第四話 はぐれ者は誰 中編
暗い、暗い、海の底。誰そが願う、庭の海。
見た 聞いた 無視をした
時 間 は 響く ハ コ のな か
あ な た の こ と
「私はまだ知らない」
リックと雨木二人は暗闇の中を沈み続けていた。リックは自身にかけていた隠蔽の魔術も煙の魔術も無くなっていることに気がついた。魔力切れだ。フードが外れ、長い黒髪を携えた体が現れている。横目を見れば、自分と一緒に沈んでいる雨木がまだ気を失っている。暗闇の中、彼女は雨木の頬に触れた。
「不思議だ。私はあなたの体を使って現世で生きたいだけなのに。あなたには魔力が全くない。私の依代としてもいけるはずだった。精霊に食べさせずに正解だったと安堵したほど。だけど、何なんだ、あなたは一体何をした?何があった」
彼女が雨木を襲った目的、一度目は自身が使う精霊の贄だった。力が強い精霊を維持するには良質な贄が必要なのだ。前回の失敗で精霊は新たに魔術具を作ることは無くなっていた。そして、二度目。アメキが魔力の無い青年であると知って、彼女は彼の体を欲した。
魔法界は魔法と共に存在そのものが不安定だ。そこで生まれたものも同様に不安定。もし、何もせずに現世に現れれば次第に体は崩壊し、自我も崩壊し、やがて死に至る。もし現世に生きたいと願うなら、誰かの体を依代にしなかればならない。魔力は魂の形に近いもの。依代の魔力が少なければ少ないほど、依代としての価値は跳ね上がる。
彼女は知らなければならなかった。彼が魔力を持たない理由。生まれつきでも、魔力を持たない人間は現世にもほとんど存在しない。きっと理由があるはず。
リックは瞳を閉じ、言葉を唱え始めた。彼女のもつ腕輪が輝き始める。
「繋げよ 開けよ 魂の線 在りし日 ここにあれ」
瞳を開ける。雨木はまだ眠ったままだ。
「見せてもらうよ、雨木透。代わりに私の夢も見るといい」
リックは微睡の中に落ちていく。彼女による雨木の記憶の旅が始まった。彼女が降り立ったのは現実世界、高層ビルの部屋。そこには一人、窓の外を眺めている白髪の人がいる。彼女は目を見開く。忘れることができない、リックの大切な人がそこには立っていた。口を開け手を伸ばす。手は透過する。掴めない。そう、ここは雨木の夢だ。夢だと知っているけど、彼女は思わず手を伸ばしていた。
「来たのか」
リックは手を引っ込める。自分ではない。彼女が後ろを振り向くと、少年が一人立っていた。幼き頃の雨木透、ボロボロの洋服で体のあちらこちらに痣ができていた。
「こっちに来なさい」
リックを透過し、雨木はその人物の隣に立つ。見たい。彼らがどんな景色をどんな表情を見ているのか。しかし、リックが一歩踏み出した瞬間、地面はひび割れたガラスのようになり、そのまま落下する。手を伸ばしても誰も掴んでくれない。彼女はそのまま落下し続けた。自分が落下する先を見据える。
降り着いた場所には、雨木が一人立っていた。年齢は先ほどとほとんど変わらない。10歳くらいだろうか。違うのは片手に血で濡れたナイフ、そして目の前には女性が倒れていた。そして彼は振り向く。リックの視線は雨木と重なった。生気がなく、何が起きているのか理解していない目だった。リックは雨木の記憶の旅を決行したことを後悔した。
雨木は気がつくと村に立っていた。日本ではない、どこか異国の風景。自身の手を見ると透けている、もしかしたら今、自分は夢を見ているのかもしれないと彼は直感的に感じた。村を歩く。舗装されていない土の道、カゴに入れた食料を運ぶ女性や畑仕事をしている男たち。子供達は村の中で駆け回っていた。平和な光景だ。歩いていると村の近くには小さな池があって、幼い姉妹がそこで水面を見つめていた。雨木は彼女たちに不思議と興味が湧き、近づいてみる。
姉妹は幼かった。二人の年は離れておらず、二人ともおよそ10歳くらいだろうか。姉妹達は色とりどりの髪を持つ他の住民とは違い、綺麗な黒髪を携えていた。二人は仲良く遊んでいた。近くにいた羊が彼女達に擦り寄り、二人は昼寝を始めた羊にもたれかかる。
「あれは誰だ?」
そこに一人のフードを被った人物が箱を持ってやってきた。雨木は箱がハコであると瞬時に理解した。ハコを姉妹に渡そうとしている人物は何かを話している。会話の内容は聞こえない。姉妹の表情が次第に曇り、彼女達は村の方を見た。雨木もその視線を追う。
「え、うそ?」
「村が」
今度ははっきりと聞こえた。姉妹達は村に走り始めていた。雨木は二人を捕まえようとするが捕まえることができない。しかし、ハコを持ってきた人物は姉妹を必死に抑えている。姉妹は暴れ、ハコを持ってきた人物のフードが外れる。雨木はヒビのはいったストラップを見つめる。
「ヴィドさん……」
彼はまだ青年のように見えた。彼は姉妹を必死に抑えようとするが、姉妹達の抵抗は激しい。
「あの村に今行っても間に合わない! エリン、リック! ついてくるんだ!」
「いやだ、お母さんが。お父さんが!」
「村のみんなを助けてよ! ヴィドさん!」
「すまない。もう手遅れなんだ」
ヴィドは苦悶の表情を浮かべながらも見たことのある瓶の蓋を開け、魔術を発動した。そして二人を連れ去って、そのままどこかへ行ってしまう。視点が切り替わる。二人を連れ去ったヴィドは琴吹郵便局に移動していた。心を閉ざしてしまった姉妹は、ヴィドと会話を再び重ねるまでかなりの時間を有していたようだった。一年か、数年か。次に口を開いた時、二人が話した言葉は別れの言葉だった。
ヴィドを残し、彼女達は消えた。二人は自ら魔術を学んで身につけていた。そして郵便局から出してくれず、村の真実も教えてくれない彼ではなく、自分達で見に行くことを決めていたのだ。朝食の時間だった。二人はきっと村に向かったに違いないと、ヴィドも姉妹を追いかける。
「 繋げよ風よ 地よここよ 灯火はここに 今開かん 」
言葉を紡ぐ。だが、叶わなかった。ヴィドは雨木達が飛び込んだあの黒い空間に飛ばされていた。彼の体は沈んでいく。ここはどこだ?ヴィドはその時初めて、自分がもう魔法使いではないことに気がついた。彼は道の魔法使い。あらゆるとことに道を繋ぐことができ、移動することができる魔法を扱うことができる。
しかし、彼がいつものように魔法を使った結果、目的地に辿り着くことはできなくなっていた。漂っている空間はどこなのか。魔法はその奇跡を失って、これまでを清算するような淀みの空間を作り出していたのだ。ヴィドは手を伸ばす。雨木もその手を掴もうと手を伸ばす。しかし、距離は果てないほど空いて、雨木は目を覚ましてしまう。そう、夢は瞬きのように通り過ぎて行った。