一生に一度のお願い
―2023年―12月―31日―23時―59分―59秒―コンマ99―
その年、その日、その瞬間に、日本の人間の大部分が消失した。
死んだわけでもない、気絶して倒れたわけでもない。
ただ、消失し、忽然と姿を消したのだ。
日本の人間の大部分、という表現は曖昧が過ぎる。
厳密にいえば満ニ十歳以上の者が、全て消失したのだった。
日本では、感染症の影響などもあり、多い時には一日に4000人を超える人間が死亡している。その遺族の数を考えれば、途方もない人数が毎日悲しみに暮れていると言える。
しかし、それとは比にならない―――その数一億人の人間が昨日消えた。
多くのものは、死を悼むでも悲しむでもなく、ただ狂った。
本来ならばあって当然の日常は、本当に消えてしまったわけではないのだ、と妄信していた。逆に言えば、正常でいられるはずもなかった。
SNSにはこれを現実だと信じない人々が集まり、
#異世界到達
#謎の現象
#さっさと夢から覚めろ
などが瞬時にトレンド入りした。
動画配信サイトにはこの状況を面白可笑しく、或いはおどろおどろしく語る動画が溢れ、人々の心を扇動した。
混乱という言葉で済ませていいわけもない。狂気に満ちていた。
◇
ふと、全国のテレビが一斉に動き出した。
これまで、テレビ局を運営していた人間たちが消失したことによって全く動かなかったテレビが、突然動き始めたのである。
人々は一縷の希望を見出した。
失われた日常が復元されるのだ、という希望だ。
しかし、その希望は限りなく儚いものだった。
数秒の間砂嵐を映したテレビの画面が変わる。そこには短い文が幾つかあった。
【一生のお願いを叶えてもらいましょう】
【一生のお願いを叶えてもらうことが出来れば生きることが出来ます】
【生者にお願いを叶えてもらうことは出来ません】
【一生のお願いを伝えたにも関わらず、叶えてもらう前にその内容を他人にバラされた場合、その人は死にます】
【信じられる人にお願いしましょう】
これは一縷の希望などではなかった。
地獄へと通じる扉だったのだ。
この文言を、信じる者は少なかった。
誰もがそんなわけがない、誰かの悪戯だ、と高を括って信用しなかった。
その日のうちに、文言が本当なのかと試した五千人を超える人間が死んだ。
人々は、信じるほかなくなった。
そして、信用することが出来なくもなった。
◇
「十波、一生のお願い……聞いてあげよっか?」
ある男子の前に、人影が差した。
十波と呼ばれた男子が顔を上げる。目の前には幼馴染がいた。
「藤浪、お前なぁ……。それ言われて『はい、じゃあ言います』なんて言えたらこの世は暗鬼ばっかじゃねぇだろ」
十波と藤浪は同じく中学三年生だった。
年も終わりかけ、受験勉強も佳境であるべき時期になったというのに全く進んでいない……、そんな状況に憂いを見出していた頃に、謎の現象が起こったのだ。
結果として、受験勉強に関する憂いは杞憂で終わったわけだが。
「ま、それもそうだ」
藤浪、と呼ばれた人物は自らの長い髪を靡かせた。
藤浪は所謂ボーイッシュガールだった。
スカートは好まず、ズボンを愛用する。特に、ジーンズを気に入っていた。
一人称は「僕」であり、元々中性的な顔立ちも相まって、髪さえ切れば男子にしか見えなかった。
しかし、その髪だけは頑固として切ろうとしなかった。
可能な限り男子に見た目や雰囲気を寄せようとしている藤浪には相応しくない、ともいえる行動だったが、それ以外にも不可解な点の多い藤浪のことだ。あまり気にはされていなかった。
「で? 実際は何をしに来たわけ」
「聞いちゃう? そうかそうか、聞いちゃうかぁ」
いつも通りの問答を交わしながら、お互い小さく笑い合う。
小学校になる前から、彼らは知りあっていた。つまりは幼馴染である。―――と言っても、近所付き合いで仲良くなった、というわけではない。
二人とも、捨て子だったのだ。
最近では子供を産もうとする人が少ない。その大きい要因が金銭面での余裕がないことだった。数多くの子供たちが世界に生を受ける前にその生を奪い去られてきた。
また、虐待も増えてきている。折角生れ落とされても、更なる苦難を強いられる子供もいるのだ。
