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第12話:最初の食卓

『王の庭』の入り口で、二人はしばらく動けずにいた。肌を刺すようなプレッシャーと、計測不能という鑑定結果が、見えない壁となって彼らの行く手を阻んでいる。

 最初に沈黙を破ったのは、氷室凛だった。


「……今日は、これ以上進むのは危険ね。野営地を探すわよ」


 彼女の判断は、常に冷静で的確だ。雪村冬真も頷き、『味の探求者』を発動させる。彼の意識が、周囲の地形と自然の気配を探っていく。


「あっちに、小さな洞窟があります。風下で、入り口が狭いから防御もしやすい。近くに清水が湧いてる沢もある。今夜は、そこで休みましょう」


 冬真が指し示したのは、苔むした巨大な岩が重なり合った、一見するとただの岩場にしか見えない場所だった。だが、彼の『眼』には、そこがこの一帯で最も安全で価値のある『物件』だと映っていた。


 洞窟は、大人が二人、ようやく横になれる程度の広さだった。冬真が日中に集めておいた火付きの良い樹脂と枯れ木で手際よく焚き火を起こすと、湿った洞窟の中に、ぱちぱちと心地よい音と、頼もしい暖かさが広がっていく。その間、凛は洞窟の入り口に、低級の魔物避けの結界を張っていた。言葉を交わさずとも、二人の間には、それぞれの役割を理解し合った、スムーズな連携が生まれていた。


 洞窟の壁に、焚き火の炎が揺らめく二つの影を映し出す。天井から滴り落ちる水滴が、炎の光を反射して、星のようにきらめいた。

 やがて、冬真は「さて、と」と呟き、今日のディナーの準備を始めた。昨日買ったばかりのチタン製フライパンが、誇らしげに火にかけられる。


「本日のディナーは、オークの肩ロースのハーブ焼き。付け合わせに、森のキノコのバターソテーを」


 まるで高級レストランのシェフのように、冬真は宣言した。食材は、日中に凛がやむなく倒したオークの、最も肉質が良いとされた部位。そして、冬真が鑑定済みの安全なキノコたちだ。


 熱せられたフライパンの上で、厚切りのオーク肉が、じゅう、と食欲をそそる音を立てる。振りかけられた岩塩と、ダンジョン産のハーブの香りが、肉の焼ける香ばしい匂いと混じり合い、洞窟の中に充満していく。それは、文明の音が一切しないこの静寂な森で、唯一許された、生命のための祝祭の音楽だった。


 完成した料理が、二つのシェラカップに分けられる。こんがりと焼き目のついたオーク肉と、バターの香りを纏った数種類のキノコ。こんな場所で、これほどまでに完璧な、温かい食事ができるとは、凛は想像もしていなかった。

 彼女は、おそるおそる、オーク肉を口に運んだ。力強い歯ごたえ。噛みしめるほどに溢れ出す、野性味あふれる肉汁と旨味。それを、ハーブの爽やかな香りが引き締めている。信じられないほど、美味しかった。


 温かい食事は、日中の緊張と疲労でこわばっていた彼女の心と身体を、内側からゆっくりと溶かしていく。彼女は初めて、食事の時間を、単なる『エネルギー補給』ではなく、純粋な『楽しみ』として感じていた。


 食事を終え、焚き火の火を見つめながら、穏やかな沈黙が流れる。


「……氷室さんは、どうしてそんなに強いんですか?」


 冬真の素朴な問いに、凛は少しだけ驚いたように彼を見た。そして、揺らめく炎に視線を落とすと、ぽつり、ぽつりと語り始めた。


「……強くならなければ、いけなかったからよ」


 その声は、いつもより少しだけ、弱々しく聞こえた。


「昔……私が初めて組んだパーティーでの話。みんな、いい人たちだった。頼りになるリーダーもいた。でも……ある高難易度ダンジョンで、私たちは窮地に陥った。私の、判断ミスが原因で」


 彼女は、そこで言葉を区切った。その先を語るには、まだ、あまりにも痛みが大きすぎるようだった。


「私のせいで……守れなかった。私だけが、生き残った。だから、もう誰にも頼らないと決めたの。自分一人が、圧倒的に強ければ、もう誰も失わずに済むと思ったから」


 彼女の強さへの執着の根源。それは、拭い去れない後悔と、自分自身への罰だった。

 冬真は、何も言わなかった。気の利いた慰めの言葉も、安っぽい励ましも、今の彼女には不要だとわかっていたからだ。彼はただ、黙って焚き火に薪をくべ、火の粉が舞い上がるのを、凛と一緒に見つめていた。

 彼のその静かな態度が、何よりも、凛の心を少しだけ軽くしていた。


 シリアスで、少しだけ二人の距離が縮まった、その時だった。


 森の奥、グリズリーの縄張りとは明らかに違う方向から、ちらりと人工的な光が見えた。そして、風に乗って、品のない馬鹿笑いや、騒がしい音楽が、微かに、しかし確かに聞こえてきた。


 凛の表情が、一瞬で険しくなる。


「……こんな場所で、あんなに警戒心もなく騒ぐなんて。馬鹿か、よほどの自信家か」


 冬真が、その方向に意識を集中させる。『味の探求者』のウィンドウが、警告を発した。


 [対象]複数の人間の気配

 [状態]極めて警戒心が低い。

 [特記事項]極めて質の低い探索活動。周辺環境への配慮皆無。高価値な素材を多数見逃している。複数の違法改造罠の反応あり。


「氷室さん、あれってたぶん……」


 冬真が言いかけたところで、凛は忌々しげに頷いた。


「ええ、間違いないわ。最近、ギルドで噂になっている連中よ」


 その名は、金のためなら手段を選ばず、他の探索者とのトラブルも絶えないという、悪名高いパーティー。


「「―――『スカルバイパーズ』」」


 招かれざる闖入者の存在が、静かな夜の森に、新たな波乱の匂いを運んできていた。


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