蛮勇なるもの
一回戦、第六戦。
「『千斬燕』ハンザ・サーシャ」対「『轟音』のムト・『大金棒』のサバカンバ」。
先の新人剣闘士たちの劇的な勝利に未だざわつきが収まらない闘技場。四人の剣闘士が、開始の合図を待って向かい合っている。
「来たか。巡業商会」
「ここしばらく、この都市のシマを荒らしてやがる連中だな」
居並ぶ剣闘士たちが、今までとはやや異なる面持ちでその一方に視線を注いでいる。
シュームザオンの剣闘士たちは特段排他的というわけではないが、それでも帝国最高峰の剣闘都市の一員としての自負は強い。二つ名持ちにまで上り詰めるほどの強者たちならばなおさらだ。
「そのあたり、ウチは複雑だな」
「え?」
「フェイさんは元ヒューバードの職員だからね。完全な余所者扱いは気が引けるのさ。カタナくんと違って遺恨があるわけでもなし」
オーブの指摘に促されるようにカタナが目線を向けると、観覧席の一画に座るセイは周囲の空気もなんのその、無邪気に拍手して仲間に声援を送っている。
「でも、あいつらが街に来てから相当な数の剣闘士が負かされてるらしいね」
カタナの隣で、リウが手元をいじりながら言った。彼女の出番もいよいよ迫っている。
「特にこの『双剣祭』に出てる四人はまだ全勝中だってさ」
『千斬燕』ハンザ、『独眼狼』ニス=キス、女剣闘士サーシャ、そしてセイ。彼らに降された二つ名持ちは合計で九名に及ぶ。
「そして九人中四人を連破したのが、あの『千斬燕』。まず間違いなく、ヤツが巡業商会の一番手だ」
カタナはロロナ戦(およびアダムとの立会い)以降、怪我の影響もあり剣闘の場からは離れていた。中断期間の直前に復帰したものの、それまでの空白期間にセイたちは随分名を売っていたらしい。
「とはいえ、相手はあのムトとサバカンバだ。こいつは荒れた勝負になるぜ」
『大盾』アガサが、エインの言葉を聞きとがめて身を乗り出す。代名詞たる『大盾』を置くと、ただの気のいい青年然とした印象がぐっと増す。
「気性の荒さと当たりの強さじゃ、シュームザオンでも指折りの二人だ」
大鉈を掲げる金褐色の長髪の大男と、身の丈ほどの金属棒を肩にかける剃り上げた禿頭の巨漢。その眼はぎらぎらと燃えて、その戦意のほどは観覧席からでも窺い知れる。
「俺ぁあいつらの相手すんの嫌いだね。勝っても負けても身体バッキバキにしんどくなるから」
愚痴るように笑うのは『海鳴り』ショーン。
敗退したもののほぼ無傷の彼は、平気な顔で観覧席に戻ってきている。カタナとしてはオーブの反応が気が気でないのだが、芝居装束を剥ぎ取られた槍使いの青年は、最前までの敵に隔意を見せたりはせず、ただ視線を向けずに座している。
「名前の感じもそうだけど、あの二人って東方系?」
その空気を知らず、あるいは知った上で無視して、リウが誰にともなく呟く。それに対して、『旗使い』ディムが首肯する。
「ああ。確かムトもサバカンバも、帝国東方の部族の出身とかいう触れ込みだな」
「あの無法地帯ってすごい迷惑。あそこの連中が外に出て来ると碌なことがないんだヨね。ウチの里も襲われたことあるし」
十倍返しで撃退したけど。と不快そうな気配を醸すリウだが、彼女の反応はそれほど過激なものではない。
帝国東方は、ただ岩山と荒野だけが広がる不毛の地である。僅かな水場や緑地を巡り、現地の住人達は常日頃から集散離合し争っているという。
悪いことに、大陸東岸まで行けば大規模な港町が点在しており、その地を目指す商人たちにとってはいつ野盗や武装部族に襲われるとも知れない危険な道程として知られている。
