた果てに、小さな傭兵団に入れられた。

 丁度、大きな戦も起こっておらず景気の悪い時期だったせいもあり、大規模な戦いに巻き込まれずに見習い時代を抜けられたが、果たして幸運と言えたのかどうか。

 戦いとも言えない小競り合いや表沙汰にならない汚れ仕事が当時の傭兵団の主な仕事だった。


 そんな場所では、誇りなど、持っている者から死んでいく。入団以来十年間、闇夜に紛れ、背後から斬りつけ、這いつくばってでも生き抜いてきた。


 陰湿な味方と狷介な敵の、こそこそとした生皮の剥ぎ合いと生き血の啜り合いのような戦いの場を、歪んでいると思い抜け出したのがシグで、真理だと知りつつ背を向けたのがジークだ。


 同じ血を持ち、同じ死線を越えた兄弟なのに、シグとジークは今や全く別のことを思い、別の剣を振るっている。

 もうそれは仕方のない事実だ、とジークは諦めている。だが、二人の人生まで分かたれるのは、我慢がならない。


 だから、せめて兄の助けになると決めた。兄ができない、気付かないことを、自分が代わりに行い、支えるのだ。

 二人が同じで在れないのなら、ジークなどいらない。


 ただ、シグの影がもう一つ在ればいい。


 二人で生きることはできなくとも、一つの人生を共に過ごすことはできる。

 それが、ジークの生きる意味で、存在理由だ。


 黙り込んでいるジークに、シグが気遣わしげな表情で話しかける。その澄んだ赤い眼の輝きも、血のようなジークの赤目とはまるで違う。

「それより、お前の方こそ気を付けろ。カタナって新人、昔の名剣闘士の秘蔵っ子だって噂がある。組み合わせが決まった直後からそんな話が急に出て来たって、商会長が慌ててたぞ」


「……そうか」

 初耳だったが、驚きはなかった。

 昨日遭遇し、互いに向き合った時からただの新人とは思っていなかった。

 

 血の臭い。

 鉄錆が染み込んだような傭兵のそれとはまた違うが、あれは明らかに人を殺して来た人間の臭いだ。


 一般人や、殺し合いではない戦いしか知らない剣闘士には理解できないだろうが、分かるものには分かる。『アレ』は『同類』だと、傭兵として十年生きたジークには感じ取ることができた。


 そう。カタナと、そしてもう一人。

 あの場に居合わせたカタナも、()()使()()も、人を殺して生きていた時期があるはずだ。


「大丈夫だ」

 しかしジークは、他人の事情には全く興味を持たず、ただ当たり前に言った。


(殺し合いになるなら、都合がいいくらいだ。剣闘より慣れたものだ)

 ジーク=キアンは剣闘士ではない。ただ闘技場で戦っているだけで、その心の内は傭兵のまま、戦場(まち)に生きている。


「そうだな、お前ならきっと勝つさ」

 シグは、弟のことを全く理解していないが、心から信用し、愛してくれる。


 ジークは、それで十分幸せだった。



 かくして彼らは最後の休息を終え、闘技場に集う。

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