第七話 今はここに 前編
「三骸体って何?」
リックはその日も海斗と共に書庫で調べ物をしていた。海斗は会話の中で出てきた三骸体という言葉が気になった。彼はそのフレーズを書庫で見たことは無い。リックは書庫に本を戻しながら彼に回答する。
「三骸体はその名の通り、三つの骸だよ。海斗君は龍涙の池の伝承は知ってる?」
彼らは新しい本を持って作業台に向かう。
「あーいや、知らない」
「龍がその命を終える時、その力は三つの骸となって世界に落ちる。天翔る力は狼に、全てを切り裂く刃はカマキリとなり、そして枠に囚われない力が人の形を取った。彼らは新たな世界を生きてその身に力を蓄え、時期を悟ると三つの龍の骸は涙の池に向かう。そして命を持って池を切り開き、新たな龍を顕現させる」
「龍の繁殖方法って事か。話に聞いていたアドニスってのも池上で交尾をしていたんだろ?」
リックは首を横に振る。
「龍は不滅だ。どちらかと言えば龍の再生と言った方が近いだろう。そして龍が再生する時、池の奥にある空間に繋がる。その空間はあらゆる可能性があると考えられてきた。人の願いを叶えるとか、違う世界に行けるとか。ここはあまり信憑性は高くない。アドニスについてだが、それは彼の望みを龍が叶えたのだろう。あのカマキリの幻覚を具現化したのか、見た夢を再現したのか。だが雨木の話と照らし合わせると、少なくとも全ての願いを叶える事ができるとは考えにくい」
彼女は立ち止まる。
「龍が顕現して何が起こるのか、結局は私は知らない。だけど、私はそれに頼るしか道はもう無かった。それだけ」
「じゃあ俺もそのアドニスさんに感謝しなくちゃな。結果的にリックちゃんが琴吹郵便局に戻って来たんだからさ。つーかそんな龍の分身みたいなのに勝つ精霊召喚出来たって、リックちゃん強すぎじゃね?」
「あれは姉のエリンが見つけていた、空の魔女の文献に載っていただけの魔術だ。私の力じゃない。まぁ文献は焼失してしまったけど、おかげで色んな場面を切り抜ける事ができた。結果的に私はエリンと空の魔女に助けられたってことにはなるかな」
「へーじゃあお姉さんのためにも、今日も頑張りますか!助っ人もいるしな!」
彼らが手に入れた本の解読は進んでいたが、その内容を理解する事ができない。何かが足りない。暗号なのか何なのかすらわからないという日々が続いていた。今日がいつもと違うのは凪もついてきた事だ。本を持ってきた二人は凪がいる作業台に辿り着く。一方、凪はリック達が解読し現れた文言を見て、鼻と上唇の間に鉛筆を挟みながら唸っていた。
「なーんかこの文字の並び方は見た事あるな〜」
リックは凪の顔を勢いよく覗き込んだ。
「春香ちゃん、本当!?」
「でも何なのか思い出せない。どこで見た事あったんだっけ」
海斗が本を机の上に置く。振動で肘をついていた凪は鉛筆を落とす。
「なぁなぁ、凪さん」
「んあ?今いいところなんだけど」
「ごめんごめん。リックちゃんに疑問答えてもらったし、俺の疑問を全部解決して貰おうと思ってさ。魔術に凪さんは詳しいけど、やっぱり現世で勉強したの?少し不可解な事あってさ。記憶の操作といい、リックちゃんから聞いた魔術といい、こっちで調べても何も出てこなかったんだけど」
凪はペンを回し始める。縦横無尽に動くそれは、まるで意識を持っているようだった。
「春香ちゃん、それ私も気になる」
「魔術……勉強……記憶…………」
凪は少し考えると、ハッと顔を上げた。ペンは転がって落ちかけたがリックが難なくキャッチする。
「大曲海斗!」
「はい!」
凪から突然名前を呼ばれた海斗は背筋が伸びる。
「今から現世に戻る。あんたもついて来い。リックちゃんはこれを複製した後、郵便局に戻っておいて!」
「わかったけど、急にどうしたの?」
凪はリックの目の前で指を鳴らす。
「この文字を見たのは私の実家だ!!!私は実家で魔術を学んだし、本も沢山あった。勝手に読んだ本の中にきっと、この暗号を解く鍵があるはず」
凪は荷物をすでにまとめていた。
「おら、さっさと行くぞ甲斐性無し男!」
「それは俺の事か?!」
凪はすでに彼方の書庫の出口へと走っていった。海斗も慌てて彼女を追いかけるが、一度戻ってリックに叫んだ。
「リックちゃん。何か向こうで欲しいものある?!?!」
リックは慌てて本を作業台にドンと置いた。
「えっと、何でもいい!!」
「了解!」
海斗は凪を追いかける。置いてけぼりにされたリックは、海斗に話した三骸体について考えていた。彼女は当初三骸体の内、アドニスとドゥーハは見つけていた。だがー
