双刃躍動
一回戦、第十戦。
「カタナ・コーザ」対「『双槍』のカスミト・『双槍』のイェス」。
「……」
「良かった。間に合ったみたい」
カタナとコーザが闘技場に現れるのとほぼ同時に、入れ替わるように観覧席に戻って来る二つの影があった。
「! リウ、傷はどうだ?」
いち早く気配に気付いて立ち上がったエインだが、視界に映った姿に思わず息を呑む。
「――ン」
リウの顔は、斬られた片目を覆う眼帯が巻かれ、さらに顔の下半分も包帯に埋もれていた。ただ見た目の痛々しさとは裏腹に、唯一露わになっている右目は痛みを感じさせない冴えた輝きを放っている。
「傷に障るのでなるべく喋らないようにと……そちらの商会長さんから」
横に立つロロナが代わって答える。それに軽く頷いて、リウは琥珀の瞳を一つ眼下に向ける。視線の先には、剣闘に臨むカタナの背中。
「だけどリウくん、それで戦えるのかい」
「フム!」
気遣うオーブの言葉にひらりと手を振り、暗器使いの少女は負傷を感じさせない軽快な身のこなしで席に着く。
片目の視界を封じられている状態で剣闘を行うのは考えるまでもなく無謀な行いだが、リウには怯みも怖じも無い。
自分のしくじりは自分で補う。過信ではなく、静かな覚悟を決めているのは誰の目にも明らかだった。
「ほれ見ろエイン。お前よりこの坊主の方が根性あんじゃねえか」
「いつも最終的にそういう精神論で押し通すところ、どうかと思いますよギジオンさん」
どやしつけて来る先達にそう言い返しはしたものの、エインは諦めた様に首を振った。
●
「相手はどちらも随分名を上げている新人だが、実力の程はどんなもんかな?」
『双槍』のカスミトが、両手にそれぞれ槍を携え不敵に笑う。一本は大槍、もう一本は半分ほどの長さの小槍だ。
「二人がかりとは言え、あのセネバネを打ち破って本戦に出てるんだ。甘く見たら足元をすくわれますよ」
こちらは、同じ長さのやや小振りな槍を二つ構えて諌める『双槍』のイェス。
共に『双槍』の二つ名を持つ剣闘士が並び立つ、その光景に観衆からも大きな声援が上がっている。
同時期に同じ二つ名を持つ剣闘士が現れるという事態は、剣闘の長い歴史の中でもほとんど例がない。たとえ似通った戦法や装備の剣闘士が名を上げたとしてしても、自然に異なった呼び名がそれぞれに定着するものだ。
それでも二つ名が被ることがあるとすれば、他都市で二つ名を得た剣闘士が他所に移った先で偶然同じ名を得るか、あるいは当人同士が敢えて同じ名を名乗るなど。よほどの偶然か因縁でもなければ起きることではない。
いずれにせよ、剣闘士にとっての二つ名とは己の力と戦績を示す勲章だ。誰かとお揃いで済ますなど受け入れられぬと、互いに譲らず二つ名を賭けた決闘が行われることもあったという。
そしてカスミトとイェス。彼らもまた、その例に漏れず己こそが真の『双槍』であると争った過去のある仲であった。
●
「おれが突っ込む。最低でも一人目はどかすから後の立ち回りは任せる」
カタナは一歩進み出ると同時にコーザに言い置いて、『姫斬丸』を空に振って具合を確かめる。
「要らん気遣いだが……まあ好きにしろ」
ぐ、と力を込めた腕を見下ろしてコーザが応える。二日前の予選で負った傷は表面が塞がっただけで、刻まれた痛みは抜けきっていない。
しかし無論、剣闘に挑むからにはそれで戦意を鈍らせるコーザではない。
「分かっているな? 今日は四戦続けて戦うんだ。無駄な長期戦などやってられんぞ」
「当然。しかも、一日休めばすぐ決勝だしな?」
言い合って、双方ふっと呼気のような笑いを漏らす。
カタナとコーザ。剣闘士となった当初から好敵手として意識し合って来た両者がこうしてささやかながらも笑みを交わすようになるとは、当人たちを含めて誰も予見などできなかったことだろう。
眼前で構える二人の二つ名持ち。当然その戦歴はカタナたちとは比べ物にならない。甘く見るなどもっての外だ。
だが、折角の大舞台。謙虚ぶって遜ってみせることに一体何の意味がある?
