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【短編版】左遷先に優秀な女騎士がついてきたのだが

作者: アレセイア
掲載日:2026/03/15

 窓の外には荒れ果てた大地が広がっていた。

 見渡す限り、ごつごつとした固く締まった大地が広がり、風が吹くたびに砂埃が舞い上がる。草木は所々に点々と生えているのみで、潤いは一切ない。

 まさに、荒原というには相応しい場所であり。

 それが新任の将軍であるライル・ベルガルトの赴任地であった。


 何故、ライルがそんな荒原に赴任するに至ったのか。

 それは彼が華々しい戦果を上げたことが要因である。

 彼は戦死した将軍に代わり、味方を指揮。果敢に敵を迎え撃ったことで夥しい数の首級を上げた。その戦勝には国内は大いに沸き立った。

 将軍の仇を討ち取った将校の鑑。討ち取った首級は数知れず。

 彼を英雄だと称える風潮が広がる一方で、それを面白くなく思う者もいる。特に貴族や官僚たちは平民である彼が成り上がるのを良しとしなかった。


 それ故に彼らは一計を案じた。

 戦勝したのはめでたいことだ。その褒美に将軍位を授けよう。

 ただ、その代わり、赴任する場所ははるか辺境の荒原とすべし。

 つまりは、事実上の左遷人事を受け、ライルはこの荒原の地に飛ばされたのである。


 わずか五百の手勢と、雀の涙ばかりの予算を手にして。


(とはいえ、そこまで悲観するわけでもないがな)


