新たなる力
一回戦、第十一戦。
「ナムザ・キズマ」対「『新刃王』イヅナ・ダオン」。
『新刃王』とは、通常の二つ名とは異なる特殊な称号である。
一年の終わり、シュームザオンでは年明けの帝都の建国記念祭の出場者を決める剣闘大会――『八剣争覇』が開かれる。一年間の戦績の上位八人の総当たりをもって争われる、シュームザオンの実質的な最強決定戦である。
そして、『八剣争覇』と並行して行われるのが『新刃戦』。こちらは剣闘歴一年未満の新人限定の、その年で一番強い新人を決する大会という位置づけだ。
毎年の『新刃戦』の優勝者に贈られる称号が、すなわち『新刃王』。
一年間限定の、年々受け継がれ代替わりする仮の二つ名と言うべきものだ。
近年の『新刃王』には、両腕が健在だった頃の『隻腕』ミゼを始め、『炎』のギジオンに『三本足』のセネバネ、後の英霊シーザ=アニアなど、『剣闘都市』の歴史に足跡を残すだろう錚々たる面子が名を連ねている。
そしてその栄えある現『新刃王』こそが――。
「ちぇりゃあぁ!」
開始早々飛び出して、長大な片手剣を振り抜いた男――イヅナ=スタンスである。
●
先手を取って放たれるイヅナの一閃。
威力や速度など敢えて言うまでもないが、本来なら両手持ちであるはずの長さの剣を片手で振るうことによりさらに間合いを伸長している斬撃は、初見のものにはまず見切れない。この機先を制した必中の剣こそが、彼を前回の『新刃王』と為さしめた王道戦術。
「――ふぅっ!」
「ほお?」
しかし、今回の相手は一筋縄ではいかない。鈍く響く衝突音とともに『新刃王』の初手を見切れぬまでも受け止めて見せた敵に、イヅナは称賛を込めた視線を送る。
「その細っこい棒きれで、よく止めたな!」
「生憎ですが、若輩だからと容易い相手と思われては――」
受けた新人、サザード商会のナムザは言い切る前に大きく踏む込む。その足音はやけに小さく、いっそ軽やかさえ感じさせる。
彼の出で立ちは鎖帷子と鉄の胸当て、さらに左腕を覆うごつい篭手。ナムザの新人らしからぬ落ち着いた印象に相応しい防御と速度を両立させた堅実な装備と言える。
「困りますね!」
そしてイヅナの喉を最短で突き込むのは、ナムザ愛用の鉄杖。剣よりは長いが槍よりは短い、取回しに優れた打撃武器だ。護身用として戦士でないものが持つことも珍しくないが、訓練を積んだ剣闘士の腕力で叩き付ければ、骨を砕き頭蓋を割る凶器と化す。
「言いやがる!」
強烈なナムザの突きを柄頭で器用に弾きざま、するりと持ち上がったイヅナの剣が迫る。
「……っと」
反撃から即逆襲を喰らう場面に、ナムザは攻めに拘泥せず距離を取って仕切り直す。
両手剣並の重量の真剣を片手で平然と操るイヅナの腕力と強靭な体幹は、彼がすでに並の剣闘士とは一線を画す実力を持っていることを証し立てている。年末に『新刃王』の称号を返上した後、イヅナが自前の二つ名を得るのにさほどの時間は要すまい。
軽装でひたすらに前進する剣は、言葉よりも雄弁にイヅナが攻勢を旨とする剣闘士であることを謳い上げる。
「は、るぁあ!」
どこまで耐えられるか試すように、一気呵成の斬撃を繰り出す。一撃を放っても止まることなく、どころか勢いは見る見るうちに加速していく。
まるで処刑人の首切り斧のように剣呑な斬撃。一般人なら、迸る気勢を目の当たりにしただけで失神しかねない。
「っこォ……」
しかしそれだけの脅威を前にしても、ナムザはあくまで冷静に迫る白刃を叩き、逸らし、受ける。「刃」を持たない杖の特性を活かし、持ち手の位置や順逆を自在に組み換えて「己の優位」な受け、「敵の劣位」な攻めに誘導する。
