防具と銀貨とささやかな縁
「お待たせしました!」
一気呵成とはこのことか。
一通りの確認の後、カタナを簡易な更衣室に押し込んだルミルはほんの数分で三つの候補を抱えて来た。小さな体でてきぱきと一つ一つ広げて示す。
まず出された一着目は、黒い金属の軽鎧。肩や胸に銀色の鍍金が走っている。
「黒は落ち着いた感じで似合いそうですけど、お客様は髪も黒ですからね。黒を中心にして、装飾で要所に明るい色を置いていくのがいいですよ」
「な、なるほど」
実はカタナもこういった戦闘用の防具を身に着けるのは初めてである。やや緊張しながらの腰の引けた応対となってしまった。
おっかなびっくりな内心を隠しつつルミルに手伝ってもらいながら試着をしてみる。事前の印象では「鎧とは重いもの」という思い込みがあったが、全身にぴったり装着されてみると、意外と重量感はないが、心身ともに閉塞感は否めない。
着心地自体は悪くないが、着慣れない金属鎧は想像以上に動きにくい。
「……特に肩回りが、けっこう窮屈かな」
残念ながら、これは止めておくことにする。
脱ぎ方のわからないカタナを補助しつつ、ルミルは残念そうな顔も見せずにこにこと次を薦める。
「なるほど。腕の動きですか。では次はこちらを!」
二つ目は、上半身を金属の篭手と胸当て、下半身を腰当と脛当で一揃いになった、最低限の防具で動きやすさを重視している装備。銀色に磨かれたそれらは、どれも軽さと丈夫さを備えた良品である。
「速さを気にするならこの辺りですね。工夫次第で没個性にならないようにもできますのでオススメです!」
こちらは動きやすくて気に入った。要所を集中して守り、素早く立ち回るのには有効な装備ばかりだ。ついでに言えば一人で脱ぎ着ができるのも気まずくなくてありがたい。
「うん、これなら問題ないかな」
「そうですか。ではこれは一旦置いて、次も見てみましょう!」
嬉しそうに笑い、ルミルは並べた装備をどかして場所を空ける。よく笑う子だなあ、とカタナはなんだか癒された気分になる。
そして最後の三つ目。
「ふっふっふ、実はこれがとっときですよー」
自信満々の表情でルミルが取り出したのは、青みがかった黒色の革鎧の上下だった。上着はより蒼が濃く、袖なしのベストに近い形状をしている。
「これは……何の革だ?」
カタナが首を傾げる。北の山地では多くの動物を見てきたが、まるで思い当たらない。
ルミルは、少年の反応に満足げにうむうむと頷いた。
「えー、こちらは、下が南方の海の深くで捕れる鯱の皮を加工したもの、胴衣は同じく南海の海鷂魚の皮です。こういう品が内陸のシュームザオンまで流れてくるのは珍しいんですよ。どちらも革製の防具としては、最上の堅さを持っています」
カタナは、目の前の防具をじっくりと見る。見ただけで、その深い色に飲み込まれそうになる不可思議な質感。
「ちょっと触るよ」
断ってから手で防具に触れる。予想以上に堅い。これは下手な金属よりも強度があるかもしれない。しかも革は砕けないし重量も段違いだ。
「……すごいな」
これなら、動きを阻害せず、守りの不安もなくなる。カタナにとっては理想的な防具だ。
「でしょう? でも、すごい高いんですよコレ。ばら売りなしで銀貨三十枚!」
「……え?」
カタナは一瞬で固まる。
提示されたのは全財産の十倍もの額。対するルミルは相変わらずにこにことこちらに詰め寄る。
悪意を全く感じないのがかえって恐ろしい。心の底から、カタナのためにこの超高額商品を勧めているのだ。
「大丈夫です! 手付金をいただければ、剣闘の賞金で後払い出来ますから――あイタッ!」
「ご新規さんに債務で売りつけるんじゃない!」
どこからともなく現れたイーノが、すぱんと音を立ててルミルの頭をはたいた。
「あなたね、予算考えてやれって言ったでしょうが! 全く、よくこんな高いの見つけてきたわ」
頭を押さえていたルミルは、呆れ顔のイーユに猛然と抗議する。
「だって! お客様に一番ふさわしいのはコレなんですよ! 体格といい戦い方といい、何より色が! 頭から足元まで色合いの違う蒼と黒が流れて、あとは明るい色を少し足してメリハリつければ完璧ですよ!」