 ライルは苦笑をこぼしながら窓の外から視線を逸らし、執務室の椅子に座り直した。その椅子は急ごしらえだが、座り心地が悪いわけではない。

 執務室の中も手作りの棚や机が並んでいる。これらは全て兵士たちがライルのためにせっせとこしらえてくれたものだ。その兵たちは今も鍛錬に勤しんでいる。

 そして――その中には、頼りになる副官もいた。


「失礼します。ライル将軍」


 澄んだ声と共に、一人の女騎士が入ってくる。彼女は踵を揃えると、表情を引き締めて敬礼する。艶やかな金髪が揺れ、真っ直ぐな瞳がライルを捉える。

 ライルは見つめ返しながら軽く手を振った。


「崩して構わない。アリシア」

「はい、ありがとうございます。将軍」


 ライルの声に、彼女は凛とした表情を緩めた。どこか人懐っこい笑みを浮かべ、にこりと微笑みながら敬礼を解く。


 アリシア・ローズライト。彼女はライルの忠実な副官の一人だ。

 彼女とは士官学院時代の先輩と後輩の関係性に当たる。剣の手合わせや戦略談義などを交わした仲であり、その頃からアリシアはライルをよく慕っていた。

 ただ、彼女は名門貴族の出身であるため、ライルとは違って近衛軍に所属。

 前線ではなく、王都の守りについて職務を全うしていた――のだが。

 ライルが将軍位を授かり、辺境に向かうと聞いて、彼女は近衛軍から異動を申請。出世道を蹴ってまで、彼を支えるために馳せ参じてくれたのである。

 その実力はライルがよく知っている。剣の腕も立ち、戦略にも精通しているのだ。彼はアリシアを副官に抜擢すると、様々な仕事を任せていた。


「さて、報告を聞こうか。アリシア」


 今回、彼女には辺りの偵察任務を与えていた。

 ここに赴任してまだわずかしか経っておらず、周りの地形をまだ詳しく確かめることができていない。そのため、まずアリシアに確認を急がせていたのだが。

 彼女は一つ頷くと、脇に抱えていた紙を机の上に置いて広げる。丸めた紙が広げられれば、そこにはここら一帯の地図が事細かく記されていた。

 地形、特徴などが詳細に記されており、思わず目を瞬かせる。


「ここまで調べ上げたのか」

「ええ、兵で手分けして調査を繰り返しました。それぞれ場所を分担して調査していくことで、広範かつ詳細な情報を収集できたと思われます」


 淀みなく告げるアリシアの言葉に頷きながら、ライルは地図に視線を走らせていく。書き込みは丁寧で分かりやすいため、報告を聞かなくても読むだけで理解できる。

 他の兵はもちろん、ライルでもこのようなまとめ方はできないだろう。

 さすがに優秀。近衛軍に所属され、慰留を受けただけはある。

 思わず唸り声を上げると、彼女は目を細めながら軽く首を傾げる。


「注目すべき点がいくつかありますが、説明させていただいても?」

「ああ、頼んでいいか?」

「分かりました。では、失礼します」


 彼女はそう言うととことこと歩き、何故か机を回り込んでライルの隣に並んだ。そして軽く身を寄せるようにして、地図を指差す。


「まずはこちらですが――」

「……待て、待て、アリシア」

「……何でしょうか? 将軍」

「わざわざ隣に来る意味があるのか?」


 ライルが眉を寄せながら訊ねると、アリシアはきょとんとする。何をおかしいことを言っているのだろう、と言わんばかりに。


「こちらの方が説明しやすいです」

「――まぁ、そうかもしれないが」

「私と将軍の仲ですので、気遣いは不要だと考えました――先輩とはこうやって机を並べて勉強していましたからね」


 後半の言葉は少し悪戯っ子のような声色だった。見れば、アリシアは無邪気に笑って片目を閉じている。その笑顔を向けられてしまうと、何も言えない。

 ライルは仕方なく小さく笑い、肩を竦めた。


「崩せ、といったのは俺だからな。仕方ないか――続けてくれ」

「かしこまりました。まず重要なのは水源だと思います。そちらは――」


 そう言いながら軽く身を乗り出すと、彼女の髪の毛がさらりと揺れて彼の肩に当たった。ふわりとどこか甘酸っぱい香りに少しどきっとしながらライルは思い返す。


(確かに、こんな風に共に勉強したこともあったな――)


 春の日差しが差し込む、学院の図書室。そこでライルはアリシアによく勉強を教えてもらっていた。ライルは体術が一流でも、座学は三流――学院の勉強についていくのが、やっとだった。それに愚痴をこぼすと、アリシアは申し出てくれたのである。


『先輩の勉強、見てあげますよ。いつも体術を指導していただいているお礼です』


 アリシアは戦術科首席であり、座学は一流だった。学年が上のライルに勉強を教えられるくらいに賢く、分からないことをいろいろと教えてくれていた。

 それどころか、試験の内容も先読みし、的確に指導してくれたのである。


『大丈夫です。先輩。過去の傾向からここが試験に出ますから』


 それは百発百中であり、アリシアには驚かされたものである。そのお礼に何か食事を奢ると、彼女は嬉しそうについてきてくれたものだ。


「――ですので、この場所に拠点を用意すると良さそうな場所です。もし人員が増えるようなことがあれば、候補地にすることを推奨します」


 それを思い出しながら彼女の説明に耳を傾け、ライルは一つ頷いた。


「なるほど、よく分かった。今後の作戦に役立ちそうだな」

「ふふっ、ありがとうございます」


 耳元でくすぐったそうに笑ったアリシアは姿勢を正してライルに視線を向ける。その彼女を振り返りながら少し考え、口を開いた。


「では、次は水源地帯を巡回する作戦の立案を――」


 命ずる、と言おうとした瞬間、アリシアが目の前に紙を置いた。


「はい、そちらはこちらに」

「……マジか。もうすでに?」

「ライル将軍なら命じられるだろうな、と思いまして」


 にこりと笑ったアリシアの顔を見て、思わず呆れ交じりにため息をこぼした。


「――相変わらずの先読みだな。アリシア。学院時代もそうだったが」

「傾向が分かっていれば、対策も簡単ですよ?」

「そうは言うが、そんなものかね?」

「そういうものです。読めない部分があれば、そうなるように誘導すればいいわけですし。そういう戦略を学ぶのが、学院でしたから」

「――さすが首席だな」


 手を伸ばして作戦を見る。そこにはライルが想定したものがすでにまとまっていた。苦笑いをこぼすと、その作戦書類をアリシアに差し出した。


「文句なしだ。これで進めてくれるか」

「かしこまりました。そのようにします――ただ、そうなると一つ問題が」

「うむ? なんだ?」


 ライルが首を傾げると、アリシアは遠慮がちに小さく告げる。


「仕事を早く片付けてしまったので、暇ができてしまいました」

「……そうだな」

「仕事を前倒しでしてもいいですが……」


 そう言いながらアリシアは期待するような眼差しでライルを見てくる。その視線は何かをねだっているようで――ライルは肩を竦めて椅子から立ち上がった。


「飯にするか。アリシア、一緒に来るか?」

「――っ、はいっ!」


 そう声を掛けると、彼女は無邪気な笑顔を浮かべて頷き、隣に並んだ。その笑顔は学院時代に食事を奢ったときと同じで、思わず表情が緩んでしまう。


(公私混同は良くないんだが――)


