就職初日は外出日和
翌日、ヒューバード剣闘士商会は、朝から慌ただしい空気に満ちていた。
「さあ。お嬢様、お急ぎください」
「うん、これで、いいかな?」
玄関に集まっていた剣闘士たちの前に現れたレレットは、昨日とは打って変わって、商会長の正装に身を包んでいた。
「おー、カッコいい!」
「な、なんか照れるんだよね、コレ」
リウが気楽に声を上げ、レレットははにかんで首元に手をやる。そこには、絹糸で刺繍された鮮やかな赤色のネッカチーフが結ばれていた。
彼女は、紺地に大きく白い格子模様の入った燕尾服を身に纏っており、その上から袖のないインバネスを羽織っている。服装は立派な紳士のものだが、着ているのがまだ十代半ばの少女であるレレットなので、多少の違和感があるのは否めない。
「いや、それでも中々サマになっておるよ」
右手の黒いステッキや頭に乗せた少し大きめのシルクハットといった装飾を携える姿は、服に着られている感はあるものの、高い品質も感じさせ、確かに隙なく決まっている。
「しかし、今までこんな恰好で組合の会合に出かけて行ったことってなかったですよね?」
オーブが、レレットの着こなしを仕上げたフェートンに尋ねると、当然といった顔で彼は頷く。
「ええ。だからこそ、意味があります。いきなりこのような正装で現れれば、間違いなく周囲は注目する。つまり、存在感が生まれます。そして、今までとは違うのだと、形で示すことも出来る。先代も、ご自分の一張羅が娘に着られるのなら本望でしょう」
「だから、一晩で全てお嬢の体型に合わせて仕立てを直したんですか?」
エインが驚いたような、呆れたような表情で老紳士を見る。当の本人は涼しい顔で主人の髪の乱れを直している。
「この程度、大したことではありません」
そう答えるフェートン自身も、現役時代と同じ漆黒の執事服を久々に身に纏っている。年季の入った着こなしとたたずまいは昨日の普段着よりも明らかに似合っており、気のせいか本人の顔も活き活きとして、肌の張りも若返っているように見えた。
「でも、会合って夕方からだろ? なんでこんなに早く出るんだ?」
カタナが、レレットに穏やかな声をかける。
昨夜の住人たちのやり取りを知らないレレットだが、彼の様子が昨日よりも柔らかいことに気付いたのか、ふわりと笑顔を返した。
「えっと、会合の前に、組合の有力者で、話を聞いてくれそうな人に根回ししておくんだって、フェートンが」
レレットの言葉に、皆の視線がフェートンに集中する。彼は荷物を抱えつつ、事も無げに言った。
「無策で挑んでも勝ち目はありませんから。普通、こういった会合の当日などに何を持ちかけても大体は相手にもされないのですが。今回を逃すと次は七日後、我らの商会はそれを待つ余裕はないのでやむを得ません。まあ、都合のいい条件が揃っていますし、何とかなるでしょう」
それに、と付け加えて。
「本番の会合前ならば、私も同行出来ますのでね」
老執事のその一言で、ああ、確かに何とかなるだろうな。と剣闘士たちは確信したとかしないとか。
●
「じゃあ、行ってくるね」
「皆さんも、大事な時期にお怪我などなさいませんよう」
玄関の外でレレットが剣闘士たちに手を振って、影のように付き従うフェートンとともに去っていくと、残された剣闘士たちも、各自一度解散し、それぞれが出発の準備を整えた。
「ところでさ、今日みたいな根回しとか、フェト爺がその気になれば今までも出来たんじゃないの?」
昨日と別の衣装を着込んだリウが首を傾げる。今日の服は、基本的な作りは昨日と同じだが、薄手の白い生地で作られたそれは、リウの小麦色の肌に映えて、随分明るい印象に見える。
「いや、実際に戦う、肝心の儂らが腑抜けていては、そもそも根回しする材料もありはせんよ」
「それともう一つ。実はフェートンさん、この商会をどう上手く潰そうか考えていた節がありますしね」
グイードの自嘲を受けて、今日は普通の服装――と言っても、シルクのシャツに黒革のベストを重ね着する、華やかなもの――のオーブが、何でもないような顔でとんでもない発言をした。
「え?」
当然、それを聞いたカタナは驚愕の表情を隠せない。つい前日、『商会を守るために』という理由でかなり強引な話をされた身としては無理もない。
しかしグイードは、オーブの言葉を否定しなかった。
「うむ、実際あやつにとってはお嬢を守ることが第一で、商会自体は二の次よ。手を貸しつつ穏当な畳み方を見計らっていたというのが本音かの」
そこで、グイードはニヤリと口元をやんちゃな少年のように吊り上げる。
「しかしあまりにお嬢が商会に拘っていたので退こうにも退けず、お嬢が追い詰められるごとに自分も一緒に打つ手を失い、結局カタナにあんな話を持ちかける羽目になったわけじゃ。あやつらしくもない失敗ではある」
長い付き合いの気安さでからかうような様子のフェートンに、エインが苦笑して言った。
「しかし逆に言えば、今は商会のために本気になってくれたわけですね」
「ふむ、確かにそうとも言える。執事服を着ているあたり、気合も入っているようだからの」
「成程。組合関係はそういうことなら心配なさそうです。ならば僕らも僕らの本気を尽くすための用意をしようじゃないか」
オーブが手を叩いて場をまとめる。
「そう、剣闘士の相棒。武器と装備を整えにね!」
