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「あー、妙子ー。やっと来たぁ」
「なつき!?どうしちゃったの?」
史生とよく来た、マスターとは顔なじみのバーで、私はカクテルやらウイスキーやらを浴びるほど飲んで、妙子を電話で呼びつけた。あれ?どうして妙子を呼んだんだっけ?するとマスターが困ったように妙子に言った。
「妙ちゃん頼むよ。やけ酒だかなんだか知らんけど、なっちゃんちょっと飲みすぎだからさぁ」
「何言ってんのよ、マスター。あんたの店が儲かるように、私が飲んでやってるんじゃない!」
マスターは酔っ払いを見るような目で私を見て、あきれたようにため息をつく。まったく失礼な店主だ。酒を飲ませる店のくせに、飲みすぎだとか何だとかケチをつけるとは……
「なつき。史生くんと何かあった?」
妙子がそう言って私の隣に腰掛ける。そうだ、そうだった。私は妙子に聞いてほしくて呼んだのだった。
「私ね、史生と別れたのよー」
私の言葉に妙子の顔色が変わる。泣くかな?私は思った。
妙子はいつだって、私のことを自分のことのように心配してくれる。これほど心配かけてばかりの私も問題だが……そんな時、泣き出しそうな顔の妙子を見て、私は頑張らなくちゃと立ち直ることができるのだ。
史生が浮気して私と大ゲンカした時も、あの事故が起きた時も……私は妙子のおかげで立ち直ることができた。
しかし今夜の妙子は少し違っていた。私の目をまっすぐに見て「どうして?」と聞いてきたのだ。私は妙子の意外な反応に、女のカンのようなものが働いた。
「だって史生って、私と付き合い始めた日のことも、初めてキスした日のことも、プロポーズした日のことも、ぜーんぶ忘れちゃってるんだよ?さすがの私もちょっとキツイよ」
「でもそれは史生くんのせいじゃないでしょ?1番つらいのは史生くんなんだよ?」
妙子は必死に反論してきた。やっぱりそうか、と私は思った。
「そんなの私だって、妙子に言われなくてもわかってる」
「じゃあどうして別れたりするの?なつき言ってたじゃない。史生くんの記憶が戻るまで気長に待つって」
「そりゃあ言ったけど……でももうこれ以上待てないの!つらいのよ、私だって」
私はそう言うと目の前のウイスキーのグラスを一気に空けた。カウンター越しにマスターが何か言いたげに私を見ている。
「なつき、あなたってひどいのね」
妙子は私をじっと見て言う。
「なつきは逃げるのね。傷ついた史生くんを置いて」
私も黙って妙子を見つめた。妙子は悲しいような切ないような複雑な表情をしていた。
そうか、そうだったんだ。妙子は私のことを心配してこういう顔をしていたんじゃない。妙子はいつだって史生のことを想っていたんだ。
やがて妙子が黙って立ち上がった。
「妙子」
私は空のグラスを握りしめてつぶやく。
「そんなに史生が気になるなら、あんたが付き合えば?」
妙子は振り返り、顔を赤くして唇をかみしめる。そして何も言わないまま、逃げるようにして店を出て行った。
「マスター、おかわり」
私はそんな妙子を無視するようにグラスを差し出す。
「なっちゃん。どうしてそんなこと言うの?」
マスターがタバコをくわえて私に言った。私は少し考えてこうつぶやく。
「史生には笑っていてほしいのよ。だから私といるより妙子といたほうがいいと思うの」
マスターは納得いかないような顔で、グラスに酒を注ぐ。私はただぼんやりと、店の薄暗い照明に光る、ウイスキーのボトルを見つめていた。