 アリシアを副官にして良かった、としみじみと思ってしまった。


 そんな優秀なアリシアという副官が支えてくれるおかげで、ライルの辺境赴任は想像よりも快適に過ごすことができていた。

 鬱陶しい書類仕事もアリシアがてきぱきこなしていき。

 物資や予算不足も、彼女に相談すれば代替案が出てくる。

 それどころか、彼女の実家のローズライト家も支援を申し出てくれるのだ。

 そこもアリシアが根回ししてくれているらしく、申し訳ないと思いながらもライルはありがたくその援助を受けていた。


(一体、アリシアはどんな交渉をしたんだか――)


 実家とはいえ、貴族である以上、損得勘定はあるはずだ。

 左遷された将軍を支援していると発覚すれば、他の貴族や官僚から睨まれるのはほぼ間違いない。ライルは疑問に思いながら、城砦の食堂の席についた。

 さすがに時間が遅いせいか、休憩を取っているのはライルとアリシア以外にいない。


「先輩、お待たせしました」


 そのアリシアは片手に一つずつお椀を持ってライルの席に来た。お椀を机に置くと、当然のようにライルの隣に座る――正面の席も空いているのだが。


(――まぁ、いいか。今更だ)


 ライルは苦笑しながらお椀を手に取る。今日は麺料理のようだ。汁は少なめ、かつ、香辛料を利かせてある。水が少なく、埃っぽい環境に合わせた料理のようだ。

 二人で食前の祈りを捧げてからそれを口に運ぶ。ぴりり、と辛い味に汗が滲み出るようだ。アリシアも少し顔を顰めながらも食べ続ける。


「しかし、香辛料って高いんじゃないか?」

「意外とこちらは安いんですよ。何でも栽培の風土があっているとかで」


 ですので、と言葉を続けながら、アリシアは何気ない口調で続ける。


「この荒原で栽培ができないか、有識者に研究させています」

「……いつの間に」

「軍務の範疇ではないので、あくまで個人的な取り組みですが。これが成功すれば、軍の予算に付け加えることができますね」

「確かに人力は兵で賄えばいいからな」


 いわゆる屯田に近いやり方をすればいいのだろう。アリシアの柔軟な思考にはいつも驚かされる。ライルは麺を啜ってから一つ吐息をこぼした。


「――俺が将軍よりも、アリシアが将軍の方が良い気がしてきたな」

「まさか。私は将軍に務まりませんよ。先輩を補佐したいからできる話です」


 彼女は苦笑して首を振った。髪をかき上げ、麺を口に運びながら横目でライルを見る。ほんのりと色づいた頬と潤んだ瞳を見せながら、アリシアは小さく囁いた。


「ライル先輩のお傍にいるためなら、何でもできる自信があります」

「それはありがたいな。つくづく思うよ」


 その重みのある言葉が大言壮語ではないことを、ライルはよく知っている。

 だからこそ、彼はアリシアを見つめ返しながら微笑んだ。


「アリシアに見合えるように、もっと強くならないとな」


 ライルの言葉にアリシアは目を丸くし、やがて拗ねたように唇を尖らせる。


「ライル先輩がそれ以上、強くなったらみんな、ついていけませんよ」

「そうかな。ついてきてくれる人に心当たりが一人だけいるが」

「はいはい、分かっています――絶対にお傍を離れませんから」


 冗談めかした口調に、軽口で応じてくれるアリシア。その応酬が心地良くてたまらない。思わず目を細めていると、ふと食堂に数人の兵士が入ってきた。

 彼らは食事を摂っているライルたちに気づくと、すぐに敬礼する。

 ライルは軽く手を振り、崩すように合図する。


「俺たちも休憩中だ。好きに休んでくれ」

「了解しました。将軍たちもお仕事は一段落ですか」

「まぁ、そんなところだ。副官が優秀過ぎるおかげでな」

「精強なる将軍閣下をお支えするためですから」


 軽口を叩き合い、笑みを交わし合うライルとアリシア。その様子を見て兵士たちが顔を見合わせて苦笑する。


「相変わらず息がぴったりですね――と、そうだ、アリシア殿」

「はい、何でしょうか」

「もし時間があるなら、お手合わせをいただけますか? この前のリベンジをしたく」


 そう告げた兵士は目を爛々と光らせている。

 それも無理はない。彼はアリシアとの手合わせで負けたばかりだ。彼は搦手も使ったトリッキーな動きが得意だが、アリシアにはそれは今のところ、通用していない。