そんな地から勢力争いに負けるか部族を追い出されるかなどして出て来た剽悍なる民は、その多くは流れ着いた各地でも野盗化し、さらに一部は土着化までして武装集落を築き周囲を圧迫する。帝国にとっては頭の痛い問題の一つであり、地方の民にとってはより深刻な危機である。
ただ、ムトとサバカンバはそれらとは事情がやや異なる。
若い頃から部族でも屈指の戦士であった彼らは、滾る血潮と戦意のまま、より強い者との戦いを求めて故郷を出奔して剣闘都市へと乗り込んできた者たちであった。
「なんて言ったところで、結局酒場で酔っては乱闘騒ぎ起こすし街中で裸馬乗り回すし。素行は見た目通りの蛮族だがな」
「まあまあ、そう悪く言うな」
一通り解説した締めにそう口を尖らせるアガサを宥めるように、『吼え猛る』モーガンが片手を上げて遮る。
「普通の帝国人とは違うのは確かだが、あれで中々義理堅いし、基本的には気のいい連中だぜ」
モーガンが語るところによると、ムトとサバカンバが剣闘士になってすぐのこと、所属する剣闘士商会の近所に住んでいた老婆が泥棒に入られて怪我をした事件があったという。
古着屋を営んでいたその老婆は、都市の生活に慣れていない彼らの為に古着を仕立て直して差し入れてくれたことがあり、ムトたちはそれにいたく感謝していた。
そんな老婆が怪我をさせられ、しかも亡き夫の形見まで奪われたと知った彼らは大いに怒り、その勢いのままにたった二人で廃棄区の裏街に殴り込んだ。
「殴り込み、って、剣闘士がそんなことしていいの?」
「良いか悪いかで言えばそりゃダメだが、仕様の無い場合はあるもんだろ?」
聞いていたそこでリウが呆れたように尋ねるが、『炎』のギジオンが平然と応じる。
周囲の剣闘士たちもそれぞれ同意している。特に深く頷くのは『三節棍』のセット。傍らのミンはやや紅潮した顔で知らぬ振りをしている。
「……まあ」
「そう、かな?」
カタナとロロナもまた、微妙な顔で互いを見やり言葉を濁す。実際この二人、どこぞの地下闘技場に真剣掲げて乗り込んだ過去を持つ身である。
「えー……」
リウは、何故か自分の方がおかしい立場にされたような錯覚を覚え、苛立ち紛れにカタナを横目に睨んだ。
元諜報員としては、殴り込むくらいなら社会的に抹殺した方が効率的だと思うのだが。
話を戻すと、シュームザオンに住んでまだ日の浅いムトたちは、当然裏社会の事情など把握できてはいなかった。そこで彼らが採った方策は、清々しいほどに野蛮な――手当たり次第の虱潰しであった。
「怪しそうなところにいる怪しげなヤツを締め上げていけば、いつかは辿り着く!」
「おう、それは名案じゃねえか、さすがサバカンバ!」
と、そんなやり取りの後、目につく「怪しげなヤツ」を片っ端から締め上げて、シマでの騒ぎを聞きつけて出て来た顔役も取り巻きごと薙ぎ倒しては胸ぐら掴んで尋問すること一昼夜。ついに件の泥棒の一派を探し当てた彼らは、そいつらの根城であった闇酒場になだれ込み、建物が全壊するほどの大立ち回りの末に奪われた形見の品を取り戻した。
度重なる乱闘で顔と言わず身体と言わず傷だらけのまま形見を届けに老婆を見舞った彼らは、感激する老婆に「恩返しをしただけだ」と銅貨の一枚も受け取らず引き上げていったという。
「それがどう広まったのやら今じゃ吟遊詩人の歌にまでなって、『蛮族の恩返し』って名前で酒場で歌われたりもするんだぜ」
「なにそれメッチャいい人」
「リウ……二回目」
さっきまでの態度はどこへやら、あっさり絆されたリウにカタナは思わず半目になる。意外とモーガンの昔語りが気に入った風である。