大見栄上等、どうせ誰が相手でも勝ちを狙うのは同じなのだから。
「それじゃあ、ここは一つ」
「――派手に決めるぞ」
いざ、剣の祭りと洒落込もう。
●
「シャ、ルァ――!」
右手の大槍を突き出して迫る『双槍』のカスミトの一閃突き。
「っふ!」
顔面を貫き穿つ一撃を、カタナは横薙ぎで弾きざまに左足を跳ね上げる。
『双槍』の剣闘士の技が単発で終わるはずがない。カタナの予測を超えた確信は的中し。
じゅがっ、と新人の蹴りと二つ名持ちの小槍が掠めるように交差する。軌道の逸れた攻撃は命中せず、両者の身体がすれ違う。
第一撃、第二撃とも互いに致命打とはならず、しかし剣戟は終わらない。
「シィ!」
「させない!」
すり抜けざまに石突きが襲い来る。受ければ小槍の追撃、避ければ距離が開いて大槍の狙い撃ちへ繋げる一手に、カタナが選んだのは当然――攻めの一手。
柄で石突きの軌道を逸らしざまに、左の貫手がカスミトの喉を襲う。
「かぁ!」
「はぁ!」
防御の小槍、を貫手が変化し掴みにかかる。構わず大槍の突きを放つが剣で止める。
一瞬の停滞。
両の手が武器越しに組み合った状態から必然の様に放たれるのは――同時の蹴り。
「かはっ」
「ぐ、ふ……!」
カタナの爪先がカスミトの脇腹に突き刺さり、二つ名持ちの前蹴りが新人を吹き飛ばす。
たまらず距離を取った二人だが、直後その身が翻る。
●
「行くぞ!」
「いつでも!」
短く言葉を交わして激突するのはコーザと『双槍』のイェス。
カタナとカスミトの接触の直後、こちらでも長剣と二本の槍が噛み合い火花を散らす。
正面から突き破らんとするコーザの一撃を、イェスの槍は巧みに衝撃を分散して受け止める。
カスミトの大槍よりも短いとはいえ、決して取回しに優れているわけではない槍を片手でそれぞれ振るう技量はまさに『双槍』の二つ名の面目躍如か。
一見すると槍よりも剣で戦った方がよさそうな闘法だが、イェスの槍技はそんな安直な感想を許さない。
「せい、は!」
コーザが退けば最大射程の突き、詰めれば短く持っての接近戦。距離と用途に合わせて持ち手を変化させ、常に最善の武器に調律するイェス。その姿は練達の演奏者を思わせる。
「ぬん!」
拍子を乱しに力づくで短槍を弾き突き込むが左のもう一本の槍が合わせられ、直後には右の逆襲。『双槍』の領域は揺るがない。
「……ふーっ」
一つ息を吐き、コーザは理解する。
つまりイェスには、苦手な距離というものが存在しないのだ。彼は槍が届く範囲なら、どの間合いでも十全な武威を発揮できる。しかも両手同時に。
まず考え得る攻略法は、イェスの間合いの外から攻め立てることだが、槍を上回る射程の得物はそう多くないし、そもそも今のコーザの手には無い。
となれば正面から突破するしかないのだが、その前に――。
「コーザ、代わる!」
「ああ」
直後、飛び込んで来たカタナと位置を入れ替え、コーザはもう一人の敵手、『双槍』のカスミトに長剣を叩き付けた。
「新人にしては、やけに落ち着いてんな」
「……」
抜け目なく戦いを仕切り直した戦巧者ぶりに、二つ名持ちの槍使いが新人剣士を冷静に睨み据える。
「だから、油断は禁物と言ったのに」
