第四話 はぐれ者は誰 前編
雨木が消えた。
エドワード宅から郵便局に戻り、その日の残りの業務を終えて凪達は解散した。雨木は初日ということもあって疲れが残ってしまっていたみたいで、他の郵便局員が気を利かせて休むように言ったのだ。朝、食卓に彼は現れなかった。寝坊しているのかと彼の個室へと足を踏み入れた凪は、綺麗に整頓されていた部屋に薄気味悪いものを感じる。彼がいたのは夢なのかと思うほどだ。しかし、彼と一緒に持ってきたカバンだけはある。そして、一通の手紙が机の上に置かれてあった。
『雨木透に気をつけろ』
筆記の跡は身に覚えの無い代物だった。手紙だけで見ると、他に何か小細工が仕組まれているわけでもなさそうだ。凪は羽山達に雨木失踪を報告した。すると、壁の中から聞き耳を立てていたソフィアが顔を出した。文字通り壁から顔だけ生えてきた。
「羽山、アメキの居場所だが契約によってわからんのか?」
「それがわからない。交わした契約では、彼の居場所はこの魔法界にいる限りはいつでもわかるはずなんだが。しばらく探したが彼は見つからないね」
「なるほどのう。彼がいた場所はどこじゃった?」
ヴィドが口を開いた。
「まさか」
「世界の狭間、座標に無い場所。アメキはそこにいるじゃろうな」
「凪」
羽山は地図を見ながら彼女を呼びつける。
「雨木を見つけた場所はどこだ」
「この辺りです。手だけあったので引っ張ったら血だらけの彼の体が出てきました」
ソフィアは顰めっ面をしてヴィドの後ろに隠れて彼の耳元で話す。
「アメキも凪に関しても、彼ら関連の話聞いてると時々怖いんじゃが、大丈夫か?」
「何かあった時のために、大人達がいます」
「そうじゃな。まぁ私は郵便局から離れられんし、頑張りたまえよ若人たち」
ソフィアはそのまま壁の中に消える。羽山は地図と睨めっこしたままブツブツ呟いていた。
「その場所にもう一度行ったとしても雨木は出れるのか? そもそもなぜ彼は一度出ることができた?座標にない場所か……そこにどうやって行けばいいんだろうか。疑問点が多すぎる」
しばらく考えていたが、羽山は具体的な対抗策を考えつくことができなかった。押し黙っていた凪は羽山の前の前に立つ。
「私に考えがあります。ヴィドさん、ご協力を。元魔法使いであるあなたに力添えをお願いしたいです」
凪は首元のヘッドフォンをつかむ。
「まずーー」
大人達は彼女の意見を一語一句逃さず、耳を研ぎ澄ませた。
雨木は何かにもたれかかっていた。硬い。壁だ。自分はさっきまで柔らかいベッドで寝ていたはずなのに、どうしてここにいるのか。雨木は周りを見渡す。見覚えのある場所だ。一昨日、彼が襲われた所と同じ場所だ。
「やぁ、目が覚めたようだね」
最悪の目覚め、雨木の目の前に人が現れた。あのフードの人物だ。目で識別した瞬間、脳の理解よりも早い反射のような速度で雨木はポケットからペンを取り出し、相手の胸に突き立てた。
だが、ペンを刺したところは煙のようになっており、中から血が溢れることもない。フードの人物の顔は相変わらず見えない。雨木は立ち上がって、フードの人物から距離を取る。
「へぇ、お前もいきなり刺すんだ。まぁ体を煙に変えているから効かないよ。それよりも一昨日はよく出し抜いてくれた。まさか私の子供達が封筒を食べてしまっていたとは。気がつかなかったよ」
「何の用だ?」
「呼び名が必要だろう。互いに名乗らないか? 私はリック、君は?」
「リック、あんたの素顔を見せてくれるなら名乗ってもいい。こっちは殺されかけたんだ。これでも十分、譲歩している方だと思うけど」
リックは宙に浮き、民家の屋根の上に座る。
「これは提案じゃない。命令だ。どっちが優位なのかわからないのか。お前に拒否権は無いんだよ雨木透」
「なんだ、僕の名前を知ってるんじゃないか。でもわからないな。僕を連れ去ることができたのなら、その場で殺すこともできたはずだろう」
