二人の旅路
一目惚れした人の前で格好を付けたかった。
最初の動機は、そんなありふれた、些細な思いだった。
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二回戦、第一戦。
「『大盾』アガサ・『旗使い』ディム」対「『三節棍』のセット・『旋拐棍』のミン」
昼の小休止を挟んで再開された『双剣祭』。
初戦は、緩んだ空気に喝を入れるかのようにのっけから丁々発止武器を打ち鳴らす展開となった。
「アガサ、いけるか」
「チィ――当たり前だ! だが、やっぱ歯ごたえあるぜコイツらは」
セットの『三節棍』が生物めいた不規則な動きで鎌首をもたげれば、ディムの『旗』の竿が巧みに旋回して絡め取る。
「明! 拍子を乱すなよ。崩れれば一気に持っていかれるぞ」
「――はぁ、っ……わかってる」
アガサが『盾』を風切音と共に振るって突破を計れば、ミンの『旋拐棍』が巧みに勢いを受け流して逆撃を加える。
歴戦の二つ名持ちたちは、早くも大粒の汗を額に滴らせている。暑さを増す気候、数刻前の戦いの疲労、なにより伯仲した技量を持つ四者の衝突が加速度的に彼らの精根を削ぎ落としていく。
屈みこむセットの背を足場に跳躍したミンの打ち下ろし、アガサが防いだ間を突いてディムの旗頭が穿ち、跳ね上がるのはセットの迎撃の蹴り。
「ぐ!」
「痛ぅっ」
掠めて交差した旗と脚が、軌道を歪めながら相手に突き刺さるが、セットもディムも動きを止めずさらなる攻防に身を投じる。
激しさを増していく剣戟は、熱風を孕んで闘技場に渦を巻く。
一合ごとに砂利が跳ね跳び、刻まれた荒々しい風紋がまた新たな衝撃に掻き消される。
「威ィ――ルァア!」
消耗し続ける均衡を打ち破るべく、一際鋭く響かせた息吹を引き連れて『三節棍』が大きく薙ぎ払われる。棍の端を持っての一振りは、四人中最大の間合い。
「つ、おぁ!」
「くあっ」
「盾」が甲高い悲鳴を上げ、「旗」が危ういほどの軋みを晒す。
一撃で二人まとめて打ち倒す軌道に、危うく凌いだアガサとディムが同時に下がる。
セットの常にない強引さのある攻めから生まれた一瞬にも満たない空白を、一縷の迷いもなく踏破するのは当然――『旋拐棍』。
「は!」
烈日の下、異郷の武器が煌めきを放った。
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セット――カデノの島の『刹』が、七歳の頃に起こった戦。最初は小さな反乱騒ぎだったはずの火種は中々消えることなく、数年の内に大火と化けた。そしてついには諸島を呑み込む暴威となった。
小さな島ごと焼け出され、兵に追われるままに逃げ惑ううちに、家族とも散り散りになってしまったのが十歳の春。
何を頼り、どこを目指せばいいのかもわからない中で、同じ避難者たちの流れにそのまま運ばれるように刹は大島の港に辿り着いた。しかし、大島にも戦火は迫っており誰も彼もが他者に構う猶予を削り取られ、さらなる避難先である大陸へと渡ろうとしていた。
ある者は親を振り返らずに一歩を歩き、ある者は友の呼ぶ声を聞かぬまま人波を掻きわけ進む。
刹も同じ。家族が心配でも探す余裕などない。動けなくなり蹲る誰かを見かけても、手を差し伸べるゆとりなどない。自分だって限界なのだ。そう言い聞かせることすら、無駄に感じるほど、無力な子供にとってこの逃避行は厳しいものだった。
だが。
「――ゆめのはるかのみどりのや、なみのかなたのおうのくに、さあさおふねでこぎだせば、にじのむかうのひとのうた」
着の身着のまま、どうにか転がり込んだ避難船。
薄暗くすえた人汗にむせ返るような船室の片隅で、幾人もの幼児たちに囲まれて童謡を口ずさむ少女の姿を見た瞬間に、刹は、怒りと惨めさをないまぜにした恋に落ちていた。
