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第28話:色のないラビリンス

 雪村冬真と氷室凛は、顔を見合わせ、固く頷いた。そして、二人の間に立つギルドの警備員が、何かを言う前に、固く封鎖されたゲートへと、その身を滑り込ませた。

 背後で、熊岸の「死ぬなよ」という、祈りのような声が聞こえた気がした。


 ゲートを抜けた瞬間、世界から、音が、色が、そして匂いが、消え失せた。


「……なんなの、ここは」


 凛が、思わず声を漏らした。

 彼らが立っていたのは、洞窟でも、森でもなかった。どこまでも続く、無機質な、灰色の回廊。床は、継ぎ目一つない、磨き上げられた石のような素材。壁や天井には、まるで巨大な機械の内部のような、意味不明の幾何学模様が、淡い灰色の光を放って、ゆっくりと明滅している。

 ダンジョン特有の、湿った土の匂いも、苔の匂いも、モンスターの気配さえも、一切しない。ただ、巨大なコンピューターのサーバー室のような、低く、単調なハム音が、空間を支配しているだけだった。


 そして、肌にまとわりつく、あの『瘴気』。

 それは、ここでは、もはや『瘴気』という生易しいものではなかった。空気が、重い。呼吸をするたびに、生命力そのものが、スポンジのように吸い取られていく感覚。


「氷室さん、大丈夫ですか」

「ええ……。でも、魔力の巡りが、ひどく悪い。まるで、水の中で、必死に呼吸しているみたいだわ」


 凛は、試しに、小さな光の玉を創り出す魔法を詠唱した。だが、彼女の手のひらに現れたのは、今にも消えそうな、弱々しく、そして色褪せた光球だった。


 冬真もまた、これまでにない感覚に襲われていた。彼の、世界を味わうための『舌』であるスキルが、完全に沈黙していたのだ。味が、しない。匂いが、しない。価値が、ない。彼の知覚する全てが、絶対的な『無』を示していた。

 だが、彼は、その『無』の中に、僅かな差異を見出した。

『味の探求者』を発動させる。鑑定ウィンドウは、ノイズ混じりで、正常に機能しない。だが、壊れかけたコンパスのように、ある一つの数値を、示し続けていた。


【瘴気濃度:87%】……【風味指数:0.02】


「……氷室さん、こっちです」


 冬真は、三つに分かれた通路のうち、左の道を示した。


「なぜ、そっちだとわかるの?」

「風味指数、という表示が出ています。右と真ん中は、0.01。でも、左だけ、0.02。ほんの僅かですが、こっちの方が、瘴気が薄い」


 凛は、驚いたように冬真を見た。そして、力なく笑った。


「そう。あなたの『眼』は、ここでは、ソナーになるのね」


 彼女は、白銀の杖を強く握りしめた。


「わかったわ。あなたが、私の眼になって。私は、あなたの剣になる」


 役割は、決まった。

 力なきナビゲーターと、視界を奪われたナイト。二人は、互いの存在だけを頼りに、この色のない迷宮の奥深くへと、進んでいった。


 しばらく歩くと、道は、巨大な円形の広間へと繋がっていた。

 その、広間の中央に、何かが立っている。

 それは、モンスターではなかった。

 人間ほどの大きさ。だが、その身体は、この迷宮の壁と同じ、のっぺりとした灰色の金属で作られていた。顔には、目も、鼻も、口もない。まるで、マネキン人形のような、無個性な人型。

 それが、一体、二体、三体……。広間の壁から、音もなく染み出すように、次々と現れる。


「……ゴーレム、じゃない。オートマトン……自律式の、守護者ね」


 凛が、杖を構える。


「生命反応も、魔力反応も、ない。私の索敵スキルには、何も引っかからないわ」


 オートマトンたちは、一斉に、その無機質な頭部を、二人の方へと向けた。そして、機械的な、寸分の狂いもない動きで、滑るように距離を詰めてくる。


「『アイスランス』!」


 凛が、牽制に放った氷の槍は、オートマトンの分厚い装甲に、カン、と甲高い音を立てて弾かれた。傷一つ、ついていない。


「硬い……!」


 オートマトンの一体が、その腕を、巨大な刃へと変形させ、凛に襲いかかる。凛は、それを、弱々しい氷の盾で、辛うじて受け止めた。だが、魔力を奪うこの空間では、彼女の防御も、長くはもたない。


「雪村くん!」

「今、やってます!」


 冬真は、猛烈な勢いで迫りくるオートマトンの一体に、意識を集中させていた。鑑定ウィンドウが、激しく明滅し、エラーを繰り返す。


(頼む、何か……何か、味気ないところを見つけてくれ!)


 そして、ついに、一瞬だけ、その構造情報が、クリアに表示された。


 [名称]浄化オートマトン MarkⅣ

 [素材]未知の合金(風味指数:0.00)

 [状態]稼働中。侵入者排除プロトコルを実行。

 [弱点]左肩関節下、三センチ。内部エネルギー伝導管の保護のため、その部位の装甲強度が、他より47%低下している。


「氷室さん!」


 冬真は、叫んだ。


「左肩! 関節の、少し下! そこだけ、他より脆い!」


 その言葉を、凛は、一瞬の迷いもなく信じた。

 彼女は、押し寄せるオートマトンの波を、最小限の動きでいなしながら、一体の懐へと潜り込む。そして、冬真が示した、ただ一点。その左肩の下へと、杖の先端を、まるで針を刺すかのように、的確に突き立てた。

 杖から、かろうじて練り上げた、小さな、しかし、極限まで鋭くした氷の棘が放たれる。


 ガキン! という鈍い音と共に、オートマトンの動きが、ぴたりと止まった。

 その左肩から、バチバチと青白い火花が散る。そして、巨体は、力なく前のめりに倒れ込み、動かなくなった。


「……やった!」


 冬真が、歓喜の声を上げる。

 だが、安堵したのも、束の間だった。

 一体を倒したことで、残りの全てのオートマトンが、彼らを、より危険な『脅威』と再認識したようだった。

 広間の壁から、さらに、十数体の無機質な守護者たちが、音もなく、現れ始めていた。


 二人は、完全に、包囲されていた。

 色のない迷宮の、本当の戦いは、今、始まったばかりだった。


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