相棒を諌めつつも、イェスの眼には意外の色が強い。新人にここまできっちり付いて来られるとは彼も想定はしていなかった。勢い任せではない、この二人には実力の芯がある。
「――槍と戦うのはあいつ以来だけど」
「うん?」
カタナは『姫斬丸』を脇に構える。その脳裏に灼き付くのは、かつて嵐の闘技場で戦った『十字槍』の刃閃。
「うん――いけそうだ」
少年は、静かにそう呟いた。
●
『双槍』のカスミトと『双槍』のイェス。お互いシュームザオンで剣闘士となり戦っていく中で自分の他に二本の槍を操るものがいることに気が付いた。
右の大牙と左の小爪、それぞれに攻防の役割を割り振って戦うカスミト。
両利きの手に自在に間合いを調律する立ち回りで剣闘の場を舞うイェス。
二つ名を得る以前から両者は対抗意識に燃え、闘技場で戦うこと四度。剣闘外の私闘に及ぶことも二度。いずれも五分と五分の互角の戦績を積み上げていった。
その頃になると、周囲の剣闘士や剣闘愛好者たちの間でも、どちらが『双槍』の二つ名を得るべきかという論争が起こるようになった。所属する剣闘士商会の利益も絡み、問題は次第に単なる二つ名争いに留まらない様相すら呈し始めていた。
そんな状況に決着が付いたのは今からおよそ五年前――。当時の『闘技王』、『螺旋剣』による「剣闘裁判」であった。
「二人とも同時に相手をしてやる。――おれに一つでも傷を付けた方が『双槍』を名乗れ」
本拠の帝都からわざわざ来訪した彼の宣言によって、カスミトとイェスは各々二つの槍を携え中央闘技場にて『闘技王』へと挑み――そして手も足も出ず完敗した。
「二人ともまだまだ未熟。いつか『闘技王』になるまで、二人とも仮の『双槍』を名乗っていること」
四本の槍による完全包囲を無傷で切り抜けた『螺旋剣』のこの裁定によって、剣闘都市に同じ二つ名を持つ二人の剣闘士が誕生したのである。
肩を並べて『闘技王』へと挑んだこの一件を機に両者の関係も氷解し、翌年以降毎回『双剣祭』へ共に挑戦し、この三年は連続で予選突破を成し遂げている。
そして今――。
「こいつら……!」
「くぅっ」
前『闘技王』の薫陶を受けた二つ名持ち二人が、顔を引きつらせて背中合わせに構える。
「おおおぉ!」
荒れ狂う竜巻のような回転数で襲い来るコーザの長剣。一本の剣の剣撃が、『双槍』の刃を押し込める。
「しっ」
猪突する僅かな間隙を埋めるのはカタナの剣閃。狙い澄ませた刃が反撃の機先を封じ、コーザの剣はますます荒れ狂う。
「早々好きに!」
「やらせはしない!」
『双槍』の二人は陣形を変更。カスミトが攻めの大槍も防御に回してコーザの剣を受け止める。その隙を埋めるべく動くカタナを待ち構えるのはイェスの二本槍。
じゃ、ぎん、とそれぞれの得物が噛み合った一瞬の停滞。しかしそれを破るのはまたしても新人剣闘士の側だった。
「はぁっ!」
「むぅ!」
二人の『双槍』の間を切り裂くように、カタナが駆ける。すれ違いざまの剣はカスミトの小槍を弾き、拘泥せずにすり抜ける。
咄嗟に追うイェスの槍を、横合いから叩き落とすのはコーザ。
「余所見はさせん――両方な」
「貴様!」
二つ名持ち二人を前にしてのその壮語に、四本の槍が獰猛に牙を剥く。
