第八話 薬は毒 前編
彼の髪は太陽を透過する。森は透過した光の残骸を欲するように、彼に呼応していく。魔法使いと魔術師との決定的な差。彼の周りには彼が意識せずとも、彼の魔力に釣られて動植物達が集まる。森が彼の魔力を欲するようだ。地面から根までもが隆起していた。それほどまでの桁違いの魔力の放出、彼が意識すればさらに力は強まる。凪と海斗の二人は思う。まるで生き物の腹の中のような感覚だと。それでも、二人は身構えながら彼の様子を伺う。
エドワードは笑顔を崩さない。凪は考える。今、この場に現れたのは確実に何か裏があるはずだ。リックは決して魔法使いとは戦わないようにしてと言っていた。その理由が、力を引き出し始めたエドワードを目の前にして痛感した。そして、彼は彼女の問いである”なぜここにいるのか”に答えた。
「私がこの力を使える理由、その手がかりを探すためだよ」
エドワードは相変わらず優しい声だ。凪が次に何を言うべきか悩んでいると、彼は小鳥と戯れ始める。海斗も、凪でさえ目の前の光景を楽園として想起させた。まさに人ならざる美しさ。彫刻家が見れば、異質な美を保存するために生涯をかけて刻むだろう。だが、彼は意に返さない。
「エドワードさん、私たち帰りたいんだけど。どいてくれませんか?」
「それはできない。私もこちら側には無理をして来ている。欲しいものがあるのだ」
凪は気がついた。魔法界出身の彼は、長時間こちら側に滞在することはできない。自分を何かしらの魔術で守っているだろうが、それも長くは持たない。会話をすれば彼は一度引く可能性もあった。
「一体何ですか?」
だが、その考えは悠久を生きる者に対してー
「あぁ、それは」
あまりに浅はかだった。
「っつ!!!?リリー?!?」
彼らの死角から、エドワードの使い魔であるリリーが飛び出し、凪の左腕に噛み付いた。犬が本気で噛むのだ。皮膚は貫通し、凪の腕からは血が滲む。凪はリリーを睨むが、噛み付いた側のリリーの瞳に気高さは無く、あるのは後悔と謝罪の眼だった。海斗がリリーを凪から引き剥がさんと飛び出すと、彼女は凪の腕を噛んだまま一回転し、主人の元へ戻っていく。
凪は噛まれた腕を見る。回転されたせいで噛みちぎられ、一部の骨が露わになっていた。膝から崩れ落ちそうな痛みだ。凪の身体中から、体温の上昇とは関係ない汗が噴き出す。しかし、彼女はエドワード達から一切目を離さずに、カバンからポーションを取り出して飲み干す。空になった瓶は投げ捨てられ、砕け散った。彼女の抉られた部分の肉は回復するが、あまりの不味さに涙目になっていた。
「私の薬はよく効いているようだね。体の調子はどうだい?腕の肉が抉れてしまったが私の作ったポーションで治った今、何か不便なところはあるかな」
エドワードは戻ってきたリリーを撫で、凪の肉を受け取る。肉は宙に浮かび、彼が持っていた拳程の大きさの瓶に収納される。
「あぁ、最悪だよ。で、私の肉をどうするつもり」
自身が彼女を傷つけても、凪から明確な敵意を向けられても、エドワードは笑顔を崩さない。
「変わらないよ。私がこの力を使える理由、その手がかりを探すためだよ」
凪の目はこれでもかと見開いていた。
「どこで」
エドワードは孫に優しく教えるように答える。
「龍涙の池だよ。魔法の起源がそこにあるかもしれない。そのために君の肉を使わせて頂く。私は仲良くしてくれた君を犠牲にはしたくないのだよ」
そして、彼は懐から小瓶を取り出した。その中には赤黒い血のような物が入っており、揺らすと光が全く反射していなかった。エドワードは伸びて椅子の形となった木の根に座る。小瓶を彼らの方に向け、彼は言った。