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機先を制したミンの動きは、セットとは対照的にあくまで堅実にして徹底的。
狙うのは『旗使い』一人。左腕と『旋拐棍』でディムの旗を挟み込むように封じつつ側面に回り込む。
「くっ」
押し付けられた一手の遅れに反応したディムもさすがだが、その時既に右の『旋拐棍』は解き放たれている。
「攻ォ!」
「いぢっ!」
じゃうんっ、と身の竦むような擦過音とともにディムの身体が地を転がる。側頭を狙った一閃を、自ら転がり回避したのだ。
判断が刹那遅れていれば、彼の頭皮はあらかためくれあがっていただろう。そして遅れが一秒だったならば、頭蓋骨陥没は間違いない。ミンとしては、ディムの反応速度を知っていたからこその頭部狙いだった訳だが、だとしても容赦がない。
そして故に、躱して崩れるのも計算の内。ミンは即座に倒れ込むように身を投げて、追撃の膝がディムに突き刺さる。
「ふぅぅ!」
「っぁ……!」
激痛に悶える声なき叫び。軋む悲鳴を上げる肋骨の感触がミンにまで伝わる――勝機。
「決める――!」
一度流れを掴んだならば一気呵成、相手の手番など許しはしない。ミンは二つ名持ちの剣闘士としては当然の作法で、馬乗りの状態から『旋拐棍』を叩き付ける。今度は回避を前提としない。確実に当てて意識を飛ばす一撃だ。
寸前。
『退け!』
「はっ――」
敵と味方、同時に放たれた警告にミンは咄嗟に身体を逸らす。彼女の柔らかな身体は大きく反り返り、砂利に後ろ髪が付くほどに仰向けられる。
その、ミンの鼻先一寸上の空間を、宙を飛ぶ白刃が貫いた。
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イチカの島の『明』、と少女は名乗った。
「この子たちは、逃げてくる途中で親とはぐれてしまったみたいなの」
だから、見つかるまでわたしと一緒にいきましょうって。
砂塵にまみれた顔で、しかし穏やかに笑みを浮かべる少女に、少年は激しく脈打つ動悸を悟られぬようぶっきらぼうに返した。
「見つかるまでって、無茶に決まってんだろ」
幾つのも島から何千何万の難民たちが港に押しかけ何隻もの船に乗り込んでいるのだ。どこに誰が乗り込んでいるのかなど、把握できている者などいるはずもない。そもそも親が船に乗っているかさえ確かではないのだ。
「そうね、でも……放っておいていいことじゃないもの」
波に揺られて眠りに落ちた子の一人に視線を落とし、言葉を継ぐ。
「私たちくらいの年でも不安なのに。こんなに小さな子が頼れる親もなくて、一人ぼっちで泣いていたら、何も言わないで目を背けることなんて、できなかった」
それに、助けてくれる人もいたから、と屈託なく明は笑う。彼女が笑う度に、刹は苛立つ。
「船頭さんは、私たちのために荷物をどけてこの場所を作ってくれたし、あそこのおばさんは赤ちゃんのお乳を分けてくれたわ」
彼女はただ甘いだけではなく、この状況でさえ味方を作る不思議な魅力と、折れない芯の強さがあった。後にシュームザオンに辿り着くまで、力尽きることがないほどの。
明が、大人に何か話しかける。しばしのやり取りの後彼女は礼を言い、相手に屈託のない笑みを向ける。暗い船室がわずかに華やぎ、一人刹は心を焦がす。
彼女が笑うと苛々する。自分の小ささを見せつけられて。
誰かと話すと息が詰まる。彼女の笑みを、自分だけのものにしたくて。
気が付いたら、刹は明の隣に腰を下ろし、きょとんとする彼女から目を逸らしながら口走っていた。
「おれも手伝う……お前一人じゃ危なっかしいからな」
もっとも、一体なぜこんな言葉が口を突いて出たのか。当時の彼はさっぱり分かっていなかったのだけど。
