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「史生……」

 私はつぶやいたまま立ち尽くした。史生もじっと私のことを見つめていた。あの日と同じ空の色、風の匂い、青を待ちわびる史生の姿。私の頭にあの日の記憶がよみがえる。

「なつき」

 史生の唇がそう動いた気がした。やがて信号が青に変わり、人々が横断歩道を歩き出す。史生もゆっくりと、しかしまっすぐに、私の元へ歩いてきた。

「久しぶり」

 私はそう言って笑っていた。史生は私の前で立ち止まり、ただ黙って私を見る。そしてそのまっすぐな視線が、苦笑いする私にすべてを打ち明けていた。

 今、あの日と同じこの場所で、なくした記憶をやっと取り戻したことを……

「何?買い物の帰り?」

 私はそんな史生の視線を振り切るように目をそらし、その手に握られているビニール袋を覗き込む。

「ああ……うん。ビーフシチュー作ろうと思って……」

「そうだね。作ってあげなよ、妙子に」

 私の言葉に史生は黙って顔を上げた。

「今そこで会ったのよ、妙子と萌ちゃんに。風邪気味なんだってね、ふたりとも」

 史生は何も言わないまま、そっと私から目をそらす。

 あたりは次第に薄暗くなり、オレンジ色の太陽が、最後の力を振り絞るかのように輝いている。私はそんな夕日を浴びる史生の横顔を、じっと見つめて言った。

「でも私と会ったことは妙子に言わないでね。あの子すっごく心配性だから……史生が私を思い出して復活しちゃうんじゃないかって、きっと心配してると思う」

 私は笑ったが、史生は黙ったままだった。私はゆっくりと史生の横顔から視線をそらすと、小さな声でつぶやいた。

「妙子と萌ちゃんと、幸せにね」

 それが私の一番言いたかった言葉だった。私は人の幸せを壊す趣味はない。それだけ言ってかっこよくこの場を去ろうと思った。しかしそんな私の腕を史生がしっかりと握り締めていた。

「お前はどうなんだよ?」

 私が黙って振り返る。

「お前は幸せなのか?俺を忘れて幸せになったのか?」

「当たり前でしょ。いつまでもあんたのことなんか想ってないわよ」

「じゃあ彼氏はできたのか?」

「そんなことあんたに関係ないじゃん!」

「関係あるね!お前を忘れた俺だけ幸せになるなんて、おかしいだろ!?」

 私たちは道の真ん中で言い合っていた。

 そういえば昔、史生があの事故に会う前、私たちはよくこうやってケンカをしていたっけ……思いっきり怒鳴りあっているうちに、いつもケンカの原因が何だったのかわからなくなってきてしまうのだ。まあそれほど、たわいのない原因だったのだろうが……

 通りすがりの人たちが、そんな私たちを遠巻きに見つめている。はたから見たらバカバカしいカップルの痴話げんかに見えただろう。私は史生とこうやっている自分がなんだかおかしくて、いつのまにか笑っていた。

「何笑ってんだよ」

「別に」

「お前はすぐそうやって、笑ってごまかすんだから」

 史生は小さくため息をつくと、何か思い出したようにかすかに笑った。

「何よ?あんただって笑ってる」

「いや、ちょっと思い出して……」

 史生はそう言って私を見た。史生の頭に私と同じ記憶がよぎる。でもそれはもう、過ぎた過去なのだ。

「萌ちゃんって……かわいいね」

 私は話をそらすかのように、そばを通りかかったベビーカーを見送りながらつぶやく。

「うん……」

 史生はその言葉に素直にうなずいた。

「妙子と萌ちゃんを泣かせるわけにはいかないよね」

「そうだな……」

 史生がそう言って遠くを見つめた。

 商店街の向こうにマンションや住宅の明かりがぽつぽつと灯り始める。きっと妙子たちもあの明るい部屋の中で、史生の帰りを待っていることだろう。

「それじゃあ、早く帰ってビーフシチュー作らなきゃ。史生の大事な家族のために」

 私が笑うと史生が言った。

「無理するなよ」

 私はぼんやりと史生を見つめる。

「無理するな」

 史生の言葉に私がうなずく。

「じゃあちょっとだけ、泣かせてね」

 そして私の体は史生の胸に飛び込んでいた。

 夏の始まりの風が、あの頃より少し伸びた私の髪を揺らす。史生の温かな手は、そっと私の背中を抱き寄せる。

 大好きな史生。私はまだ史生のことを想っている。でもそれも今日でおしまい。本当の本当に、私はあんたを忘れることにする。あんたが妙子と萌のために、私を忘れると心に決めたように……

「ごめんな……なつき……」

 史生のかすれた声が私の耳に響いてきた。

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