コーザは半歩退くことで間合いを調整、カスミトの小槍の範囲からは外れ、イェスの『双槍』を剣で捌く。
そして最後に残ったカスミトの大槍は――。
「しっ!」
「……ちぃっ」
俊敏に回り込んで来たカタナの剣に迎撃された。一瞬の遅れが剣闘全体を決めかねない状況で、新人二人の動きがまるであらかじめ打ち合わせてあったかのように迷いが無い。
そして、いつの間にか、両者の役割が代わっている。それに思い至った『双槍』の二人の背に冷や汗が流れる。
攻撃と援護、攪乱と防衛。戦局を自在に操る呼吸は、まるで歴戦の風格すら感じさせる。
――この二人、思った以上に危険だ。
カスミトもイェスも今や同じ感覚を共有している。
カタナもコーザも個々の実力からして二つ名持ちに匹敵するが、二名の連携が明らかに練度を増している。今、この時も。
「くあ!」
一合ごとに増していく危機感に、先に痺れをきらせたのは『双槍』のイェス。常にない強引さで左の槍を振るいコーザとの間合いを開けると、振り向きざまの右をカタナに撃つ。
しかし、格上の焦りが生む強引な攻めこそが、彼らにとっては待ちかねた好機。
「斬ッ!」
「な……!」
イェスの右槍を掻い潜るカタナが、至近距離で放つのは「斬鉄剣」。この剣で槍を断つのは、彼にとっては経験済みだ。『双槍』左の槍が、狙い過たず二つに斬れ飛ぶ。
「かぁッ!」
「ふっ」
振り切った一閃の間隙をカスミトの大槍が抉るが、割って入ったコーザの長剣が受け、直後に跳ね跳んだカタナの回し蹴りが胴を捉える。
「ごふ!」
「カスミト!」
イェスがたたらを踏む相棒の前に出て残った右の槍を伸ばして牽制するも、コーザが至近距離でその槍を摘み止める。残った武器を封じた刹那の間を逃さず、叩き込まれるのは――渾身の頭突き。
ぐむん、とその場にいるものだけに届く重い衝突音が響き、イェスの膝が落ちかかる。仰け反るその顔は、既に白目を剥いている。
「ち、ぇあぁ!」
ほとんど本能的に、カスミトが動く。左の小槍を捨て、両手で掴んだ大槍を突き出す。傾きかけた勝敗の天秤を引き戻すための、二つ名持ちの剣闘士が持つ勝負勘が打たせた起死回生の一突だ。
しかし。
「カガマの槍の方が……」
『双槍』の槍は、片膝を着いて身を沈めたカタナの頭上を掠めて抜け、斬り返す間もなく、『闘王殺し』の弟子は再び斬気を解き放つ。
「迅かった!」
本日二度目の斬鉄剣は、一撃目と同じく『双槍』の槍を捉え、甲高い残響と共に大槍の穂先が落ちる。
「……ぐ」
「勝負あり、だ」
一度の剣闘で二人の『双槍』の槍をそれぞれ斬り落とすという離れ業をやってのけた少年を、カスミトは驚愕とある種の既視感を持って見た。
(――『闘技王』)
かつて、同じこの闘技場で自分たちを手もなくあしらった『螺旋剣』の姿が、何故か今思い出される。
この剣闘は当時と違って二対二で、決して一方的に敗れた訳でもない。
しかし、「敗れるべくして敗れた」――。そんな感覚だけが、彼の記憶を呼び覚ましていた。
今日何度目かの番狂わせに、闘技場が揺れる。悲鳴と歓声、その響きに包まれながら、カスミトは左手の小槍を落とす。
二人の『双槍』の四本の槍が全て地に落ち――、カタナとコーザの『双剣祭』一回戦は終結した。