 彼女は苦笑しながらお椀を置き、その兵士を見つめて訊ねる。


「以前、将軍から指摘された癖は改善されたのですか?」

「それも見ていただければありがたいかと。少しはマシになったと思うのですが」

「ふむ、なるほど――ちなみにそれだけでは私には勝てませんよ?」

「無論、策を考えております」

「それは楽しみですね。どういった手を考えたのやら」


 その兵士とアリシアが親しげに話している。それをライルは無言で麺を啜りながら見守る。彼がアリシアに一歩距離を詰めたところで、彼は何となく声を掛けた。


「ならば、俺が相手をしようか」

「――っ、しょ、将軍が?」

「ああ、何だか身体を動かしたい気分になった」


 正確にはその兵士とアリシアが戦う場面を想像して、何だか落ち着かなくなったのだ。ライルは麺を平らげると、腰に佩いた剣に手を置きながら目を細める。

 その光景に他の兵士たちは後ろでひそひそと話を始めた。


「あーあ、将軍のいるところでアリシア殿を誘うから」

「とはいえ、基本的にアリシア殿は将軍の傍を離れないからな」

「違いない。二人で隙を補い合っているから全然、隙がないんだよな」

「――お前たち、喋っていないで飯を食ったらどうだ」


 ライルは呆れて声を掛けながら席を立った。それから手合わせを申し出た兵士を見やり、にやりと笑ってみせる。


「よし、腹ごなしに少し付き合え」

「い、いやぁ、俺も飯を食いたいかな、って」

「飯を食う前にやった方がいい――絶対吐くからな」

「え、ちょ、将軍、嘘ですよね……?」

「あはは、まさか。俺が訓練で手を抜くとでも?」


 そしてそれからしばらくして訓練場では一兵卒の悲鳴のような叫び声が響き渡り。

 食事を終えた兵たちが訓練場に行くと、そこには一人の兵士がすっかりへばっており、それを放置してライルとアリシアは熱心に手合わせに興じていた。


   ◇


 それから数日後、城砦にはとある報告が入って来た。

 西方に暮らす遊牧民族の一部が王国の支配に反旗を翻し、反乱を起こしたという。反乱軍は勢力を糾合しながら城砦に向かって進軍中。

 それを受けてライルは軍備を整え、真っ向から打ち破るべく荒原に陣を敷いた。

 ライルの軍の全容は五百――対する敵は三千以上。

 数的劣勢は明らかだが、ライルに負けるつもりはなく――。

 そして、その彼を補佐するアリシアはまたしても手を打っていた。

 王国の北部軍に援軍を要請し、一部の軍勢をこちらに割いてもらったのだ。


 精強なるライル率いる軍に、援軍が加わってしまえばもはや負ける要因はどこにもない。ライルは先頭を切って突撃すると、大いに暴れ回った。

 遊牧民族の中核になる戦士たちを打ち破れば、あとは烏合の衆。

 軍からは犠牲者を一人も出さずに反乱軍を完膚なきまでに打ち砕く。完全な勝利を収め、ライルたちは反乱軍を鎮圧する――。

 だが一方で、城砦に戻ったアリシアの表情は優れなかった。

 いつもの笑顔が鳴りを潜め、どこか無理した表情が目立つ――。

 何故、そうなってしまったのか――ライルはすでに心当たりがあった。


「――人を斬ったのは、初めてか?」


 戦勝の宴。そこから席を外したライルとアリシアは城塔の屋上で言葉を交わしていた。その場でしゃがみ込んだアリシアはしばらくの沈黙の後に頷いてみせる。


「はい、この前の戦いが初陣でした。無論、人を斬ったのも」

「だろうな。近衛が戦場に出ることはなかっただろうし」


 前線に立つ軍人であれば、仲間の死と人を斬ることは必ず経験することだ。それを経験した新兵は大なり小なり、心が揺らいでしまう。

 今日の戦勝の宴でも、アリシアはどこか不安定だった。

 一人の女性がライルに近寄ろうとするだけで過敏に反応し、かと思えば何かをごまかすように酒を飲む。それが見ていられず、ライルはアリシアをここに連れ出していた。

 彼女自身も自覚しているのだろう、表情はあまりに暗い。


「平常通りに振る舞っていたが、少し心気が乱れていたな。眠れているか?」

「――酒の力も借りて、一応は」

「そうか。あまり頼り過ぎるなよ。酒には」

