心を売る花屋
その花は人の心を咲かせ、人の命を枯らす。
仕事の関係でいつもは使わない小さな駅に降りた。
今日の仕事は終わったことだし、折角来たんだ、少し散策してみようと静かな住宅地を抜けた先に──それはあった。
お洒落なアンティーク家具でも売っていそうな雰囲気のある、薄暗くて古びた店だった。
遠目に店内を覗くと無数の光が輝いている。
古いランプでも売っているのだろうか?
俺は思わず店内に足を踏み入れた。
「──いらっしゃいませ。」
静かな店内の入り口に響いた俺の靴音に気付いた店主が奥から出て来た。
白髪で白い髭を蓄えた、品の良さそうな老人だ。
店内に入った俺は驚いた。
遠目で見えた光はランプの灯りではなく、鉢植えに飾られた無数の花だったのだ。
見たこともない美しい花や、花に詳しくない俺でも分かるチューリップや朝顔なんかもある。
それらの花は赤、青、黄、紫などぼんやりと優しい光を放って咲き誇っていた。
「これは…本物の花ですか?」
近くに店主が来たので思わず問いかけた。
光る花なんて聞いたことがない。
「本物の花ですよ。でもこの花たちは、人々の心を花の形にしただけです。」
店主は穏やかに微笑みながら応えた。
よく分からない。
そんな心情が俺の顔に出ていたのか、店主は話を続ける。
「例えばこの花は、大失恋を経験した人の心です。綺麗な蒼でしょう。」
「はぁ。」
何と応えれば良いんだ。
「こっちは権力者の心。野心溢れるオレンジ色が滲み出ていますよね。」
「はぁ、はい。そうですね…。」
悪趣味だ。
やばい店に入ってしまった。
俺は後悔しながらさり気なく店主から距離を置く。
店内をぐるりと回ったら出よう。
俺は店内をわざとらしく見渡しながら急ぎすぎないようにゆっくりと歩みを進める。
そこでふと、店の奥の隅、まるで隠すかのように静かに置かれている花を一つ見つけた。
目を凝らして見ると、それは朧げに妖しく赤く光る、彼岸花だった。
何故だろう、目が離せない。
「あの、すいません。あれって…。」
思わず店主に訊ねてしまう。
店主は顔を顰めた。
「すいません。あれは非売品です。」
キッパリと店主に言われた。
そうか、残念だ。
しかし俺は何故かこの彼岸花のことが知りたくて堪らなくなった。
この花を手に入れたい。
「いくらですか?」
「…すいません。あの花は売れません。」
店主は譲らなかった。
「あの花は誰の心なんですか?教えてください。」
俺は何故こんなにもムキになっているのだろう。
自分でも分からないが、突然あの彼岸花が欲しくなったのだ。
以前から求めていたような気がする。
やっと出逢えた運命の人のように。
あの花が欲しい。
どうして?分からない。でも欲しい。
どうしても。いくら払っても。何をしても。
「あの彼岸花は──心を持たない怪物の心です。」
「心を持たない怪物の心?」
思わずオウム返しに聞いてしまう。
それって矛盾してないか?
「はい、それ以外のことは分かりません。
しかしあの彼岸花は人の心を惑わせます。
現にほら、今あなたはあの花に魅入られかけています。…あまり見ない方が良いですよ。」
店主は俺を本気で心配してくれているようだった。
「大丈夫ですよ。俺、メンタル強いんです。」
俺は和やかに笑った。
そう。俺はメンタルも強いし、花に魅入られるなんて馬鹿馬鹿しい。
ただ彼岸花が欲しいだけ。ただ、それだけ。
買いたい。売らない。
お互い結構な時間睨み合っていたが、結局は店主が折れ、俺は念願の彼岸花を手に入れることができた。
その代わり、店主に一つ約束させられた。
“俺の身に何かあったら必ず彼岸花を店へ返却すること。”
念書まで書かされたが、当の俺は彼岸花を手に入れた喜びのあまり、話半分にしか店主の話を聞いていなかった。
「──命までは取られないようにしてくださいね。」
そんな恐ろしい忠告すらも。
あの日から俺の暮らしは変わった。
あの彼岸花が愛おしくて堪らない。
朝起きたら一番に花を見て、水道水ではなくネットで買った不純物0の澄んだ水を与えた。
夜は寝るのが惜しくて倒れるギリギリまで目を開けながら花のそばにいる。
休みの日は何処にも行かずに何も食べずにずっと花を見ている。
ぼんやりと赤い彼岸花はたまに強弱を付けて光り、俺の献身を喜んでくれているかのようだった。
心を持たない怪物の心?
そんな訳ない。
心を持たなければ、こんなにも人を惹きつけられない。
俺には分かる。俺だけは分かってあげられる。
大丈夫、俺が一生そばにいる。
あれから一年。
彼岸花は──あの店に戻っていた。
店主はため息をつく。
「全く…貴方は本当に悪い方ですね。」
目の前の彼岸花に向かって恨み言の一つでも言わなければ気が済まない。
彼岸花は、あの男性が購入したときよりも更に人を惑わす妖艶な光を放っているようだった。
念書を書かせておいて良かった。
店主はほっと胸を撫で下ろした。
彼岸花は彼の命を刈り取る前にこの店へ戻された。
食事も睡眠も殆ど摂らずに彼岸花を愛で続けた彼は、衰弱死直前で病院へ搬送されたらしい。
今は意識不明のようだが、目が覚めたらこの彼岸花を探すのだろうか。
彼岸花がないことに絶望して、もしかしたら命を絶ってしまうかもしれない。
そんな人たちを店主は何人も見て来た。
この彼岸花は棄ててもいつの間にか店に戻って来る。
店の奥に隠しても、目を付けた人間の前にさり気なく現れる。とても厄介な花だ。
心を持たない怪物の心は、心を持たぬ故に、人の心を弄ぶことを愉しんでいるようだった。
店主は彼岸花に話しかけ続けた。
「生前の貴方がどんな方かは存じ上げませんが、きっと──誰もが命を捧げてしまうような傾国の美女だったのでしょう。いや、美男ですか?」
彼岸花は嘲笑うかのように妖しい光を明滅させていた。
「──まぁ、どちらにせよ私は御免ですが。」
店主が珈琲を一口飲むと店の入り口で音がした。
若い女性のお客様だ。
「すいません、何かふと見えたその花が凄く綺麗だったので見せていただきたくて…。」
店主は呆気に取られ、彼岸花をジロリと睨んだ。
彼岸花は静かに嗤うように、赤くぼんやりと光っていた。
〈終〉