そんな社会で―――産み落とされた上で、名付けの紙と共に正規の施設に届けられた二人はある意味幸運だったともいえる。
「いいから教えろよ」
「はーぁあ、十波はノリが悪いなぁ」
施設のことも、名前だけは親がつけてくれたことも、比較的最近――中学入学と同時に――知らされた。中学校生活の大部分をその情報の咀嚼に費やした結果、彼らは同じ境遇の存在としてお互いに特別な存在となっていた。
「僕ら、あと五年しか生きられないんだよね―――」
「…………………」
藤浪の言葉に、十波の口が閉ざされる。
それくらい、知っていた。
十波は静かに周りを見回す。
ここは過疎地域だった。
周りの人間は億が一にでも成功する可能性に賭けて上京している。
結果として、残ったのは十波や藤浪含む五十三名。その内の五十一名が、謎の現象によって消えてしまった。
施設が見つけてくれたという新しい両親も、二人が中学に入学し、彼らの生い立ちの全てを語った後はどこかへと消えてしまった。
二人は周りの人間とも深くは関わらない。山を下りたところの中学校に通ってはいたが、その中でも周りとは関係を持たなかった。
つまり、十波と藤浪だけが、孤立した存在として輪から離れていたのだ。
普通に考えれば不健全に思えるかもしれない。
しかし、この状況――多くの子供たちが家族を失い、嘆いている状況――では二人の方が健全であると言えなくもない。
彼らは「ある意味幸運」を二度目に味わったのである。
「云わなくていいけどさ、一生のお願い、思いついた?」
「いや、まだだな」
「そっか―――。でも、もし決まったとして、誰かに叶えてもらう?」
「いや、どうだろうな」
短い会話だった。
出会い頭には十波の前に藤浪が立っていたが、今では藤浪が十波の横に腰かけている。
ここは、山の村落唯一の観光地だった。と言っても、観光客など誰も来ない。村落の中で、子供の遊び場になっているだけの小さな展望台だった。
綺麗な景色だった。
ただ、白と茶色が見えるだけ―――そう言ってしまえば終わりだ。
しかし、十波も藤浪も、この景色が好きだった。
子供の頃から、毎日忙しそうに畑仕事に向かう両親カッコ仮を見送った後は二人でこの場所に来て景色を眺めながら短い会話を紡いでいたものだ。
この何とも言えない退廃感は、彼らの存在を世界から切り取ってしまいそうだった。
そして二人は、もしそうなるならそれでもいいと思っている。
「皆、なんでそんなに疑心暗鬼になるんだろうね」
「当たり前だ。もし自分の一生のお願いを言っても叶えてもらえず、他人に漏らされたら死ぬんだからな」
「でもさ、バラしても利益なくない? そもそもなんでバラすのさ」
「そりゃぁ、【叶えてもらった人は叶えられない】からだろ」
「あぁ、成程」
ただ、短い会話が、この空間が、雰囲気が、景色が好きだ。
この状況を邪魔する存在がいるなら、罪悪感なくその存在を抹消できる自信が、二人にはあった。
「そう言えば、さっき一生のお願い決まってるか、って聞いたけどさ、僕決まってんだ」
「へぇ、そうなのか」
「うん、抜け道だよ」
「抜け道?」
ふと出てきた不可解な言葉に、十波の表情が変わる。
会話のテンポが変わった。
これまで、多くの人々が抜け道を探し出そう、として死んできた。
抜け道など無いのだ、と皆が覚った。
だからこそ、藤浪の言葉は十波にとって不可解だった。
藤浪は、賢い。
いつも勉強などせず、中学校でも成績の悪い十波と違って、藤浪は十波に合わせているだけで、本来ならば良い高校に行ける程良い成績のはずだった。
その藤浪だからこそ、少しの期待をしてしまう。
そして、逆に言えば価値のない抜け道に期待するなど、藤浪はしないだろう、という確信が、十波にはあった。
「抜け道って、なんだよ」
十波の喉が、彼の意識に依らずしてゴクリとなった。
どこか期待している自分がいるのだ、と十波は自覚していた。
「僕の一生のお願いは、『僕の一生のお願いの内容を誰かにバラして欲しい』」
「……っ!! そうか、確かに文言は【一生のお願いを伝えたにも関わらず、叶えてもらう前にその内容を他人にバラされた場合、その人は死にます】!! その場合、優先されるのは『お願いがかなえられた』って事実か」
「そっ。その通り」