確かにカタナは、これ以上ないほどこの鎧を気に入った。そういう意味ではルミルの目利きは大当たりであったのだろうが。
「仕事に趣味を持ち込むんじゃありません! 大体、新人なんてモノになるかもわからない相手に後払いなんて、回収できなかったら丸損よ」
それもごもっとも。そしてカタナにしても、いくらいい商品でも買えなければ意味はないのだ。
「うー……」
先輩に一喝されてもまだ未練があるのか、ルミルは不満気に声を漏らしている。
「のう、そこをなんとか、後払いで融通しては貰えんか?」
そこに、いつの間にか近寄って来ていたグイードが声をかけた。
「グイードさん、いくら長年の常連さんでも、それとこれとは……」
イーユが困った表情で渋るが、グイードは宥めるような口調で言った。
「うむ、何もただとは言わん。店主に前から譲ってくれと頼まれていたモノを担保にすると言えば許可してくれよう」
「グイードさん、何もそこまで!」
驚いてカタナが声を上げるが、グイードは断固として首を振る。
「構わん。よいかカタナ、防具は剣闘士の命を守る相棒であろう。これと思えるものと出会えたなら、決して妥協するな」
「でも、それじゃあ」
「なあに、年寄りのいうことは聞くものよ。それに、先達は後進にお節介を焼かねば偉そうにしてなどいられんからの」
悠然とカタナの遠慮を退ける。
両者のやり取りを聞いていたイーユは息を吐いて頷いた。彼女としては、もっと穏当な仕事を後輩に経験させたかったのだろうが、こうなっては仕方がないといったところか。
「……わかりました。一番長いお付き合いのグイードさんにそこまで言われては断れません」
「じゃあ!」
飛び上がって喜んだのは、カタナではなくその横のルミルだった。イーユは、苦笑して彼女を見る。
「ええ、ルミルちゃん。お客様に合わせて調整してあげて」
●
そしてわちゃわちゃかつてきぱきと、ルミルにカタナがいじくりまわされること数分。少女が歓声を上げて「完成品」を披露する。
「できたー!」
カタナは、ルミルの手によって調整された海獣の革で作られた装備に身を包んでいた。
上半身は肩まで剥き出しで胴体部分だけを海鷂魚の革が覆っている。カタナの身体を緩みなく包む胴衣は、全身の動作を妨げない配慮が行き届いている。
「ほう、確かに似合っておるな」
「ええ本当に」
グイードとイーユも、少なからず驚いた表情でカタナを見る。
下半身には、鯱の革の道着。カタナの体格から一寸ほど余裕を持たせてあるおかげで跳んでも屈んでも問題はない。
「おや、随分剣闘士らしい格好になったねカタナくん」
「そうだな」
様子を見に来たオーブとエインが、感心した様子で言葉をかける。
カタナは無言で頷く。これなら、何の不安もなく全力で戦える確信がある。
「ではあと明るい装飾を何か差し付けましょう。このままじゃ遠くから見たらイマイチ映えないですからねー。何がいいかなー?」
そう言って、ルミルが装飾の方を漁りに行こうとした時。
「コレ」
ひょっこりと顔を出したリウが、何やら赤いものをカタナに投げた。
「リウ?」
少年の手に収まったそれは、長い動物の毛を梳いて油を軽く染み込ませた物で、盾や鎧の縁取りなどに装飾として用いられる素材のようだった。
カタナが手中の物の意図が掴めず疑問の声を発するが、リウの返事より先に、ルミルが食いついた。
「あー、赤獅子のタテガミ! そっか、この手があった!」
ルミルはすぐさまリウの選んだ品を手に取ると、カタナの背中に当てる。よく見ると赤というよりは橙色に近く、陽光を浴びて金色がかっているようにも見えた。
「うん、これをすらっと加工して、襟から背中に流して首の動きの邪魔にならないように取り付ければバッチリです!」
黒を基調とした中に、明るく輝く赤が存在感を示している。確かに、離れた闘技場の客席から見ても十分見栄えがするだろう。
「へえ、確かにこれは中々。リウ君くんにこんな才能があったとはね」
「べっつにー。なんとなくだヨ」
意外そうに眼を丸くするオーブの言葉に、リウはいつになくそっけなく応じた。
●
その後、カタナは革靴と手袋も蒼黒で統一して購入し、調整などを含めて翌日には受け取れるようにした。
しめて銀貨三十二枚。言うまでもなく完全に予算超過である。
