第三話 毒は薬 後編
エドワード、薬の魔法使い。彼の家には無数の本とともに、夥しい数の瓶詰めの薬が置かれてあった。淡い光を放つ物、無色透明な物、何か中で蠢いている物、一瞬の視界に入っただけでも相手はただ物でないと雨木は悟った。エドワードは指をふる。部屋の奥からヤモリたちが椅子を二人の目の前に運んできた。立ったままでいると凪がお手本を雨木に示す。
「エドワードさん。本日は炎の魔法使い、ミア様より荷物を預かっております。お受け取りをお願いします。ほら、雨木」
「こちらです。どうぞ」
手筈通りに、ハコをエドワードに渡す。
「ふむ」
彼はハコを手のひらで回転させたかと思えば、次の瞬間には彼の目の前に鳥籠が現れていた。視認できない何かが入っているあの籠だ。自分がかなりの時間をかけて開けたハコを瞬く間に開けた彼の姿を見て、雨木は魔法使いは魔法の力が全く異なるのかと考える。エドワードの前で開いたハコは宙を漂ったままだ。たしか、と呟いた彼は顔を全く動かさずに手を振る。するとどこからともなく、いくつかの瓶と二つの便箋がハコの中に入れられた。エドワードは開けた時とは反対方向にハコを回転させる。再び一瞬で戻ったハコは雨木の目の前に移動し、両手を差し出すとその上にゆっくりと落ちた。
「確かに受け取ったよ。今入れた物はミアに送って欲しい。時間は君たちが空いている時でいい。それと、お金はいつものように青い便箋に入れてある」
「わかりました。それと彼から挨拶を」
「初めまして、雨木透です。郵便局員として本日からよろしくお願いします」
エドワードは柔和な笑顔を雨木に向ける。
「はい、よろしく。ふむ、特に問題なく動けていそうだ。薬も効いているのかな。良かった良かった」
「え、薬?」
凪の方を見つめると、彼女はあからさまに視線を外した。
「凪」
「話すの忘れてた。郵便局に置いてある薬は皆、エドワードさんから買っているものなんだ。近くの集落でもかなり使われていて、それをこっちでも取り寄せているんだ。雨木が失った血液も、エドワードさんから買ったんだ。まじでごめん」
なぜそんな大事なことを言わないのか。普段は少し偉そうな態度をしている凪は、バツが悪そうに下を向く。だが彼女を責めるのは違う。今向き合うべきは目の前の人物だということは雨木も理解していた。
「ありがとうございます。エドワードさん、僕の命はあなたのお力添えで助かりました」
「感謝の言葉は嬉しいよ。体の調子はどうだい? 何か不便なところはあるかな」
「いえ、大丈夫です。むしろ以前より元気なくらいです」
雨木は両手をグッパグッパさせた。実際に体の調子もいい。就職活動で疲れ果てていた体の悪い部分が、良い部分に置き換わったかのようだ。雨木の元気な様子を確認すると、エドワードは満足げに頷きながら二人を椅子に座るように促した。
「もしかしたら、雨木くんが初めて会う魔法使いは私かな?ヴィドが飛ばしてくれた幻影の情報では、君はどうやら魔法界出身ではないと聞いている」
「そうですね、僕は魔法は存在しない世界で生きてきました」
「ふむ、では二人に聞きたいのだが少し時間はあるかい? お話していかないか?」
凪の方を見つめる。彼女は頷いた。
「大丈夫です。お願いします」
「それは良かった、なら雨木くんに魔法関連のお話をしておこう。知っているかもしれない内容もあるだろうが、ぜひ聞いていくといい」
「いいんですか?」
「ただの年寄りのお話だよ。若い子が聞いてくれるだけで十分さ。さて、早速話させてもらうよ」
エドワードは二人の方を向き、右手を前に差し出した。手の上には文字が書かれた小さな紙切れが置かれてあった。雨木の視線がエドワードの手に映った瞬間、彼の手のひらから水が溢れて床に溢れた。