「これは雨木君の血だった物だ」
海斗の顔つきが変わる。
「おい、あんた雨木に何したんだ」
「君は初めましてだね。私は薬の魔法使いエドワード。安心しなさい。私は別に雨木君に手をかける必要は無い。これは彼がリックさんに刺された際、大量出血した際に残した血を回収したものだ。これをー」
小瓶と凪の肉が宙に舞う。瓶からは赤黒い液体が溢れ、直径2mはあるぐらいの大きな球体となる。
エドワードは手を広げ、目を瞑って天を仰いだ。彼に太陽のシャワーが降り注ぐ。森は叫ぶ。そして、魔法が唱えられる。
「 芽吹けよ命よ魂よ 其方は何処 見果てた空は昔日になりて 其方は龍 魂の軌跡は息吹とともに 」
凪の肉は赤い球体の中に入り、気味の悪い音を立てながら液体と融合していった。吹き荒ぶ風、舞い散る枯葉、うねる魔力の渦を前に、凪と海斗は近くに出ていた根を握り込んで、吹き飛ばされまいと立ち向かった。
嵐は止んだ。赤黒い色をしていた球体は真紅色に染まり、再び小瓶の中に戻って行った後、エドワードの手に収まる。
「鮮度が命でね。すぐに魔法を使わなければならなかったのだ。さて、凪さんは質問はあるかな」
一過性の嵐の前に、凪と海斗は無数の切り傷ができていた。しかし、エドワードはまるで授業終わりに生徒に質問を促す先生のようだ。彼は何も変わっていない。だが、凪は違う。彼女は正面からだと、とても目を合わせ続けることはできないほどの形相だ。もはやエドワードしか視界に入っていない。怒りのボルテージが上がっていく。
「いくらでもある。だけど、答えて貰う前に一回殴らせろ」
激昂する凪は彼に一歩近づく。だがエドワードが放っていた激烈な魔力の波に晒され、凪は次の一歩を踏み出せなかった。拳にも力が入らない。進めない彼女を見るとエドワードは手を前に出し、左から右へ動かす。木の根達が地面から蠢き、凪の後ろに壁のように聳え立つ。彼は小瓶を胸にしまうと、木の根でできた椅子から立ち上がる。そして凪にゆっくりと近づいて、彼女の前で屈んだ。
「殴るといい。私は君を肉体的にも精神的にも傷つけた。君の当然の権利だ」
凪はなぜか握り拳を作ることができた。エドワードの魔力が、木の根に吸われている様だった。凪がただ近づいた時とは違い、魔力の暴力を感じることは無かった。そして、この現象を目の当たりにした彼女だからこそ、わかったことがあった。
魔法界出身の人間は現世に来ると、体内にある魔力がこちらの世界に拡散される。外に出た魔力は動植物が貪るように喰らい、やがて体の中の魔力が出尽くしてしまう。そして、魔力だけじゃない。生まれながらに魔力と縁の深い魔法界の人間は、魔力と魂が結びついている。魔力が世界へ出ていくと同時に魂も連れ出され、魂の抜けた人形となる。そもそも魔力の濃度が高い魔法界では、もし、魔力切れになっても魔力は世界から供給され、魂が体外へ引っ張られるほどの魔力切れは起きず、生きていく事ができる。
だから命がけ。魔力を出て行かないように一時的に封じても、それを構成しているのもまた魔力。そんな物では長時間は保たない。海水魚と淡水魚がそれぞれのテリトリーで生きていけないのと同一、浸透圧と同じ現象なのだ。
エドワードは今この瞬間も命をかけている。凪は彼に世話になった事は何度もある。治療もして貰った事もある。彼の作ったポーションで危険な仕事もこなすことができた。彼から受けた恩は計り知れないのだ。彼女は全力で握りこんだ拳を見つめる。そして、7秒ほど待ちー
「ふんっっっっっっっ!!!!」
彼女の渾身の右フックが、エドワードに突き刺さった。




