第5話:実技試験は焚き火の前で
結局、雪村冬真は来てしまった。
翌朝午前10時、狸小路の【南3西5】ゲート前。昨日あれほど理不尽だと憤った『命令』に、いそいそと従っている自分が、少しだけ情けなかった。
なぜ来てしまったのか。半ば脅しのようなあの言葉に恐怖を感じたからか。それとも、あの女の、どこまでも真っ直ぐな瞳に、何かを期待してしまったからか。あるいは――昨夜、一人で食べたスープカレーが、いつもより少しだけ味気なく感じたせいかもしれない。
理由を考えても仕方がない。冬真がゲート前の壁に寄りかかってため息をついていると、約束の時間に寸分違わず、彼女は現れた。
「来たのね」
氷室凛は、昨日と同じく一切の無駄がない機能的な装備に身を包んでいた。その手には、白樺の木を削り出して作られた、美しい一本の杖が握られている。
「時間通り。評価するわ」
「……どうも」
「無駄話は不要よ。行くわよ」
凛はそれだけ言うと、ギルドカードをゲートにかざし、さっさとダンジョンの中へ入っていく。冬真は慌ててその後を追った。彼女の背中は、まるでこれから散歩にでも行くかのように落ち着いて見えたが、その周囲の空気は、すでに戦闘時のそれへと切り替わっている。
ダンジョンに入り、最初の広場で凛は立ち止まった。そして、冬真の方へ振り返る。
「これより、あなたの『実技試験』を開始する」
その空色の瞳は、値踏みするように冬真を捉えていた。
「私がモンスターを無力化する。あなたは、あなたのやり方で、そこから価値あるものを回収しなさい。あなたのスキルの有効性を、私に証明して見せるのよ」
「証明、ですか」
「そう。私とパーティーを組むに値するかどうか、私が判断する」
それは、あまりにも一方的で、傲岸不遜な物言いだった。だが、彼女がそう言うだけの自信と実力を持っていることも、冬真には嫌というほど伝わってきた。
試験は、すぐに始まった。
最初に現れたのは、三体のゴブリン。凛は杖を構えることすらしなかった。彼女が軽く指を振ると、三条の鋭い氷の矢――『氷穿』が生まれ、ゴブリンたちの急所を正確に射抜いた。昨夜、冬真が苦戦した相手が、ほんの一瞬で沈黙する。
「―――さあ、どうぞ」
凛が顎でしゃくる。冬真は黙ってゴブリンの亡骸に近づき、『味の探求者』を発動させた。半透明のウィンドウが開き、詳細な情報が流れ込んでくる。
「……一体はずれ。残り二体は、肉と骨にそれなりの価値あり、と」
冬真は解体用ナイフを抜き、手際よく作業を始めた。凛は、その様子を腕を組んで、じっと観察している。普通の探索者なら、まず皮を剥ぐのに手こずる。だが、冬真のナイフは、まるで縫い目をなぞるかのように、皮と肉の間を滑らかに進んでいく。数分後、価値のある部位だけが綺麗に切り分けられ、彼のポーチに収まった。
次に、ジャイアントラットの群れが現れた。凛は杖を軽く地面に突く。すると、床から氷の棘が無数に生え、ネズミたちの足を縫い止めた。
「どうかしら。これなら一体ずつ、ゆっくり見れるでしょう」
「……助かります」
冬真は一体ずつ鑑定していく。そして、すぐに声を上げた。
「右から二番目の個体、あれは『当たり』です。低確率で体内に生成される魔石を宿してる。他はハズレ。放置でいいです」
「放置?」
凛は訝しげに眉をひそめた。だが、冬真の言葉通り、その個体だけを仕留めて解体すると、果たして、その体内からはビー玉ほどの大きさの、鈍く光る魔石が出てきた。凛は、その魔石と冬真の顔を、驚いたように二、三度見比べた。
試験は続いた。
飛来する大蝙蝠の群れを、凛が氷の網で捕縛する。
冬真は鑑定し、叫ぶ。
「羽の付け根にある『風切り膜』だけ! あそこが高値で売れます。傷つけないように、関節を狙って!」
まるで、歴戦の司令塔のように。
凛は、最初は戸惑いながらも、次第に彼の指示に正確に従うようになっていった。その結果、わずか一時間ほどの探索で、冬真のポーチは、彼が一人で一日かけて稼ぐのと同等か、それ以上の価値を持つ素材で満たされていた。
凛の戦闘と、冬真の鑑定。
破壊のプロと、価値を見抜くプロ。
二つの全く異質な才能が組み合わさった時、そこには奇妙な化学反応が生まれていた。凛は、その事実を認めざるを得なかった。戦闘能力は皆無に等しい。だが、こと『収益の最大化』という一点において、この男の右に出る者はいないのではないか。
彼女の合理的な思考が、雪村冬真という存在を、パーティーの『資産』として、正しく評価し始めていた。
ある程度開けた場所で、凛は「……今日のところは、ここまででいいわ」と、唐突に試験の終了を告げた。
ダンジョンの中、二人の間に沈黙が流れる。
冬真は、ゴクリと喉を鳴らした。これから、審判が下される。パーティーを組むのか、組まないのか。
凛は何かを言いかけ、わずかに口を開いた。
その、瞬間だった。
「ぐぅぅぅぅぅぅぅ…………」
静寂に満ちたダンジョンの中に、あまりにも盛大で、間の抜けた音が響き渡った。
音の発生源は、言うまでもなく、冬真の腹の虫だった。
シリアスな空気は、一瞬で霧散した。凛は、鳩が豆鉄砲を食らったような顔で、目をぱちくりさせている。
冬真は、照れるでもなく、悪びれもせずに言った。
「あ、すみません。もう限界みたいだ」
「…………」
「腹が減っては戦はできぬ、と言いますし。ちょっと休憩しませんか?」
そう言うと、冬真はバックパックを地面に下ろし、中をごそごそと漁り始めた。そして、おもむろに取り出したのは、使い込まれて黒光りする小型の鉄板と、固形燃料。さらには、丁寧に油紙に包まれた、何か。
「せっかくなんで、何か作りますよ。今日の初収穫、祝わないと」
「は……?」
予想の斜め上を行く行動に、氷の魔女は、ただ呆然と立ち尽くすしかなかった。
彼女の目の前で、男は慣れた手つきで固形燃料に火をつけ、まるでこれから世界で最も素晴らしい料理を始めるかのように、目を輝かせていた。