闘いの最中、「有効な攻撃」の間合いとは実は傍で見るよりも遥かに狭い。たとえ人体を両断するような斬撃であっても、彼我の位置が狂えば当たっても皮一枚切れないことさえあり得るのだ。
だが、たとえ理屈で分かっていても、表情一つ変えずに『新刃王』の刃を受け続ける胆力は並の剣闘士のそれでは有り得ない。
とは言え現状がナムザの防戦一方であることは揺るがない事実。かつてロロナと渡り合ったカタナの例を出すまでもなく、一手受けを仕損じれば敗北どころか死に直結する綱渡りだ。
だが、ナムザはあくまでも集中を切らすことなく眼前の暴刃を見据え続ける。恬淡とした表情からは、焦れも諦めも窺うことはできない。
ただ彼は、誰にも聞こえない声で、相棒に向かって小さく声を投げかけた。
「防御の担当は私で攻撃はあなた――くれぐれも遊ぶんじゃないですよ、キズマ」
●
「ほうっ!」
弾けるような呼気と共に、キズマの長身が躍動し、手にした薙刀が横薙ぎに振るわれる。
「ちぃ!」
ダオンは、両腕に嵌めた円盾でがっしりと重量武器の一撃を受け止める。
彼はイヅナと同期、先年の『新刃戦』にも出場していた若手の実力者だ。その評判に違わぬ即座の判断で身を翻して長剣を突き出すが、同時にキズマが切り返した石突きの打ち下ろしに阻まれた。
「さぁ!」
受けた長剣を巻き落とすように長柄で絡め、キズマは一回転。遠心力を乗せた薙刀の一閃でダオンの身体が大きく弾かれる。
「ぐむ!」
両脚が暫時宙に浮くほどの衝撃を受けても剣を手放さなかったダオンが、空中で強引に剣を振り抜く。抜け目なく追撃を掛けようと加速しかけたキズマの足を止め、着地と同時に飛ばされた勢いのままに距離を取る。
「――ぷはっ」
「んー……意外としぶといな」
大きく息を吐き構え直す先達のダオンと、悠然と構えて敵を称える新人のキズマ。明らかに上下逆転した構図だが、それ見守り歓声を送る観衆にはもう戸惑いは無い。
ワインとヒュー、そしてリウ。さらにはカタナとコーザ。いずれも新人である彼らが二つ名持ちの剣闘士を正面から打ち破ったのはつい先刻のこと。
――この世代は、何か違うのではないか?
そんな、明確な言葉にはならない潮流のような感覚を、剣闘都市の住人達は察し始めていた。
●
「速いな」
闘技場の観覧席で、オーブが感嘆を隠さず呟く。縦横に振るわれるキズマの薙刀は、ダオンの長剣と同等以上。同じ長柄の得物を持つオーブをして眼を見張る程の速度域にある。
「キモは手足の長さだな」
『大盾』アガサが計るように目を細めてオーブに応じる。
「振るう武器の長さと重さをきっちり制御できているから、動きに余裕がある。イヅナが腕力と体捌きで剣に振り回させながら乗りこなすのとはちっと違うな」
どっちも簡単にできることじゃねえ、と目の前の戦いを評価する。
「ふーむ、実に羨ましい」
この場では比較的小柄な体格の『旗使い』ディムが、相棒の分析に肩を竦めて苦笑する。歴戦の戦旗使いの言葉は韜晦なのか自虐なのか、周囲の者にはやや理解しかねる。
「だが、ナムザって方も大したもんだな。『新刃王』とここまで渡り合うとは……」
「確かに二人とも剣闘士になって数カ月とは思えん腕前だ。さっきのコーザってのといい、さすがにサザード商会はやり手だなぁ」
「は、ウチのおやっさんはいい剣闘士を集めるのが生き甲斐みたいなもんでね」
『吼え猛る』モーガンに目を向けられて、皮肉気な笑みを浮かべたのはまだ若い男だった。
身に纏うのは野性味溢れる革の胴衣。各所に施された肉食獣の背骨と肋骨と思しき補強が荒々しさを強調している。足元に無造作に置かれているのは、こちらも大型の獣の大腿骨から削り出した生々しい白さの骨の剣。
『骨剣』のチスター。