「話はそこまでだな」
エインが、眼下の剣闘場を見据えたまま後輩たちに声を掛ける。
「始まるぞ」
直後。
進行役の合図と同時に、四人の剣闘士たちが弾かれるように飛び出した。
●
「うごらあぁ!」
先制の大喝と共に叩き付けられるのは、肉厚の大鉈。長剣並みの長さを持つそれも、この巨漢『轟音』のムトの手にあるとどこか小振りに感じられる。
「――は」
対するのは浅黒い肌の美丈夫、巡業剣闘士商会の『千斬燕』ハンザ。骨ごと砕き斬る大鉈の連撃を、だらりと両手を下げた構えで躱して捌く。
「まだまだあ!」
「喧しいな。『轟音』の二つ名の意味は、ただ騒ぐだけか?」
「ほざくんじゃねえやぁっ!」
回避に徹するハンザに焦れる様子もなく、ムトの斬撃は勢いを増す。巨体と風貌に見合わぬ軽快な太刀筋は、次第に標的の動きを追随し始める。
「ふむ」
ハンザの手が閃き、ムトの大鉈と噛み合わされる。その瞬間――。
「むっ?」
ぐうん、とハンザの膝が沈み折れかかる。
「はぁあぁ!」
その隙を逃す二つ名持ちなどいない。ムトの大鉈が勢いを増し、受けるハンザの身体が見る見る精彩を欠いていく。
ムトの一撃ごとに、まるで身体に重石が架せられていくかのように。
「成程、これが『轟音』――」
萎えかける足に気血を送って戦意を通し、大きく距離を取るハンザ。その眼には自身に降りかかる苦境でかえって興が乗ったかのような光がある。
「おらあ!」
「重さと衝撃を剣を通して身体に直接叩き込む。……振撃とでも言うべきか」
たとえば、鉄の棒で岩を思い切り叩けばその反動が腕に響き棒を握っていられずに取り落すことがある。
ムトの斬撃の正体もそれと同種のものだろう。しかも、武器を持つ腕のみならず身体全体にまでその衝撃を伝播させるその技量は並大抵のものではない。
己の膂力を十全に活かした唯一無二の剣技――正に『轟音』の二つ名に相応しい。
「さて」
再び襲い来る『轟音』の振撃を確実に躱しつつ、ハンザの思案は続く。
正面からの撃ち合いでは、『車輪剣』のような規格外の大威力でもない限りどんな戦士であっても勝ち目は薄い。実力以前に、『轟音』の特性がぶつかり合いを制することに特化しているのだ。
相手に正攻法を許さない、ある意味最も凶悪な剣と言える。
故に、ハンザの取り得る手は二つ。
一つは正面から組み合わず一撃離脱の繰り返しで削っていくこと。
しかしそれは時間がかかる。先のことを考えれば初戦から消耗するのは悪手だろう。平然と、ハンザは傲慢なまでの計算を剣闘の最中に行っていた。
ならば、取るべき手は二つ目。
「こゥ……!」
「む?」
ハンザの右腕が大きく後ろへ回され、手にした長剣が身体の奥へ。異様な気配にムトの眼に警戒の色が差す。
「撃たせる間など――与えねば良い」
零れ落ちる言葉と同時、ハンザの右腕が消えた。
●
「ごあっ!」
「――!」
闘技場を駆け渡り合うムトとハンザの傍ら、『大金棒』のサバカンバと巡業商会の女剣闘士サーシャは、双方その場から動かず手にした得物を振るっていた。
どちらも相棒へ加勢する気配はない。その勝利を確信しているのか、それとも目の前の相手に迂闊な隙を見せられないのか、恐らくはその両方だろう。
「そらそらっ!」
サバカンバの武器は、二つ名通りの『大金棒』。自身の腕よりも太い金属製のそれを軽々と振り回す威容は、まさしく魁夷なる蛮族だ。
「ふふっ」
対するサーシャはしかし、怖じる様子は欠片も無い。どころか、戦闘中には似つかわしくないほのかな笑みさえその顔にはある。
