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第3話:氷の魔女はため息をつく

 B級探索者、氷室凛ひむろ りんは、ため息をついた。

 彼女が放った氷の礫が、最後のゴブリンの眉間を寸分の狂いもなく穿ち、その生命活動を沈黙させる。魔力の消費は最小。戦闘時間は、索敵開始からわずか十数秒。完璧な作業だった。

 しかし、彼女の口から漏れたのは、達成感ではなく、やはり冷めたため息だった。


 周囲には、彼女の魔法によって無力化されたモンスターの亡骸が五体、芸術的なオブジェのように転がっている。いずれも急所を一撃で貫かれ、過剰な破壊は一切ない。これもまた、完璧な作業の結果だ。


 B級である彼女が、なぜ狸小路のような低級ダンジョンにいるのか。それには、二つの理由があった。一つは、新しく編み出した氷結魔法――『氷穿アイスランス』の精度調整。そしてもう一つは、ソロ活動における金策効率の限界調査。

 そして、その調査結果は、今まさに彼女を苛立たせている問題そのものだった。


(問題は、この後よ……)


 凛は呟き、倒したゴブリンの前に屈み込んだ。

 このゴブリンがドロップする素材――皮、骨、そして稀に体内に宿る低級の魔石。それらを傷つけずに、かつ迅速に回収することが、探索者の収入に直結する。

 だが、凛のスキルは「破壊」と「無力化」に特化している。解体や素材鑑定は専門外だ。彼女は腰のナイフを抜き、不慣れな手つきで皮に刃を入れる。硬い皮膚と、その下の筋肉や腱。どこにナイフを入れればスムーズに剥げるのか、知識としては知っていても、実践はまるで違う。


 結局、ゴブリン一体の解体に、十五分近くを要した。戦闘時間の実に九十倍。話にならない。


(これでは、ダメ……)


 A級へ昇格するには、莫大な功績ポイントと、高ランクダンジョンに挑むための潤沢な資金が必要だ。戦闘能力は、すでにB級の中でも上位にいる自信がある。しかし、この金策効率の悪さが、常に彼女の足枷となっていた。パーティーを組めば解決する問題かもしれないが、凛はそれを好まなかった。他人のペースに合わせるのは非効率的だし、何より、実力の劣る者と組むのはストレスでしかない。


 苛立ちを押し殺し、彼女は再びダンジョンの奥へと進む。思考を戦闘に切り替え、索敵に集中する。

 だが、しばらく進むうちに、彼女は奇妙な違和感に気づいた。

 モンスターの気配が、ない。

 いや、正確には、つい先ほどまで居たはずのモンスターの気配が、綺麗に消えているのだ。


 注意深く周囲を観察すると、そこには戦闘の痕跡が残されていた。しかし、それは凛自身のものとは明らかに異質だった。過剰な破壊はなく、最小限の攻撃で仕留められている点は似ている。だが、決定的に違うのは、その『後処理』だった。


 モンスターの亡骸はある。しかし、価値のある素材だけが、まるで専門家のように綺麗に持ち去られているのだ。ジャイアントラットの尻尾の付け根の肉、ゴブリンの骨、そして普通なら見向きもされないような、壁に生えた特殊な苔やキノコまで。


(誰かが私の後を追っている? ……いいえ、違う)


 凛は痕跡を辿り、そのルート取りに眉をひそめた。この動きは、戦闘を前提としていない。まるで、最初から価値のある素材――それも、一般的な市場価値とは少し違う、奇妙な基準で選ばれた素材――の場所だけを知っているかのような、最短距離のルート。


(……一体、誰が?)


 凛は索敵スキルの感度を最大まで引き上げた。そして、一つの微かな気配を捉える。通路の、少し開けた場所。岩陰の向こう側だ。

 彼女は音もなく気配を消し、慎重に近づいていく。岩陰からそっと、中の様子を窺った。


 そこにいたのは、一人の男だった。

 見覚えのある、くたびれた装備。ぼさぼさの黒髪。昨夜、カレー屋で見かけた、あの男。

 彼は、戦っていなかった。

 ゴブリンの亡骸の前に屈み込み、小ぶりのナイフで何かを解体している。その手つきは、恐ろしく手際が良かった。迷いがなく、的確で、まるで何十年もその作業だけを繰り返してきた職人のように滑らかだ。

 男は肉と骨を丁寧に選り分けると、満足げに頷き、それをポーチに仕舞った。そして、おもむろに立ち上がると、今度は壁に生えている苔を、まるで高級な茶葉でも摘むかのように、そっと採取し始めた。


 凛は、その一連の光景を信じられない思いで見つめていた。

 あの男の動きには、探索者特有の殺気や緊張感がまるでない。

 まるで、庭師が庭の手入れをするように。

 あるいは、学者がフィールドワークに勤しむように。

 淡々と、しかしどこか楽しげに、彼はダンジョンの中から何かを『収穫』している。


(なんなの、あの男は……)


 装備はC級か、それ以下。戦闘能力も、気配を探る限り、お世辞にも高いとは言えない。

 だが、あの手際の良さ。あの的確なルート取り。

 それは、並の探索者には到底不可能な芸当だ。彼が持つスキルは、一体……?


 その時、男がふと顔を上げた。

 何かを探すように、きょろきょろと辺りを見回している。

 凛は咄嗟に岩陰に身を深く隠した。気配を消しているとはいえ、見つかれば面倒なことになる。


 だが、男の注意は彼女には向いていなかった。彼は、凛が先ほど通ってきた通路の奥――自分が通ってきた方向――を、じっと見つめているようだった。

 何かに、気づいたのだろうか。


 氷室凛は、岩陰からその奇妙な男の姿を、じっと見つめていた。

 非効率的で、理解不能で、そして何よりも――ひどく、気になった。

 彼女のB級探索者としての直感が、告げていた。

 あの男は、ただのC級じゃない、と。



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