「お前に興味が沸いた。お前には魔力が全く無かった。私の生贄として十分使えると判断したんだ。魔術や魔法を見たことが無い奴らは同じ手品で、ひどくパニック状態になる。だが、お前はパニックになるどころか私に反撃して撃退まで成し遂げてしまった。私はお前が知りたい」
雨木は手持ち無沙汰にペン回しをしていた。リックは魔法使いか、魔術使いか、言葉を使っている様子が見えない。彼は相手のことを深く観察していた。周到な準備によって行われていることは明らか。
「命令?」
「そうだ命令だ。お前は性格的に魔法使いに向いている。私と同類だ。実験に付き合ってもらう」
「魔法使いになるのに性格が関係するのか?」
「あの郵便局にいて知らないのか。魔法使いは傲慢でなければならない。傲慢であることこそ魔法使い足りうる。お前もそうだろう。お前のその傲慢たる行動、考え、全てが魔法使いにふさわしい。精霊の贄などではなく、私の贄として使う」
雨木は腹を抱えて笑い始めた。彼の内面をここまで見ようとした人物は出会ったことがない。ましては、自身を実験の対象にするなど以ての外だ。ここまで噴き出すのを必死に我慢していたが、ついに限界が来てしまった。その場で彼は腹が捩れるぐらいに笑い声を上げた。リックの表情こそ見えないものの、終始不機嫌な顔をしていたに違いない。
「はー笑った笑った。リック、あんたの貴重なお話は面白かったよ。趣味も気持ちの悪いあんたの実験に付き合ってもいい」
「そうか、抵抗されるのは面倒だからな。承諾してくれるとこちらとしても助かる」
「ただし!」
リックは突然叫んだ雨木にビクつく。
「あんたが今この瞬間、僕の自由を奪えるのなら」
「何?」
「 繋げよ風よ 地よここよ 」
言葉だ。リックは完全に唱えさせまいと、反射的に雨木に飛びかかった。しかし、煙のままでは彼を捉えることは叶わない。リックが想定していたよりも傷も体力も回復していた雨木は言葉を唱えながら駆け回る。思っていた以上どころか、一昨日襲った時よりも彼の体が縦横無尽に動いている気がした。
「その魔術は!」
煙の姿を利用して障害物も縦横無尽に動くが、雨木を中々捕まえることができない。
「 灯火はここに 」
「くそ、ちょこまかと!」
「 今開かん 」
何かしらの瓶の口を咥えていた雨木の姿を見て、リックは後悔した。彼を連れ去った時、荷物をあらかた奪っておけばよかったと。彼を完全に侮っていた。魔法界のことを知らないのに、魔力を持っていなかったはずなのに、魔術をここまで自然に扱うことができるとは思っていなかった。リックの頭の中では、雨木透のページが新たに作られる。
雨木は瓶の中身を空中にぶちまける。中に入っていた黒い液体は円を描き、雨木の後ろに輪っかを形成する。液体は乾燥した空気の中、蓮の葉に転がる水の如く流れていく。雨木が言葉を使って初めて使う魔術はーー
「あんた達は僕の元に来るのかな」
ダルマのお守りにヒビが入る。そして、円の形となった液体は膜を張った。中に背中からダイブしかけていた雨木にリックの手は迫る。リックは何かを持っていた。顔の目の前にその何かが届く瞬間、雨木は左手を前に出した。もう手品は知っているのだ。透明なナイフは彼の左手を貫く、血飛沫が舞うが、雨木はリックのナイフを持った握り拳を握った。
「そうだよな、たとえ煙だろうと物を持つには実体化するしかないよな!」
リックは咄嗟に右手を離そうとするが、雨木の方が力が強く離れない。すでに後ろの輪っかに体の半分が飲み込まれていた雨木は、凪の仕草を思い出していた。少し見下した感じのあの表情。
「楽しい冒険の始まりだ! なぁリック!」
「その魔術は?!? なぜだ! なぜ道の魔法使いの術がここにある! あの魔法使いは魔法を失ったはずだ! 道の魔法は、魔術は伝わっていないはずだろう?!?」
「深く考えるなよ。その魔術を一緒に体験しようぜ、僕たちは似た物同士、魔法使いに向いている性格なんだろ? 殺人鬼さんよ」
「くそ、どこへ連れて行く気だ!この馬糞の成り損ないガァぁああ!!!」
二人はそのまま空間に引きずり込まれた。二人を飲み込んだ後残ったのは、ただ静かで誰にも見つけられない場所だった。