ど。ご。ぐ。と、連続して鈍い衝突音が両者の棍棒から重々しく響く。単純な威力であればサバカンバの圧勝だろうが、サーシャの棍棒捌きは衝突点を巧みにずらし『大金棒』の豪打を受け流している。
「やるなあオマエ! おっかねえ女闘士ともやり合ったことは何度かあるが、俺とここまで打ち合える女はさすがにいなかったぜ」
「ふふ、それは光栄」
サバカンバは、心底からの感嘆と共に口元を吊り上げる。
彼愛用の『大金棒』は、女の体格でもろに喰らえば致命傷は確実だ。それでも気負いなく嫣然と笑ってみせる目の前の女剣闘士の胆力は、明らかに並の剣闘士のそれではない。
つまり。
「――オマエ、二つ名持ちだろ?」
「……どういう意味かしら」
「とぼけんな。名無しの剣闘士にしちゃあ、強すぎるし、尖り過ぎだ」
荒野育ちのサバカンバに教養は無い。だからこれはただの直観と経験則。それだけで、彼は目の前の敵が己の『本質』を掴んでいる本物だと確信していた。
「せっかくイイ女と戦うんだ。『名前』ぐらいは教えてくれよ!」
「――ふぅ」
『大金棒』を振りかぶって突進するサバカンバに、サーシャは軽く息を吐く。それは諦めか、あるいは苛立ちか。否。
「少しだけ懐かしいわね」
言葉と同時、優美さすら感じさせる挙動で振り抜かれるのはサーシャの棍棒。サバカンバの『大金棒』と異なり木製の棍棒だが、その分迅さでは一段優る。
「あん?」
「私の父に。なんとなく似てるわ、貴方」
頭を狙う棍棒を自身の金棒で防ぎつつ、訝しげなサバカンバに、サーシャは事も無げに話を続ける。
「勇猛で、愚かで、真っ直ぐで、短絡的で、純粋で、無神経な――私の父さまに」
一言ごとに、サーシャの動きが変わっていく。腕を下げ、腰を落とし、地を擦るような挙動。
「何をごちゃくさと!」
サバカンバの金棒ががら空きの頭部に叩き落とされる。こうもあからさまな隙を晒されて攻め込まないほど、彼は紳士でも間抜けでもない。
「ああ、失礼したわね。そう、口上がまだだったわ。男どもと違って一々名乗るのは趣味じゃないのよ」
「なぁ!」
直後、サバカンバは驚愕に目を見開く。
打ち下ろされる鉄塊の如き『大金棒』。サーシャはその上にしなだれかかるように身を躍らせていた。宙に円を描くような、人間離れした回避の動き。
「獣奏戦舞――『玃』」
ケモノを奏で、イクサを舞う。
字義通りの意味において、サーシャの『それ』は巡業商会の誰よりも本義に近い。
玃とは、女を攫い子を産ませる逸話を持つ猿猴の化生。
「それに私――。自分の二つ名、好きじゃないのよ」
『蛮姫』のサーシャは、血を啜るような昏い声音で、サバカンバの顔面に蹴りを叩き込んだ。
●
「――、……」
絶句。
『双剣祭』本戦出場を果たした名だたる剣闘士たちが、皆一言も言葉を発することもなくその光景を目にしていた。
「ぐぅうっ!」
全身に裂傷を負い血に染まった身体で両膝を着いている『轟音』のムト。
「――」
鼻骨をへし折られ、顎を割られ、右腕があらぬ方向に捻じ曲がり気を失っている『大金棒』のサバカンバ。
シュームザオン屈指の荒々しさと豪快さで知られた蛮人剣闘士二人が、それを上回る『暴』の力によって完膚なきまでに叩き潰されていた。
「あーあー。叔父さんってばはしゃいじゃってまあ。あれでこっちに『自重しろ』とか良く言うよ」
「……よりによってサーシャの神経を逆撫でするとは。無知とは恐ろしいものだな」
ただ二人。巡業商会の剣闘士、セイと『独眼狼』ニス=キスだけが、この惨状を当然のものとして言葉を交わしていた。
そしてこの圧勝劇をもって、『双剣祭』本戦、一回戦前半の戦いがすべて終了する。




