十七話『裁量』
その晩、家族が寝たのを確認しては俺はいつもの様に黒い服を身に纏い、ナイフを握りしめ外へ出る。警戒が高まっているこの街では、暫く殺人は不可能だろう。かといって遠くに行けば逃走の難易度が高い。やはり電車一本で行ける距離が限界だろう。だが続ければ続けるだけボロが出てくる。俺が捕まれば全てが終わりだ。その時は本当にサユリが俺のために死ぬかもしれない。回避したいのはそれだけだ。サユリが俺を愛しているのは断定できる。後は俺がサユリを守りきるだけ。それだけで俺が人を殺しているこの状況への理由が生まれる。ホノカは浮遊しながら、「殺人にも慣れが出てきたな。お前は立派な死神になれる。迷わずこのまま殺しを続けてくれ」と俺に言った。いいや、人殺しに慣れなんてあってはならない。だけど、当初より罪悪感が薄れつつあるのは確かだ。自分を責めるような幻聴を聞いたり殺した人間の幻覚を見る頻度は徐々に減って来ている。感覚が麻痺してきているのだろう。今日は逆方向の電車に乗り込む。俺は本当に、交通費までかけて何をしているんだろうか。疲れ果てたサラリーマンや死んだ目をした乗客が下を向いて席に座る。
はぁ、本当に狂ってる。一度売れたものを一生擦り続けるたいして面白くも無い芸能コンテンツや一部の才能を持っている人間だけが死ぬまで過度に評価される創作物が蔓延するせいでこの世界は楽しいものだと大多数の人間が誤認しているが実態はこれだ。楽しいとか、面白いとか、そんな感情はあまりにも残酷で救いのない現実世界から逃れるための一時的な自己防衛反応に過ぎない。つまりは脳内麻薬だ。人間と言う生き物は結局のところ、生まれた瞬間に運命づけられた人生に翻弄して"自分がどう救われるか"そんな考えしか持っていない。『吉祥寺~吉祥寺~。』思考を巡らせていたら、アナウンスが流れる。どうやら今夜の舞台に辿り着いたようだ。吉祥寺駅を出ると、ホノカが何かを察する。「警備が多いな」ホノカの台詞に「まさかこんなとこまで……」と苦笑する。電車の中は死んだ顔したサラリーマンばかりだったと言うのに、駅の外は夜間であるせいか、カップルが増殖していた。
……気持ち悪い。自分にもサユリと言う最愛の女性がいながら、最初に脳裏に浮かんだ言葉はそれだった。吉祥寺駅を外れ、人が少ない住宅街に入る。さすがは高級住宅街、吉祥寺。スマホを見て周囲を気にしない男性が一人で歩いていた。ジャカジャカと音漏れした音楽が聞こえてくる。全く、そんな大音量で音楽を聞いて耳を壊さないのだろうか。俺は男性の背後からナイフを振り上げる。その途端、着信音が鳴り響く。ナイフをポケットにしまい、電話を取る。男性は俺に気づかず歩いて去っていく。全く、こんな時になんの電話だ。迷惑だな。スマホには、サユリ。と表示される。何事だろうか。「サユリ?」俺が電話に出ると、『カガミ、ごめん。変な夢見て怖くて眠れなくて……』とサユリの声。「へえ、どんな夢だったんだ?」俺は無意識にサユリの恐怖を聞き取ろうとする。『……私の前からカガミがいなくなっちゃうようなそんな……そんな事ないよね??? カガミは私のそばにいてくれるよね……私はカガミを失うのが何よりも……一番……怖いよ……』
嗚呼、そういう事か。俺はさほどサユリに大切にされて無いのかもしれない。確信にはしたくないが。馬鹿だな、俺も。「大丈夫だよ。」俺はサユリを優しい声で宥める。「俺はサユリの前からいなくなったりしない」なんだか薄っぺらい。在り来りな台詞を綴るBOTみたいだ。『絶対だよ』そういうと、サユリは一方的に電話を切る。「カガミ。今夜も人を殺さないとまた犠牲者が出るぞ」横から入るホノカの声の後、俺は「わかってる」とまた標的を探す。出来る限り簡単に仕留められる抵抗しなさそうな人間を選別しなければならない。強そうな男は駄目だ。抑えられたりでもしたら俺は抗えない。なら子供、いや。こんな時間に子供は歩いていない。なら誰だ、誰を殺すのが一番いい。街中を歩く人間の運命を俺が握っていると思うと、こんな残酷にも美しい俺の人生にも訳があったのかと満足する。だがこの満足を快感に変えてしまっては完璧な殺人犯に成り果ててしまう。そうなれば俺の価値も無意味になるだろう。俺はサユリの為に罪を背負っているんだ。サユリは何も知らないだろうが、全てが終わった後、自分が死ななくて良かったって俺を賞賛して欲しい。
……あれ? この殺しの終わりっていつなんだろうか。死ぬかもしれなかった人間を救ってきた俺は救われるのだろうか。考えたら余裕が無くなってくる。住宅街から駅へ向かう途中で、細身の金髪女性を見つける。決まりだ。今夜、この人が死ぬ。女性の背後からナイフを突きつけようとした時、女性は電話を取る。「ちょっとゆうくん~、帰るの遅れそ~、いい子に待っててくれる?」ゆうくんとは女性の彼氏だろうか。幸せそうな人もいたものだ。だけど、その幸せも今、俺の手によって砕け散る。さよなら、せめて痛みを感じないように一撃で射止めてあげるから。俺はその女性にナイフを振りかざした。女性は目を見開く。「まさか……」俺が連続殺人犯だって、勘づいたのだろうか??? 女性は俺の方を見ながら力無く倒れた。俺は走ってその場から逃走する。段々、この殺人劇が"俺の意思"に切り替わって無いか? いや、そんなはずは……。