サザード商会所属の二つ名持ちにして、身に一切の金属を帯びない異色の剣闘士。元は辺境の魔獣狩りであったという彼の装備はすべて、チスター自身が狩った獲物の素材から造られているという。
「特に今年の新人はどいつもこいつも活きが良い。腕も素質も、生意気さもな」
商会にとっては願ったりだろうな、と含み笑うチスターだが、眼には既に戦意が篭っている。眼下の戦いが終われば次が一回戦の最終戦――己の出番だ。
元狩人が、全出場者中最も長い観戦で煽られた身の内の熱を、いよいよ解き放てると内心で快哉を上げているのは傍目にも明らかだ。
「そうか、組み合わせを見直してみるとサザードの連中は最後の三戦に固まっちまってんだな」
『炎』のギジオンが軽く唸る。
先の一戦のコーザ、今戦っているナムザとキズマ、そして次に登場するチスターと――。
「それもまた、お導きだ」
無感情に、しかしよく通る声で、頭からすっぽりと黒一色の修道衣を被った剣闘士が応える。
垣間見えるその顔はチスターよりもさらに若い。まだ十代と思しき幼さを残した少年の名前はソス=イグナシア。『黒の神官』と呼ばれる――シュームザオン現役最年少の二つ名持ちは、静かに眼下の戦いを眺めていた。
●
キズマの薙刀の舞いは、あたかも煉獄の演舞のようだった。
「――っ、ぅら!」
一振りごとに、風を斬る音がより鋭く、より凶悪にかき鳴らされる。直撃した威力のほどはわざわざ想像するまでもない。
「ぐ、むん!」
ダオンは、両腕の盾を広げ、あるいは重ねて薙刀の肉厚の刃を凌ぐ。彼の表情に緊張はあっても、苦悶や怯懦の色は無い。
ダオンにとって、強力な攻撃と言ってまず思い浮かぶのはイヅナの一撃だ。
同じ商会に所属する同期。共に一年目の剣闘を戦い抜いた戦友は、『新刃戦』にて最強の新人の称号を得た。
友に後れを取った二年目、彼は徹底的に防御の技を磨いた。かつて左にのみ装備していた盾を増やし、両腕での扱いを一から組み直した。
全ては、イヅナに追いつき、超えるために。
「だから、イヅナにも及ばない程度のこんな攻めで――」
二つ名が未だなくとも、この両の盾こそがダオンの本質。
「越えさせるものか!」
無銘の盾が、矜持を吼える。斬撃を真っ向から弾き飛ばし、盾の強打と剣の刺突で前のめりになった敵を押し返す。
「いいねぇ……あんたみたいな剣闘士を、おれはガキの頃から応援してたよ!」
盾よりもさらに若い、『名』を持たない薙刀使いが喜色を露わに深く構える。
剣闘都市で生まれ育ったキズマにとって、ダオンとの対峙は痺れるような夢の舞台だ。それに――。
「あんたの二枚の盾をぶっ飛ばせば、おれの技は『新刃王』よりも上ってわけだよな」
反撃を躱して一度離した互いの距離は、仕切り直すためではない。「決める」ための間合いだ。
薙刀を、長く持つ。
振るうのに支障が出ない限界まで、間合いを広く、加速を長く。
精度重視で設けていた枷を外す。常人にとっての本来の薙刀の使い方を、キズマの長身長肢で拡張再現するその武威は、文字通りに桁が違う。
「そんな大言は――!」
「やる前に宣言するから格好良いんだろが!」
巨矛と双盾が唸りを上げ、局面は終着へと辿り着く。
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「中々しぶといじゃねえかぁ、新っ、人っ!」
矢継ぎ早に腕を振るい攻め立てる『新刃王』イヅナ。剣闘開始直後から変わらぬ攻勢をかけ続ける彼に額には大粒の汗が光っている。荒くなった息遣いにも、苛立ちの気配が滲む。
「いえいえ、慣れれば意外とやれるものです」
「――っ、かぁ!」