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「何か、悪いな」
「え、ナニが?」
街中を先導する三人に着いていく形になったカタナが、隣を歩くリウに囁く。
「いや、みんな訓練もしたいだろうに、おれの装備の調達に付きあわせちゃってさ」
「んー、ボクは問題ないヨ? 武器に使える面白いモノあるかもしれないし、そういう店の場所も今まで知らなかったし」
リウはふらふらとあちこちに目をやりながら答える。
「いー加減、部屋で手持ちの調整と改良してるのも飽きたしさ」
「儂らのことも気にせんでもよいさ」
会話が聞こえたらしいグイードが顔を振り向かせて言った。
「エインもオーブも、必要な訓練は各自でやれる。それに剣も防具も、大事な一戦の前にはしっかり整備せんとならん。ならば、まとめて用を済ませた方が早かろう」
と、そこで先頭のオーブが足を止めた。
「ほら、君たち、到着だ! あそこがウチの御用達の剣闘士用品店だよ」
そこにあったのは、一見普通の商店に見える。店構えも特に大きかったり物々しい雰囲気だったりもしない。扉の上には小さな看板。
『剣闘士専門店・ノックイン』。
「武器は専門の職人区に行く必要があるけど、この店でそれ以外の防具や装飾品なんかは全て揃えられるよ。まずここでカタナくんの初剣闘の装備を用意しよう」
そう声をかけてオーブは扉を開き、一行は店内へと進んでいった。
●
「いらっしゃ……おー? ヒューバードのみなさんじゃないですか! お久しぶりー」
店内に入ったカタナたちを迎えたのは、元気のいい女性の声だった。
「おおイーユさん! ご無沙汰していました。申し訳ない」
オーブが気取った仕草を見せて礼をする先では、藍色の制服に身を包んだ店員らしき二十歳過ぎの女性が本を何冊もまとめて持っていた。
イーユと呼ばれた女性は笑みを浮かべて、本を一旦置くと、肩まで伸びた明るい茶色の髪を揺らして彼らを奥に勧める。
「いいっていいって、ここんとこ大変だったのは聞いてましたし。さあ入って入って。で、何かあったの? ツケなら待ったげるように店長に頼んであげましょっか?」
店内は朝早いことあり、客の姿はほとんどいない。奥に陳列されているのは、主に剣闘に耐えられるよう丈夫に加工された鎧や防具、服など。後は装飾品の類が中心で、隅の方には香水や造花、本といった剣闘にどう使うのかよくわからないものもあった。
「ああ、それは助かる……じゃあなかった。今日は新人君を案内してきたんですが……あー、とりあえずこちらの彼に、闘技用の装備一式お願いします。大体はお任せでいいそうですので」
オーブが指した先にいるのはカタナ。もう一人の新人であるリウは、陳列されている商品を見に、勝手に離れてしまっていた。
「ははー、……なるほど」
イーユは、カタナの顔と身体つきをしげしげと眺めた後、矢継ぎ早に質問して来た。
「お年は? うん、もうすぐ十七と。愛用の防具とかあります? ……ふーん、一から揃えると。で、予算はいかほど? あー、ナルホド。それじゃあそこそこの、でもまあ……」
そうして、カタナを置いて少し考え込んでいたが、すぐに顔を上げた。
「うん、ちょうどいいかな、ルミルちゃん、こっち来て!」
イーユはくるりと、軽く身体をひらめかせて店の奥に呼び掛けた。そしてほどなく、ぱたぱたと足音を立てて少女が小走りにやって来た。
「はーい、イーユ先輩!」
その少女はイーユと同じ服装に身を包んでいた。蜂蜜色の髪を横に分けて額を見せており、小づくりに整った顔立ちと大きな瞳が印象的な、明るい空気の持ち主だ。
年齢はカタナより二つか三つ幼いだろう。着ている制服が少し大きすぎたのか、袖を畳んでいる。華奢で小さな身体に、溢れんばかりの生命力が満ちている少女だ。
「こちら、ヒューバード剣闘士商会の新人剣闘士さんよ。ルミルちゃん、あなたがこのお客様の剣闘用の防具と衣装を見繕って差し上げて」
イーユの指示に、ルミルという少女の顔が輝いた。
「え、いいんですか? やたっ、初仕事!」
「いい? ちゃんと予算を聞いておいて、それに合わせるのよ? 似合うからって無闇に高いもの持って来ないように」
「はい、お任せを!」
先輩からの注意を、うずうずとした様子で受けるルミル。それに。
「いや、あの……」
話に置いて行かれたカタナが声をかけるが、ばっ、とこちらを振り向いたルミルの勢いに口をつぐむ。身長差で見降ろす格好になった、彼女のハシバミ色の瞳にはきらきらとした輝きが宿っている。
「わかります、大事な初陣の衣装ですもんね。精一杯いいのを選びますので、ご安心を!」
「え、あ、ちょっと待っ……」
そしてその言葉の勢いのまま、カタナはろくに抵抗も出来ず店の奥に引っ張り込まれていった。
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「アレ……大丈夫ですか?」
「最近この店に入った娘なの。経験は足りないけど見る目は確かですよ。練習相手になってもらったんだから、あの新人さんにはちょっとおまけしてあげるってことで。それより、いい瑪瑙の付いた腕輪が入ってるから見ていきません?」
そんなオーブとイーユの会話は、引き離されるカタナの耳には届かなかった。