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ミンを襲った飛剣、その主は言うまでもない。
「ディム! さっさと――」
「させん!」
相棒の窮地を救うべく、なにより己が勝つべく、『大盾』アガサは己の武器である片手剣を投擲したのだ。手元に代名詞たる盾が残るとは言え、剣闘中に敢えて剣を捨てる判断は果断としか評せまい。
しかし、セットの『三節棍』が獰猛な気配を放ってアガサに迫る。二つ名持ち同士、武器を捨てた状態で攻勢を凌げるものではない。
「はっ――『大盾』舐めんな!」
アガサの両手が、盾を掴む。従来までの片手持ちではない。両手での盾捌き。
「はあぁ!」
正面から、あるいは上下側面に鎌首をもたげる『三節棍』。セットの変幻自在の攻勢を、完全守備の構えでアガサは受ける。腰を落とし、一歩も揺るがぬ彼から放たれるのは最前までとは比較にならない威圧感。
薙ぎ払いを縁で弾き、返す蹴脚を正面に間に合わせる。
頭上に巻き落とされる面打ちには身体を盾に寄せて打点をずらし直後に押し出して追撃を牽制。
生じた僅かな間を見逃さず構えを整え――眼で殺す。
ほんの十秒足らず一方的な攻防。僅かな、しかし勝負の決しかねない戦局を、アガサの『盾』は護り抜いた。他のどんな二つ名持ちでも同じ真似などできまい。
これこそがアガサという戦士の色、守護の『大盾』。
「ぷはっ――すまん、助かった」
「おう」
そして体勢の崩れたミンを跳ねのけ、『旗使い』ディムが復帰する。抉られた胴の痛みを面に見せず、抜け目無くアガサの剣まで回収している落ち着きようだ。
「ごめんなさい、仕留めきれなかった」
「いや、こちらも同じだ」
拘泥せず距離を取ったセットとミンが、並び立ち息を吐く。片方に痛打を与えることができた分、収支では得している。しかし今はやっているのは試合でもなければ判定も無い戦いだ。決めるべき時に決めておかなければ、剣闘の『潮目』が変わりかねない。
「やはり、簡単には勝てないな」
セットが、改めて言葉を継ぎ、ミンも静かに頷く。
『双剣祭』本戦は、剣闘士に入る賞金が通常の剣闘とは桁が違う。勝ち星を重ねる度、二人が養っている子供たちの暮らしを格段に楽にしてやれる。
ただ生きていくだけではない、国外からの難民である彼らが夢や目標に向かって――「人生」を切り開いて行くためには、金はどれだけあっても十分ということはないのだ。
だからこそ、如何なる苦闘であっても負けるわけにはいかない。
剣闘士として、そして仮にも親として、勝ち取ってみせる。
「明――次で決めるぞ」
「……ええ」
無言の内に互いの同じ思いを受け取り、『三節棍』と『旋拐棍』が風を切る。
「いい加減キツイが、抜かるなよアガサ?」
「……。ったく、大したタマだぜお前も!」
迎える『旗持ち』と『大盾』も、戦意を闘技場に立ち昇らせる。
相手の事情に忖度するなどという発想は、彼らの脳裏には欠片もない。
戦う。
勝つ。
結局のところ、闘技場の剣闘士にとって重要なのはこの二つの結論だけだ。
単純にそうでなければ勝てないし、生き残れない。全霊でなければ相手にも失礼というのも、まあ少しはあるか。
最後の衝突。
アガサは前面に『大盾』を掲げて吶喊、一歩斜め後ろではディムが下段の構えでぴたりと追随する。
対するセットとミンは歩調を合わせて並走。互いの連携と呼吸を頼みに異郷の武具に闘気を満たす。
「かあぁ!」
「ふぬっ」
突き込まれる『三節棍』。長く持たず、先端の一節目を直に持っての強打に『大盾』の勢いが逸らされる。ここまで温存し見せて来なかった、セットの隠し技。しかも攻勢はまだ終わらない。セットの身体が反動で回転。後ろ回しに順逆された『三節棍』が振り抜かれる――逆流れ。
「……見える!」
