第二話 翼は黒く染まる 中編
雨木の腕だけが塔に入っていた。羽山の指示通りに動かない彼に近づく。そして、彼女は彼の空いている手を握って自身も塔に触れた。
「私も入れるな」
羽山の手も雨木同様に塔の内部に入ることができた。羽山は一度彼の手を離し、持ってきた荷物の中からロープを取り出す。彼と自分の手にロープを結び、直接触れていない状態でもう一度塔に触れる。これも大丈夫だ。手は塔に入ることができるが、彼女は頭を捻っていた。
「問題は出れるかどうかだ」
この塔の中に入ったところで、出れる保証はない。もし入ってしまって出られなくなれば取り返しがつかないのだ。現在の状況からして、雨木がどのようにして塔への侵入を許可されているのかがわからない以上、動くのは悩ましい。彼に触れている羽山が侵入できるのも謎だ。考え続ける彼女は一つ思案を実行に移した。
「今、この場で原因を探してみよう。一度手を抜いて、再度突っ込むことはできるか」
可能だった。
「じゃあ次は身につけている物を渡してくれ」
「わかりました。えっと……」
雨木は身につけていたサイドポーチや、首から下げた60.3階で手に入れた鍵、アドニスのナイフを羽山に渡す。すると塔に入ることはできなくなり、代わりに羽山は通過することが可能になった。
「リックちゃん」
雨木の荷物をリックに渡すと、今度は羽山が入ることができなくなって、リックの手は透過する。雨木の荷物のどれかが原因だという事は確定だった。彼は一つずつ荷物を受け取って、どれが塔に入る条件なのかを調べた。
ポーチは違う。ナイフも違う。ならば残るはたった一つ。最後に受け取ったネックレスにした鍵を首からかけると、雨木の手は塔を透過した。自分の仮説通りになって、羽山は満足そうだった。
だが一方、その瞬間、彼の腕には悪寒とともに鳥肌が立っていた。
「二人とも!帰りましょう!!!」
手を塔から抜き、彼は叫んでいた。彼自身、理由はわからない。だがとっさに頭に浮かんだ予感。何かの言語化できないピースが頭にハマった感覚だった。勘とも言うべき、その知らせは告げる。今の状況はあまりにー
「少しは危険を察知できるようになったかなぁ?」
羽山とリックが血相を変え、雨木へ手を伸ばした。しかし、黒い花びらが舞って、二人の視界を遮る。雨木は視線を後ろに動かす。そこには以前ドゥーハを襲った男、レンカンが音も無く現れていた。
「雨木くん!」
リックは叫ぶ。しかし、レンカンは首根っこを捕まえたと思えば、雨木に触れたまま塔の中に飛び込んで行ってしまう。その勢いは脳震盪が起きそうであり、意識が飛んでしまいそうだ。
リックは手を伸ばした手は雨木の手を掴んでもおかしくない距離だった。だが、雨木はその手を掴まない。届いたのに、絶対に掴めたのに、悲しそうな目で彼はその手を拒み、弾いた。
「ごめん」
チャプン
雨木とレンカンは塔に入ってしまう。拒絶されたようだった。呟くこと、そんな暇も声も彼女には無かった。
『私には掴ませてくれないの……?』
さっきは自分の呼び方を変えてくれって言ったのに。心の距離を近づけてきたのにも関わらず、雨木は自分の手を拒絶した。リックは目の前の壁を殴る。何も起きず、ただ鈍い音だけが生まれた。
「くそっ!なんで、なんで、ねぇなんでだ!」
「リック、落ち着きなさい」
腕ぐみをしながら羽山は荒ぶるリックを静止する。
「羽山さん、何で冷静にいられる。雨木くんが、雨木くんは……」
「だから落ち着きなさい。あの状況で雨木があんたの手を取っていたらどうなっていた」
「私も塔の中に入っていた」
「だからだ」
リックは羽山に詰め寄る。
「それの何がダメなの」
羽山はリックの頭を軽くチョップした。
「あの男が私たちを害する事は、現れた瞬間に理解できただろう。男は特徴からして、雨木が以前遭遇したレンカンというやつに間違い無い。実際に会ったからこそ、雨木は身をもってその危険性を知っている。咄嗟に危険を私たちに知らせたのも、リックの手を拒んだのも、自分以外を守るためだ」
羽山はチョップしたままの手を、リックの頭を撫でるように変える。
「わかったかい?動揺は必要な感情だけど、緊急時は抑えるようにしないとね」
「はい……ごめんなさい」
「ならいいよ。でもやっぱり気に入らなかったならさ、戻ってきてから文句の一つでも言ってやんな!」
リックの殺気だった表情が緩まる。
「わかりました。でも、彼は大丈夫でしょうか」
羽山は考え込む。
「わからない。中が一体どんな風になっているのか、ここからは確認することができない。あの男が使った黒い花びらの魔術は転移魔術のようだった。相当の手練れだろうから、雨木が太刀打ちできるかが問題だ」
「羽山さん」
「どうしたの?」
「あの魔術は転移魔術では無いです」
羽山の長耳がピクつく。
「知っているのか」
「私はあの魔術を使えます。雨木くんを襲って、その後逃げるために使いました。あれは姿眩ましの魔術、一時的に世界の誰からも認識ができなくなる魔術です。人も、動物も、魔術も、魔法もその全てが使用者を認識できなくなる代物なんです」
「あんたが一度雨木を攫った後、郵便局から去ったときにも使った魔術か」
リックは縦に頷く。羽山はしばし考えた後、質問した。
「その魔術はどこで知ったの」
「本です。まだエリンが生きていた時、たまたま見つけた魔導書に書いてありました」
「本か」
羽山はエルフだ。長い時を生きている。使える魔術は多いが、この魔術は見たことも聞いたことも無い。おかしい。ここに来た理由も、彼方の書庫で手に入れた本によるものだ。
リック達がたまたま見つけた本の中に書かれていた魔術と、同じ術を知る存在がこのタイミングで現れた。どう考えても偶然じゃない。こんな偶然あるわけが無い。長い思考の末、羽山は深く息を吐いた。
「そういうことか」
一つの仮説が、彼女の頭に生まれ落ちた。