「分かっています。でも――目を閉じると、どうしても掌にあの感触が蘇るんです。ライル先輩が斬ったあの男にトドメを刺した、あの瞬間の光景も」


 アリシアは自分の掌を見つめ、深くため息をこぼす。その手が震えているのを見て、ライルはそっと近寄ってその掌を包み込む。

 その小さな手は信じられないくらい冷たい。それを温めながらライルは声を掛ける。


「それは忘れられないだろうし、忘れてはいけないことだと思う。それを忘れたら、俺たちは軍人ではなく、ただの殺人鬼だ」

「――仰られることは、分かります。でも、耐えられるか……」


 そう告げながら彼女は顔を上げる。その表情はいつになく辛そうで、苦しそうだ。弱々しい瞳の光を見つめながら、ライルは思う。


(そういうときは、仲間を頼ればいい――)


 ライルも初陣の後には、命を奪った事実に苦しんだ。敵の首を刎ねた感触、その生首の虚ろな瞳、生々しい血潮の熱――全てが夢になって蘇ってくる。

 そこで支えてくれたのは仲間たちだった。兵士たちは彼の苦しみを理解し、傍にいて励ましてくれた。

 だから、一人で背負う必要はない。周りを頼ればいい――。

 そう言うべきなのに、ライルは口を開くことができなかった。

 アリシアが他の人を頼っているところを想像した瞬間、何故か胸が締め付けられる。その役目は自分であるべきだ、と心のどこかが叫んでいるのだ。

 気づけば、ライルはその感情のままに言葉を口にしていた。


「俺を、頼ってくれればいい」


 その言葉にアリシアは目を見開いた。濡れた瞳が微かに揺れ、その唇から小さな吐息がこぼれる。その瞳を見つめ返しながら、ライルは彼女の手を引く。

 そして揺れた小さな身体を、ライルは自身の胸の中に抱き寄せた。


「苦しくて、忘れられないことがあるなら――俺の胸の中で癒せばいい」


 アリシアは胸の中でじっとしてその言葉に耳を傾けていた。やがて、彼女は小さく吐息をこぼすと、おずおずと胸の中で視線を上げてライルを見上げる。


「そんなこと……言って、いいんですか?」

「ああ、二言はない」

「言質を与えたら、私、遠慮なく甘えます。先輩を、独占するかも」

「公私を混同しなければ、それでいい」

「つまり、私的な場、なら――?」

「俺が傍にいてやる。その代わり、アリシアを離さないかもしれないが」


 言葉を続けるうちに、自分の気持ちに気づかされる。


 何故、アリシアを自分の傍に置こうと思ったのか。

 何故、アリシアが他の兵と話しているともやもやするのか。

 何故、アリシアの笑顔を見ると、こんなにも胸が高鳴るのか。

 何故、アリシアと一緒にいたいとこんなにも願うのか――。


 今まで落ち着かなかった自身の気持ちや疑問の数々。

 それらが一つの答えに収束していき――胸の中ですとんと落ちた。


(ああ――そうか)


 アリシアのことが、こんなにも好きなのか。


 それに気づいたら、もう止まらなかった。

 腕の中にあるアリシアに対して愛おしさが込み上げてくる。その感情が赴くままに自然とライルは言葉を続けていた。


「だから、アリシア、一緒にいてくれるか。副官としてだけでなく、恋人として」

「――っ」


 その言葉を聞いた瞬間、アリシアの瞳が大きく見開いていた。彼女は食い入るようにライルを見上げ、切なげに瞳は揺れている。

 それに吸い込まれるように、ライルはそっと顔を近づけて。


 唇が、触れ合った。


 それはほんの一瞬――だが、長い時間、触れ合っているように感じられた。唇を離して改めてアリシアの顔を見れば、その表情はどこか恍惚としていた。

 頬は朱に染まり、瞳はライルを捉えて離さない。星明りさえ映しそうな美しい瞳に、ライルは束の間、目を奪われてしまう。

 アリシアはそのまま自分の柔らかい唇を確かめるようにそっと指先でなぞる。

 それから自身の認識を疑うようにぽつりと言葉をこぼした。


「……夢?」

「では、ないな」

「なら、もう一度――」


 その言葉を塞ぐようにそっともう一度、唇にキスを落とした。触れ合いの中で彼女の柔らかさを実感しつつ、唇を離す。アリシアは吐息をこぼしながら物欲しげに瞳を揺らす。それに応えるようにライルはさらにキスを繰り返す。