結局、代金はカタナが半年かけて、剣闘の賞金で毎月銀貨五枚ずつ返済することとなった。もしも返済が不可能になれば、グイードが責任を持って担保を引き渡すことで、後から出てきた店主と話を付けた。
「本当に、ありがとうございます」
『ノックイン』を出たカタナは、グイードに深く頭を下げる。しかし、当の本人はけろりとした顔で歩き出して言う。
「なあに、お主は勝つ気であろ? ならば何の問題もないわ」
「ところでグー爺さ、話してた『担保』ってなんなの?」
再びカタナの横に並んで歩くリウが尋ねる。さっきの、妙な態度は既にない。グイードは後輩の問いに直接答えず。
「気になるかの? まあ、大人の男のロマンとだけいっておこうかの。お子様が知るにはまだ早いわ」
悪戯気に言って、呵呵と笑った。
●
「ルミルちゃん、あなたはしばらく接客禁止」
「えー!」
カタナたちの去った『ノックイン』店内でルミルはイーユに説教を食らっていた。
「上手くまとまったからいいものの、ウチの店はあくどい売りつけ方をするなんて噂が立ったらどうするの?」
「……すみません」
しゅんとして頭を下げるルミル。イーノはやれやれと言わんばかりに首を振る。
「あなたの、人に似合う服を見る目は大したものだけど、もっと色々考えてないと『仕事』にはならないのよ。もっと勉強するのね」
「はい……」
とそこに、店の扉が開いて新たな客が入って来た。
「いらっしゃい……って、コーザ君じゃない」
「あ、お兄ちゃん!」
イーユとルミルの視線の先にいたのは、紛れもなく、カタナと昨日因縁を持った新人剣闘士、コーザ=トートスであった。
「わー! 久しぶりだね。元気してた?」
ルミル=トートスは、剣闘士になると言って家を出て以来、中々姿を見せない兄に駆け寄って腰の辺りに飛びついた。
「……よう」
無表情のコーザは、昔なじみのイーユに軽く目配せしつつ、妹のルミルに声をかける。
「うん、お兄ちゃんもね。商会に入ることになったっていうことは聞いたけど、それっきり何も言ってこないから心配したんだよ?」
「別に、他に話すこともないからな……母さんは元気か」
「うん、毎日元気。いっつもお兄ちゃんの心配してる」
「そうか」
コーザはゆっくりと頷き、ルミルの頭にぽん、と手を置く。
「一回くらいおばさまのところに帰ってあげればいいのに。正式に剣闘士になったんだし」
幼馴染のコーザの鉄面皮に何かを感じたか、そんな声をかけるイーユ。
「まだ、剣闘士として成功したわけじゃないからな」
だがコーザは素っ気なく首を振る。ルミルは、兄から一旦離れて、顔を見上げる。
「ねえ、初対戦ってもう決まった? 絶対見に行くからね!」
「今日、剣闘士商会の組合で決まるはずだ。一番早くて明後日だろう」
「そんなに早いの? あ、そうだ! お兄ちゃん、どうせ野良試合で着てた修業着で剣闘に出るつもりでしょ。そんなのだめだよ、もっと格好いい装備選んであげる」
ルミルは兄と同じハシバミ色の眼を輝かせて提案する。
「おれは気にしないぞ」
「ルミルちゃん? あなたまた……」
「今回だけ! お兄ちゃん、折角の初剣闘なのに、ぼろっちい革胴着だけなんてもったいなさ過ぎます!」
難しい顔をしていたイーユだが、ルミルの言葉に内心同意したのか、少し考えてから首肯した。なにくれと注意をしつつも、結局のところ幼い頃から見てきた妹分には甘いのであった。
「まあ、身内相手なら、問題はないか。財布は結局一緒だしね……折角だし、あたしも手伝うわ」
「はい。二人で、超新星誕生! って感じのを完成させましょう!」
手を打ち合わせてはしゃぐ妹と幼馴染を見て、コーザは密かに諦めの溜息を吐いた。
彼はこの後一時間かけて、二人がかりであれこれと服や防具を付けては外され、ああでもないこうでもないと中々進まない装備談義に付き合わされることとなった。
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ルミル=トートス。
カタナとコーザ、同時期に剣闘士となった二人の因縁に、後に深く関わることになる少女。カタナと彼女は、結局互いの本名も知らぬまま最初の出会いを終えたのだった。




