十一話『煌めきの中で』
すやすやとサユリの膝の上で眠る。サユリが頬を撫でてきたことで俺は目覚めた。
「おはよう。」
サユリは俺の額に優しくキスする。じわぁ、と身体が温まる。
「ぅ…サユリ…」
俺はサユリを抱き締める。サユリは、「ちょ、カガミ…」と頬を赤く染める。そしてまた涙が止まらなくなる。
サユリは俺の頭を優しくポンポン、と二回叩いた。
「俺…絶対…なにがあろうと…サユリを…サユリを守るから…」
本心を伝える。無意識だったが、今の俺はだいぶメンタルがボロボロらしい。
「ふふッ、カガミは私の王子様だね?」
花のような笑みを浮べるサユリ。その笑顔が俺には眩しくて、少し辛かった。
「…俺で本当にいいのか??」
俺はサユリを見上げる。
「カガミがいいの。私がずっとそばにいてあげるから。私の前からいなくならないで」
サユリは俺の手と自分の手を重ねた。
「それに、私をここまで惚れさせたのはカガミだよ。責任取って貰うんだから。」
サユリの優しさに、依存してしまいそうになる。俺は、単純だ。
「安心した?」
こちらを見るサユリ。
俺は、「なぁ…」と目を閉じてキスを要求する。
「可愛い、」
サユリは俺の頭を撫でたあと、甘いキスを俺の唇に落とした。何度も、何度も、罪悪感を掻き消すようにキスを繰り返す。
「ッはぁ……」
お互いに唇を離して、息を整える。
「弱くてもいいんだよ。かっこつけなくていいの。ただそこにいるだけでいいの。少なくとも、カガミがいないと、私は生きていけないから」
サユリの言葉に、また目に涙を溜める。
「サユリ…」
俺はサユリの名を呼ぶ。
「ん?」
サユリが首を傾げた。
「俺は人を─────!!」
と素直にサユリに白状しようとした時、
ガチャ。
と父さんが帰ってくる音がした。
「あ!」
階段を駆け下りるサユリ。俺もその後を追う。
「お邪魔してま~す。」
サユリは父さんにぺこっとお辞儀する。
「嗚呼、サユリちゃんか。カレンの葬式以来だな」
と父さんもサユリの挨拶に言葉を返した。
「それよりあなた平気なの?仕事のほうは順調?」
父さんを心配する母さん。父さんは、
「昨晩この辺りで起きた殺人事件の捜査がはじまったところだ…。まだ犯人が逃走中でな…明日は帰れそうにない」
と少し疲れたような表情を浮かべる。
「その事件って…この家からすぐそこの…」
と母さんが言うと、サユリは、
「倒れてたんですよね?女の人が。なんだか嫌だな…ここ最近、私たちの周りで事件ばかり起きているような…」
と乾いた笑みを浮かべる。
父さんは、
「だがサユリちゃん。大丈夫だ。私は警察。桜の代紋の名のもとに、必ず全ての悪事は暴いてみせる」
と得意げに語る。
「…」
俺は拳をキュッと握る。父さんの正義感に泥を塗る行為をしているんだ。いっそ大衆に責められてしまいたい。こんな不幸の連鎖から解放されるならそれもいい。
「カガミ。」
父さんは俺の名を呼ぶ。俺は顔を上げた。
「なにかあればすぐ私に言いなさい。家族を守るのは一家の大黒柱である私の使命だ。」
父さんの言葉に、俺は「うん、」と頷いた。
「さあ、ご飯出来てるわよ。サユリちゃんも食べて食べて」
母さんが全員分の食事を用意する。
ドクンッ。
心臓が急に脈打つ。
「ハッ……」
全ての運命が狂ったあの日と、似た光景に記憶がフラッシュバックする。
「ぅ"…ぅう"…」
立っていた俺は、前屈みになるように体勢を崩す。
『カガミ!?』