藤浪が珍しく可愛らしく顔を緩める。
ずっと男と同じようにして接してきた藤浪に対して、どこかどきりとしてしまった自分に、不思議を覚えながら、十波は首を軽く横に振る。
「じゃあ、それでお前は生きるんだな」
「いや、生きないよ」
「? なんで……」
「じゃあ、十波は生きる術を見つけてる?」
「っぁ…………それは」
黙りこくる十波に、藤浪は説得のための逡巡も与えずに言葉を重ねる。
「僕は、『この状況を邪魔する存在がいるなら、罪悪感なくその存在を抹消できる自信』がある。それは、僕自身も同じ」
「けど、このままじゃあと五年しか……っ」
いつしか、十波は自分の声がかすれてきていることに気づいた。
喉が渇いている。思い出してみれば、今日は水を口にしていなかった。
「あと五年―――だから護るんだよ。この状況を、環境を、雰囲気を、会話を。僕らのこの状況を壊すのは、僕らにはどうしようもない何かであって欲しい。僕にとってのそれが、<仕様上の寿命>なんだよ」
「――――――」
藤浪の言葉に、十波の口が動かなくなる。
あと五年でどうしようもなく死にたい。藤浪が言っていることはつまり、そう言うことでもある。そんな消極的なことを述べているのにも関わらず、藤浪の瞳には焔が見えた。
藤浪の瞳を見つめれば、その瞳越しに自分の瞳が揺れているのを感じた。
自分も、藤浪の誘い――五年でどうしようもなく死のう――に意味を見出しているのだ、とそこで初めて、十波は気づいた。
「―――実はね、僕は君が好きなんだよ」
ふと投げ込まれた発言という名の爆弾に、十波の表情が変わる。
どきりという一言で表し切れないほどに、大きく心臓が跳ねだした。
「君に好かれたいと思って、でもどうしたらいいか分からなくて、君と似ている部分を増やしてきた。ズボンをはいて、口調を変えて……。君は幼いころ『僕』って言ってたから、僕もそうしたのに、いつの間にか君だけ『俺』になってたっけ」
過去を思い出すように曇天を仰ぎながら語る藤浪の口調は、とても楽しそうだった。
藤浪にとって、これまでの記憶は全て、美しいものだ。綺麗すぎて、普段から直視することなんて出来ない。
だからこそ、こういう特別な時にこそ、思い返すのだ。
「君が、絵本を読んだ時だった。お姫様と王子様の本で、君がお姫様の長い髪を綺麗だ、と呟いたから、僕は髪を長くしてきたんだよ」
ここで、藤浪の不可解な行動の意味が分かった。
しかし、十波は正直言ってそれどころではなかった。
十波の脳裏には、これまでの藤浪との思い出が浮かんでは消えていく。様々な思い出があった。記憶力ばかりは良い十波だからこそ、普通なら覚えていない昔のことまで思い出せた。
しかし、流石に一緒にお風呂に入った思い出は理性によって止められた。
「ほんとは、ずっと隠しておくつもりだった。でも、あと五年だから―――」
その言葉、表情、視線。
全てが、十波の心を動かした。
ずっと、男だと思うようにして接してきた藤浪への印象が変わる。
十波が口を開いた。
「それでも、答えは変わらねぇ……俺は、藤浪とは友達だ」
十波は、心を動かされてなお、それだけは譲らなかった。
これまでの記憶は、全て藤浪と友達だったからこそのものだ。
ただ、男女として関わってきたのであれば、思い出は変わってきただろう。
その記憶は、護らなくてはならない。
「そっか…………」
「まあ、少なくとも―――今世は」
「?」
「もしも来世があるなら、今度は俺が……告、白する……から」
「―――!!」
先程まで、ほんのりと赤かった藤浪の頬が、一度に紅潮する。
脱力するように、藤浪は体を倒した。十波が肩に当たる感触に小さく肩を震わせる。
「じゃあ、また五年と一日後、楽しみにしてるよ―――誕生日おめでとう」
「お互いな。誕生日おめでとう」
二人が死ぬのは、ちょうど五年後の今日だ。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
今作が好評であれば、短編小説も少し書いていこうと思います。
知り合いなどに勧めていただけると、広報苦手な作者が泣いて喜びます。
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