不意を突いた隠しの一撃、だがディムの反応はさらに上を行く。疾走にはためかせた『旗』が『三節棍』の一節を包み勢いを減じ絡め取る。
『この二人なら意表を突く手で来る』――ディムの確信が備えさせた一手が図に当たった。さらに。
「お、かえし……だ!」
勢いを流されたアガサの身体がセットをそっくりなぞるようにその場で旋回――片手で強引に振り回される『大盾』が巨大な鈍器となって降りかかる。
「刹!」
即座の判断で攻勢から切り替えたミンが両腕の『旋拐棍』を交差させて『大盾』を受ける。しかし、アガサの盾は並の重量ではない。さらに回転まで荷重された豪打に、武器のみならず彼女の両腕までもがみしりと軋む。
「明っ――」
「おおっ!」
セットの表情が大きく歪む。最終局面で初めて感情を露わにした彼は咄嗟に跳ね上がり、アガサの盾に全力を込めた蹴りを打ち込んだ。盾の端を抉り込むような一撃で、先は不動を守った『大盾』の体勢が僅かにぶれ、圧力が逸れる。
瞬時の即応でミンを援護したセット。しかし。
「……貰った」
「かはっ!」
宙高く放り上げられた『三節棍』。ディムの旗に持っていかれた愛器を目で追う間もなく、翻った石突がセットを穿ち抜いた。直後に返す打ち下ろし、『旗使い』の連撃にセットの身体が地に叩き付けられる。
得物たる『三節棍』をディムに絡め取られたままアガサに蹴りなど放てば、武器を失う結果になるのは当然だった。分かっていて尚、セットはこちらを選んだ、否、選ぶという判断さえも彼の中にはおそらく無かった。
「っはぁあー……やれやれ、キツかったぜマジで」
「っ――」
もう一方、ミンにもアガサの剣が突きつけられる。『旋拐棍』は片方は折れかけもう片方にもヒビが走り、まともにはもう振るえない。
故にこれで。
「――勝負あり!」
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決着、そして各人の動きが止まる。
同時に、観衆の大歓声が響きわたった。二回戦の開幕に相応しい息を呑む乱戦を制した二人への、惜しみない称賛の声だ。
「無事……か、明」
剣闘場の砂利に両手を着き、苦悶に喘ぎながら、セットが顔を上げる。
あくまでも自分を案ずる恋人――いや、言葉で言い表すことなどできない己の半身に、ミンは傷んだ腕を晒して微笑む。
「貴方よりはね――。大丈夫? 肺に骨とか刺さってない?」
「たぶん、な……」
最後の意地か、なんとか言い切って、今度こそセットの身体から力が抜け、どしゃりとその場に倒れ込んで気絶した。
「かなり強めに急所キメたんだが、よく即失神しなかったな」
「愛されてんなぁおい」
セットの壮絶な根性に、勝者のディムとアガサも苦笑が隠せない。ミンは意識を失ったセットの身体を抱き起こしながら、少し困ったようにはにかんだ。
「昔からこうなんですよ。いつも矢面に立ちたがって、後先考えないで人を護りたがって、意外と格好つけたがりで……」
これで引退か、と男の頭を撫でながら女は思う。
お金の問題はあるけれど、今の身体で剣闘士を続けるのはさすがに無理だろう。だから今回の『双剣祭』を『旋拐棍』最後の大舞台だと覚悟して挑んでいて、そして終わった。
目を覚ましたら、彼に話さなければならない。剣闘を辞めることと――家族が増えること。
驚くだろう、それは間違いない。
狼狽えるかな、まさかすぐまた気絶はしないだろうけど……喜んで、くれるだろうか。
「――どんな顔するかなあ」
ほのかに光るようなあえかな笑み、向けられるべき男はまだ目を閉じている。
「……行くか、アガサ」
「……あー、そうだな、なんか、こっちが場違いらしいや」
そして、それを思いがけず横から目撃してしまった勝者二人は、どこか決まり悪そうにそそくさ引き上げてったのだった。