 気が付けば、互いの身体は寒空の下でも熱を充分に帯びていた。


「ライル先輩」

「ん、何だ?」

「ふふ、呼んでみただけです」


 何度も確かめ合うようなキスを繰り返した後、アリシアはすっかりご満悦そうな表情でライルの隣に腰を下ろしていた。

 ライルはその彼女の目を見つめて微笑めば、彼女は幸せそうに目を細めた。


「夢みたいです。こうして私的にもライル先輩のお傍にいられるなんて」

「俺も、まさかこんな風になるとは思わなかった。それに――」


 手を伸ばし、アリシアの肩を抱き寄せる。あ、と嬉しそうに声をこぼした彼女の瞳を見つめながら、ライルは少しだけ苦笑する。


「――こんなにアリシアを独占したいと思うようになるとはな」

「ふふっ、心配しなくても私はライル先輩のものですよ。身も心も」


 アリシアは心から幸せそうな口調で言うと、ライルの胸に身を寄せて目を細める。


「ずっと、貴方に惹かれていました。だから、今、すごく幸せです」

「――ずっと、か」

「はい、学院の頃からずっと」


 ライルは空を見上げながら、アリシアと過ごした学院生活の日々を思い返す。

 アリシアはいつだって剣の鍛錬や軍略の勉強に熱心だった。また曲がったことが許せず、貴族と平民のトラブルにもよく介入していた。

 それにライルは振り回されながらも、飽きない日々を過ごしていた。


(もしかしたら――その頃から、俺も惹かれていたのかもな)


 そのせいか、卒業後もふとしたときにアリシアのことを思い出していた。ここに彼女がいたらどう考えただろうか、どう行動しただろうか――。

 思わず目を細めると、アリシアがライルの目を覗き込みながら首を傾げる。


「もしかして、学院のことを思い出していました?」

「ご明察だ。いつも必死だったアリシアのことをな」

「……そんなに必死でしたか?」

「ああ、本を抱えて走り回っていたと思えば、俺を見ると慌てて姿勢を正して……」

「そ、そんな些細なことを覚えているんですかっ、もうっ」


 アリシアは怒ったように胸を叩いてくるが、その瞳は幸せそうに潤んでいる。ライルはその頬を撫でながら軽く笑うと、言葉を続けた。


「おかげで退屈はしなかったな。一緒にいて楽しかったことをよく覚えている」


 そこで言葉を切ると、アリシアの瞳を見つめながら訊ねた。


「――これからも傍にいてくれるか?」

「愚問ですね。先輩――私は副官で、貴方の恋人なんですから」


 その言葉はあまりにも晴れやかで嬉しそうなのが、とても印象的だった。











   ◆


(ふふ……っ、やった、まさかライル先輩から告白してくれるなんて)


 アリシアはライルの腕に抱かれながら、心からこみ上げる歓喜を噛みしめていた。

 いずれは自身から想いを告げようとは思っていた。ただ、それには彼女自身、まだ自分の実力が届いていないと考えていたのだ。

 ライル・ベルガルトはそれほどの存在である、とアリシアは考えていた。


 彼女がライルのことを知ったのは、入学してすぐだった。

 同じクラスの平民の生徒たちが、彼のことを話しているのを耳にしたのだ。

 曰く、平民ながらに貴族と渡り合える実力の先輩がいる、と。

 興味を抱いた彼女は早速、ライルに会いに足を運んだ。その当時は彼と知り合い、あわよくば将来の部下にしようとしか考えていなかった。


 だが、その考えはすぐに打ち崩された。


 剣を握れば圧倒的に強く、それでいてその強さを誇示することはない。

 平民でも貴族でも等しく向き合い、相手のことを理解しようと努める懐の広さ。なんだかんだで面倒くさがる素振りを見せながらも、きちんと付き合ってくれる。

 強さと優しさが両立したその存在に、アリシアはたちまち魅了されてしまった。


(この人をずっと傍で支えたい――)