「人はどこに行ったのだろう……いや、まずはやるべき事か」
リックは複製を始める。書庫はいつもより、酷く静かに感じた。
凪の速さは前よりも磨きがかかっていた。リックとの修行によって前よりも動くことができるようになっていた。息切れを起こしそうな海斗をよそに凪は森を進み、草を掻き分けて現世へ向かうルートを突き進んでいく。
「何でそんなに急いでるんだ!早いって!」
「喋ってないでさっさと来い!」
凪はわからなかった。いつもよりも焦っているのを自覚している。虫の知らせと言うべきか、振って沸いた感情が何かがあった。本当ならリックは彼方の書庫で調べ物をすればいい。なぜか郵便局の人が急に心配になり、彼女に向かってもらう事にした。だが空の魔女の情報は逃すわけにはいかない。雨木とリックの二人に必要な情報だ。出口が見えてきた。
「おかしいって、何これ」
「はぁはぁはぁ。どうしたって……マジ?」
「とりあえず急ぐぞ!こっちだ!」
丘の上、いつもの出口は変わらない。しかし、凪達が見たのは普通の景色では無かった。現世ではあり得ない異常なほどの魔力の濃度だった。そのせいで魔術を扱える二人には空間が所々歪んでいるようにも見える。凪は景色を見るとヘッドホンを強く掴み、一拍置いて走り出す。
階段を駆け下り、坂道を登り、林を掻き分け、川を渡って、とある山の頂上を目指す。凪の目にはやがて大きな屋敷が映る。流石に息切れした彼女は膝に手を置いて深く深く息を飲み込む。二分ほど遅れて海斗は到着する。その頃にはすでに凪の息は整い始めていた。
「やっと来たか。この家だ。さっさと調べるぞ」
「ちょっっっっっと待ちな!」
海斗は凪の前に立って全力で止める。
「何?さっさと調べたいんだけど」
「この廃墟に本当にあるのか?今にも崩れそうなぐらいだぞ。ここであってるとは思えない」
「は?何言ってんの?馬鹿なこと言ってないでどいて」
「マジかよ〜よく雨木はこの人に付いていけるな……仕方ねぇ」
凪の目には立派な家に、海斗の目には古ぼけた廃屋にその場所は映る。海斗は凪の通った道を通るように追いかける。凪は家の最奥へと向かう。歩くたびに軋む床は今にも抜けそうで、シロアリに所々食べられて朽ちかけていた。とても本が残っているとは考えにくい。しかし凪は迷わずに、ただ一つの目標へとひたすら歩き続ける。そしてたどり着いた和室の畳を引き剥がす。地下へと続く階段があったが、水が滴り落ちていて木製の階段もカビが覆い尽くしていた。
「おい、ほんとにここにあるのか?」
「あんたが何を見ているのかわからないが、ここに絶対あるはずだ。雨木なら付いてくると思うけど」
「あーわかったわかった」
煽った凪が先行して階段を降りていく。彼女は何の躊躇いもなく、海斗は必死に滑らないように降りていく。地下には確かに本棚がいくつかあった。
「探すぞ。ここにあるはずだ」
「了解っ」
凪と海斗は二人で手分けして解読の手がかりを探す。外の様子も気になるが、まずは自分たちの目的を達成する他ない。海斗は引き出しを探し、保管されてあった日記のようなものを見つけた。日記と呼ぶには毎日書かれていないが、日付ごとには分けられていた。
海斗は凪を呼ぶ前に、自分で読んでいた。そして、彼は書物の半分あたりで気になる文字を見つける。
『4/5日 私は珍しく道に迷った。見知らぬ場所を歩いていると、電柱の足元に捨て子がいた。背中には痛々しい傷跡が刻まれており、すぐに虐待であると理解した。病院へ行った後、私は彼女について調べたが両親は行方不明かつ彼ら自身も里親であった。状況はよくわからなかったが私は手続きを行い、後日彼女を連れて家へ帰った。そして、私は赤ん坊を改めて”凪 春香”と名付けた。これから忙しくなる』
次のページはどこか慌てて書いたのか、日付が書き忘れられていた。
「魔術を春香に教えることにした。凪家の伝えられている魔術も、継ぐものが居ない。私の代で終わらせるつもりであったが、調べると彼女が三骸体である事がわかった。私も長くない。彼女自身に自分を守って欲しいという願いから、魔術を教えるつもりだ。これからの成長を見られないのは残念だが、空から見守っていよう」
海斗は開いた口が塞がらなかった。これは凪に見せるべきなのか、書物を一度閉じようとする。しかし、その手を誰かが止める。凪は海斗の腕を強く掴み、書物の内容を凝視していた。