対照的に、息を乱しつつも余裕を見せるのがナムザだ。前世代の最強剣闘士相手に、未だ一筋の出血すら許していない彼の防御がただ一本の鉄杖でなされている事実は驚嘆に値する。
「商会での私は、しぶとくて長持ちする巻き藁のような扱いでしてね。所属以来、同輩や先輩方が面白がってよく訓練相手に指名するんです」
困ったものです、と言いたげな口調で語る彼の表情には笑みさえ浮かぶ。
「ただ、お陰で……凌ぐことには少々自信が持てました」
「つっ!」
ぎごっ、と今までにないひしゃげるような衝突音とともに、イヅナの剣が動きを止める。長剣の動きを留めるべく食い込んでいるのは無論、ナムザの杖、その先端部――。
今までの攻防で見透かした剣筋を狙い澄ませた一打が、『新刃王』の刃を毀損させたのだ。
「若輩ながら言わせていただくと、あなたの剣には幅が足らない」
いかな自慢の技だとて、一辺倒に連発するだけでは二つ名持ちを始めとする真の強者には及ばない。
過日『双剣祭』の予選で、カタナとコーザの前に立ちはだかった『三本足』のセネバネは語った。
『手札をどこでどう使うか、あるいは使わないか。その判断が出来て――まあやっと一人前と言ったところだな』
その言を引き合いにして評するなら、今のイヅナは一人前と呼ぶにはまだ不足、というところか。同等か格下相手には図抜けた脅威となるイヅナの剛剣も、それ以上の厚みや特質を持つ剣闘士にとっては手札の一枚でしかない。
ナムザはかの黒衣の二つ名持ちの言を知らないが、新人の身で同質の理を得るに至っていることが既に彼の非凡な戦闘観を証明している。
「益体もねえことをべらべらと!」
イヅナの眼が、狂熱に駆られたように燃え盛る。闘技場に立って一年も経たない相手に知った風な言い草で見下されて平然と戦えるほど、彼の称号も、戦歴も安くはない。
「やれやれ」
刃毀れしても構わず放たれる剛の剣を、低く構えて迎え撃つナムザの右腕が怪しくうねる。
防御主体の姿勢から、鉄杖を大きく広げた――捨身晴眼の構えへ。
『新刃王』に単調さを指摘したナムザ本人が防御にしか能が無い剣闘士であるなどと、イヅナが思い込んだ――あるいは誘導された――のだとしたら、その時点でもはや雌雄は決していた。
「そ、りぁああっ!」
とは言っても。
「な――ぐぁっ」
『双剣祭』の場で、誰が最後に決めるかはまた別の話ではあった。
●
「遅いですね、キズマ。待ちくたびれて終わらせるところでしたよ」
「いいじゃねえか。結局作戦通りになったんだからよ」
「まったく……」
ダオンの防御を突破し、勢いのまま突撃して来た薙刀の奇襲によって打ち倒された『新刃王』イヅナ。二対二の剣闘の最中目の前の敵にだけ注力してしまった彼は、『双剣祭』の王となる道を閉ざされ地に沈む。
この結果は、単に彼が未熟というだけではない。ナムザが、徹底した防御によって、イヅナの視野は封じられていたのだ。
イヅナとキズマ。両者ともに剣闘を通じて攻撃し続けたが、イヅナは攻めさせられ、キズマは反撃を許さず攻めきった。
ダオンとナムザ。二人もまた防御に集中していたが、ダオンは守るしか道が無く、ナムザは守ることで勝ちへと導いた。
「なあナムザ。次は――」
「ええキズマ、いよいよですね」
『双剣祭』の出場者として、厳然たる差を見せつけた勝利に奢ることなく二人の新人は待ち受ける戦いに更なる意気を燃やす。
彼らの次の対戦相手は、カタナ=イサギナとコーザ=トートス。
二回戦にて新人四人の組み合わせが決定し、観衆の間にもざわめきが広がっていく。『双剣祭』では数年ぶりの事態だというだけではない、人々が気付いたこととはすなわち――。
「今年の『新刃戦』の、前哨戦と参りましょう」