 いつしかそう願うようになり、学院では機会があれば傍に行き、手助けできるようにした。また彼のことは知ろうと、様々な人にそれとなく聞いた。

 彼の好物も、習慣も、趣味も――些細なことまで知りたくなった。

 それには彼自身も気づいたようだが、あまり気にした素振りもなかった。


『俺のことを知りたいなら、俺に直接聞けばいいものを』

『ま、面白いことは何もないけどな』


 そう言いながら彼女の質問に真面目に逐一答えてくれた。そういった鷹揚なところもアリシアはますます惚れ込んでいった。


(こんなに付き纏われたら鬱陶しがるか、不気味がると思うのに)


 自分でも冷静になって思ったほどだ。これは尾行に等しいの(ストーカー)では? と。

 だが、やはり彼は気にしない。まぁ、そういうものだろう、と適当に納得してくれた。一方で害意を持つ存在には敏感なところを見ると、ただ鈍感というわけではない。

 どうやら、きちんと敵味方の区別をつけ、対応しているようで。

 アリシアは、彼から信頼されている、ということも実感できた。


(とはいえ、良からぬ者を近づけないようにしないと――)


 いつしか、アリシアはライルの影で気づかれないように動いていた。

 彼は座学の成績は振るわないものの、実力は学年随一。それだけに様々な人々が彼に目をつけた。彼の活躍を疎む者はもちろん、彼を自分の派閥に取り入れようとする貴族たち、反体制派を標榜する学生たち――様々な者が彼に近寄ってくる。

 それをアリシアはひたすら排除し続けてきた。

 時に実家のローズライト家の力も借りながら、彼の学生生活を邪魔しないように。


 表向きは彼を慕う一人の後輩として、無邪気に日常を楽しみながら。

 裏では彼に近づいて害さんとする者を冷徹に排除し続ける。

 そんな日々を過ごした日常も終わりが近づきつつあった。

 彼が卒業する日々が、来たのである。


 その日、アリシアは彼にありったけの感謝を込め、一つの贈り物をした。

 それは一振りの剣。彼がいつも安物の剣を遣い、何度もへし折って来た。それを密かに回収していたアリシアはそれを分析し、彼に相応しい剣を注文していた。

 彼の腕の長さ、手の大きさ、体格、そして剣術、身体の使い方――。

 それらに合った、最適化された剣。

 金に糸目は付けず、ローズライト家の力をふんだんに使った。それを渡しながら、アリシアは彼に誓いの言葉を立てた。


『先輩が困ったときは絶対に助けになりますから――必ず、ですよ』

『それはありがたいな。なら、そのときは代わりにアリシアの望みを何でも聞くよ』

『――何でも、ですか?』

『無論、俺にできることに限られるがね』

『なら、約束です。そのときはきっと』


 それから、アリシアはひたすら待ち続けた。

 彼の実力ならばいずれかの局面が訪れるはずだった。

 一つはその実力を認められ、大いに出世する可能性。

 もう一つはその実力を疎まれ、窮地に追いやられる可能性。

 その時は必ずや約束を果たし、助けに行くつもりだった。彼女自身は卒業後、近衛軍に所属して人脈を構築しつつも、一方でローズライト家が抱える密偵を放ち、彼の動向は逐一報告させ続けた。