母さんとサユリが声を合わせて俺に近づく。
「どうした、カガミ、大丈夫か」
父さんは俺の背中を摩る。
「…ッはぁ…はぁ…はぁ…」
またしても過呼吸状態になる俺。
「病院へ…」
父さんの言葉に、
「駄目だ!!!!」
と俺は叫ぶ。
「ダメなんだ…そんなことしたら母さんも…父さんも…サユリだって…」
と涙を溜める。
「休んでなさい。」
「ご飯は…またあとで食べるよ」
母さんに言われ、俺は階段をトボトボと上がっていく。
おかしい。おかしい。以前なら平然としていられたのに、些細なことで気が狂う。これが地獄か。
部屋に入ると、ホノカがぬいぐるみを抱き締めながら久しぶりに姿を現す。
「今日は殺しに行かないのか?」
ホノカが呟く。
「食事を取ったあといくつもりだよ…」
俺は淡々と答えた。
「今のお前を蝕んでいるのは罪悪感。そうだろ?」
ホノカは口角を上げながらこちらを見る。
「嗚呼」
俺は俯きながら答えた。
「罪悪感なんて次第に薄れていくものだ。お前はサユリを、みんなを守りたいのが最優先のはずだろう?目的は達成出来ているんだからいいじゃないか。」
ホノカは自分の髪を指先で遊びながら俺に言った。
「それともなんだ?人を殺すのが怖いか?捕まるのが怖いか?」
「……どっちも、だよ。」
搾り出すように言うと、ホノカはふっと目を細めた。まるで俺の弱さを弄ぶように、膝に抱えたぬいぐるみの耳をくに、と引っ張る。
「可愛いんだな、カガミは。弱くて、臆病で、でも守りたい誰かだけは離さないんだもんな?」
馬鹿にしているようで、どこか慈しむような声。だから余計に気味が悪い。
「……サユリに全部言ったほうが、楽なのかもしれない。」
口にしてみて、すぐ後悔した。これは言ってはいけない言葉だった。
ホノカはその言葉を待っていたみたいに、小さく肩を震わせて笑った。
「言ってみろ。『俺は人を殺しました』と。だが、サユリは泣くぞ。お前のことを拒絶するかもな。」
ホノカは俺の頬に手を添え、無理矢理視線を合わせてくる。
「もしそれでも、サユリがそれでもお前がいいって抱きしめたら……どうする?」
心臓が、嫌な意味で跳ねた。
想像してしまった。泣きながら、それでも俺を離さないサユリを。すべてを許して、それでも「好き」と言うサユリを。
そんな都合のいい夢、叶うはずがないのに。
「お前、俺を壊したいのか?」
俺はホノカを見上げる。思わず零れた問いに、ホノカはくす、と笑った。
「いっそ壊れてしまいたいのはお前のほうだろう?カガミ。」
俺はホノカの言葉にハッとする。図星だった。
「守るために殺した。罪悪感で壊れてる。逃げたい。でも失いたくない。矛盾まみれで、もうまともな判断なんて出来てない。」
ホノカは無機質に語る。
俺はどうすればいいのか、わからなくなる。だがホノカの言葉は、紛れもない現実だった。
「……じゃあ俺は、どうすればいいんだよ。」
縋るように問うと、ホノカはぬいぐるみを抱き直し、穏やかな笑みを浮かべた。そんな笑顔が、一番怖い。
「簡単な話だ。迷わなければいい。」
「迷わない……?」
「そう。守りたいなら守れ。殺したいなら殺せ。罪悪感なんて、サユリに抱きしめられるたびに薄くなる。忘れればいいんだよ、全部。」
ふわりと俺の肩にホノカが頭を預ける。やわらかく、人形のような重さ。
「なぁカガミ。次は誰を殺す?」
その問いが、喉に刺さって抜けなかった。返事ができないまま、部屋の時計だけが静かに秒を刻んでいた。




