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「この日ね、ふたりで海に行くつもりなんてなかったの。でもお互いなんとなくむしゃくしゃしててね。私は前の彼と別れたばかりだったし、あんたは会社でムカつく上司にいびられてたし……それで行くあてもなく電車に乗って、気がついたら海に来てた」
午後の日差しを背中に浴びながら、私は史生とベッドに座って、懐かしいアルバムをめくっていた。アルバムの中の私たちは、こんな運命が待っているとも知らずに、無邪気な笑顔ではしゃいでいる。
「気がついたら海にいたなんておかしいよ」
史生はアルバムの写真を見ながら小さく笑う。
「俺はきっとお前のこと狙ってたんだよ。だからわざと海に向かう電車に乗った」
「そうだね。それで私もとぼけたふりして史生の計画に乗っちゃったんだ」
史生の言葉に私も微笑む。
「だって付き合ってもいないのに、その日のうちにキスしちゃったんだよ?私たち」
史生は私を見ておかしそうに笑った。私は史生のこんな笑顔が好きだった。前の彼氏と付き合っている頃から、実は史生のことを想っていた。そして史生も、きっと私を好きだった。
「ねえ、史生」
私はアルバムを見つめたままつぶやく。
「私のどこを好きになったの?」
史生は黙って私を見た。胸の鼓動が激しくなる。それ以上言ってはいけない。言ったら終わりだ……私の頭のどこかでそんな声が聞こえる。でも私は言うしかなかったのだ。
「ホントに覚えてないの?私を好きになった日のことも、初めてキスした日のことも」
史生は何も言わずにうつむいた。「ごめん……」今にもその言葉が聞こえてきそうだった。
「史生……」
私は隣に座る史生の手をぎゅっと握りしめた。大きくて温かい、いつも私を抱きしめてくれた史生の手……
「私たち別れよう?そのほうがいいよ。史生だって覚えもない女と付き合うのなんて、キツイでしょ?」
史生は何も言わなかった。私は史生の手を握りしめたまま、にっこり笑った。
「ね、そうしよ?私、あんたはあの事故で死んだと思うことにするから。だからあんたも私のことなんか忘れて、また新しい彼女探しなよ?」
私はそう言って史生の顔を覗き込む。史生はそんな私から目をそらすようにうつむいていたが、やがてかすれる声でつぶやいた。
「ごめん……なつき……」
私は黙って首を横に振る。もう史生の口からその言葉を聞きたくはなかった。
「じゃあ私、帰るね」
私は史生の手をそっと離すと、それだけ言って外へ出た。いつの間にかあたりは夕日に染まり、オレンジ色の空が私の上に広がった。
私は振り向かないで歩く。しかしたぶんきっと……史生は私の背中を見送っていることだろう。私たちがキスをして抱き合ったあのアパートのドアの前に立って、好きでもない婚約者の私を見送っているのだろう。
これでいいのだ。史生はもう私のことを好きではないから。いつ私を好きになったのか、私のどこを好きになったのか……そんなことも思い出せない史生と私は、恋人同士でも何でもない。
ふたりは付き合う前のふたりに戻ってしまったのだ。