 そして、その時は訪れた。


 彼が戦功によって将軍位に封じられ、辺境への赴任が決定した。

 それを聞いた瞬間、アリシアは耳を疑い、呆れ返った。彼のような逸材を辺境に封じるとはどういう了見だろうか、と。

 密偵の報告によれば、その地は荒れ果てた大地が広がる場であり、定住する人間がほとんどいない環境。拠点となる城砦も廃墟同然だという。

 兵もごくわずか。予算も雀の涙――左遷人事なのは、誰が見ても明らかだった。

 ならば、とアリシアはすぐさま動いた。近衛軍から彼の配下になるように異動の申請を出したのである。


 当然、近衛軍内では大いに混乱が広がった。

 名門貴族のローズライト家の子女が突然、左遷される将軍の軍への異動を申請したのである。当然、実家には報告が飛び、近衛軍の将軍はアリシアを説得しにかかった。

 だが、アリシアは説得に揺るがない。

 当然だった。出世が確約されていたとしても、そこにはライルがいない。それならば、今すぐライルを助けに行くべきだと判断していた。

 それに最後まで反対し続けたのは、実家の父だった。

 彼はアリシアを呼び出すと、延々と説教を述べた挙句、信じられない言葉を口にしていた。


『どこぞの馬の骨とも知らぬ平民の成り上がり将軍の部下になるだと? ふざけるのにも大概にしろ。お前は家の利益のために大人しく従えばいいのだ』


 その言葉に、アリシアは完全に堪忍袋の緒が切れていた。

 彼女は気づけば、鞘ごと引き抜いた剣で父の顔を殴り飛ばしていた。鞘から刃を抜かなかったのは、ほんのわずかな理性が働いた結果だった。

 彼女は地面に転がった父を見下し、ため息をこぼす。

 こうなることも彼女は想定していた。

 想定していたのならば――対策も難しくはない。


『兄上、どうやら父上はご乱心の病気のようです』

『うむ、そのようだな。ご療養いただくとしよう』

『な、何を言っているんだ、お前たちは――むぐっ』


 アリシアの息のかかった兵士――密偵たちが抗議の声を上げた父の口を塞ぎ、担ぎ上げて執務室から追い出す。代わってその席についたのは、彼女の兄だった。

 傍にいる母も何も言わず、父の側近も額を抑えてため息をつくだけ――。

 全て根回しは終えていたのだ。知らなかったのは頭の固い父だけ。

 その父は今、押し込められ、椅子には兄が座っている。満足げにその椅子を確かめる彼に、アリシアは静かに告げる。


『兄上、お分かりだと思っていますが』

『ああ、分かっている。アリシア、好きにするといい』

『ありがとうございます。兄上』

『――と、一つだけいいか。アリシア』

『……? はい、何でしょうか』

『ライル将軍を、逃すんじゃないぞ。絶対にお前のものにしろ』


 そう告げた兄はアリシアの心情をしっかりと理解し、不敵に笑っていた。

 ありがたい、と心からアリシアは思う。兄は妹の我が儘を聞き遂げ、いわばクーデターまで起こしてくれたのだ。その上、ここまで応援してくれるとは。

 当然、損得勘定もあるだろう。ここまでしでかした以上、何としてでもライル・ベルガルト将軍をローズライト家の味方にしておきたい、という気持ちもあるはず。

 そうだとしても、暴挙に踏み切った兄には感謝しかなかった。


 かくしてアリシアは自身の要望を認めない父を押し込め、兄を当主にすることで強引に異動を認めさせた。ちなみに現在、表向き父は病気であり、兄が当主代行を務めているということにはなっている。

 だが、正式に兄が当主の座を継ぐのは時間の問題だろう。兄もそれなりに敏腕であり、ローズライト家の新当主としての地盤を着々と固めている。

 それどころか、兄はライル将軍を大々的に支援してくれている。


 全ては、妹の気持ちを成就させるために。


(――ありがとうございます。兄上。今、念願叶って私はこの人の傍に)


 ライルの腕の中でこれまでの苦労を噛みしめる。

 城砦内でも苦労を重ねた。何せ、ライルは有能な武人である。アリシアが近衛軍にいる間でも前線で身体を鍛え上げ、逞しくなっていたのだ。

 その彼の魅力に魅了され、我を失いそうになったことが何度あったことか。

 それでも誘惑には抗えず、隣に吸い寄せられることもあった。

 彼が使った手拭いをこっそりと拝借したい衝動に駆られたこともあった。

 近づいたからこそ、凄まじい誘惑――それを制するには今までにない理性が必要だったのだ。彼に嫌われ、副官から外されたら元も子もない。

 必死に耐えながら、彼に釣り合う人間になれるように努力し続けてきた。


(それがようやく実っている――)


 もう我慢する必要はない。

 そう思いながら慎重に彼の身体を抱き締めれば、彼もしっかりとアリシアを抱き寄せてくれる。それに胸が熱くなりながら、アリシアは耳元で囁いた。


「絶対、二度と離れませんからね。ライル先輩」

「その言葉、そっくりそのまま返すぞ。アリシア」


 独占欲丸出しの低い声に思わずぞくりとする。それに恍惚としながらアリシアは再びねだるように唇を差し出した。


 好きな人を追いかけた果てに辿り着いた、この辺境の大地。

 どんな場所であっても、この人に尽くせるならば心から幸せになれる。

 そんな確信が愛おしさと共に込み上げていた。


 その二人を祝福するように、荒原を照らす星明りが煌めき続けていた。

こちらの作品は以下の作品を短編仕様に編集した作品になります。

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面白かった、続きが気になる、詳しく読みたい、という方は長編版もご覧いただければ幸いです。

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