「これは簡易的な魔術。魔力を動かすことができれば、言葉も何も必要ない。便利だが小さな子供でも扱えてしまうから、危険でもある。次に一般的な魔術を見せよう」
彼が取り出したのは小さな瓶、中には小さな種が入っていた。彼は机の上に置いて手を乗せる。
「 芽吹けよ種よ 気がつかば空 木枯らしの季節は何処へと行った 」
種は急激に成長し、瓶を割って机の半分を埋めてしまったが、水々しい葉と共に綺麗な白い花を咲かせた。近づいていた二人はその勢いに思わず椅子の背もたれに下がってしまった。エドワードは口元を手で隠して笑う。
「そう焦らずとも良い。これが魔術、術が込められた魔具と共に言葉を唱えることで扱うことができる。複雑なぶんより強力な代物だ。そして、本人の魔力量にも影響を及ぼす。君たち二人がかりでも私のように咲かすことはできないだろう」
エドワードが話す言葉にはびっくりするほど嫌味がない。彼の言い方もそうだが、声の耳障りが良すぎることもあるだろう。雨木も凪も心の安らぎを覚えてしまう。
「最後に魔法だ。見ててごらん。これは死んだ種子だ」
エドワードは先ほどと同じように種が瓶に入ったものを手で握る。
「 芽吹けよ種よ 其方は何処 見果てた空は今ここに 魂の軌跡は春風の先よ 」
種は光輝く。包まれる光の中で種はゆっくりと芽吹き、若葉をつける。瓶の蓋は力一杯こじ開けられ、茎の先にダチュラが咲いた。理屈ではない超常的な現象を目の前にして雨木は完全に釘付けとなった。生命の終着点は皆、死のはずだ。雨木の目の前で起こったことはそれを覆す現象だった。
「これが魔法。魔法は自然も科学も、全ての理を超越する。私がずっと研究しているのは、私がこの力を使える理由を探すためでもある」
「死んだ人を生き返らせることは可能ですか……?」
雨木は自分でも思ってもみないことを口にしていた。
「あいにく、私は薬の魔法使いでね。薬に関連する薬草しかこれは使えないのだ。魔法使いは一人につき、一種類しか魔法を扱うことができない。雨木くんは生き返らせたい人でもいるのかい?」
「ただの興味本位です」
「ふむ、そうか。じゃあお話はおしまい。これで魔法はわかったかな」
「理解できました。授業をしてくださってありがとうございます」
「雨木くんは教えがいがあって良い。また何かあったら来なさい」
二人はエドワードの家を出る。エドワードは二人に手を振りながら見送った。
「良い子達だ。さてーー」
エドワードが小窓の方に目を向けると、カラスの形を模した幻影が彼の元へと届いた。幻影は魔術を扱えるもの同士の連絡手段でもある。カラスが口を開くと、人の声が聞こえてくる。
「どうだ、エドワード。新人は」
「ヴィド、今度はきちんと話をしてくれるのか。前は一方的なメッセージで寂しかったぞ。まぁいい。新人は本当に魔力が無さそうだ。私の被検体になって欲しいぐらいだ」
「うちの社員だ。やめてくれ。わかったのはそれだけか?」
エドワードは幻影のカラスを撫でる。カラスは生きていない、置き物のようにビクともしなかった。
「症状を見ても、使われた魔術を聞いても、彼を狙った人物に心当たりはない。だがこちらでも調べておくよ」
「助かる」
「たまには遊びに来なよヴィド」
「気が向いたらな、じゃあよろしく頼む」
幻影は形を崩し、その場で粉となってしまった。
「相変わらず要件だけで会話をしようとしないな、ヴィドは。ふむ、雨木透か」
エドワードは7月6日と書かれた瓶を手にとる、中には粘り気のある赤い液体が入っていた。太陽の光に当てても、液体の部分だけは影として映らない。
「彼は、随分と危ないな」
薬の魔法使い、エドワードは静かに本を開く。光を透かす髪が風に靡いていた。
翌日、雨木は郵便局から忽然と姿を消した。